片思い男子によるテセウスの船。
窓をすり抜けて注ぐ茜色を浴びながら、俺は歩く。生徒会選挙が終わった直後、千恵に呼び出しを喰らっていた。
目的は言われなくても分かっている。あの時中断されてしまったこと。彼女の気持ちの所在だ。
正直な所、俺はそれを確かめるのが怖かった。あの時は意図せずに言葉に出してしまっていた。けれど、今は意図的なのだ。その違いは大きい。
でも逃げるつもりはない。これこそが俺の望んだやりたい事なのだから。
人気のない階段。そこに俺の足跡だけが響く。空気中に舞う埃が夕日を反射して、なんだかスノードームの中にいるみたいだった。やがて目の前に現れる金属の扉。そのドアノブを回して、力強く押した。ギシギシと音を立てながら視界が広がっていく。
ここに来るのはなんだか久しぶりだった。直前の踊り場で昼食は取る事があったけれど、なぜだかあの日以降ここには訪れなくなっていた。
「……来たか」
三つ編みが揺れて、スカートが翻る。金網の手前で佇んでいた彼女が俺の方へ視線を向けた。夕焼けをバックに立つ彼女は幻想的で、たとえ素人の俺がカメラで撮っても教科書に載るんじゃないかと思えるほどだった。
実際はそんな事無いのだろうけれど、もう俺は色眼鏡なしに彼女を見れないのだ。
「待ったか?」
「いいや、それほどじゃない。君こそ、選挙の後しばらく待ったんじゃないかな。ボクの周り騒がしかったから」
「そうだな。それは、言えてる。時間を潰すのが面倒だった」
「それ言っちゃうんだ。もっとレディをエスコートする紳士みたいな気を遣ったことを言えないの?」
「馬鹿、俺にそんな事を期待するのはお門違いだ。お前だって『学が無い』ってついこの間言ってただろうに」
「おっと、そうだった」
「笑いをこらえながら肯定するな。お前だって、男を立てる奥ゆかしい女性を演じられないのかよ」
「それこそ、ボクに求めるのはお門違いさ」
「そうだったな」
あいさつ代わりにお互いを弄りあって、笑い合う。こういった何気ない会話。かつて失われていたもの。それこそ俺が数ヵ月前、欲しくてたまらなかった物なのだ。
嬉しくてたまらないのと同時に、彼女の答えによっては壊れて、もう二度と手に入らなくなるのだと思うと、殺して来たはずの恐怖がまた浮き上がって来る。
それを誤魔化す様に俺は分かり切っている問いを彼女に投げかけた。
「それで、何の用だよ」
「分かり切っている癖に。話の続きさ。この前は中断せざるをえなかったからね」
彼女は一度目を伏せて、それからまた俺を見た。
「さて、どこから話したものか……。いや、どこまで話したんだったかな?」
「……俺の気持ちとお前の気持ちは釣り合わない。みたいな下りの所までは聞いたよ」
「ありがとう。じゃあその付近から話をしようか。せっかくだし夕焼けを見ながらにしよう。こんなに綺麗だからさ」
俺は頷いて、彼女とフェンス越しに沈む太陽へと視線を移した。手持ち無沙汰に金網に触れて、その淵をなぞる。
「君の抱いている気持ちは美しいんだ。一途で、純粋で、宝石の様に磨き上げられている。ボクが無いと決めつけていたものが、君の中にあるんだ。君は自分自身のあり方で、その考えの正しさを証明してみせたんだ。でも、」
彼女は言葉を区切る。
「それは誰もが持てるものではない。君が保ち続けて来たものはもうボクの中にはもう無いんだ。幼い頃の思い出も、好意も、その全てをボクは朧気にすら覚えていない」
「……ああ、知ってる。最初に言ってた。でもそれに何の問題があるんだよ」
「
「だから、ビー玉か」
「そう。新品で、キラキラしていて、子供騙しに丁度いい。そんな気持ちなのさ」
横目で彼女を見る。
彼女は自分の気持ちを好意と表現してくれた。それがただ嬉しかった。でも当の本人の表情は曇っている。それが、残念でならなかった。
「しばらくしてボクは焦ったさ。なんて大事な物を衝動的な好奇心で受け取ってしまったんだってね」
「……そんなつもりは無かったんだけどな」
「無くても一緒さ。言っただろう。僕自身が納得いかないんだ。ボクは悩んだ末、埋め合わせに自分の価値を上げようとしたんだ。漫画とかでよくあるだろう『何であんな奴があいつと……』って。それと似たようなことをしようとした」
