リバーシ

 そして迎えた修学旅行の当日。数日前に荷物を送った事もあって俺は想定よりも身軽な格好で家から出た。向かう場所は学校ではなく新幹線が発車する駅。そこまでは各自で集合することになっている。面倒だからバスとかで家まで迎えに来てくれないかなぁ、とか思ったりするのだが、そこまで予算も余裕はないだろうし、文句は言わない。

 早速最寄り駅へと足を動かそうとした所で背後から物音が聞こえた。その正体は知っていたけれど、俺は振り返ってその正体を確認する。


 見慣れた三つ編みに黒縁眼鏡。案外大きな手に荷物。白の何よりも目を引くのは栗色のロングスカート。それはこれまで彼女を構成するパーツに入ってくることの無かった物だった。

 彼女は玄関前にある数段だけの階段を下ると、俺をじっくりと眺める。


「……キミは代わり映えしないな」

「ほっとけよ。お前は逆に珍しいな。そういう服も持ってたのか」

「これまで君に見せてこなかっただけ。それよりどう? おかしな所ない?」


 彼女は自分の格好をきょろきょろと確認すると、今度はぐるりと一回転して俺に同意を求めて来た。少なくとも俺の眼には変な所は見られない。


「まあ問題ないだろ。似合ってる」

「そ、お世辞が上手いね。ありがたく受け取っておくよ」

「お世辞じゃないって、そこは素直に受け取って置けよ」

「……ありがとう。じゃあ行こうか。ある程度余裕を持って着いて置きたいしね」


 千恵の言葉に頷いて俺は足を進めた。

 俺達は待ち合わせをしていた。意外な事にも彼女主導でだ。これまで俺達の関係性において千恵が積極的に動くことはまれだった。その事自体は嬉しいし喜ばしい事なのだけれど、誘う度胸が湧いてこなくて足踏みをしていた自分が情けなく感じてしまう。


「どうしてスカートなんか履いて来たんだ。前に嫌いだって言ってなかったか?」

「普段はね。でも今回は修学旅行で、他の人の見る目もある。君は慣れて忘れているのかもしれないけれど、普通の女の子は中々ああいった格好はしないよ」

「そんなもんか。でもスカートも似合ってるんだからもっと履けばいいのに。タンスの肥やしにして置くにしてはもったいないだろ」

「そ、そうかな。ちなみに君はもっと着て欲しいとか思うのかな?」

「俺? 何で俺の意見を聞くんだよ。お前がしたいようにすればいいだろ」

「いいから、答える!」

「今日はやけにグイグイ来るな……。まあ、俺はもう少しローテーションに多く加えて貰いたいかな。普段のボーイッシュなのも好きだけど、なんか新鮮だし」


 彼女は俺の言葉を聞き届けた後、俺から視線を逸らすと三つ編みの先っぽを弄る。


「わかった。前向きに検討しておくよ」


 それ、あまり期待が持てない返事だよな。意味だけで言うのなら嬉しいはずなのに。日本語って本当に難しい。


「ところでさ。君、よく誘えたよね」

「今日誘ったのはお前だろうが」

「そうじゃなくてさ。言葉が足りなかったね。ほら、籠島君の話。正直無理って言ってたじゃない。どんな手品を使ったのかボクにも教えて欲しいな。君の人心掌握術に興味がある」


 人心掌握術とはなんか聞こえが悪い。俺がまるで悪意を持って意思を捻じ曲げている様に聞こえてしまう。というか、そもそも俺は全くもって策をろうしていないし。技術の持ち合わせもない。勝手にこちらの思惑に乗って来たのは籠島自身だ。その事を千恵に話してみたものの、いまいち納得がいっていない様子だった。


「種を明かしたくないのは手品師の共通の思いだとは思うけれども、そこを何とかできないかな。ボクと君の仲じゃないか」

「なんかそれ『俺達、友達だろ~』って、ゲーム機のレンタルせがんできた奴を思い出すから止めろ」

「ちぇーケチ」

「ケチじゃない。無い袖は振れないってだけだ。正直な所俺は作美あたりが何かしたんだと思っていたんだけどな……」


 思い返すのは班が決まった日の昼休み。俺と作美は二度目の作戦会議を開いた。そのとき俺は籠島を班員に引き入れた事をベタ褒めされたのだ。それで俺は作美自身がやったんじゃないかと聞いたのだが、彼女はそれを認めることは無かった。

