時計の針は戻らない。

再起

 正直目覚めは良くなかった。昨日の今日で気分が一新されている訳もなく、精神的にはボロボロのままだった。

 それでも体を起こしてカーテンを開ける。差し込む光が網膜に刺さって、苦痛を与えて来た。目覚まし時計を見ると、時刻は二時過ぎ。昨日は上手く寝付けなくて、天井を長い事見つめていた。その分起きる時間がずれてしまったのだろう。幸い今日は修学旅行の代休だ。寝坊ではない。

 喉が渇いて声を上げる事すら辛く感じる。取りあえず水を飲みに行きたかった。階段を下って、店と共用になっているキッチンへと顔を出す。


「何だ、今日は随分と遅かったな。しん


 白の制服に無精ひげ。嫌でも毎日見る顔がそこにいた。バンダナをしたままなので、まだ仕事は終わっていないのだろう。


「修学旅行開けだから疲れてんだよ」

「なんだよ情けねぇ。友達を見習えってんだ」

「友達?」


 親父が顎でカウンター席に座る客を指示した。背伸びしてその客の全貌を把握する。うちの制服、無駄にでかい体躯に短く切られている茶髪。その正体が誰なのか正面から顔を視なくても分かる。俺の気配に気が付いたのか大盛のご飯をかっ込みながらこちらをみた。


「ほ、ひんやしゃん」

「食べながらしゃべるなよ、秀斗。何してんだお前。なんでいるの」


 俺がそう問いかけると、口に含んでいたものを飲み込んで再び口を開いた。


「見てのとおり飯を食べに来た。今日は午前練で終わりだったからさ」

「だからってうちに来ることないだろ」

「だって旨いし、お前の親父さんここ来ると大盛をさらに大盛にしてくれるからよく来るんだ」

「おい親父、餌付けしてんなよ。お袋に怒られるぞ」

「いいだろ別に~。秀斗君は食べっぷりが見てて気持ちいいんだ。それに母さんからは許可は取ってある」

「お袋が?」


 お袋がそんな事を許すのだろうか。疑問ではある。俺が考え込んでいると秀斗は思い出したように話をし始めた。


「ああ、そうそう。真也のお袋さんにお前の話をしたらいろいろサービスしてくれたんだよ」

「俺の情報の代価かよ!?」


 そんな事聞かなくてもいいだろうに。二人そろって親バカかよ。頭の後ろで手を組んだ親父が再び話に割り込んでくる。


「だって真が何か隠しているかもしれないだろ~。気になるじゃん。お父さんとお母さんは心配なんだぞ」

「へぇ、真也って自分の事あんまり話さなそうなのはイメージ通りなんだな」

「やたらめったらと自分の事を話さないだけだ。何が弱みになるのか分からないんだから」


 特にこの頃は千恵と付き合い始めたのもあって、両親には自分の事をより一層話さなくなった。何がきっかけで関係を暴かれるか分からないからだ。ついこの間、文化祭の準備中に見舞いに行ったときはいろいろと根掘り葉掘り聞かれたのは記憶に新しい。