「それが、文化祭での緊急代役とか、生徒会長への立候補とかだった訳か」
「そ。じゃなかったら、あんなこと死んでもやりたくない。藤原君なんかが言っていたけれど、本当は部屋の隅っこで本でも読んでいる方がお似合いなんだよ」
「……そうだな」
それがかつての千恵のイメージだった。彼女は目立たず。主張し過ぎず、本を読んではかなげに微笑む。そう言った女性なのだ。
それだけが彼女の全てではない。やろうと思えば今回の様に物事をこなしてしまえる。それだけに彼女の投げやりな言い方はもったいない気がした。
ふっ、と緊張を和らげるように息を吐くと、彼女は俺の顔を見上げる。
「それで、どうかな? ボクは君に相応しい人間になれただろうか。思い出を失ってしまった薄情な幼馴染でも、君は愛せるだろうか。愛して、良いのだろうか。それを、ボクは改めて聞きたかったんだ」
二つの問いを投げかけた彼女は、潤んだ瞳で真っすぐに見つめる。許しを請うように、俺を見つめる。
これは告白なのだ。自分が許せなくて仕方がない、そんな彼女のなりの告白。
でも、俺はそんな悲し気な表情が見たくて、想いを告げた訳じゃない。この数ヵ月一緒に過ごしたわけではないのだ。
だから、そんな彼女の自己意識をぶっ壊してやろうと、決めた。
「馬鹿だな、千恵は。そんな事考えてたのか。俺の気持ちなんて、ビー玉で十分だろうに。宝石で例えたのが間違いだったかな」
「いいか」そう前置きして、ビシッと彼女に人差し指を向けた。
「俺の気持ちはな。子供のころから大事にしている玩具みてぇなものだったんだ。大事にしまっておいて、捨てるに捨てれない。そんなものだったんだ」
そうだ。俺の想いはそんなものだった。
下手をすれば、「重すぎ」、「気持ち悪い」、「いつまで覚えてるの」と一蹴されてしまうような物なのだ。
だから彼女の認識は俺からすれば間違っていて、鼻で笑って、捨ててしまえる。
「そんなものを向ける先はどんな奴だったかと言えば、成績優秀、容姿端麗。クラスで付き合いたい人ランキングでも開催すれば、必ず五本の指に入る高嶺の花だ。お前をここに呼び出したときは、正直しり込みした。言った後だって、言わない方がよかったんじゃないかと思ったんだ。何故なら、俺とお前はどうあがいても天秤が釣り合わない」
「そんなことっ!」
「あるんだよ。少なくとも俺から見た事実はそうだ。お前から見た俺がやけに過大評価だった様に、いやそれ以上に、これ以上無いぐらいに、千恵は魅力的な女性なんだ」
何か言いたげに声を荒げた千恵を言葉でねじ伏せて、俺は回答を続けた。
「だから、最初の問いに答えるとすれば、お前は元から俺に相応しくない。俺がかすんで見えなくなるから」
二つ目。突き付けた指をチョキに変える。彼女が反論する間もなく俺は畳みかけるつもりだった。
「話を続けよう。次は薄情な幼馴染でも愛せるか? だったな。勿論。現に俺は千恵を愛している。でも、お前が聞きたいのはそういう事じゃないんだろ」
「……ああ、そうだ。君の好意は昔のボクに向けられたものだ。そこから保たれて、磨かれてきたものだ。でもその対象であるボクはそこから変化し続けている。君の好意に応えるはずだったものは、もう存在していない」
彼女はそう補足した。
だけれど、それは違うのだ。彼女の思う問題の要点は実際の物とずれている。俺はそれを正さなければならない。
問題はその手段だけれど、俺はこういう時にぴったりな話を知っていた。
「――お前は『テセウスの船』という思考実験を知っているか」
あえて口調を寄せてそう問いかける。
彼女の様に突き放すためでなく、引き寄せるために。
千恵は俺の問いかけに驚いて、反応が遅れた。
「……ああ、勿論。知っているとも」
「なら、説明の必要はなさそうだな。テセウスの船は同一性を問うものだ。それを俺たちは以前、『俺の感情』に置き換えて、結果、それは同一のものではないとした」
「そうだったね。よく、覚えてるよ」
彼女は頷く。俺もよく覚えていた。彼女との関係が始まった瞬間だった。それを忘れるわけがない。
「『テセウスの船』では古い部品でまた同じ船を仕立てて比較するが、人間ではそんな事はできない。やるとしたらタイムトラベルでもするしかない」
