決意。
今、俺の目の前では二人の人間が会話をしている。一人は当然のことながら千恵だ。彼女はもう一人からさっき秀斗に聞いたように要望を聞き出している。
そしてもう一方。それは先程背後から声をかけて来ていた人物。俺よりも高い背丈と長髪。ここ数日俺が心労を患う発端、元凶になった人間。そう、籠島である。
知っての通り彼はバスケ部の人間でその中核を担う存在だ。今回の一件では進んで会うべき人物といえよう。……問題は俺が彼の存在を好意的に見れないことだ。
仕事と私事は分けるべきだろう。それがベストな行動だとは理解している。それでも、俺はそう簡単に割り切る事ができず、少し離れた所で彼、彼女らの様子を見届けていた。俺のつまらない心情で千恵の目標を台無しにするわけにはいかない。
そうしていると何者かが「ねぇ」と呼び掛け、制服の袖を引いた。
くすんだ金髪。ゆらゆらとウェーブのかかったそれは特徴的で、頭髪が自由な高校とはいえ目を引く。そして相変わらずの鋭い目つきで俺を見る。
「今、ちょっといい?」
「作美……なんか久しぶりだな」
「そうだけど、そうじゃなくて、良いのか悪いのかで答えなさいよ」
「ああ、まあしばらくは。ち……矢橋さんの話が終わるまでだったら問題ない」
俺がそう答えると作美は「そう」とそっけなく返す。
「ここは少し騒がしいから離れよ。あんま、聞かれたくないし」
そう言って作美はグランドと通路を遮る大型のネットを指差した。千恵とそこまで離れるわけではないし、これならすぐに合流ができるだろうと了承する。
移動して、ネットにジャージ姿で寄りかかる。運動部としてその行動はどうなのだろうと思った。ネットが伸びちゃうだろうに。顧問の先生に怒られたりするんだぞ、それ。
でも、作美は体育館の部活だから知らないのも無理はないか。そう思ったが故に特に注意はしなかった。俺は適当な中間のコンクリートの支柱に腰を預ける。
「えっと、その……ゴメン」
「何が?」
「いろいろ手伝って貰ったのに台無しにして。あと、その後も連絡とか無視してたし……」
意外だった。てっきり使い倒すだけ使い倒して、その後悪びれもしない人間だと思っていた。だから俺は彼女が謝って来るなんて想像していなかったのだ。俺はその対応に虚を突かれて何か言葉を紡ぐことができないでいる。
「なんか言ってよ、人がせっかく頭下げに来てるんだから」
「いや、別にお前が謝るべき所じゃないだろ。今回に関しては――」
「結果的にアンタの苦労が無駄になったのは事実でしょ」
冷たく、とげとげしく彼女は俺の慰めを拒否した。彼女の言葉は事実だ。俺が彼女にしたこと、その全てが結果として無駄になった。
そこで気が付く。作美が慰めを否定した意味。
作美は『人の気持ちは他人がそう簡単に変えられない。だから別に気に病む必要はない』そう言ったものを友人たちに言われてきたのだろう。
俺もそう言おうとしていた。しかし、それは彼女の行動を否定することに他ならない。彼女は本気で、籠島の気持を変えて、自分に向けさせるつもりだったのだから。
俺も似たようなことをしている人間だ。千恵の気持を変えて自分を好きにさせることを目標にしている。なのに『千恵の気持ちを変えられない』なんて思いたくもない。だから自分にそう信じ込ませて、作美の様に本気で向かっていかなければならないのだ。
「……そうだな。お前がもうちょっと踏ん張ってれば、違った結果が出たかもな」
「そこまで言う? でもまあ、そうかも。アタシは結果が欲しくて、
作美は苦笑の後、ため息交じりにそう話す。
「後悔は、山ほどある。でも、そこにずっとこだわってちゃ駄目なの。だからこうやって謝って、自分の気持ちを断ち切ってる。あれは過去のことなんだ、ってさ」
話を聞きながら思う。もし俺が千恵からフラれたとき、果たして同じように切り替えようとすることができるだろうか?
