第1話 さかしま返り(後編)

 *



 神社の裏にまわると、急に暗くなった。ここには提灯ちょうちんの飾りつけがされていない。

 ひとけもなくなり、しんと静まりかえっている。まだ九時すぎなのに、真夜中みたいだ。


「お姉ちゃん。怖いよ」と、朱莉ちゃんが、羽澄に抱きつく。

「大丈夫だよ。お姉ちゃんが、ずっと手をつないでるからね」

「うん」


 琴音は、ちろっと綾音を見たけど、姉は何も言わなかった。熱心に剣豪を見つめている。


 剣豪はロウソクを一人に一本ずつ手渡しながらたずねる。


「はすみ。おれ、よく知らないんだけど。全員でいっしょに行くの?」

「たぶん、そうだと思うよ。五人で同時にお願いしないと、意味ないんじゃない?」

「あっ、そっか。ロウソク消えるんだもんな」

「ただ、鳥居を出るまで、ふりかえっちゃいけないんだよね」

「それはおれも、じいちゃんから聞いたことある」


 ここから鳥居のところまで……けっこう遠い。


「じゃあ、行こうか」

 男の子らしく、剣豪くんが先頭に立つ。


 綾音が呼びとめた。

「待って。やっぱり怖いよ。あのね。剣豪くん。手……つないでもいい?」


 さっきまで、あんなにウキウキしてたくせに。

 怖いなんて、ウソに決まってる。

 でも、剣豪は、はにかみながら、綾音の手をとった。


「ほら。行こう?」

「うん」

 二人で歩きだす。

 そのあとを、羽澄と朱莉が手をつないで追っていく。

 琴音は一人で最後尾を歩いた。


 あたりはどんどん暗くなる。まわりの樹木の背が高くなって、月明かりも届かない。

 しばらく進むと、地蔵堂があった。ほんとに五体、ならんでいる。


「ロウソクに火、つけよっか」

 剣豪がマッチをすって、自分のロウソクに火をつけた。その火をみんなが移していった。


「お願いはもう決まった?」と、羽澄。


 朱莉が急に、はずんだ声をだす。

「あたしねぇ。アイドルにしてもらう! 世界中の人気者になるんだ!」


「じゃあ、お姉ちゃんは、家族がずっと笑顔でいられますようにってお願いしようかな」

 羽澄らしい、優しいお願い。


「おれは……ナイショ」

 剣豪はどこか、てれくさそう。言いながら、そっと綾音を見た。


(たぶん、お姉ちゃんのことだ)


 剣豪は綾音のことを好きになった。好きな人が自分のことを好きになってくれますように——とか、そんなお願いだろう。


 でも、とうの綾音は。

「わたしはバレエがもっともっと、うまく踊れるようになりたいな」


 姉はそういう人だ。

 けっきょく、自分のことしか考えてない。剣豪のことも、自分を好きになってくれるのは、あたりまえだと思ってるに違いない。だから、わざわざ願うほどのことじゃない。


(いつも、お姉ちゃんは、なんでもかんたんに手に入れる。あきたら、すてるかわりに、わたしにくれる。それで、お父さんやお母さんは、お姉ちゃんのことを優しいねって言うんだ)


