第66話 影祭り



 子どものときの話だ。

 夏休みに祖父母の家に遊びに行った。


 ちょうど、近所の神社で夏祭りがあった。わたしも浴衣を着せてもらい、両親といっしょにお祭りに行った。いなかの小さな神社のことだから、花火もあがらないし、屋台の数も少ない。


 だけど、父と母に手をつながれて、提灯で飾りつけられた神社を歩くのは、それだけで楽しかった。

 金魚をすくったり、とうもろこしや綿菓子を買ってもらった。人の出も多く、お囃子が響き、とても、にぎやかだ。


 ついつい夢中になってしまい、いつのまにか両親と、はぐれてしまった。


「あれ? お父さん。お母さん」


 さっきまで、すぐそばにいたはずなのに、どこに行ってしまったんだろう?


 わたしは、まだ小学校にあがる前だったし、知らない土地のことでもあり、すっかり迷ってしまった。


 気がつくと、なんだか暗い場所にいた。境内のなかではあるのだろうが、屋台も出ていないし、提灯の飾りもない。


 細い石畳の通りに出た。

 まがりくねった道は、まるで迷路だ。


「お父さん、お母さん! どこ?」


 わたしは泣きながら、必死になって両親を探した。


 道のさきに石造りの階段があった。

 子どもの笑い声が聞こえてくる。

 あっ、このさきにお祭りの場所があるんだ。そう思って、わたしは急いだ。


 石段をあがったさきに、小さな祠があった。祠の前で、子どもが数人、花火をして遊んでいる。線香花火だ。パチパチと儚げに火花が舞う。


 パチパチ。パチパチ……。

 やがて、丸くなった火の玉が、ポトンと落ちる。


 子どもたちは、くすくす笑った。


「あ、落ちた」

「落ちたね」

「花火の首が落ちた」


 パチパチ。パチパチ。

 ポトン。


 くすくす……。


 浴衣を着た子どもたち。みんな、顔に狐のお面をつけている。でも、年は、わたしと同じくらいのようだ。


「みんな、花火してるの? わたしも仲間に入れて」


 とにかく、人に出会えたことが嬉しくて、わたしは近づいていった。


「花火はもう終わるよ」と、金魚の浴衣を着た女の子が言った。

「でも、かごめかごめをするんだよ。いっしょに遊ぼ」

「うん!」


 手をつないで輪になった。


 かーごめ、かごめ

 かごのなかの鳥はァ

 いつ、いつ、でやーる

 夜明けの晩に

 つーるとかーめがすーべった

 うしろの正面だぁーれ?


 何度も輪のなかの子どもが変わった。数度めで、わたしが真うしろになった。


「今度は、あなたが……だよ」


 ……のところが、よく聞こえない。


「え? 何?」

「あなたが……になるんだよ」


 子どもたちの狐の面が、キュッと口の端をあげて笑ったように見えた。


 すると、カツカツカツと下駄の音をさせて、男の子が走ってきた。藍色の麻の葉模様の浴衣を着て、その子も狐の面をつけている。ただ、その子は少し年長だった。十二、三だろうか。


