不快感

「お互いやる気があるのは大いに結構。早速で悪いのだけれど、即興で応援演説をしてもらおうかな」


 視線をぶつけ合う俺たちに向かって千恵はそう投げかけた。それに反応して、視線を切る。


「先行後攻を決めるジャンケンをして演説、ボクが気に入った方が応援演説をする権利を得る。ルールとしてはこんなものかな。何か質問はあるかな」


 千恵の言葉に籠島は「ちょっといいかな」と口を挟んだ。彼女は「勿論」と頷く。


「気にいる、と言ったけれど、明確な基準はあるのかな。重視する所、みたいな。方針が分からなければ演説もしようがない」


 一理ある。スポーツの様に明確に勝利条件があるのならば知っておきたい。しかし、千恵は籠島の問いに答える事無く首を振った。


「ないよ。良し悪しはその場でボクが決める。二人が提出した物を天秤にかけて、傾いた方をとる。何だか面倒くさい女みたいな……というか事実、その通りなんだろうな。まあ今回は『それを考えるのが君たちの腕の見せ所』と言った所かな」


 淡々と千恵はそう述べた。ルールは可視化されない。ただ『彼女が気にいる』という方向に走るしかない。それ故に明確な必勝方法が見いだせないのが辛い所か。


「君は何か聞きたい事は無いのかな?」

「いいや、大丈夫だ」


 俺はさっきの千恵みたく首を振って、やんわりと断る。また籠島と向き合った。俺が手を差し出すと、余計な言葉を交わす事無く、ジャンケン。俺がグーであいつがパー。勝った籠島は先行を選択。俺は後手に回ることになった。俺が勝ったら後攻を取ろうと思っていたので丁度いい。


 ふと視界を外して、当たりを見渡すとギャラリーが集まってきている。格好の話題の種として目を付けられたのだろう。


「矢橋さん、時間を貰ってもいいよね?」

「ああ、構わないよ。いきなりソラで言えって言うのも無茶がある。真也にも籠島君にも内容を考える時間が必要だろう。でもあまり長々と時間を取るのは望ましくはない。五分だけ取ろう」

「そうしてくれると助かるよ。ありがとう」


 彼女は持っていたスクールバッグからスマホを取り出してタイマーをスタートさせた。画面上の数字が目まぐるしく入れ替わりを続ける。

 その間に俺も今回話す内容を脳内で整理し始めた。

 応援演説。千恵の魅力について話し、投票してもらうための足掛かりにしてもらう事が目的だ。そんな事は今更確認するまでもない。

 問題は、その技術を競うという事だ。こういった競い合い、というよりも大勢の前で話すという行為は籠島の得意分野と言ってもいいだろう。

 彼は普段の生活からそういう場面で話すことが多い。思い出されるのは文化祭の話し合い。彼はクラス全体の中でも物怖ものおじしないで発言して見せた。

 それ故にこの勝負でも彼が有利なのは明白なのだ。


 でも、そこで勝とうとは思っていない。今更足掻いたってどうしようもできない現実だからだ。問題は籠島の内容を受け、自分がどう差別化していくかだ。

 幸い、千恵との付き合いにおいて俺の右に出るものはほぼいない。だから、俺にしか話せない内容というのも当然のことながらあるはずだ。それを千恵の気にいるように話せばいい。