 綾音のは優しさから来てるわけじゃない。すてると叱られるから、琴音に押しつけてるだけ。


 琴音の願いはもう決まってる。



 ——この世から、お姉ちゃんが消えていなくなりますように。



 お地蔵さんの前にならんで立った。


「じゃあ、みんな、お願いするぞ」


 うなずいて、琴音はロウソクを立てた。心のなかで一心不乱にお願いした。


 数分がすぎた。

 そのとき、すうっと、妙に冷たい風が吹きぬけた。

 目をあけると、五本のロウソクの火は、急速に小さくなっていく。ドキドキしながら見守った。


 すると、五つのうち四つの火は細い煙があがり、そのまま消えてしまった。一つだけ勢いをもりかえし、火が強くなる。


 まただ……。


 琴音は胸がつぶれそうな気がした。

 涙がうかんでくる。

 ひどいよ。神さまも、お姉ちゃんを選ぶんだ。

 残った火は、綾音のもの。


「うれしい! わたし、バレエ、上達するね。いっしょうけんめい練習して、かならず、バレエダンサーになる!」

 綾音は興奮している。


「すごいね。ほんとに一つだけ残ったね。このおまじない、ウソじゃなかったんだ」

 羽澄も少し高ぶっている。


 剣豪は冷静だ。

「まだだよ。鳥居をくぐるまでは。早く帰ろう」

「そうだね。ちゃんと外まで出ないとね」

 そう言って、羽澄は朱莉の手をとると歩きだした。

「朱莉。ふりかえっちゃダメだよ?」

「うん!」


「おれたちも行こう。綾音ちゃん」

「そうね」

 剣豪と綾音も手をつないで行く。


 さっきと同じように一人で歩きながら、琴音は気づいた。背後から何かが追ってきていると。


 そんなはずはない。

 ここまで五人で来た。

 地蔵堂のさきは行き止まりだ。反対側から誰かがやってくることもない。

 なのに、たしかに、ザクリ、ザクリと、土をふむ音が聞こえる。


「……ねえ、お姉ちゃん」

 声をかけると、綾音は前を向いたまま返事をした。


「何?」

「なんか……聞こえない?」

「なんかって?」

「ほら……あれ」


 ザクリ。ザクリ。


 姉は一瞬、だまった。

「……気のせいじゃない?」


 しかし、その声はふるえている。やっぱり、姉にも聞こえているのだ。


 琴音はたまらなくなった。

 ガマンできない。わあっと叫んで走りだした。


 ふりかえっちゃいけない。

 ふりかえると、あの足音をたてる何かに捕まってしまう。


 琴音が逃げたことで、あとの四人もパニックになった。みんな、わあわあ悲鳴をあげて走る。


 お社が見えた。提灯の灯り。人の話し声もする。


 よかった。お祭りのなかに帰ってきた。


 五人は息をきらして立ちどまった。

 あの音も、もう聞こえない。


「すげえ。ビビった。なんだよ? あれ」

「知らないよぉ。おばあちゃんも、あんなこと言ってなかったもん」


 剣豪と羽澄が言いあう。


「とにかく、鳥居の外まで出よう」

 剣豪が言うので、みんなで、また歩きだす。


 でも、まわりがにぎやかなので安心していられた。

 ここまで来たら、何も起こらない。そう思える。


 露店のわきを通りすぎ、鳥居の前まで来た。

 羽澄と朱莉が鳥居をくぐる。

 続いて、剣豪も。


 綾音が鳥居をくぐる瞬間、琴音は大きな声をだした。

「あっ! お姉ちゃん。浴衣のすそが泥だらけだよ!」

「えっ? どこ?」


 気がゆるんでいたのだろう。

 反射的に、綾音はふりかえった。


 その瞬間の綾音の顔を、琴音は生涯、忘れない。

 恐怖にゆがんだ、姉の顔を。


 姉が何を見たのかは知らない。

 姉のよこを通りぬけ、鳥居をくぐったあと。

 琴音がふりかえったときには、怪しいものは何も見えなかったから……。




 〜さかしまになる〜



 あのとき、きっと、姉は、この世のものならぬものを見たのだろう。

 それがどんなものかはわからない。

 ただ、わかるのは、おまじないが失敗すると、どうなるか。


 さかしま返りと、祖母は言っていた。

 つまり、願いごとが、さかさまになって返ってくる。

 五人の願いごとが、すべて、さかさまになって、一人の身に降りかかる。


 朱莉ちゃんは世界中の人に愛されるアイドルになりたいと言った。

 今や、姉は誰からも愛されない。


 羽澄はずっと笑顔でいられるようにと。

 姉は二度と笑わない。

 恐怖にゆがんだまま、美貌は、もとに戻らなくなった。


 バレエダンサー? むり。むり。

 姉は変な形で手足を折りまげたまま、部屋のすみで丸くなっている。


 好きな人に好かれたい。

 もちろん、それも望みはない。

 そもそも、姉の心はこわれてしまった。誰かを好きになることも、もはやない。


 そして、琴音の願いは?



 ——姉が、この世から消えていなくなりますように。



 だから、姉は生きている。

 こんな状態なら死んでしまったほうがいいという姿で、人の形骸けいがいとして、ただ、そこにある。





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