冗談交じりに「そんな事できるか?」と問いかける。
彼女は「いいや」と首を振った。
「それ故に、過去の者を再現することはできない。人間は常に変化し続けていて、精神でも、肉体でも、そして俺の好意だって同じだ。変わっていく。ほんの一瞬だって、同じ瞬間は無い」
「そうだね。だから君の気持ちは受け取る人間は存在していない。ボクは君の気持ちに応えるべきではないんだ」
「なんでそうなるかな。卑屈すぎだろ、選挙での堂々としたお前はどこ行ったんだよ」
「君が言っていたじゃないか。変化して今はもういないよ。その矢橋千恵は数時間前に置いて来た」
「そうだったな」
今度は彼女がちょっとした冗談を混ぜる。一度張りつめた空気が弛緩した。笑って緊張をほぐした後、また話を始める。
「千恵、お前は少し勘違いしている」
「勘違い、ボクがかい? 少なくとも君よりはこの思考実験については理解しているはずだけれど」
「そこは問題ないよ。でもお前、意識的なのか無意識的なのか分からないけれど、例外的に同一性のあるものだと考えているものがある」
「どうかな。君の勘違いじゃないか?」
彼女はそうやっておどけてみせる。まだ気が付いていないのだろうか。
それともあえて気が付いていない様に装っているのだろうか。どちらにしても彼女らしくない。
「なんで、俺の気持ちを変化しないものだと思い込んでるんだよ」
「君の、気持ち?」
「そうだ。俺は確かに幼稚園の時から好きだとは言った。だけど、同じ好意をずっと持ち続けているとは言った覚えはない!」
あの時、告白したときは言い切れなかった言葉を叩きつけた。
「幼稚園の頃の千恵が好きだった。小、中学生の千恵も好きだった。そして数秒前の千恵も好きだったんだ。でも、いつだって同じだったものは存在できないんだ」
かみしめるように想いを告げる。彼女に抱いて来た気持ちを吐き出す様に告げる。
「人間は不便な生き物だから、思ったその瞬間には伝えられない。一秒前の好意を、五秒後のそいつに託すしかない。これはどうしようもないことなんだよ」
最後の一押し。俺の心の底からの言葉。それをしくじらない様に慎重に言葉を選んだ。
「俺はきっと、これまでがそうだったように未来の千恵も好きになり続ける。その好意を、更に未来の千恵に伝えさせて欲しい。だから俺はお前のことを愛せるし、愛して良いんだ」
目の前で宣言する。回答を終えてペンを置いた。
彼女はまた目を伏せて、肩を震わせている。俺の答えが彼女の求めているとは限らない。でもこれ以上、俺から何も言えない。だから今はただ、彼女の次の言葉を待つ。
「……めちゃくちゃだ。未来の君がこれまで通りボクに好意を持ち続ける保証なんてどこにもないじゃないか」
「それは、そうかもしれない。けど、そうならない保証だってないだろ」
「そうだね。これは悪魔の証明だ。無い事を証明することは誰にだってできない。だというのに……どうしてこんなにっ、腑に落ちるんだか……不服だな」
声が、震えている。
千恵は黒縁眼鏡をはずして、手の甲で瞼を擦った。
「君は、忘れてしまったボクでも……好きでいてくれるの?」
「勿論」
「どうしようもなく嫌いで、苛立つ人間になるかもしれないよ?」
「そしたら、また好きな所を探すさ」
「ボクもまた、君のことを好きになっていいのかな?」
「それは、俺が決めたらダメだろ」
「そっか。そうだよね」
眼鏡をかけ直した彼女は頷いて、前へ踏み出す。遠く伸びていた二つ影が混ざり合う。
体が触れそうで触れない、限りないゼロの距離感。それを保ちながら彼女は言う。
「じゃあ、ボクは君のことが好きだって、決めた」
少し赤く染まった目元、精一杯の笑顔で彼女が答えた。
それを合図に唇が触れ合う。二度目の接触は奪われたような突発性は無くて、じんわりと熱が伝わる。
一度しかないこの一秒。その感触を噛み締めるように、俺は彼女の身体を抱き寄せた。
『ボクっ子幼馴染によるテセウスの船。』完
ボクっ子幼馴染によるテセウスの船。 イーベル @i-beru-54
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