 自分の方針を固めたところで、千恵が「そこまで」と声をかけた。

 クッソ……まだ肝心の内容が固まってないってのに。内容は籠島が話している間に決めるしかないか。後攻であった事に改めて安堵する。

 籠島の演説が始まった。挨拶から始まり、本題である千恵の長所について話す。


 彼の考える矢橋千恵の長所は二つ。

 常に成績上位の優秀者であり、必要なときにリーダーシップを発揮できる力があること。

 成績については言うまでもなく、直前の文化祭では後者を証明してみせた。病欠で倒れた時でさえ、クラスメイトに指示をして成功に導いた。


 このことから矢橋千恵は継続的な努力を続けられる人物であり、責任感とリーダーシップで私たちの学校をよりいい方向に導いてくれるはずだ。


 そう締めくくり、一礼して演説を終えた。


 まばらな拍手をギャラリーが送る。いつの間にか俺たちの周りには同じバスケ部をはじめ、まだ休憩中のサッカー部。騒ぎを駆けつけてきた野次馬がチラホラと姿を見せている。


 こういった局面で俺も演説をしなければならないと思うと、わずかながら指が震えた。武者震い。これは武者震いだから、大丈夫。そう自分に言い聞かせ、拳を握った。


 籠島のスピーチは見事な物だ。内容も申し分ない。そこから場慣れしていることを印象づけられる。

 でも、彼の演説は表面的だ。彼女の出した『結果』にピントを合わせて、語っているに過ぎない。


『結果』を重視する価値観。それは千恵が認めたくない価値観であり、俺が貫こうとしたものでもある。つい先ほど、俺たちは衝突したばかりなのだから、忘れる筈もなかった。


 今回求められているのは他の人間が投票したいと思うとか、そう言う事じゃない。彼女が気にいるかどうかだ。

 故に、今回俺は『結果』についてアピールしたりはしない。彼女の魅力はそんな所にはありは無しないからだ。俺はそれを良く知ってる。ずっと彼女を想い続けていたのだから。


「次は……俺だな」

「ああ、もう行けるのかな?」

「勿論だ」


 籠島と入れ替わりで彼がいたポジションに立つ。ギャラリーと、籠島と、千恵と、目が合う。ここにいるすべての人間が俺を見ている。このゾクゾクと肌を撫でられるような感覚は、緊張感は久しい。胸に手を当てて深呼吸。ここ一番で集中するためのルーティン。これは緊張感に釣られて、サッカーをやっていた時のものが湧き出てきていた。


「二年の川田真也です。矢橋さんとは小さい頃からの付き合いで、その縁でこの場に立たせて頂いています」


 そう周囲に自分の存在を認識させた。そして今度は千恵について話を始める。


「私が彼女を推薦する理由は『彼女以外がなるなんて考えられない』からです」


 ざわつく。俺が言ったことは具体性の無い事だ。明確な何か、芯が無い。でも、今は目を引くインパクトがあればいい。魅力は後から話せば問題はないのだから。


「成績は優秀。普段の素行だって申し分ないでしょう。でも、それは他の立候補者だって似たようなものです。そうじゃ無きゃこの場に立たせて貰えない。だから差別化を図って、矢橋さんにしかない長所を紹介したいと思います」


 ざわめきが静まっていく。ここからが本番だ。さらに拳を強く握った。爪が手の平に食い込む。痛みが自分の気を引き締めてくれる気がした。


「それは『準備の良さ』です。彼女は何かをすると決めたとき、徹底的に準備をします。アリとあらゆる状況を考えて、徹底的に潰していくんです。莫大な時間をかけて。昔から見ていました。他の人には到底真似できることではないと思います」


 これが他の人間が見た事のない彼女の頑張り。

 形式の恋人としてここ数ヵ月の間、見続けて来たものだ。

 その彼女の頑張りを、『過程』を、他の人たちに知ってもらうために俺は話を続ける。


「それは今回も変わりません。彼女は時間をかけて皆様の意思をくみ取ろうと、必死になってる。それは生徒会長になるためには絶対に必要な資質だ。誰よりもその資質を濃く出している彼女こそが生徒会長に相応しい!」


 つい言葉に力が入る。身振りが大きくなっていく。きっと緊張で口調が乱れたのだ。勢いで誤魔化したのだ。

 一度冷静になるために、最後の言葉を言う前に間を開けた。本当は間を開けずに話をしたかったけれど、最後の最後でへまをするのはごめんだ。


「――彼女が生徒会長になったら、より良い学校になっていくことは間違いないでしょう。矢橋千恵に清き一票をお願いします! ご清聴、ありがとうございました」


 頭を下げた。一瞬の空白。風の音も、ざわめきも聞こえない。目を強く閉る。頭を上げるのが少し、怖かった。

 ようやく拍手が聞こえてくる。それに安堵して頭をゆっくりと上げた。


  ☆


「本当に俺で良かったのか」

「ああ。君じゃ無きゃ嫌だった」

「それは、どうして」


 いつもより深い赤褐色に染まった空を眺めながら、隣にいる千恵に問いかける。

 結論から言ってしまえば、俺は籠島に勝った。でも、それに納得はいっていない。彼の方がスピーチとしては完成されていた。俺みたいに途中でへまをしたりせず、しっかりと内容を伝えきってる。


