襲来

 昼休み。生徒会選挙の立候補がとうとう正式に発表される。うちの学校ではこの時期、掲示板が臨時で設置される。そこに生徒会長に立候補した者の名前が掲示されるのだ。

 自分の教室のある二階、その廊下からグラウンドを見ると掲示板へ人が殺到していて、なんとなく砂糖菓子に群がる蟻の様だと思った。


 教室に入ると既に話題の人物の千恵は姿を消している。恐らく囲まれるのが嫌だったから、一足先に教室を出たのだろう。居場所は大方見当がつく。俺は弁当を持って彼女がいると思われる場所を目指して歩き始めた。

 その途中で考える。千恵の見立てでは今年も生徒会長に立候補するのは一人だろうと言っていた。俺もその考えについては概ね同意する。千恵の手助けをするために否定しはしたが、今回のような事情が絡まなければそんな事はしなかっただろう。


 もしこの発表で本当に他の立候補者が居なかったら、正直な所俺が手伝う意義は薄れてしまうだろう。そうなると彼女と一緒にいる時間が減ってしまうのは決定的と言って良い。その方法を何とかして考えだしたかった。

 廊下を駆ける足音が響く。その場にいた大多数の人間はその慌ただしさに視線を向けていた。俺もそのうちの一人である。「廊下は走るなよ」と小学生の時から教わり続けているだろうに何故分からないのだろうか、そういった疑問と共に視線を向ける。そこには見慣れた同級生の姿があったのだ。


 小麦色に焼けた肌。女性にしては短い髪。スレンダーに引き締まった肉体は、体育の後から着替えていないジャージの上からだとよく分かる。この特徴はここ最近で見慣れたものであった。


「何慌ててんの、早乙女さん」

「おっ、真也君じゃん。丁度良い所に。千恵知らない?」

「千恵? 千恵がどうかしたのか?」

「ほら、今日は生徒会選挙の立候補者の発表だったでしょ? 私見て来たんだけど、千恵が立候補してるの! そんなに面白い事をしてるなら真っ先に言って欲しかったのにさ~。千恵ったら私に断って無いの。だから今からでも何かできる事がないかな~って」


 なにやら早乙女さんはテンションが高い。さっきから俺が口を挟む隙間がまるで存在していない。そこまでテンションが上がる事だったのだろうか。

 でもまあ早乙女さんは世話焼き、というか何事にも首を突っ込みがちな人間だから、今回も例外ではないだろう。

 しかし彼女の乱入は好ましいとは言えない。彼女との時間が減る可能性がある今、これ以上二人きりの時間は削りたくはなかった。だから俺は少し嘘を混ぜながら返答する。


「だから千恵を探してたんだな。事情は分かった。けど、千恵の居場所は知らない」

「そっか~真也君になら居場所を伝えてるかな~って思ったんだけど期待外れか」

「なんだよそれ」

「だって千恵は真也君の……ほら、コレでしょ? だからそれぐらい知ってるものだと」


 早乙女さんはハンドジェスチャーで小指を立てて見せた。『彼氏』のハンドサインだ。俺は家の食堂で客さんが使うのをよく見ているから知っている。しかし、その表現も古いというか、伝わる人が限られている気がする。


「俺にだって知らないことはあるよ。千恵だって一人になりたい時だってあるだろうさ。元々あいつは人に囲まれるのが苦手なんだから」

「それもそうだね~。じゃあ、しばらくはそっとしておこう。でもな~ちょっと伝えたい事があったんだけどな」

「伝えたい事?」


 気になった単語を拾って聞き返した。それに彼女は頷く。


「そうなの、千恵は掲示板見てないだろうから知らないと思うんだよね。もう一人、立候補した人がいたの」

「もう一人? 本当かよ、それ」

「ホントホント、この目でばっちりと見たんだから」


 彼女は自分の眼を指差してそう言った。まさか俺がでまかせで言ったことが現実になるとは思っていなかったが……。まあ、俺にとって都合のいいことは確かだ。これで千恵とより長く行動することができる。


「じゃあ、俺も千恵を見つけたら伝えておくよ」

「そうしてくれる? 真也君から伝えて貰った方がいろいろと嬉しいと思うから、頼んだよ」


 早乙女さんは大きく手を振って、教室へと入っていった。

 相変わらず騒がしいというか、騒々しいというか。いや似たようなもんだな、これ。でも千恵はあんな奴だ。これぐらいじゃないと距離が近くならないのかもしれない。


 さて、このまま廊下でボケっと立っている訳にもいかない。早くしないと弁当を食べる時間が無くなってしまう。俺は当初の目的通り、彼女がいるであろう場所を再び目指した。


  ▼


 俺が向かった先は中庭である。彼女が人にも見つからず、落ち着いて過ごすことが望みなのであればここで間違いない。図書館という選択肢もあるが、後輩たちにつかまってしまうからこれは無いはずだ。……はず。

