揺らぎの始まり
朝、教室に到着した俺は、机の中に手を入れると何やら身に覚えのない物が入っていることに気が付く。取り出してみると便箋が出てくる、それも薄い桃色だ。一枚の紙から折られたそれは、端端から女子力がにじみ出ている気がした。
正直な所、入れる机を間違えたのかと考えたのだが、そんなことは無い。便箋の端には黒のボールペンで名指しされていた。それもフルネームである。
こういった事は以前に経験がある。そう、あれは遡ること数年。当時小学生だった俺はこういった便箋を周りに目を光らせ、ウキウキとした気持ちで開封した。
お察しの通りラブレターが来たと思ったのだ。中から溢れる可愛らしい丸文字。自分の事を褒めちぎる文面。そして、待ち合わせ場所。
人生経験が少ない俺は当然、意気揚々と指定された場所に出向いたわけだ。すると『ドッキリ成功』の文字を掲げる友人たちがハイタッチして――うっ、頭が! ここから先は思い出せない!
……話を戻そう。
この手紙は定な様に見えて雑さが目立つ。折り方然り、文字も多少粗ぶっている。もしこれがラブレターならば、丁寧に書く。名前もフルネームだけではなく『しんや君へ』みたいな柔らかさがあるはずなのだ。
詰めが甘いんだよ。フェイク・ラブレターの作成に心血を注いだ俺に比べればな!
偽物と仮に断定ができたなら話は早い。どのような報復を用意するかだ。手軽に安価な報復として、同様にラブレターもどきを送り付けるとしよう。
恐らく犯人はこの仕事ぶりを考えて秀斗だろう。朝練の前に仕込めば目撃者も出ない。それにこういうの好きそうだ。
次の授業で使うノートから一番後ろのページを丁寧に切り離す。練習し過ぎて癖になった丸文字を活用し、少女漫画で培った乙女な自分を紙へと叩きつける。
手慣れたもので、五分もしないうちに出来上がった。定規を使って丁寧に織り込むと、一つ前の机に放り込んだ。
謎の達成感に満たされた俺は伸びをする。筋肉が引き伸ばされて気持ちが良かった。伸びを終えて教室に目をやると、褐色肌の女性と目が合った。身軽な動きで人ごみをかき分け、俺の方に来ると、遠慮なく前の席に座る。
「おはよ。川田君、元気してる?」
「まあそれなりに元気だよ。早乙女さんも元気そうだね」
「まーね。元気が私の取り柄みたいな物だからさ」
へへーっと彼女は軽く笑って八重歯を見せる。彼女の肌の色もあって白さが際立っていた。
「ところでさっきから何してたの? 忙しそうにしてたけど」
「あー……見てたのか」
「勿論、私が目の前の面白そうな事を見逃すわけないじゃん。それで、何してたのさ」
楽しそうに問いかける彼女に、俺は言葉を詰まらせた。悪戯の仕返しを仕込んでいたなんて堂々と言って良い物なのだろうかと悩んだからだ。
もし俺が彼女に真実を告げたとして、それで何か不利益を生じることがあるだろうか? 実を言うとあまり無い。むしろ協力してくれるかもしれない。夏祭りの様子からして普段から秀斗とお互いを弄りあうような関係であると言う事は確かなのだ。
だから俺は真実を打ち明けることにした。
「実は、本気で偽のラブレターを書いてたんだよ」
「ほうほう、それはどうして?」
「あいつ、今朝俺に同じような事を仕掛けて来たからな。そのお返しだよ」
「シュー君が偽のラブレターを仕掛けて来たのね。まあ、いんがおーほーってやつだね。でも珍しいなー。シュー君がそんな手の込んだ悪戯をするんだ。普段は直接的なのばっかりなのに」
彼女は感心したようにつぶやく。悪戯に感心しちゃダメだろうとは思うけれど、俺も同類なのでここは目を瞑っておくことにした。
「気が変わったのかもな。新鮮味を味わいたかったんだろ」
「そうだね。そう言う事もあるよね。ところで出来としてはどうだったの? そのラブレター」
「まあ、駄目だな。中身は見てないけど、いろいろと雑だ。一発で悪戯だってわかったから」
「そっかー。ま、シュー君はそういうの、やってて途中で飽きちゃうから。仕方ないよ」
確かにと俺は頷く。人にもよるが便箋を折って、宛名を書くのは最後の作業になる。だから秀斗の飽き具合を反映してしまったのかもしれない。
「そういうわけで、もし秀斗に何か聞かれたら『かわいい女の子が朝入れてたよ』って伝えておいてくれ。タイミングを見てバラしてくれていいからさ」
「りょうかーい。そう言っとくよ」
彼女はわざとらしい動作で敬礼。ついでにウィンクも一緒についてきた。あらやだ可愛い。もし千恵が彼女になってくれていなかったら惚れてたかもしれないな、なんて柄でもない事をふざけたテンションで考えていた。