 今の千恵が言うように仕掛けの種を明かしたくないだけなのか、それとももっと別の誰かの思惑が働いているのか、未だ真相は闇の中である。


「そういえばお前、残りの班員はどうしたんだよ。早乙女さんとお前だけじゃ足りないだろ?」

「ああ、それ。それなら作美さんに入って貰ったよ」

「へ? おいおい、そんな見え透いた冗談を言うなって」

「本当だよ。ここで君に嘘を言うメリットが無い。気になるなら『しおり』の班員一覧を見てみたらどうかな」


 千恵がそこまで言ったのを見て嘘ではないと判断する。でもどうしてだろう。作美には作美の維持しているコミュニティがあったはずだ。班員から溢れるような地位ではないのも学園祭で確認済みだ。だから、彼女が千恵の班にいるのは、それこそ手品でも使ったんじゃないかと考えてしまう。


「お前こそ何で作美を誘えたんだ?」

「意外な事に余ってたんだよ。誰を誘うか考えていた所にいたから、それでボクたちは誘う事にした」

「でもお前、作美と仲が良い訳でも、というよりかはむしろ悪い気さえするのにどうしてさそったんだ?」

「消去法だよ。見たかい? ボクを引き入れようと群がる人をああやってグイグイ来られるのはキツイんだ。あれの相手だったらこっちの方が数倍マシ」


 納得はいった。彼女の性格からしてもその天秤のかけ方だったら作美を取るのは当然だ。そうして出来上がった班の空気を考えてみる。

 物静かな千恵。荒々しい作美。この二つの要素の足し算は少なくともいい結果になるとは思えない。救いと思えるのは早乙女さんの存在だけだ。彼女を足すとようやく調和がとれそうな気がしてくる。しかし、彼女にかかる負担は相当な物だろうと、想像している段階で両手を合わせたくなってきた。

 余った理由は分からない。予想を立てるなら、俺とコンタクトを取りやすいようにあえて離脱した、といったところだろうか。作美からすればデメリットの方が大きい気もしてくるのだけれど、決断を下した理由は本人にしか分からない。俺が考えたって仕方がないだろう。


「お前らしい選択だな」

「そもそもこんな面倒事を抱える時点でボクらしくはないんだけれど」

「だな」


 彼女の言葉に頷いた所で丁度駅が見えてきた。ここから先、彼女を独占できる時間が減ってしまう。わざと歩幅を狭めてその事実に反抗してみたけれど、もともと大した距離じゃなかったから大した効果はない。それは分かっている。ただ、この時間を噛み締めたかったのだ。


  ▼


「イエーイ、これで三連勝ー!」

「クッソ、勝てねぇ……何故だ。知能ではどっこいどっこいのはずなのに」

「単純に試合数が違うんだよ。俺が何回ちびっ子の相手をしてきたと思ってるんだ」


 新幹線に乗り込んだ俺達は暇つぶしにリバーシに興じていた。結果は秀斗の言葉通り俺の三連敗。間に籠島との試合も挟んでいるが全て敗北。五連敗を喫していた。

 悔しさに歯を噛み締めつつ、表に出さない様に務める。


「……そ、そういえば兄弟がいたんだったな」

「そ、四人兄妹。オレが一番上で、弟二人と妹一人だ」

「へぇー、俺は一人っ子だからそういうの羨ましいな」


 話を聞いた籠島は話題にスッと入り込んできた。こういった順応性というか適応力の高さが彼の人気の秘密だったりするのだろう。


「まあ、妹と弟はまだ小さいし手もかかるけどな。可愛いぜー。デカい方の弟とは大違いだ」

「ああ、年が近いとそうなっちゃうか。中田君の気持ちは分かる気がする」

「だろー、あいつ、年を取るごとに生意気になって来るからさ」


 兄妹トークで二人が盛り上がっていると何やら後ろからトントンと肩を叩かれた。誰かが絡みに来たらしい。新幹線の中は景色こそ変わるが閉鎖的な空間だ。いろいろ移動して飽きがこない様にしているのだろう。

