第67話 クレプトマニア 1
〜美花の告白〜
今日は特別な日だ。
わたしと、あなたの結ばれる日。
外国に親族だけを呼んで、小さなチャペルでの結婚式。
新郎の
ふふふ。かわいい人。
わたし、幸せになるわ。
今ここで、永遠の愛を誓うのよ。
ごめんね。
「新郎、大輝。病めるときも健やかなるときも、新婦を愛すると誓いますか?」
神父の声をBGMに、美花は物思いにふけっていた。
なにしろ、ここまで、たどりつくのには、大変な苦労があった——
*
こうなったのには、美花の性癖がある。
それは、幼いころから培われてきたものかもしれない。
榊原美花は容姿端麗で、物心つくと、周囲に特別あつかいされていた。
「美花ちゃんは可愛いねぇ。大人になったら、すごい美人になるよ」
「おたくの美花ちゃん。可愛いうえに賢くて、お母さんも鼻が高いですねぇ」
「美花ちゃんみたいな美人を、奥さんにできたら幸せだろうなぁ」
そんなふうに言われるのは日常茶飯事だった。
保育所では、ごっこ遊びをすると、男の子たちが美花の夫役を誰がやるかで争った。
頭もよく、なんでも一度でおぼえるので、先生たちにも褒められた。勉強でもスポーツでも、自分にできないことがあると思ったことがなかった。実家は裕福で、一人娘だから大事にされた。
何もかもが、思いどおり。
美花の手に入らないものなどない。
プレゼントもお小遣いも、たっぷり貰った。賞状やトロフィーも、ジャマになるくらい。
だからだろう。
かんたんに買いあたえられるものに愛着が持てなかった。
それは人間においても同じ。
小学にあがる前に、十人以上の男の子に「僕、大人になったら、美花ちゃんと結婚したいな」と言われていた。
小学のときには近所の男の子が、親の仕事の都合で引っ越しが決まり、美花ちゃんと別れたくないという理由で家出さわぎを起こした。
中学になると、人並みに美花にも、あこがれの先輩ができた。一年の一学期の終わりごろに、その先輩から告白された。
最初は楽しかったけど、つきあいだすと、なんだか、退屈。先輩は思っていたほど、いっしょにいて楽しくなかった。
夏休みが半分もすぎないうちに、美花から別れを告げた。
それから、何人とつきあっただろう?
いつも誰かから告白されていたから、高校を卒業するまで、相手が切れたことは、ほとんどなかった。
でも、どの人といても、退屈。
この人は、わたしの探していた人じゃない……。
そんな思いが、いつも胸の内にあった。
そんなころから、あの性癖が表面化してきた。
人の彼氏が、やけに魅力的に見える——
あまりにも何もかもが思いどおりで、あまりにも何もかもが、かんたんに叶ってしまう。
だから、たやすく手に入らないものに興味を惹かれてしまう。なかなか欲求が満たされないことで、かけひきがゲーム性を帯び、相手が堕ちたとき、深い達成感が得られる……。
たぶん、そういうことなんだろう。
わかってはいるが、やめられない。
クレプトマニア——
それは病的な窃盗癖のようなものだ。
大学に入学したばかりのころに、妻子のある人と不倫した。奥さんにバレないように情事をかさねた。彼の自宅で密会もした。たまらないスリルがあった。
でも、既婚者は意外と浮気に乗りやすい。そのくせ、家庭がこわれるかもしれない危機に直面すると、急に
その瞬間に冷める。
やっぱり、つまんない。
男って、退屈。
そんなとき、美菜と出会った。
大学のゼミでいっしょになった。
美菜の名字は、榊原。
美花と一文字しか名前が違わない。
たった一文字しか違わないのに、じっさいには、美花と美菜は雲泥の差だった。月とスッポン。豪華なブルーダイアモンドと、靴底にひっかかった砂利ほどの違いがあった。
同じ大学だから、美菜も成績は悪くなかった。勉強は人一倍、飲みこみが早く、知識も豊富。
だが、何をやっても、どんくさい。信じられないような凡ミスをする。スポーツは無様としか言いようがなく、何よりも、容姿が劣る。
「……わたしと美花さんって、一文字違いなんですね。なんか、親近感がわきます」と彼女が言ってきたときから、美花は美菜を哀れんでいた。
名前は、たった一文字違うだけなのに、なんで、こんなに見ためは違うんだろうと。
信じられないことに、美菜との共通点は、それだけではなかった。血液型も同じ。誕生日も一日違い。
似ているはずなのに、似ていない。