絶対にできない。一週間どころか一ヵ月は引きずる自信がある。だから今、目の前にいる作美は、頭の悪い言い方をすれば「とてもすごい奴に見えて、なんだかすごい」気がした。
嫌な奴だとか、何かと突っかかって来るウザい女だとか、そう言った印象があったのだけれど、それが綺麗に吹き飛んで、魅力が見えてくる。
作美真奈という人間は、けだるそうに見えて常に全力少女なのだ。
「すげえわ、お前。モテるだろ?」
「今し方振られた人に言う? というか何? 口説いてんの? アタシが矢橋さんだったら怒ってる」
「なんでそこで矢橋さんが出てくんだよ」
「アンタね……アタシの質問に自分で答えといて良く言うよ。彼女がいるって言ってたじゃないか」
確かに修学旅行前、俺は作美の彼女はいるかという質問に対していると答えた。しかし、それが誰かなんて言った覚えはない。それについては細心の注意を払っている。この関係を知られたくないという彼女の望みの一つなのだから。となると――
「……誰に聞いた」
「聞いた、というか、聞かれた?」
「知らないのに聞かれるってどういうことだよ」
正直秀斗や、早乙女さんから漏れたのかと思ったが違うらしい。しかし、聞かれたと言う事はどこからか情報が漏れているのだろう。
「いや、『矢橋さんと川田君が付き合っているらしいんだけれど、何か知らないか』って、あんまり話した事のない奴から、ネクタイの色が青だったから一年だと思う」
「一年のくせに友達みたいな呼び方で聞いてんのか……。いや、それよりも何のために嗅ぎまわってるんだ?」
「さあ、アタシには全然分からない。知らないって答えたらすぐ別の所に行ったからさ」
どういうことだ? 何のために俺たちの関係を探ってる? それを知ったところでのメリットはあまりないように思えるが――
「それよりアンタは、矢橋さんを浩紀とセットで置いといていい訳? 取られちゃうんじゃない?」
作美の言葉が思考を遮る。あれはあまり重要度の高い疑問だとは思えない。考えるのは後でも問題は無いと判断する。
「そうかもしれないけどさ、なんか気まずいんだよ」
「はぁ!? そんな事いってる場合な訳?」
「そうは言ってもな……」
俺は心のどこかで籠島との敵対を受け入れることができずにいる。スペックだけで言うなら俺の完全上位互換。スポーツもできて、人柄も良い。あの完璧魔人にどうやって勝てばいいのか想像もつかなかったからだ。故に俺は二人の場に踏み込むことが、たぶん、怖いのだ。
そんな俺の様子を見て、隣の作美は大きくため息を付く。
「アンタさ……。ここでだらけて、もしホントにそうなったら悔やんでも悔やみきれないっしょ。男なら、死ぬときは前のめりに死んできな」
ネットに寄りかかっていた作美が腰を上げて、俺を支柱から引き剥がす。そして、思いっきり背中を平手でぶっ叩いた。
「いっ――てぇ!! 何すんだよ」
「闘魂注入、ヘタレに気合入れてあげたんだから感謝して」
「暴力に感謝もくそもあるか!」
「アタシにそれだけ言い返せる元気があるなら十分だね」
作美はそうやってニッと笑みを浮かべる。それは千恵の様な儚さと織り交ざった者とは違っていて、飾り気は無いが見ていて元気の出る笑みだった。俺もその元気を分けて貰えた気がする。
「サンキュー、姉御。元気出たわ」
「誰が姉御だ。アンタのお姉さんになった覚えはないよ」
「だな。じゃあ行ってくる」
俺は踏み出した。傍観者の席からメインステージへ。舞台にはすでにラスボスと愛しのプリンセスが待っている。
条件は五分。いや、たった今に限り少しだけ俺が押している。要因は彼女と過ごした時間の長さ、そして今、千恵と共に行動ができている点だ。
それだって、たやすく覆されてしまうアドバンテージ。付き合いの長さはこれからの人生で、行動権は彼女の気持ち次第で簡単にひっくり返る。
それ故にここで差をつけて、突き放すしかない。あの時できなかった事。こんな面倒な事態を起こした自分の臆病さを乗り越えろ。自分の「したい」を貫け。この人生の主役は俺なんだから。
そう心に言い聞かせて、二人の話している間に割って入った。
「どうだ、千恵。ちゃんと話は聞けたか?」
これまで公共の場では避けていた呼び方で呼ばれた千恵は少し驚いたようだった。だが、そこまで嫌悪を感じなかったのか、そのまま話していた内容を俺にまとめて報告し始める。
その内容を頭に入れつつ、籠島の方を見た。表情に変化は見られない。開幕のジャブ程度では動じないらしい。
まあそんなものだろう。籠島からすればある程度仲の良い人間は名前で呼ぶのが当たり前。俺とは異性との距離感が根本的に異なるのだ。
千恵の話を聞き終える。大まかに内容をまとめると、他の体育館部活との仕切りに使うネットが劣化している、とのことだった。うちの運動部はどこも用具に不満をもっているらしい。
