第45話 さよならは言わない(後編)
だが、麗子は一人で映画を見て夕食を食べ、帰ってきただけだった。
気のまわしすぎだったのだろうか?
裕也の気持ちは晴れなかった。
寝つきが悪くなり、となりで眠る妻の寝言を聞いた。
ケンちゃん——と。
裕也は、なんとも言えない暗い気分になった。
あるとき、夕食のあと、晩酌しながら、たずねてみた。
「そう言えば、中学のとき、杉本ってやつ、いたろ? おぼえてるか?」
「ああ……杉本くん。おぼえてるけど? すごくカッコよかったよね。クラスの女子も、ほとんどが憧れてたんじゃなかったかなぁ」
「おまえさ。杉本と、仲よかったよな?」
「べつに、ふつうだったけど? あなたのほうが仲よかったでしょ?」
「ラブレターとか、もらったんじゃないのか?」
麗子の表情が、ほんのり、くもった。
「杉本くん、すぐ転校したじゃない」
じゃあ、やっぱり、謙治は告白しなかったのか。
謙治が書いた甘酸っぱい青春ラブストーリー。
そのヒロインは、麗子だった。名前は変えてあったものの、読めば、すぐにわかることだった。
(謙治の想い人は、麗子だった……)
でも、その想いは伝わることなく終わった。
謙治は二年生の春休み、ふたたび親の都合で転校していった。ほかの生徒たちは、きっと、みんな、そう思っている。誰も、知らない……。
あのあと、次男が生まれた。
麗子の外出はめっきり減った。
妻のようすが、もとに戻ったので、裕也は麗子の浮気の件は忘れることにした。
幸せな日々が続いた。
なのに、なぜ、今になって、こんなことが起こるのか?
いったい誰が、どのようにして、あの原稿を手に入れたのだろう。
たしかに、あのとき、謙治は言った。
今日、書きあげたばかりで、おまえに一番に見せたかったんだ——と。
あの原稿は今、裕也が持っている。
いや、厳密に言えば、持っていた。
サイトにアップしたとき、原文は家庭用シュレッダーにかけて捨てた。誰もあの作品を読むことはできないはずなのだ。
それとも、まさか、家族の誰かだろうか?
麗子が、あの原稿を見つけたら、書かれている少女が昔の自分のことだとわかっただろう。少女に片思いする少年は謙治だということも理解したはずだ。それを、なぜ、裕也が持っているのか、疑問に思っただろう。
もしや、それで、裕也の反応を見るために……?
いや、しかしそれなら、六年間もだまっているはずがない。最近、ネットで、こんな小説、見つけたのよとでも言って、裕也に見せるのが普通じゃないのか?
何かが、おかしい。
裕也は決心して、一日、有給をとった。家族にはナイショで、会社に行くふりをして、朝から実家に帰った。実家は新幹線を使えば一時間で行ける。
だが、もちろん、実家をたずねたわけじゃない。中学校の裏にある山のなかへ入っていった。
このあたりは開発もされず、以前と、まったく変わっていない。となり町へ続く旧道があるだけで、人影もない。
山林のあいだに、ひらけた場所があった。たしか、このあたりだった。
裕也は用意しておいたスコップで、原っぱの一画をほった。何時間もかけ、昼飯を食べるのも忘れて、ほり続けた。
午後になって、それは現れた。
二十年も前のことなのに、ちゃんと、その場所をおぼえていたらしい。
人の骨が埋まっていた。
(やっぱり、そうだ。夢じゃなかった)
あの日、春休みになってから、裕也は謙治を呼びだし、二人で、ここを歩いていた。
謙治は転校すると決まっていた。
いなくなっても、学校でさわがれることはない。家族は探すだろうが、裕也が知らないふりをしていれば、誰にもバレるはずはない。
「なんだよ? こんなとこに呼びだして? 原稿を返してくれるって言うから来たのに」
「見せたいものがあるんだよ。この町の思い出に」
「ふうん?」
ほんとうは原稿を返したくなくなったからだ。
一生かけても、コイツには勝てない。
こんな素晴らしい作品は書けない。
そう思うと、どうしても、それを自分のものにしたかった。
その原稿を自分のものにすることで、謙治の才能まで手に入れることができるような気がした。
だから……。
裕也は途方にくれて、少年の自分が
*
疲れはてて、家に帰ってきた。
もしかしたら、謙治を殺したと思ったのは、多感な少年時代の自分が見た夢だったのかもしれないと考えたが、あの場所に、たしかに死体はあった。
謙治は死んでいた。
じゃあ、いったい、誰が、あんなことを……?
玄関口にすわりこんでいると、二階から足音が聞こえた。次男の
「なんだ。帰ってきたの」と、賢斗は冷めた口調で言う。
「おいおい。帰ってきたのはないだろ。お父さんに『おかえり』って言ってくれないのか?」
父親らしいそぶりをしてみせたが、賢斗の返事はない。
人なつこい長男と違って、どうも、この子は感情がつかめない。
いったい、誰に似たんだろうか。
麗子にも似てないし……。
ふと、そのとき、裕也は寒気を感じた。
それが誰に似てるのか、気づいたからだ。まだ、幼いから、確信は持てないが、しかし……。
(こいつは……似てる。謙治に……)
そう言えば、賢斗が二さいのころ、やたらとスマホをさわりたがった。幼児のことだから、デタラメに遊んでるだけだと思っていたが……。
賢斗が二さい。つまり、六年前だ。
サイトにあの作品が投稿されたころ……。
賢斗は言った。
「お父さんが、おとなしく僕に削除されてくれるなら、僕もあの小説はサイトから削除していいよ」
「な……何?」
謙治によく似た美しい顔が、ニッと笑う。
「あの小説は僕が書いたものだ。今も忘れてないよ」
裕也は目の前が、まっくらになった。
あどけない笑みを浮かべながら、賢斗が近づいてくる——
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