 あれ以降、与える情報には細心の注意を払っているのだ。


「へぇ……そうなのか。良い事を聞いた」


 秀斗の顔が歪み、あくどい笑みを浮かべている。分かりやすく何か企んでやがるなこいつ。


「そういえば親父さん。オレ話したっけ、あの話。真也が最近お熱な――」

「秀斗、それ以上言ったら余りものを持って行かないから」

「あーそれは嫌だな」

「何だよ、真。けちくせぇ。口止めするなよ。気になるだろ」

「好奇心猫を殺すってな。この件については永遠に封印だ。踏み込むなら俺とて親父の弱みをお袋にリークするのも吝かではない」


 ちぇー、と親父は口を尖らせてそっぽを向いた。ガキかよ。こういう所を見てしまうからいつまでも大人として認識ができていない気がする。

 辺りを見渡して、台所にあったチョコスティックパンを二本袋から出す。そのうちの一本をくわえて秀斗の隣へ座った。客足もまばらなので文句は言われないだろう。


「真也、お前それだけしか食わないの?」

「起きたばっかで食欲がないんだよ」

「ふーん、でも食わねぇと大きくなれねぇぞ」

「そうだ、そうだー。もっと食えもっと。最近いつもに増してあんま食ってねぇだろ」


 うるせえな親父。だいたい秀斗は運動してる上に運動部らしい体格だから燃費が激しいんだろう。比べられても困る。

 モソモソとパンを食べ終えると、秀斗も丁度食べ終えたようで「ごちそう様」と一言添えてからカウンターの上にお盆を置いた。親父は「毎度!」と応えて秀斗の会計をする。


「そういえば真也、お前なんかこの後予定ある?」

「いや、別に無いけど」

「じゃあさ、ちょっと遊ぼうぜ。外に出てもいいし。真也さえ良ければお前の部屋でも」


 そう言われて少し考える。確かに予定は無かったが、もともと遊ぶような気分ではなかったからだ。こんな状態で遊んだとしても秀斗に不快な思いをさせるだけだろう。

 だから断るつもりで秀斗に視線を向けた。


「おっ、いいぞ。上がってけ、上がってけ」

「あざーッス。よしじゃあ、お邪魔するわ」


 断る間もなく、親父が了承。それに秀斗が乗っかるという構図が出来上がっていた。もう完全に遊んで行く雰囲気だ。この状態で断るなんてできるはずも無く、秀斗を部屋に招くことになった。


  ▼


 なんだかんだで彼は俺の部屋に来るのが初めてだった。特に面白いものがあるわけでは無いが、キョロキョロと全体を見渡す。やがてテレビの下に置いてある数世代前のゲーム機を指差した。


「懐かしいなこれ。まだ動く?」

「何か月か前にやったときは問題なかったと思う」

「じゃあこれやるか。ソフト何ある?」

「二人でやるなら……スマ〇ラかな」


 今や懐かしい三色コードと電源をあるべき場所に差し込んで、スイッチを押す。問題なくゲーム機はテレビに起動画面が移り込んだ。

 最新の機種でも使われているらしいコントローラを手に取って、タイトルからキャラ選択場面へと移行。俺が使うキャラをすんなりと決めると秀斗もそれに続く。お互いに決めていたらしい。

 ステージをランダムに決めると、画面が切り替わってカウントダウンが始まり、ゼロになった所でお互いのキャラが肉薄した。

 力量としては互角。二つあるストックをお互いに一個ずつ削り、最後の一機。次に相手を倒した方が勝ちという場面になった。


「やるな。トランプの時とは大違いだ」

「それなりにやり込んでるからな」

「そりゃあそうか。ところで真也。一つ聞きたいんだけどいいか」

「いいけど何?」

「お前、最近、というか修学旅行でなんかあったか?」


 秀斗の問いかけ。それに俺は即座に反応できなかった。画面上で動いていたキャラに秀斗の溜め攻撃が入って吹っ飛んで最後の残機を散らす。

 隠していたこと、抱え込んでいたことはいろいろあって、俺は今それに絶賛苦戦中だ。修学旅行中あれだけ露骨に態度に出ていれば分かってしまうか。


「……お前に言う事じゃない」

「何だよ、それ。俺だってあんだけ苦しそうにされたら不快なの」


 俺は考える。秀斗に話すべきかどうか。

 俺が修学旅行中、そして帰って来てからも一人で考えてみても何も気持ちは軽くならなかった。それどころか重みを増している気がした。

 だから彼に打ち明けてしまって、この重みから逃れたい気持ちはある。でもそれは自分の力でどうにもならないことを認めてしまうようで嫌だった。


「話せよ、聞いてやる。お前から見たら難題でも、オレから見たらあっさり答えが出るかもしれないし」

「そう、かもな」


 彼の言葉に押される形で俺は修学旅行であった事を話した。作美のアプローチを手助けしていたこと。その途中で籠島が千恵に好意を持っていることが分かったこと。彼に対して何をする訳でも無く、何も口に出せなかったこと。

 すべてを聞き終えた秀斗はため息を付く。


「だからお前は意気消沈だった訳ね」

「そう言うこと。これで満足か?」

「疑問についてはな。でも一言言わせろよ。お前さ……バッカじゃねぇの!?」


 秀斗はオブラートに包む事のない言葉で俺を罵った。心外だ。俺は俺なりに考えてこの行動を取ったというのにそれをバカと一言で済まされてしまうことに納得がいかない。頭にきた。

