第5話 終末の音



 そのウワサを最初に聞いたのは、オカルト系のテレビ番組だ。

 視聴者からの投稿動画のなかに、その音は録音されていた。

 ブォーン、ブォーン、ゴウ——ッというような激しい音が虚空に響く。


 正直、裕美には風の音にしか聞こえなかった。


 冬の木枯らしが吹きあれる季節、日本海側に住む人なら、ゴウゴウとうなりをあげる暴風の音は、よく耳にするのではないだろうか。


 冬場にウッカリ窓の鍵をかけていないと、強風でガタガタ振動するせいか、しぜんに数ミリ窓があいてしまう。そんなとき、スキマ風が吹きこむと、ものすごい轟音がする。


 それにすぎないように感じた。


 テレビでは、その音が聞こえ始めると、世界は終末にむかうのだと告げていたが。


 なぜ、そんなふうに感じたかと言えば、数年前、結婚を機に東京を離れ、夫の地元についてきたからだ。夫の地元は冬になると剛風の吹きすさぶ地方都市だ。最初の冬はあまりの風の強さに肝をつぶした。


 県庁所在地なので、駅前などビルも林立し、スーパーやコンビニや公共施設も整い、生活するにはとても便利だ。ほどよく都会で、ほどよく田舎。少し郊外へ行けば、景色が美しい。


 夫の地元での暮らしに、裕美は満足していた。


 なによりも子育てしやすいのがいい。


 その日も子どもを保育所に預けてから午前中のパートをすませ、裕美はスーパーへ買い物にむかった。スーパーは自宅のマンションから自転車で十分ほど。


 この日は朝から晴天で風もない。

 季節は早春。先週、郊外にドライブに行ったときには菜の花畑がいちめんを黄色く染めあげ、見ごろだった。本格的な春はまださきだが、寒気もゆるみ、じょじょにすごしやすい季節になってきた。


 ところが、いつものスーパーへむかう途中、大きなマンションやテナントの建ちならぶビル街に入ったとき、変な音を聞いた。

 ゴォ————ッと地鳴りのような音がビルの谷間に響く。

 ビル風の強い日には、そんな音が聞こえることもあるが、こんな天気のいいおだやかな日には、そぐわない音だ。


 ちょうど交差点の信号が赤になったので、自転車を止めて、キョロキョロあたりを見まわした。

 ビルとビルのあいだのスキマに女が立っていた。ぼさぼさの髪を長く伸ばし、うつむいているので顔は見えない。なのに、なんとなく、ドキッとした。

 なんというか、その女のまわりだけ、黒いもやのようなものが噴きだしているかのようだ。もちろん、ただビルのあいだが影になって薄暗かったからだろう。


 疲れているのかと思い、ギュッと目をとじたあと、もう一度、見なおしたときには、女はいなくなっていた。

 信号が青に変わったので、裕美は自転車をこぎだし、買い物するうちに女のことは忘れてしまった。


 だが、数日後、また、ビル街で、あの妙な音を聞いた。

 そのときにも、あの女を見た。女が立っていたのは、この前に見かけたのとは違う場所だったが、服もまったく同じなので、まちがいようがなかった。


(ヤダな。風音がヒドイときには、決まってあの人を見かける)


 なんとなく不吉な気がした。


 ある日、ほかの用事があって、買い物へ行く時間がいつもより遅くなった。スーパーを出たときには、すっかり日が暮れていた。大通りには帰宅を急ぐ大勢の歩行者がいる。


 買い物袋を前カゴに入れて、ペダルをこぎだすと、まもなく、あの音が聞こえた。とくに、今日はヒドイ。旅客機が頭上に墜落してきそうな、ものすごい音がする。


(あの音が響くと世界が終わるのか。たしかに、そんなウワサにされても変じゃないかも。気持ち悪い音だわ)


 ひたすら自宅にむけて急いだ。

 途中の交差点で信号待ちをしたとき、裕美は、つい油断してビルのすきまを見てしまった。


 やっぱり、あの女が立っている。

 服の前が薄汚れて、フリンジなのかわからないが、やけにビラビラしている。ホームレスなのかもしれないと、裕美は思った。が——


 信号が青になり、横断歩道を渡って、その女の前を通るとき、裕美は気づいてしまった。


 フリンジなんかじゃない。

 皮膚だ。

 がっぽりとあいた穴から黄ばんだ皮膚がたれさがり、その下には白い肋骨が見えていた。


 そして女が息を吸うたびに、肋骨のあいだから、ビュービューと、あの音が轟く。


 見ちゃいけない! 目があったら、ただじゃすまない!


 裕美はそう直感した。

 女の穴に気づいていないふりをして、まっすぐ前を見て自転車をこいだ。

 自宅に帰ったときには汗がダラダラ流れ落ち、肺がパンクしそうなほど息が乱れていた。汗が急激に冷めて、全身がふるえた。


 そのせいだっただろうか?

 夜になって、裕美は高熱を出した。

 一週間ほどで治ったが、一時は救急車で運ばれるほど危なかった。


 あの女が何者なのかは、今もわからない。


    

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