第18話 軋む 1

 


 キシリと音がした。

 その音で私は目がさめた。

 近ごろ、毎晩だ。

 いやんなる。

 また、家鳴りだろう。


 いくら安いからって、こんな古い家を借りるんじゃなかった。

 夢見も悪いし、こうしょっちゅう家鳴りで目がさめるんじゃ、おちおち寝てられない。おかげで毎日、寝不足だ。このままじゃ、仕事にも影響が出る。


 しばらく、暗闇のなかで耳をすましているが、それっきり、家鳴りは聞こえなかった。


 いつも、こうだ。


 気持ちよく寝てると、パキパキと竹の割れるような、ものすごい音がして、眠りのジャマをされる。なのに、こっちが目ざめて意識を集中していると、なんの音もしない。


 私は布団から這いだし、台所へ行って水を飲んだ。

 神経質になっているのかもしれない。

 きっと、この家が実家の建物に似ているから悪いのだ。


 私の実家は信じられないような山奥にあり、建物は二百年前に建てられた古民家だ。市の重要文化財にも登録されている。

 暗い影の多い建物で、学校に通っていたころは妖怪屋敷と揶揄やゆされていた。


 たしかに、妖怪が住みついていても、ちっともおかしくないと思えるほどの建物なのだ。

 今どき茅葺かやぶき屋根で、その昔はかいこを飼っていた中二階があり、馬屋や蔵なども。

 蜘蛛くもの巣だらけの蔵のなかには、カビくさい古い巻物や書物が置かれ、裏山にある神社の縁起を記した絵巻物なんかも保管されていた。


 とにかく、私は実家の建物が嫌いで嫌いで、早くそこから出たくてしかたなかった。

 両親を早くに亡くし祖父母に育てられていたものの、中学のとき祖父が亡くなり、高校になると、祖母も亡くなった。


 天涯孤独になった私は、実家を市に寄贈して、さっさと町なかに引っ越した。

 高校卒業とともに働いて、平凡に暮らしている。

 最初はそこそこ新しいアパートを借りていたのだが、職場まで片道四十分もかかってしまう。

 だんだん、めんどくさくなり、近場に借家を探した。


 そんなときに見つけたのが、この家だ。

 一家に不幸が続いて、今は空き家になっているという、いわくつきではあったが、死体が見つかったわけではないので、事故物件ではない。


 職場まで自転車で十分。

 家賃もえらく安い。

 築四十五年という日本家屋は、たしかに新しい建物にくらべれば迫力がある。設備も古い。

 それをさしひいても、職場への近さと家賃の安さは魅力的だった。

 一軒家なので、多少の騒音なら近所にも聞こえないし、気がねがいらないのも嬉しかった。


 さっそく引っ越して、今日で三週間になる。

 設備は古いが湯船も大きいし、バストイレも別だし、部屋数は一人では使いきれないほどだ。

 私はこのうちをとても気に入っていた。

 家鳴りはよくしたが、古い家なら、あたりまえのことだ。あまり気にしていなかった。

 最初のうちは……。


 一週間ほどたってからだろうか。

 夢を見た。

 夢のなかで、私は実家にいた。あの山奥の古い建物の座敷に、ぽつんとすわっていた。


 なんだか、なつかしい。

 影の濃いこの家を、子どものころは嫌っていたけど、やっぱり生まれ育った家だ。

 自分でも気づかないうちに帰りたいと思っていたのだろうか。

 そんなふうに考えた。


 それにしても暗い。

 いくら夢のなかだからって、これじゃ身動きがとれない。

 明かりをつけよう。

 古い家だから、かべにスイッチなんてない。

 照明は電気のかさについているヒモをひっぱることでしか点灯できない。


 闇とは言え、うっすらと、あたりの輪郭は見える。

 私は住みなれた家のなかを勘で歩き、電気のヒモをさぐった。


 ところが、そのとき、音がした。


 ピシリ——


 家鳴りだ。

 その音で、私は目がさめた。

 借家のなかにいる。

 なぜか、汗びっしょりになっていた。まるで、とんでもない悪夢にうなされていたかのように。

 なんだか、そのことじたいに、ゾッとした。


 別に怖い夢を見たわけじゃない。

 実家の建物を見ただけだ。なつかしくさえ感じた。

 なのに、このおびただしい寝汗はなんだろうか?


 それが何かの引き金になってしまったようだった。

 そのあとからだ。ひんぱんに家鳴りに悩まされるようになったのは。

 夜、寝ていると、夢のなかに入りこむほど大きな音で、家鳴りがする。

 そして、目がさめるたびに、おびただしい汗をかいている。


 私は不眠症になってしまった。

 なかなか、寝つけない。

 そんな日々が続いた。



 *



 また、夜中に目がさめた。

 まったく、これじゃ体力がもたない。

 このごろは職場でも、顔色が悪いけど、どうかしたのかと同僚に問われるしまつだ。


 なんとかしたいものだ。

 病院に行ったほうがいいだろうか?


 でも、あまり気がむかない。

 私は幼かったのでおぼえがないが、じつは親父は自殺だ。不眠症になって、夜中に変なことを口走り、裏山の木に縄をかけて首をくくったらしい。


 教えてくれたのは祖母だ。

 自分がもう、あまり長くないと悟ったのだろう。

 高校卒業前——つまり、祖母が亡くなる直前のことだ。


輝男てるおや。おまえがせめて女だったらねぇ。おまえは男だから、苦労するかもしれないよ。女なら、まだ自分を抑えられるんだけどねぇ」


 そう言って、父が自殺したことを教えてくれた。

 どうも、うちは代々、そういう家系らしい。子どものころは普通だが、大人になると、急になるという。


 そうか。もう、おれの順番なのか。おれも、その年になったのか。

 そう思った。


 だとしたら、病院に行ってもムダだろう。

 それよりも引っ越したほうがいい。きっと、こんな古い家に住んでるからいけないんだ。

 あの家鳴りを聞くと、実家に帰ったような気がしてしまう。


 明日になったら、不動産屋をたずねて、引っ越しさきを探そう。今度は多少、家賃が高くてもいい。ピカピカの新しいマンションがいい。

 そう決心すると、少し気が楽になった。


 私はふたたび眠りについた。

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