美花にとって、美菜は優越感にひたるための道具でしかなかった。
ところが、大学四年めの春、ぐうぜん、町中で美菜に出会った。美菜は背の高いハンサムな男といっしょだった。それが、大輝だ。
「美菜。その人は?」
声をかけると、美菜は迷惑そうな顔をした。
「わたしの彼よ。今日はデートなの」
美菜のその態度が、しゃくだった。
美菜のぶんざいで生意気。
それに、どう見ても似あわない二人だ。美菜はよく言って十人並みなのに、彼氏の大輝は誰が見ても美形。二枚目俳優みたいなイケメンだ。
「美菜のお友達ですか? よろしく。白崎大輝です」
にこやかに笑う大輝は、とても魅力的だった。美花のあの性癖が首をもたげるには充分なほど。
それから、美花は、いやがる美菜を無視して、夕方まで、二人についてまわった。
大輝は気にしているふうじゃなかった。ずっと楽しそうで。
だから、大輝も美花に惹かれてると思った。ちょっと誘えば、かんたんに奪えるだろうと。
だが、美花がどんな手を使っても、大輝は堕ちなかった。
「ねえ、そんなに美菜が大事? 美菜のこと、愛してる?」
「愛して……うん。もちろん。そうなんだと思う。こんな気持ちは初めてなんだ。おれ、けっこう昔からモテたけど。美菜がいないと不安になる。自分の心が自分のものじゃないような感じっていうか。心の糸が、いつも美菜につながってるような」
「じゃあ、わたしのことは?」
「好きだよ! こんなに魅力的な女の人は初めてだ」
なのに、美菜からは離れられないという。
たしかに、美菜といるときの大輝は、なんだか人形師にあやつられるマリオネットのようだ。
どこか薄気味悪い。
大輝は美花に惹かれている。
それは、まちがいない。
なのに、手に入らない。
美菜の存在がジャマをする。
美菜が生きているかぎり。
*
あるとき、美花は見てしまった。
そのころ、すでに、美花は大輝と浮気の関係にあった。
美菜と別れて結婚しましょうと言っても、大輝は生返事だった。しかし、大輝の部屋に、しばしば、たずねていく関係ではあった。
その夜、合鍵を使って大輝の部屋に入ると、美菜が来ていた。
大輝は裸でベッドによこたわっている。だが、色っぽいことになっているわけではない。
異様な光景だ。
大輝は眠っているらしい。
その枕元に美菜が正座している。
そして、なにやら、ブツブツ言いながら、大輝のひたいにお札のようなものを貼っている。ひたいの次には心臓の上に。両手両足、腹。ひっくりかえして、背中にも……全身にペタペタ貼っていく。
いったい、何をしているのだろう?
声は小さくて、何を言っているか聞きとれない。
やがて、美菜はお札をはがして灰皿にのせ、火をつけて焼いた。
「これで、また、一週間は安心ね」
ほっと安堵の吐息をもらして、美菜は大輝の部屋から出ていった。
やっぱり、何かが、おかしい。
大輝と美菜の関係は、ふつうの恋人とは違うのかもしれない。
美菜は「一週間は大丈夫」と言っていた。
あの妙な呪術のようなもので、大輝の心をしばっているのかもしれない……。
そういえば、大輝は毎週、日曜から水曜まで、美花にそっけない。誘いにものらない。だが、木曜くらいになると、ふつうに話もできるし、部屋にも招いてくれる。美菜の変な呪縛が薄れるせいに違いない。
美花はその週の木曜日、大輝を旅行に誘いだした。
「美菜が、わたしたちの浮気を疑ってるみたいなの。サプライズで旅行をプレゼントして、ご機嫌をとっておくわ。美菜は、あとで来るから」
そう言って、だまして、沖縄へつれだした。
最初は美菜がいないことを、大輝は不安がった。だが、日曜をすぎると、急に心が軽くなったようだ。
「おれ、なんで今まで、美菜とつきあってたんだっけ? ぜんぜん、おれの趣味じゃないのに」
「目が覚めたのよ。もう美菜のことなんて忘れましょ?」
大学を卒業するまで、美菜をさけた。
大輝はマンションを引っ越した。
美花と大輝は同じ一流企業に就職し、美菜と会うこともなかった。
そして、今日、この日。
こんなに嬉しい日は、ほかにない。
(わたしたちは幸せになるんだから)
強敵から勝ちとった大輝は、大切な宝物。
美菜が探して、つれもどしに来るかもしれないと思うと、それもスリルだ。
人生って、こんなに楽しいのね。ふふふ。
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