 俺は振り返ってその人物を確認すると、褐色肌の女性が人当たりの良さそうな笑顔で手を振っていた。早乙女さんである。


「盛り上がってるね~。何してるの?」

「リバーシだよ。一通り終わって今休憩中。そっちは?」

「うーん、暇つぶし?」

「なんじゃそりゃ」

「他に言い様がないんだもん。ねぇ?」


 早乙女さんは少し離れたところに座っていた千恵と作美に問いかける。千恵は読んでいた本を閉じると作美と共にこちらに向かってきた。

 作美の事は少し心配ではあったが、どうやら呼ばれたら来る程度にはグループに馴染んでいるらしい。


「なんの話だい?」

「いや、何しているかって言われたからさ~」

「ボクは見ての通り本を読んでた」

「アタシは別に何も。アンタたちは?」


 作美の問いかけに俺は使っていたスマホを指差した。


「俺達はリバーシをやってた」

「そうそう、こいつ今、オレと籠島に五連敗中」


 横から流れ込むようにして肩を組んできた秀斗が余計な注釈を入れた。すかさず俺は肉の薄い脇腹に攻撃を加える。秀斗は変な声を上げて少し離れた。


「余計な事を言わなくてもいいだろ」

「でも事実じゃん」

「いや、そうだけどさ……」


 俺はそれを未だに認めたくはない。秀斗に負けることはその辺のちびっ子に負けるよりも悔しかった。籠島に負けるのは分かるんだけどなぁ。

 そうやって俺が戦歴の公開を渋ると、千恵はそれに興味を持ったようでチラリと俺が敗戦したままになっているの画面をじっと見た。


「中田君と籠島君はリバーシ、強いんだね」

「まあ、弟ともたまにやるしね」

「俺もそれなりには」


 秀斗と籠島が順に答えた。千恵はその答えに満足いったようで、口角を少し上げる。


「じゃあさ、ボクと勝負しない?」


  ▼


 結論から言えば勝負は千恵の圧勝で終わった。殆ど完封に近い試合内容で、前半は押されている様に見えるのだけれど、気が付くと逆転して、何度も相手にパスを強要させる展開になってしまうのだ。その試合運びは誰が見ても見事であったと思う。

 さっきまでの自信はどこへやら、俺以外の男性陣はすっかりお葬式ムードである。


「まあ、こんなものか。二人とも自己流でやってる感じだね」

「うわぁ……千恵えげつな。もう少し花を持たせてあげるとか無かったの?」

「郁、露骨に手加減されるのも結構辛いんだよ」

「ボコボコに負かされる方はもっとしんどいけどな」

「おっ、経験者は語るって奴?」


 早乙女さんの言葉に「まあね」と頷く。俺は頭脳労働が物を言う勝負で千恵に勝てた試しがない。千恵も千恵で手加減を知らないから何でもかんでも圧倒的にしたがる。だから俺には負け癖が付いてしまったように思えた。それもまた言い訳に過ぎないのだとは思うけれど。

 俺は勝負の行方を眺めていたもう一人、作美に目を向けた。この場にはいるのだが、いまいち場の空気に入り込めていない。彼女がもう少し存在感を出さなければ籠島へと取り入るという目標は達成しづらいように思えた。


「作美と早乙女さんはどう? 自信ある?」

「私はダメ~。運動に全部行っちゃってるから。作美さんは?」

「アタシは……どうだろ。あまりやった事無いし」

「へぇ、実力を知るために、じゃあ籠島辺りと勝負してみたらどうだ。時間なら山ほどあるし」


 アイコンタクトで作美にパスを出した。コクリと頷いてそれに乗る。俺の意図に気が付いたらしい。作美は視線を籠島へと持って行き、口を開いた。

「そう言う事で浩紀、アタシとしない?」


「いいけど、なんか扱いが中ボスみたいだな、俺」

「それ言えてる。じゃあアタシ中ボス撃破目指して頑張りまーす」


 対戦によって席が入れ替わる。籠島の正面に作美が座り、一手目を打ったのを見届けて、俺は別の場所に座り直した。……千恵の隣に。

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