 純粋な実力を測ると称して始めた勝負だ。それで上回っていた彼に勝った理由が、選んだ彼女自身の口から聞きたかった。


「ボクは、籠島君よりも君にやって欲しいと思ったからだよ」

「それは、そうだろうよ。お前は気に入った方を採用するって言ってたんだから。でも直感的じゃなくて、合理的な選択をすべきだって自分で言ってただろ? だったら……」

「君じゃなくて、籠島君を選ぶべきだって言いたいのかな?」


 俺の言葉よりも先んじて彼女は結論を述べた。頷いて肯定する。


「ああ、だって完成度ならあいつの方が上だろ。だったら、合理的な選択はすでに出来上がっているものをより整えていく事だ。違うか」


「それもある種の正解だろうね。でも、ボクがしたい事とは差ある」


 彼女はそう言って、俺を見る。眼鏡越しに俺を覗き込む瞳は黒く、時に紅く、潤いを帯びている。光の加減で変わるその色合いが宝石の様に美しかった。


「価値があるとされている完成品よりも、自分自身が美しいと思った未完成品の方が望ましい。それだけのことさ」

「それで、自分自身の首を絞めることになっても、か」

「勿論。ただ、勝ちたい訳じゃないからね」


 彼女は頷き、肯定すると再び視線を歩いている路地へ向けた。


『ただ勝ちたい訳じゃない』


 その言葉が今の自分に重くのしかかる。俺は手段を選ばなかった。選べなかった。選んでしまっていたのならば、俺はこの場にいないはずだ。

 籠島は、俺と違って千恵を見る時間が少なかった。入口に立てても、その本質を見極めることができなかった。だから実力が伴わなくても勝ててしまったのだ。

 それに納得がいかない俺は、不貞腐れてしまっている。


 実力で勝てないはずなのに、実力で勝ちたくて。望んでいたはずの勝利なのに、それを素直に喜べない。こんな感情はこれまでに体験した覚えのない事で、また自分を不快にさせる。

 籠島に勝てばスッキリするはずだと、そう思ってここまで来た。これまでの経験上、そうなると思っていた。だけど、ここまで不快感は払拭ふっしょくできないまま。解消方法は未だに分からないのだ。

 そういった心象がまた自分の不機嫌さを加速させる。


「この後、君さえ良ければ、だけど、これからの事を踏まえて話をしないかな? 君の役割も増えた事だし」


 千恵が明るく問いかけてくる。もしかしたら俺に気を遣ってくれているのかもしれない。「いや」と俺は首を振った。今、これ以上彼女と行動を共にしたくなかった。彼女との時間は楽しい時間であって欲しかったのだ。


「……悪い。今日は、帰らせてくれ。何かすごい疲れたんだ」

「そう。……残念だね。慣れない事も多かっただろうし、今日はゆっくり休んでおくれ」

「ああ、そうする」


 家の前にたどり着く。家の暖簾はもう出ていて、もう親父の休憩時間が終わっていることを察する。家に帰っても余計な気を遣わなくて済みそうだ。


「じゃあここで」と千恵に手を振って、裏手の玄関を目指す。足を向けた途端「ねぇ」と呼びかけられて、足を止めた。振り返る事はしなかった。


「……なんだよ」

「今日は、ありがと。嬉しかった。……なんか表現が稚拙だな。もっと上手く言葉にできたらいいんだけど……」

「いや、いいよ。それで十分だ」


 会話を切り上げる。早く部屋に行って、閉じこもっていたい。また足を動かす。後ろで何か千恵が言ってくれていた気がしたけれど、引き返すことは無かった。

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