「その遊びをしちゃダメだ。おいで」


 強引にわたしの手をとって、ひっぱっていく。輪になった子どもたちが、みるみる暗闇に溶けるように遠くなる。


「あの子たちと遊んじゃいけないよ。あの子たちは……だから」


 やっぱり……のところが聞こえない。


 わたしは麻の葉の男の子に手をひかれていった。


「なんで、こんなところに来たの?」

「お父さんとお母さんと、はぐれて。迷ったの」

「僕がつれていってあげるよ」


 しばらく歩くと、屋台がならぶところまで来た。

 でも、提灯が消えているせいか、妙に暗い。かわりに、ずらりとロウソクが立てられて、弱々しい光をなげている。幻想的だが、さびしいような光だ。


 その暗がりのなかを、全身が影のように黒い人たちが行きかっている。

 ふわり、ふわりと青白い鬼火のようなものまで飛んでいた。


 わたしが怖くなって、これは何かと聞こうとしたら、男の子は静かに首をふった。そして、しいッと人さし指を口元にあてる。


 影と鬼火のさざめくなかを、わたしたちは息を殺すようにして歩いていった。


 遠くのほうに、数えきれないほどたくさんの鬼火が集まっている。そこに青白く輝く社のようなものがあった。


 わたしが、そっと、それを指さすと、男の子は消え入るような声でささやいた。


「影宮だ。あれに見つかると、ここから、ぬけだせなくなる。いいかい? ここからさきは、絶対に声を出しちゃいけないよ?」


 わたしはうなずいて、男の子についていった。

 それでも、どうしても気になって、何度か影宮のほうをながめた。

 青い炎が渦をまいて、まるで大蛇がとぐろをまいているかのようだ。それが空にむかって火を吹き、今にも飛びたとうとしているように見えた。


 大蛇の首が下方をむくたびに、暗闇のなかから何かをとらえる。

 その巨大な口には、何人も子どもがくわえられていた。浴衣を着た子どもの足が、バタバタしながら、つるんと大蛇の口のなかへ落ちていく。


 バタバタ。つるん——

 バタバタ……。


 わたしは、あわててうつむき、ガクガクふるえながら、一歩一歩、けんめいに足をふみだした。

 暗い影のような祭りのざわめきが、しだいに遠くなっていった。


 気がつけば、また真っ暗闇になっていた。

 遠くのほうに明るい灯がある。

 トンネルのなかから見える外の風景のように、暗闇のなかに、ぽっかりと祭りの景色が浮かんでいる。黄色い灯をつけた屋台や、赤い提灯をつるした神社。あっちの世界は光にあふれている。


「ここをまっすぐ走っていくんだよ。いいね? 立ちどまっちゃいけない」


 男の子はそう言って、わたしの手を離した。


「いっしょに行ってくれないの?」

「僕は、ここまでしか行けないんだ」


「君に会えてよかったよ」と、男の子は言った。


 狐の面の下で、その子がほほえんだように思えた。


 そのとき、わたしは気づいた。


(あっ、この人は、お兄さんだ)


 わたしには、わたしが生まれる前に病気で死んだ兄がいる。生きていれば、ちょうど、このくらいの年になる。


「お兄さん……?」

「さあ、行くんだよ。お父さんとお母さんが心配してる」


 お兄さんは、わたしの背中を押した。


「さよなら。楽しかったよ。紗奈さな


 わたしは走りだした。

 しだいに人の声やお囃子の音が近づき、丸い光のなかの景色が大きくなっていく。


 光の輪をぬけたとき、わたしはふりかえった。

 遠い遠い暗闇のなかで、兄の手をふる姿が、幻のように、ぼんやりと見えた。




 *


 しばらくのあいだ、わたしは意識を失っていたらしかった。気がついたとき、わたしは墓地にいた。


 苔むした古い暮石が、ぶきみに立ちならんでいる。

 目の前には、ひときわ大きな石碑がある。石碑の近くには祠も。


 子どものわたしには、それが何を供養するためのものなのかまではわからなかった。離れた場所からお囃子の音がしていたので、ひたすら、そっちをめざして走っていった。


 まもなく、境内に出た。

 屋台のある見なれた人間世界の風景。


 泣いていると、大人がやってきて、父と母を探してくれた。


「紗奈! どこに行ってたんだ」

「よかった! もう、心配したのよ」


 父母に抱きしめられていると、あの世界のことは、すべて夢だったのかと思う。


 大人になってから、わたしは兄の墓参りに行った。

 兄の墓は、あの神社の裏手の墓地のなかにある。先祖代々の寄せ墓に、ひっそりと眠る兄。享年は七歳。


 あれは夢だったのか。

 そうでないのか。

 夏祭りの夜に、ざわめく影たちの集まる、もう一つの祭り……。


 ただ、今でも、こう思う。

 あのとき、兄が助けてくれなければ、わたしはどうなっていたのだろうと。


    

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