話を聞き終わった今、籠島が持っていた役割『体育館部活の意見』はもう消滅だ。
これ以上籠島が接触する機会を摘み取るため俺は行動する。
「そうか、だいたいわかった。次の所に行こう。時間は限られているしな。まだ、陸上部の話聞いてなかっただろ?」
「ああ、そうだった。悪いね、籠島君。話を聞かせてくれてありがとう。助かった。ボクはこの辺で失礼させてもらうよ」
千恵が軽くお辞儀をした。よし勝ったな。これで籠島は今日、そしてこの選挙の間、彼女と接触する機会は無い。彼だけが持っているカードはもう無い。あとはこの場を二人で立ち去ってしまえばいいだけだ。
揃って背中を向けて、水飲み場から陸上部が幅跳びをしている砂場へと足を運ぶ。だが――
「二人ともちょっと、待ってくれ。逆に俺から聞きたい事がある」
籠島の声に千恵は足を止めて振り返った。まだ何かあるのかよ。それとも何か火種を作ろうとしているのか? だとしたらそれは何としても阻止しなければならない。
「何だよ、籠島。もう十分話しただろ。お前だって時間は無いんじゃないのか」
「ああ、でもこちらとしてはいろいろ聞きたいんだよ。来年の快適な部活の為にもな」
「だったら後にしてくれ。まだ予算を扱える段階じゃない。そう言うのは会長が決まってからでいいだろう」
籠島は突破口を開くため、俺はその入り口を塞ぐために奔走する。問題は千恵がどちらの方が自分の理になると判断するかどうか。チラリと横目で千恵を見ると呼応して口を開いた。
「――話を聞こう。どんな疑問点があるのかな」
「悪いね。矢橋さん」
「いいや、情報は少しでも多い方がいいからさ」
首の皮一枚繋げられたか。速攻で仕留めたかったが、そう簡単に事は運ばないらしい。仕方なく一度矛を収め、籠島の言葉を待った。
「応援演説、誰がするのか決まってるのかな?」
息を呑む。心臓を直接触られているみたいな緊張感が体に走った。
応援演説。立候補した人物を推薦するために候補者の前にする演説だ。俺は千恵のサポートをしてはいたが、その部分は自分でやるつもりは無かった。適任ではないと思っていたからだ。
そして、まだ適任の人物は見つかっていない。空席状態である。
彼の質問はそれを探るための物であり、あわよくば自分がその席に着くつもりなのだろう。そうなれば千恵との接触時間は増えて、俺のアドバンテージは逆に摘み取られる形になる。それだけは避けなくてはならない。
「残念ながら決まっていない」
「そっか、じゃあ提案なんだけどさ――」
「いいや、俺がやる」
籠島の言葉を遮って宣言する。視線がぶつかる、必死な俺に対して余裕の笑みを崩さない彼。格の違いを見せつけられているかのような気分だ。でもここで引く訳にはいかない。
「意外だね。ボクは、やりたがらないと思っていたのだけれど」
「そうだな。柄じゃないかもしれない。でも、今回は別だ」
彼の目の前で堂々と宣言する。
柄ではない。器ではない。しかし相手が相手。多少の無理をせずに勝てという方が無茶なのだ。それに対して籠島も引くことはない。
「そうなのか。でも川田、待ったをかけさせてもらう。俺もその応援演説をやらせてもらいたいんだ」
籠島も自分の意思を表明。そして視線を俺から千恵へ移す。
「この場では実力こそが全てだ。矢橋さん。君としても、より優れた方を採用しておきたいんじゃないかな」
「……そうだね。『直感的ではなく、論理的に正しい者を選ぶべき』か」
俺が彼女に説いたこと。それが自分の首を絞めることになってしまったことに、思わず顔をしかめる。
「そうだ。だから俺が選ばれるべきだと思うんだよ」
「それは、真也よりも籠島君の方が優れているといいたいのかな?」
「ああ、勿論。俺には君を当選させるだけの覚悟と自信がある」
間違いない。スペックだけで言うならば籠島と俺の対決は俺の敗北で確定だろう。だけど、そんなもので諦められるものじゃない。
「覚悟と自信か、それだけじゃ当選させられるかどうか、怪しいもんだな」
「…………」
籠島の言葉を切って捨てる。彼の目線が再びこっちに向いた。その目付きは先程よりも鋭く、険しいものになっている。
「実力が必要。そう言ったからには実戦で決めるべきだろ? 自信だけでレギュラーが取れると思ったら大間違いだ。それは籠島、お前が良く知ってると思うけどな」
睨み返す。牽制のジャブを打つタイミングは終わりだ。後はお互いに相手を仕留める一撃を放つだけ。
「どちらが上手く応援演説ができるか、勝負と行こうぜ。籠島」
勝つのは――俺だ。
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