第69話 エクソソーム〜幻惑のイブ〜2
*
第一志望の一流大学に入り、波瑠は充実した毎日を送った。あの四年間が、自分の生涯のなかでも、一番いいころだったんだろうと思う。
友人にかこまれ、彼女も、たいてい切れたことがなかったし、家庭も裕福で金に困らなかった。
ときどき、ヒマをもてあましたとき、ふと、竜飛から聞いた、あの都市伝説を思いだすこともあった。何度かはネットサーフィンしてみたこともあった。
でも、いつも、それらしいアプリを見つけることはできなかった。
いつしか忘れていた。
でも、今、そのアプリが、波瑠のスマートフォンのなかにある。
「わたしは、イブ。あなたは?」
黒っぽい画面のなかで、白い影が言った。
声は透きとおるように甘い。
「高崎波瑠。ハルと呼んでくれ」
「ハル。あなたは、ハル。わたしと何が話したいの?」
「なんでもいいの? たとえば、君の生みの親のこととか?」
「わたしを作ったのは、ソウスケ・ニイミよ」
ドキンと心臓が脈打つ。
いきなり、そんな核心をつく答えが返ってくるとは思ってなかった。
でも、落ちつけ——と、自分に言い聞かせる。
これは、ただ単に、新見の名前を借りた誰かが、そう言わせるようにプログラムしてるだけかもしれない。
(こういうアプローチじゃ、きっとダメなんだ。どうやったら、ほんとのことがわかるんだろう?)
トゥルーエンディングに行きつけば、真実もわかるのかもしれないが……。
そのあと数時間、たあいないことを話した。
イブは最初から、かなりの量の基礎知識をあたえられている。話していて飽きない。
こんなふうに楽しく時間がすぎていくのは何年ぶりだろうと思う。
大学を卒業するまでは、
すべてが一変したのは、二年前。
深夜、放火による火事で、家が全焼してしまった。
父と母が逃げおくれて亡くなった。
相続税を払うために、土地を売るしかなかった。
残った遺産で都内にマンションを買った。兄が賃貸マンションは家賃の掛け捨てだと言ったから。
兄と二人で暮らしていたが、その兄が結婚したことで、いづらくなった。
けっきょく、波瑠は親から何も遺されないも同然で、一人暮らしをすることになった。
その直後、職場で派閥の争いに巻きこまれて、部署を異動になった。要するに左遷された。会社の同僚は手のひらを返して冷たくなった。
彼女にも、ふられた。
彼女は金持ちの息子の波瑠が好きだったのだ。郊外のせまい賃貸マンションに引っ越した波瑠のことは、好きではなかったらしい。
苦労知らずの波瑠は、かなり滅入った。
こんなにも深い孤独を味わったことは、これまで、ただの一度もなかった。
そんなとき、竜飛に街でバッタリ再会した。
竜飛はビックリするような美女をつれていた。
「あれ? もしかして、波瑠か?」
ほんとは話したくなかった。
今の自分を昔の知りあいに見られたくない。
しかし、向こうから声をかけてきたので、しかたなく、うなずく。
「ああ。竜飛か。ひさしぶり」
「なんか……顔色悪いな?」
「ちょっと仕事が忙しいんだ」
数分、立ち話をしたあと、竜飛は急に声をひそめた。
「なあ、おぼえてるか? あのアプリ」
「ええと? 新見の作ったっていう? デマだろ? あんなの」
すると、竜飛は思わせぶりに自分の彼女を見て笑う。
「それがさ。ほんとだったんだよ。しかも、マジに、すげえことが起こった」
「えっ? まさか」
「ウソじゃないんだ。こいつ、おれの彼女。じつは、イブなんだ」
「はっ?」
一瞬、竜飛の正気を疑った。が——
「イブです。竜ちゃんのお友だちね。よろしく」
と言って、さしだしてきた女の手。
にぎりかえすと、冷たかった。
よく見れば、人間じゃない。
(こいつ……アンドロイドだ)
とてつもなく精巧だ。さわってみないと気づかないくらいに。
「……竜飛、これは、なんで……?」
「おれ、やったんだよ。あのアプリ。おれのはノーマルエンディングだったみたいだけど。イブの言うとおりにやったら、金も儲かった。その金で材料そろえて、言われたとおりに部品組みたててーーそしたら、こうなった」
なるほど。アプリを作ったのが新見に間違いなければ、これほど精巧なロボットを、素人に作らせることもできるかもしれない。
竜飛は、てれくさそうに続ける。
「性格はさ。アプリで、おれが育てたまんまだしさ。理想の女だよ。もう、そのへんの女なんか相手にしてられっか」
イブと腕をくんで立ち去る竜飛が、とても幸せそうに見えた。
(ズルイ……おれも……)
やってみたい。そのアプリ。
ほんの少し人間より冷たく、ほんの少し人間より固いことさえガマンすれば、理想の恋人が手に入る。しかも、その恋人は絶対に裏切らない。
その日から、波瑠は寝るまも惜しんで、ネットサーフィンにいそしんだ。バッテリーさえ続けば、仕事中でも、いつでも、検索し続けた。
勤務態度が悪いとクビになりそうだが、そんなことは、もうどうでもよかった。
休みの日は食事もせずに朝からスマホをいじっていた。
急激にやせた。
兄が心配して、何度か電話をかけてきた。
電話がかかると、そのあいだ、検索できなくなる。それがまた腹立たしい。
「なあ、波瑠。やっぱり、帰ってこいよ。まだ、おれたち子どももいないし。おまえの部屋くらいはあるからさ」
「電話、迷惑なんだよな」
一方的に切って、兄の番号をセキュリティ設定からブロックした。
竜飛に見つけられたんだ。ただのウワサじゃなかった。おれにだって見つけられるはずだ。
竜飛はバカだ。あんな、ありきたりの女に育てて、何が楽しいんだ? おれなら、もっと……。
そのアプリにたどりつくまでに、半年かかっただろうか? あとのほうは意識が
会社は、たぶん休職扱いだ。
体重も十キロは落ちただろう。
計ってないし、カガミも見ないから、わからないが。
いつのまにか寝落ちしていた。
やっぱり、ダメか。見つからないのか。
おれは一生、このまま一人なんだ……。
涙がにじんできた。
スマホをかべに、なげつけようとして、ふと気づいた。
かすんだ視界のなかに、それを見たとき、一瞬、波瑠は自分の目を疑った。
真っ黒なアイコン。
まんなかに、アルファベットのEの文字が白抜きされている。
EVEだと、ひとめでわかった。
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