第45話 さよならは言わない(前編)
愛する妻は初恋の人で、それだけは、ほんとにラッキーだった。中学の同級生だった妻と、会社の取引さきの相手として、再会できたのは。
いたって平凡な裕也だが、趣味は小説を書くこと。
若いころはプロの作家を目指していたこともあった。
いくつかの賞に応募したが、すべて落選した。
そのうち仕事の忙しさや、家庭サービスで休日もつぶれ、すっかり夢も忘れてしまった。
数年前、ガラパゴスケータイから、スマートフォンに乗りかえたとき、ネット小説の投稿サイトを見つけた。
ここで、ときおり、原稿用紙数枚の短い話を投稿するのが、裕也の唯一の趣味だ。
閲覧もほとんどされないし、サイト内のイベントでも落選ばかり。
だが、たった一度だけ、イベントで大賞をとったことがある。その作品は短編集になり、裕也の宝物となった。
生涯にただ一度、自分を自慢できる瞬間だった。
自分の小説の掲載された本が届いたときには、嬉しさのあまり、神棚に飾った。
妻との出会いのころの片思いをつづった青春ラブストーリーだ。
それにしても、あの小説は素晴らしかったなと思う。
今でも忘れられない。
中学生のころ、裕也が、とても憧れていた同級生がいる。親の仕事の都合で二年生の終わりに転校してきた、
謙治は誰もがふりかえってみるような美少年だった。
背が高く、すでに声変わりしていて、整った男らしい顔立ちをしていた。
今風に言えば、塩顔イケメンだろうか?
成績もよく、スポーツはなんでもできたし、たちまち、クラスの人気者になった。とにかく、何をしてもカッコよかった。
裕也はスポーツが苦手だったので、そのままなら、ほとんど交友もなく終わっていただろう。
なんだか、謙治を見ていると、劣等感を刺激されて落ちつかなかった。
ある日、図書館に本を借りにいくと、謙治がすわって、何か書きものをしていた。
裕也と目があい、ニコっと笑ってみせる。
クラスで話したこともないのに、裕也のことをおぼえていたらしい。
「何してるの?」
たずねると、謙治は照れたような笑顔を見せた。
「小説を書いてるんだ」
裕也はおどろいた。
じつは、裕也も、このころから小説を書き、将来は小説家になりたいと思っていたからだ。
「じつは、おれもだよ」
うちあけると、謙治は言った。
「じゃあ、書きあがったら読んでみてくれ。初めて書いたからさ。感想が聞きたい」
「わかった」
数日後、謙治はできあがった原稿を手渡してきた。
家に帰ってから、その原稿を読んだ裕也は、がくぜんとした。
顔も頭もよく、スポーツ万能の謙治。
でも、小説でだけは負けないと、ひそかに思っていたのに。
それは、とても素晴らしい小説だった。
初めて書いたものとは思えない。
それも、たかだか中学二年生の書いたものとは。
感性は、たしかに中学生らしく、とても瑞々しい。しかし、筆致は、まるで大人のように描写が的確かつ精緻で完成されていた。
勝てない。
一生、コイツには、何をやっても勝てない。
それ以降、裕也の目標は、ずっと、あのとき読んだ、謙治の作品だった。
大人になっても、あれを超える作品が、どうしても書けなかった。
作家になるという夢をあきらめたのも、そのためだ。
今は、ただ一冊だけ書籍化された本に満足していた。
このまま細々と趣味として続けていけばいいと。
だが、書籍が届いた数日後。
とつぜん、電話がかかってきた。
サイトの運営会社からだ。
「えっ? 盗作? まさか」
大賞をとった裕也の作品が、盗作ではなかったかという確認の電話だった。
こういうことらしかった。
本を読んだ読者から、以前、サイトで読んだ話に酷似している、盗作ではないのかという問いあわせがあった。
調べると、たしかに、文章の細部がことなるだけの作品が存在していた。
「その人のほうが、あとから私の作品をコピーしたんじゃないですか?」
「最終的な投稿日が六年前なんですよ」
「六年?」
「サイトを立ち上げたばかりのころですね」
つまり、圧倒的に裕也の作品より以前に書かれたものということだ。
「そんなバカな……」
「この件に関しては社内で会議にかけます。受賞の取り消しもありますので、その旨、お伝えいたしますね」
電話が切れても、ぼうぜんとして思考がまとまらない。
あれが盗作?
そんなこと、あるわけない。
だって、あの話の内容を知ってるのは……。
もしや、あのことを知っている誰かがいるのか?
その日から、裕也の心が休まることはなかった。
どんな人物が自分と同じ作品を書いたのか。気になって、妻のスマホを借りて調べた。自分のスマホからでは閲覧者名が相手にわかってしまう。
サイトのなかの六年前の作品で、おそらくジャンルは青春か恋愛。検索をかけると、意外に早く見つかった。
『さよならは言わない』——そんなタイトルだ。
それを見ただけで、なかみの想像がついた。
これは、同じだ。
あの話と同じタイトル……。
内容に目を通した。
思ったとおりだ。まちがいない。
(これは……謙治の書いた話だ)
そう。裕也が大賞をとった作品。
それは、かつて謙治が裕也に見せた、あの作品だ。
一生、超えることはできないと思った作品。
やはり、裕也の思ったとおり、謙治は天才だった。
だからこそ、大賞をとり、書籍化までされたのだ。
まさか、この投稿をした作者は、謙治なのか?
あたりまえに考えれば、そうなる。
たまたま謙治も同じサイトを利用し、以前に書いた小説を投稿したのだと。
アカウント名は、KEN。
謙治のケン。
やはり、謙治か?
(いや、そんなバカなこと、あるわけが……)
絶対にありえないことを裕也は知っている。
それについては断言できる。
だからこそ、不気味だった。
あれは、何年前のことだっただろうか?
妻の麗子と再会し、まもなく結婚。
長男も生まれ、平凡だが幸せな家庭を築いていた。次男が生まれる前のことだったから、九年前だ。
麗子のようすが、少しおかしかった。
裕也が会社から帰っても出かけていたり、休日の日も、何かと理由をつけて外出する。そして、そんな日は酔って帰ってくることが多かった。
男の影がちらつく。
気になって、こっそり、あとをつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます