第45話 さよならは言わない(前編)



 流山裕也ながれやまゆうやは平凡なサラリーマンだ。三十八さい。これと言った特技もなく、会社では、やっと係長。子どもは二人。


 愛する妻は初恋の人で、それだけは、ほんとにラッキーだった。中学の同級生だった妻と、会社の取引さきの相手として、再会できたのは。


 いたって平凡な裕也だが、趣味は小説を書くこと。


 若いころはプロの作家を目指していたこともあった。


 いくつかの賞に応募したが、すべて落選した。


 そのうち仕事の忙しさや、家庭サービスで休日もつぶれ、すっかり夢も忘れてしまった。


 数年前、ガラパゴスケータイから、スマートフォンに乗りかえたとき、ネット小説の投稿サイトを見つけた。


 ここで、ときおり、原稿用紙数枚の短い話を投稿するのが、裕也の唯一の趣味だ。


 閲覧もほとんどされないし、サイト内のイベントでも落選ばかり。


 だが、たった一度だけ、イベントで大賞をとったことがある。その作品は短編集になり、裕也の宝物となった。


 生涯にただ一度、自分を自慢できる瞬間だった。


 自分の小説の掲載された本が届いたときには、嬉しさのあまり、神棚に飾った。

 妻との出会いのころの片思いをつづった青春ラブストーリーだ。


 それにしても、あの小説は素晴らしかったなと思う。


 今でも忘れられない。


 中学生のころ、裕也が、とても憧れていた同級生がいる。親の仕事の都合で二年生の終わりに転校してきた、杉本謙治すぎもとけんじだ。


 謙治は誰もがふりかえってみるような美少年だった。


 背が高く、すでに声変わりしていて、整った男らしい顔立ちをしていた。


 今風に言えば、塩顔イケメンだろうか?


 成績もよく、スポーツはなんでもできたし、たちまち、クラスの人気者になった。とにかく、何をしてもカッコよかった。


 裕也はスポーツが苦手だったので、そのままなら、ほとんど交友もなく終わっていただろう。


 なんだか、謙治を見ていると、劣等感を刺激されて落ちつかなかった。


 ある日、図書館に本を借りにいくと、謙治がすわって、何か書きものをしていた。


 裕也と目があい、ニコっと笑ってみせる。


 クラスで話したこともないのに、裕也のことをおぼえていたらしい。


「何してるの?」


 たずねると、謙治は照れたような笑顔を見せた。

「小説を書いてるんだ」


 裕也はおどろいた。

 じつは、裕也も、このころから小説を書き、将来は小説家になりたいと思っていたからだ。


「じつは、おれもだよ」


 うちあけると、謙治は言った。


「じゃあ、書きあがったら読んでみてくれ。初めて書いたからさ。感想が聞きたい」


「わかった」


 数日後、謙治はできあがった原稿を手渡してきた。


 家に帰ってから、その原稿を読んだ裕也は、がくぜんとした。


 顔も頭もよく、スポーツ万能の謙治。


 でも、小説でだけは負けないと、ひそかに思っていたのに。


 それは、とても素晴らしい小説だった。


 初めて書いたものとは思えない。


 それも、たかだか中学二年生の書いたものとは。


 感性は、たしかに中学生らしく、とても瑞々しい。しかし、筆致は、まるで大人のように描写が的確かつ精緻で完成されていた。


 勝てない。

 一生、コイツには、何をやっても勝てない。


 それ以降、裕也の目標は、ずっと、あのとき読んだ、謙治の作品だった。


 大人になっても、あれを超える作品が、どうしても書けなかった。

 作家になるという夢をあきらめたのも、そのためだ。


 今は、ただ一冊だけ書籍化された本に満足していた。

 このまま細々と趣味として続けていけばいいと。


 だが、書籍が届いた数日後。

 とつぜん、電話がかかってきた。

 サイトの運営会社からだ。


「えっ? 盗作? まさか」


 大賞をとった裕也の作品が、盗作ではなかったかという確認の電話だった。


 こういうことらしかった。

 本を読んだ読者から、以前、サイトで読んだ話に酷似している、盗作ではないのかという問いあわせがあった。

 調べると、たしかに、文章の細部がことなるだけの作品が存在していた。


「その人のほうが、あとから私の作品をコピーしたんじゃないですか?」

「最終的な投稿日が六年前なんですよ」

「六年?」

「サイトを立ち上げたばかりのころですね」


 つまり、圧倒的に裕也の作品より以前に書かれたものということだ。


「そんなバカな……」

「この件に関しては社内で会議にかけます。受賞の取り消しもありますので、その旨、お伝えいたしますね」


 電話が切れても、ぼうぜんとして思考がまとまらない。


 あれが盗作?

 そんなこと、あるわけない。

 だって、あの話の内容を知ってるのは……。


 もしや、あのことを知っている誰かがいるのか?


 その日から、裕也の心が休まることはなかった。


 どんな人物が自分と同じ作品を書いたのか。気になって、妻のスマホを借りて調べた。自分のスマホからでは閲覧者名が相手にわかってしまう。

 サイトのなかの六年前の作品で、おそらくジャンルは青春か恋愛。検索をかけると、意外に早く見つかった。


『さよならは言わない』——そんなタイトルだ。


 それを見ただけで、なかみの想像がついた。


 これは、同じだ。

 あの話と同じタイトル……。


 内容に目を通した。

 思ったとおりだ。まちがいない。


(これは……謙治の書いた話だ)


 そう。裕也が大賞をとった作品。

 それは、かつて謙治が裕也に見せた、あの作品だ。

 一生、超えることはできないと思った作品。


 やはり、裕也の思ったとおり、謙治は天才だった。

 だからこそ、大賞をとり、書籍化までされたのだ。


 まさか、この投稿をした作者は、謙治なのか?


 あたりまえに考えれば、そうなる。

 たまたま謙治も同じサイトを利用し、以前に書いた小説を投稿したのだと。


 アカウント名は、KEN。

 謙治のケン。

 やはり、謙治か?


(いや、そんなバカなこと、あるわけが……)


 絶対にありえないことを裕也は知っている。


 それについては断言できる。

 だからこそ、不気味だった。


 あれは、何年前のことだっただろうか?


 妻の麗子と再会し、まもなく結婚。

 長男も生まれ、平凡だが幸せな家庭を築いていた。次男が生まれる前のことだったから、九年前だ。


 麗子のようすが、少しおかしかった。

 裕也が会社から帰っても出かけていたり、休日の日も、何かと理由をつけて外出する。そして、そんな日は酔って帰ってくることが多かった。

 男の影がちらつく。

 気になって、こっそり、あとをつけた。


    

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る