 確信は持てなかったが、他に思いつかないんだからしょうがない。


 かつて木陰を作っていた葉は、黄色に染まって落ち始めている。踏み締めるとパリパリと音を立てた。それを繰り返しながら奥へと進むと、いつもの古びた青のベンチが見え、彼女が底に鎮座していた。購買で買って来たのであろうサンドイッチが片手に握られて、傍らにはパックの豆乳と文庫本が置いてある。どうせ本を読みながら食べれるとか、そういう理由でチョイスしたのであろう。そんな事やっていると栄養が傾くぞ……、心配だ。

 そんな想いを飲み込みつつ、俺は片手を上げ彼女に声をかけた。


「よ、やっぱりここに居たか」

「やっぱり君か。何か用かな?」

「いくつかあるけど、まず一緒に昼飯食っていいか」

「構わないさ。ほら隣に座りなよ」


 軽く荷物を自分の方に寄せてスペースを作ると、トントンと隣を叩く。それに従って、腰をかけた。

 風呂敷を広げて、昨夜の残りを詰め込んだ弁当を口に運んでいく。半分ぐらい食べ終わったところで、千恵は俺に話しかけて来た。


「それで? その用って言うのは何かな」

「ああ、実はな――」


 俺は早乙女さんに聞いた通り、もう一人立候補者が出て来たことを説明した。


「へぇ、結果的に君の予想が当たった訳か。お手柄だね。助かったよ」

「偶然だけどな。まあお前の助けになったようで良かった」

「それで、その立候補者って言うのはどこの誰だったのかな?」

「あーそれは……」


 聞くのを忘れてしまった。肝心な所が足りていない。


「悪い、それは聞いてなかった」

「反応からしてそうだと思ってたよ。仕方がない。これから見に行こうか」

「良いのか? さっき見たらすごい込んでたぞ。お前、一人になりたいからここに居たんじゃないのか?」

「それはそうなんだけど、ここで新しい情報を放置しているのは愚策だろう。それに君が弁当を食べ終わるころには人も減っているだろうさ」

「了解、お前がそう言うなら問題ない。さっさと食べちゃうわ」

「いや、その必要はない」


 誰かの声。視線をその方向へ向けた。ここには殆ど人が来ない。生徒どころか教師さえもここに足を踏み入れることは無いのだ。俺はその不自然な存在が何者か、見定めようとした。

俺と同じ制服に身を包む痩せ気味の男。彼は人差し指でかけている眼鏡を直してからこちらに近づいて来た。その姿に千恵は心当たりがあったようで、一足先に声を漏らした。


「……菅原君か」

「知り合いか?」

「ああ、去年一緒に図書委員をやっていたんだ」


 合点がいく。去年千恵と図書委員をやっていた者ならば、この場所を知っていてもおかしくはない。きっと付き合いの中で千恵はこの場所を教えたのだろう。


「それで、菅原君。君の方の用事は何なのかな」

「単刀直入に行ってしまえば、宣戦布告」

「へぇ……じゃあ君がもう一人の立候補か」

「そう言う事だ」


 菅原は頷く。眼鏡越しの目付きは鋭く、力強い。千恵を親の敵として見ているかのようだった。なぜそんな目で彼が彼女を見るのかは分からない。でも、それ相応の何かが彼の中にはある。そんな気がした。


「正直な所、君はこの場に出てくるとは思わなかった」

「ボクだってそう思ってた。でも、気が変わったのさ」

「そうか。それが気の迷いだってって思い知らせてやる。勝つのは僕だ。君は図書館にこもりきりの生活の方がお似合いだ」

「それはどうも。でも両立させていくつもりだから問題ないさ。用事はそれだけ?」

「……ああ」


 そうして菅原はこの場を去った。俺は彼の雰囲気と、行動の静けさ、そのギャップが気になったのだけれど、考えた所で何かが掘り出されるわけではない。思考を頭の隅に追いやって、おかずを口に運んだ。


  ▼


 放課後。俺たちは選挙に向けての公約を練る事にしていた。活動中の部活や委員会を回り、何か不満がないかと聞いている。

 手始めに彼女のホームグランドである図書委員。続いて文化祭でお世話になっていたらしい演劇部。こういった文科系の団体は千恵推進派であるらしい。そのほとんどで千恵は歓迎されて要望を聞き出すことができた。


 順調だ。だが問題は、運動部。千恵はそちら側に対して有効な交友を持っている訳ではない。何せ根っからのインドア派であり、ガツガツ内側に切り込んで来る人間が苦手なのだ。唯一の例外は早乙女さんぐらいなもの。それ以外はたまに話す人達と言った印象だろう。


