第18話 軋む 3

 *



 今日も夜が来た。

 電気を消して布団に入っても、しばらくは寝つけない。

 気がたかぶっているのか、変なことばかり思いだしてしまう。

 たとえば、蔵のなかで見つけた絵巻物とか。

 山より大きな蜘蛛が、村人をおそって食っていた。色あせた絵巻物のなかで、血の赤だけが、やけにあざやかだった。


 実家の裏山にあった神社に伝わる故事だ。

 その昔、付近を大蜘蛛がおそい、村人を悩ませていた。村人たちは娘を一人イケニエにして、大蜘蛛を鎮めた。

 そんな話。


 そういえば、あの絵巻物を見た日もっけなと思う。

 子どものころから、なんだかよくわからない巨大なものに追いかけられる夢を見た。

 黒くて、毛むくじゃらで、足がいっぱいあって、とてつもなく、おぞましいものに……。


 きっと、あんな絵巻物なんて見たせいだろう。子どもが見るには、かなりショッキングな絵だったから。

 原因がわかれば、なんてことない。ちょっとした幼い日のトラウマだ。


 そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠っていたらしい。

 また、実家の暗闇のなかだ。

 ピシリ、ピシリと中二階から音がする。

 誰かがいる。

 この家のなかに、自分以外の誰かが。


 父だろうか?

 父は死んだ。


 母か?

 母も死んだ。

 祖父も、祖母も死んだ。


 そこまで考えて、私はふと思う。


 母が死んだのは、いつだっけ?

 あまり、おぼえがない。

 父が死んだよりは、あとだったような気がするが。

 なんだか、母の死については記憶が希薄だ。


「ねえ、おばあちゃん。お母さんはどこ行ったの?」

「お母さんはね。死んだんだよ」

「えっ? なんで? いつのまに?」

「なんでも。大人になったらわかるよ」


 そんなふうに言われたような?

 ほんとに母は死んだのだろうか?

 じつはまだ生きていて、こっそり中二階に隠れているんじゃないだろうか?


 とうとつに、そう思った。

 私は二階にむかって、そっと声をかけた。


「もしかして……お母さんなの?」


 すると、キシキシときしむ音が、ピタリとやんだ。

 異様な静けさが、両肩にのしかかってくる。


 なぜか、マズイと思った。


 祖母は言っていたのに。

 見てはいけない。聞いてもいけない。気づいてないふりをするんだと……。


 ふたたび、キシキシと音がした。

 ゾッとしたのは、その音が階段のほうから聞こえたことだ。足音のぬしが、中二階からおりてこようとしている。


 ピシッ。キシキシ……。


「やめてくれ! 来ないで、お母さん!」


 そう叫んで、私はとびおきた。



 *



 家鳴りの余韻がしていた。

 どうやら、また眠りのなかに、その音が入りこんでいたらしい。


(なんだ。ただの夢だ……)


 家鳴りの音にうなされて、悪夢を見たのだ。

 やっぱり、早く引っ越さないと神経がもたない。


 あまりにも寝汗がひどかったので、シャワーをあびることにした。

 築四十五年だが、シャワーはついている。それに一軒家だから、近所迷惑にもならない。安心して、真夜中に汗を流すことができる。そういうところは、ほんとによい家なのだが。


 服をぬいで、浴室に入った。

 旧式なので、シャワーは水と湯の両方の蛇口をひねって、自分で温度を調節しないといけない。


 湯をあびだしてまもなく、とつぜん、パシンと大きな音がした。家鳴りだ。起きているときに聞いたのは初めてだったので、私はあわてふためいた。


 パシン! パシン——!

 続けざまに、二、三度、鳴る。


 なんだ? 何が起きてるんだ?

 家鳴りって、こんなに大きな音がするものか?

 まるで、屋根がくずれおちそうじゃないか。いや、屋根というか、もっと近く……。


 パシンッ——!


 ひときわ大きな音とともに、私は背中に痛みを感じた。

 家鳴りに夢中になりすぎて、シャワーの温度が熱かったのだろうか。焼けるように痛い。

 あわてて、私はシャワーを止めた。

 バスタオルをかかえ、大急ぎで寝室にとびこむ。

 布団のなかに入りこむと、少し落ちついた。


 そうだ。夜は外気温が下がっている。そんなときにシャワーで湯を使ったから、いつもより家鳴りが激しくなったんだ。

 そもそも、家鳴りっていうのは、寒暖差によって家の木材がひずむ音だ。ぜんぜん、不思議なことじゃない。


 納得がいくと、自分の行動がおかしくなる。家鳴りにおびえて、バカバカしい。

 私は洋服をとりに脱衣所に帰った。

 電気もつけっぱなしだ。まったく。


 ぬぎちらかした服をとりあげようとして、私はこわばった。

 ピシッと小さく、音がした。

 音のしたほうをふりかえる。脱衣所の鏡に、自分の背中が映っていた。

 それを見たとたん、私は狼狽ろうばいした。


 鏡に映る背中。

 いちめんに、蜘蛛の巣のようなヒビ割れが走っている。


(なんだ……コレ?)


 いつのまに、自分は陶器の人形になってしまってたんだっけ?



 *



 ピシリ。

 また、あの音がする。


 私は気づいてしまった。

 その音がどこからするのか。


 あれは家鳴りじゃない。

 鳴ってるのは、私の体だ。

 古い家がきしむように、古い体がひずんで音を立てる。


 ピシリ。キシリ。


 幻聴が私を呼ぶ。


「輝男や。おまえも、おいで」

「そうだよ。あと一回、眠ればいいんだよ」

「寝る子は育つって言うだろ?」

「次に目がさめたときには、おまえも……」


 死んだはずの家族が、ニヤニヤ笑いながら手招きしている。


 いやだ。眠りたくない。

 眠れば、私はどうなってしまうんだ?


 ピシピシと、体がきしむ。

 何かが、そこから出たがっているかのように……。





 超・妄想コンテスト

『眠り』優秀作品

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