 衝動のままに彼の胸倉を掴む。ボタンが手の平にめり込んできた。


「何がバカだ。俺はお前みたいに頭空っぽで動ける訳じゃ無いんだ。このバカ!」

「じゃあ中途半端なバカだ! 考えなくたって分かる事をそんな訳わかんねぇ話で捻じ曲げるからそうなるんだよ!」

「何だとこの野郎! それじゃあ千恵の事情とか、周りに出る影響を考えずに行動しろっていうのかよお前は? そんな最低な事できるかよ」

「そうだよ。確かに相手の事を考えないで自分の都合だけで行動するってのは最低だ。でも何事にも例外はあるだろ。矢橋が好きで、自分だけのものにしたいっていうなら、周りとか体裁とか、そんなの気にしてる余裕なんてあるのかよ!」


 秀斗の言葉は俺の心臓に深々と杭を打ち付けられたかのように感じられた。余裕なんてない。ただでさえ俺は千恵と釣り合ってないのだ。平凡以下の人間が身の丈以上の物を求めるならばそんなことを気にしている場合ではない。そんな簡単な事を思い出させてくれた。

 反論できない俺は掴んだシャツをゆっくりと手放す。


「そうだな。悪かった」

「分かればいいんだよ。分かれば。ところで、このことを矢橋さんは知ってるのか?」

「知らないはずだ。言ってないからな。ただでさえ最近のアイツの周りは慌ただしいんだ、余計な心労をさせたくない」

「そっか。まあ、お前がそうしたいならそれでいいと思うけど、どうやって片付けるんだ?」

「それは……」


 決まっている。答えはシンプルだ。俺が籠島よりも先に彼女を本気で惚れさせてしまえばいい。そうしてしまえば彼女は靡くことなくこれからもそばにいてくれる、はず。たぶん。しかし、


「具体的な事考えてない」

「んだよ、ノープランって真剣味が足りないぞ真也」

「しょうがないだろ。悩んで何も出てこなかったんだから」


 それを聞いた秀斗は「しゃーねぇな」と頭をかいた。何やら考えがあるようだ。


「要は籠島に靡かない様に関係性を補強したいってことでいいのか」

「そうだな。当面の目的はそうなる」


 確認してきた秀斗に頷いた。俺と千恵の関係は不安定だ。空中でふわふわと揺れる綿毛みたいな調子である。それを何とかして掴みたい。


「そうだな……。何か最近矢橋さんが頑張ってることってあるか?」

「どうしてそんな事を聞くんだ」

「そりゃあ、困難に立ち会っている時に手助けしてくれるのは嬉しいだろ。ピンチを乗り越えた二人はより一層仲を深めるって寸法だ」

「吊り橋効果?」

「そうとも言う。んで、何か心当たりは無いの」


 ぼんやりと記憶を斜め読みで振り返る。直近で千恵が頑張っていたこと。心当たりはあった。生徒会選挙への立候補だ。彼女直々に手助けして欲しいとも言われていた。

 告げられた時はそれどころじゃなくて、あまり細かく考えてこなかった。しかし、ここにきて千載一遇のチャンスである事を自覚する。


「生徒会選挙だ。千恵が立候補するって言ってた」

「え? 矢橋さん立候補すんのか。なんか意外だな」

「俺もそう思った。でも嘘とかじゃ無さそうだった」

「そうか。それがホントだったら。ラッキーだな。それを利用しない手はない。決まりだ! お前は矢橋さんの生徒会選挙に向けた手伝いをしろ!」


 秀斗は俺にビシッと人差し指を突き差した。もとより手伝うつもりではあった。彼女から頼まれてもいた。しかしそこに俺の主体性は無く、言われたらやる程度の認識だ。

 だがそんな気持ちでいるのもおしまいだ。俺は彼女の心を繋ぎ止めるためにこの生徒会選挙に挑まなければならない。


「分かった。やれるだけやって、千恵の心をものにしてみせる」

「よーしその意気だ! 俺も全力でサポートしてやる。何かあったら言えよ」

「ああ、頼む」


 差し出された拳に自分の拳をぶつける。気が付けば昨日までの鬱屈とした気持ちはどこかに行っていた。

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