 そこで俺の出番だ。元々運動部でその筋の友人もそれなりにいる。仲介人になる事で情報を入手することができていた。


「まさか、君がここまで役に立つとはね。嬉しい誤算だ」

「誤算なのかよ」

「ああ、でもそれはボクが君のことを一面からしか見てなかったから、なんだろうね」


 彼女はそう言いながらどこか遠くを見つめる。 


「だから、こうやって君の新たな一面を見ることができて本当に良かった。それだけでも選挙に参加した価値があったかもね」

「大げさだな。そんな事で満足するようじゃ駄目だろ」

「そうかな?」


 不思議そうに彼女は問いかける。俺からすれば、彼女の問いかけの方が不思議でならない。当たり前のことだろうに。


「そうだよ。『勝てば官軍負ければ賊軍』ってな。こういう勝負事は勝ってナンボだ。その過程がどんなに良かろうと負けたら全部塵になって、消えちまうんだから」


 これは経験則だ。部活、勉強、ありとあらゆる争いは負ければ奪われるのだ。今回の選挙だって例外ではない。負ければ千恵がしたい事ができる権利が奪われるのだから。

 それを聞いた千恵は、引っかかったようでムッと眉を寄せた。


「負けたとしても過程の意味は残るさ」


 視線がかち合う。これは価値観の殴り合いだ。どちらも自分が正しいと思っている以上、議論は平行線。決着はつかないだろう。そんな無駄な事に時間を使っている余裕はない。それ故に俺はお互いに言いたい事を飲み込んで、これ以上は何も言わないことにした。

 それは千恵も同じだったらしく「いや、何でもない」と口を閉ざす。


 空気が少し重く、苦しい。そんな状態だった。俺はそれを保つのが嫌で、打開するためのきっかけを探して、目の前の水道に集まっている連中が見えた。彼らが身にまとっている半袖半パンのユニフォームは見慣れたもので、そこに所属している中で一番仲のいい男を探し当て、声をかける。


「おーい、秀斗」


 呼びかけると彼は蛇口に近づけていた口元を引き上げて俺の方を見た。練習が激しかったのか彼の頬にはべっとりと砂がまとわりついている。なんか泥団子みたいだった。


「真也じゃん、なんだよ、やっと入部する決意が付いたか」

「その話は断っただろうが。今後は一切サッカーをやる気はない」

「ちぇーなんだよ、つれないな。じゃあ何の用? お前がこんな時間まで残ってやることなんてないだろ。ああ、でも矢橋さんと一緒なのか」

「俺の用事じゃないんだ。掲示板は見ただろ? 生徒会長の立候補の奴」


 俺が彼に問いかけると「ああ、見た見た」と頷く。


「矢橋さんもなんか言ってくれたらよかったのに。俺が手伝えば百人力よ。大船に乗った気分になれるぞ」

「お前のこれまでの実績からすると泥船もいいところだ。……まあそれはどうでもいいんだよ」

「どうでもよくないだろ? 俺の意見に関わる」

「それは沽券じゃないかな?」

「そう、それ!」


 秀斗は途中で入って来た千恵のツッコミにも素早く対応する。さっきの空気が嘘だったかのようにコミカルな雰囲気に生まれ変わった。秀斗はこういう時に本当に役に立つ。「気まずい空気にワンプッシュ!」って感じで売り出せる気がした。何か殺虫剤みたいだな。


「雑談はこのぐらいにしておこう。秀斗もダラダラと話してるわけにはいかないだろ?」

「そうだね。単刀直入に聞くけど中田君。ボクたちは今立候補するにあたってどんな公約を掲げるかを検討していてね。何か運動部で困っている事ってないかな?」

「困ってる事、ねぇ……うーんなんかある?」

「え? 俺ッスか?」


 この野郎丸投げしやがった。急に話を振られた一年生(と思われる)部員はしばらく考えた後に応える。


「ラインカーですかね。あれって他の部活と共用で使ってるんですけど、かなりボロボロで線を引きづらくて。だから新しくなってくれればうれしい……ですかね」

「……しょうもな」

「しょうもなくないッスよ。上手くできないと先輩たち怒るじゃないですか」

「道具のせいにしてんじゃねぇ! 気合で線を引くんだよ!」

「痛ってぇ!」


 秀斗が頭を小突くと一年生は頭を抱え、ぶたれた場所をさすっている。その様子を他の部員は笑って見ていた。でも千恵は一年生の意見に何度も頷く。


「何でも一概に否定するものではないよ、中田君。彼の言う事も一理ある。弘法筆を選ばずとも言うけれど、真の職人は道具を大切にするものだ。良い道具でないと真のパフォーマンスを発揮できる機会も減るだろう」

「そ、そうか?」

「まあどちらにしろ、言ってみるだけ言ってみるさ。だって新しい方が嬉しいだろう?」

「良いのか? そんな簡単に約束して」


 俺が問いかけると、千恵は「勿論」と首を縦に振る。


「本当にダメな事なら先生が止めてくれるさ。そうなってしまったら運動部の諸君には申し訳ないけれどね」

「でも新しくなる可能性があるんですよね!?」

「僕が生徒会長になった暁には手を尽くす。約束しよう」


 千恵が人差し指を掲げながらそう宣言すると、何人かの部員は嬉しそうに表情を変えた。

 期待されて、それに応えようとする。彼女のそんな姿はかつて無かった物で、何だか少しまぶしかった。その光に導かれるようにして、彼も姿を現したのだ。


「あれ、矢橋さん。珍しいね。こんなところで何してるの?」


 俺よりも高い視線。うっとおしい長髪。衣服からはみ出た手足は余計な物をナイフで削ぎ落したみたいに無骨だ。その姿は俺がここ数日、敵として意識し続けた者だった。

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