第18話 軋む 2

 *



 夢を見ていた。

 また実家の暗闇にいる。

 どうも、一階の私の部屋のようだ。

 昭和の初めまで蚕を飼っていた中二階は、天井が低いので、家族は部屋として使わなかった。今では物置になっている。


 電気のヒモをひっぱってみたが、明かりはつかない。

 停電か? それとも、電球の玉が切れたのだろうか?


 困っていると、ピシリ、ピシリと家鳴りがした。

 天井からだ。つまり、物置になっている中二階から。


 ピシッ。キシッ。


 家鳴り……?

 いや、違う。

 ギシッギシッと床をきしませながら、ゆっくり移動している。

 野生動物でも入りこんだのだろうか?

 かなりの重量のありそうな音がする。


 私は布団のなかでふるえた。

 となりには祖母が眠っている。


「おばあちゃん。二階を誰かが歩いてる」


 私が言うと、祖母は「しッ」と口に人差し指を持っていった。眠ってはいなかったらしい。祖母もあの音をたてるものの気配をうかがっていたのだ。

 そして、ささやくように小さな声で叱責した。


「なんにも見ちゃならん。聞いちゃならん。気づいてないふりしときなさい」


 なんだか、怖かった。

 気づいたことを相手に知られると、どうなるんだろうか?


 私はその夜、一睡もせずに、その音を聞いていた。



 *



 翌朝。

 私は借家の布団のなかで目をさました。

 変な夢を見た。幼いころ、実家で体験した、あのこと。


 そうだ。思いだした。

 私が子どものころは、あの音をよく聞いた。

 そのたびに寝られない夜をすごした。

 だから、私は家鳴りが嫌いなんだ。実家が嫌いだったんだ。


 なんで忘れていたんだろう?

 中学のころには、もうあの音は聞かなくなっていた。たしか、祖父が死んだあとからだ。

 祖母もそれについては何も言わなかったし、すっかり忘れてしまっていた。


 まだ子どもだった私が見た、現実っぽい夢にすぎなかったんだろうか?

 子どもは変な夢をよく見るものだ。夢と現実の区別もつきにくいし、それで現実のことだったと勘違いしただけかもしれない。


 なんだか、言うに言われぬ不安にかられたが、私はムリヤリそう思いこもうとした。ただの夢だったと。


 とにかく、不動産屋に行って、新しい家を探そう。

 その日は土曜日だったので、職場は休みだ。私は一日かけて、引っ越しさきを探した。

 けれど、なかなか、いい物件はないものだ。

 しかたない。明日、また探そう。今日だけは我慢して、あの家に帰るしかない。


 いや、根本的な原因は、子どものころに体験した実家での思い出のせいだ。今の家が悪いわけではない。急いで引っ越さなくても、何も起こるはずがない。


 私は自分をはげまして、借家に帰った。

 怖々、家に入る。

 とくに何もない。ただの古い家だ。電気をつければ、蛍光灯が明るい光をなげる。


 私は、ほっとした。

 よっぽど神経質になっているらしい。

 こんな調子だと、親父のようになってしまう。


 親父か。親父と言えば、イヤな思い出がある。

 あれは小学二年の夏休みだった。自由研究のために蚕を飼いたいと言いだしたのは、私だったらしい。私自身はそのあたりのことを、よくおぼえていないのだが。


 以前、養蚕していたころの桑の木が、まだたくさん残っていた。

 どこから入手したのかわからないが、私は念願どおり、蚕の飼育を始めた。


 最初は順調だった。

 もぞもぞと桑の葉を食う白いイモムシを、私はけっこう可愛がっていた。ころころ太って、マシュマロのようだ。


 ところが、その蚕が日に日に減っていくのだ。最初は二十匹いたのに、一匹、二匹と姿を消して、半分になった。

 ちゃんとカゴに入れていたから、蚕が自分で脱走しているとは思えなかった。

 病気や何かで死んだのなら、死骸が残るはず。しかし、死骸もない。

 原因がわからないことで、私はかなり悩んだ。


 実家では猫を一匹、飼っていた。シロというメス猫だ。シロがどこかへ持っていってるのかもしれないと思った。

 いなくなるのは、いつも家族が寝静まったあとだ。シロは夜行性だから、きっと、夜のうちに、カゴから蚕を持ちさっているのだろう。


 私は腹が立ったので、真相をつきとめてやろうと、その夜は中二階にこっそり身を忍ばせた。

 とは言え、子どものことだ。いつのまにか眠っていた。夜中にキシキシときしむ音を聞いて、目をさました。


 あっ、しまった。

 シロのやつにさきをこされたんじゃないか?


 私はあわてて、懐中電灯をつけた。音のするほうにむかって光をなげた。

 すると、光のなかに立っていたのは父だ。父は口に白いものをくわえていた。

 私は悲鳴をあげて気を失った。


 翌日、目がさめたときには、私は自分の部屋で布団に寝かされていた。

 泣きわめいて昨夜のことを家族に話したが、誰も本気にしなかった。夢を見たんだよと笑われた。


 なるほど。たしかに、そうだ。

 あれが、ほんとのことであるわけがない。

 優しい父が息子の飼っている蚕を、夜な夜な食っているなんて。


 そのあと、残りの蚕がどうなったのか、おぼえがない。


 父が自殺したのは、夏休みの終わりごろだった。

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