予鈴が鳴る。固まっていた生徒たちがそれぞれの場所へと戻り始めていた。早乙女さんも例外では無く椅子から立ち上がった。手を振って別れようとした瀬戸際で何かを思い出したようで、「あっ」と声を漏らす。
「そうそう。せっかくだしさー。シュー君が作ったものも見てあげてよ。作ったんだから勿体ないじゃん? あとで私にも見せてね、私も気になるから」
「分かった」
「じゃねー」
「おう」
早乙女さんは席に戻って行く。その方向を見ると既に千恵が席についているのが見えた。何やら早乙女さんが真剣な表情で話しかけている。その様子は珍しくて、内容も気になったのだけれど、席が離れすぎていて聞き耳を立てることができなかった。
▼
「アンタ、ちょっと顔貸しなさい」
「あ?」
帰りのホームルームを終えて、帰る支度をしていると声をかけられた。ここ最近で多く聞くようになった声。顔を上げるまでも無く人物を特定できた。
「ああ、作美か。ちょっと待ってろ。もうちょっとで支度終わるから」
「なんでホームルーム前に支度してないのよ」
「別に急がないからな。部活もないし」
「アタシは急ぐの!」
作美は机をバンッと叩いて、睨み付ける。その眼光に俺は屈してペースを上げた。そんな俺にもう一人声をかけてくる。前の席の秀斗だった。俺と作美のやり取りが気にかかったらしい。作美に聞こえないように耳元で囁いてくる。
「真也、大丈夫かよ。カツアゲでもされてんのか?」
「違うよ。安心しろ。まあちょっとな」
作美から受けている頼み。それを大っぴらに後悔することはできない。別にやましいことではないのだけれど、俺が千恵との関係をばらされたくない様に、彼女も公開することを望んでいない。……まあ、だいたいの人間が先の文化祭で察しているのだろうけれど。
秀斗は耳元から離れると軽く息を付いて、作美に視線を向けた。
「ならいいけどよ。おい作美、お前がこいつに何かしたら、俺も黙ってないからな」
「はぁ? 訳分かんないんですけど」
「分かんないならそれはそれでいい。忠告はしたからな」
秀斗は「じゃあな」と手を振って教室から出て行く。彼のした忠告の意味がいまいち把握できずに、俺は彼を見送った。
作美の監視の中身支度を終えると、教室から出て俺達は屋上に向かった。正確に言うとその手前の踊り場だが、まあ大まかなくくりで言えば屋上だ。
文化祭のときにあった入場規制は解除されて、自由に入れるようになっている。だが、それでも
「で、なんだよ。部活で忙しいだろうに俺を呼びつけて」
「アタシだって呼びつける気なかったっての。アンタが悪いんだから」
「俺が?」
考える。俺は彼女の手助けこそしたものの別に妨害をしたわけでは無い。そもそも住む世界が違い過ぎるのだ。二次元が三次元に干渉できないように、俺も彼女に干渉することはできないのだから。
「アンタ、昼休みに呼び出したのに来なかったじゃない」
「呼び出し? いや、今日はお前に話しかけられた記憶はないんだけど」
「話かけて無い。手紙で呼び出したんだから」
手紙、そう言われて心当たりが一つあった。今朝の便箋あれは秀斗の物ではなく作美の物だったのか。中身は見てないけれど、話しぶりからして間違いない。
「あれ、お前からだったのか。てっきり俺は誰かの悪戯かと思ってた。だいたい、何でスマホ連絡取らないんだよ」
「アンタの連絡先知らないし、他に呼び出す方法がなかっただけ」
「いや、クラスのグループから探して連絡すればいいじゃん」
彼女はそれを聞いて、少しフリーズしてしまう。数秒後には再起動して俺に言葉を投げ掛ける。
「そ、そんなめんどくさい事、なんでアタシがしなきゃいけないのよ!」
「さいですか。まあ悪かったよ。呼び出したのは分かったけどさ。要件はあれか? 修学旅行の事で良いのか」
「分かってるじゃない。そうそれでアンタに命令しようと思っていた訳」
命令ねぇ。あまり強い言葉を遣うなよ、弱く見えるぞ。と浮かんだ台詞を抑えつつ、俺は作美の次の言葉を待った。
「修学旅行の班決め、浩紀と同じ班になりなさい」
「無茶言うなよ」
「はぁ!? あんたアタシに逆らう訳?」
概ね予想はしていた通りの頼みではあった。でも、俺にはハードルが高すぎだ。千恵にも言ったことがあるが、俺は彼に苦手意識を持っている。そんな上手くいくとは思えない。
それでも、命令という言葉を使うからには、やるしかないのだろう。
「……わかったよ。でも、あまり期待するなよ。以前にも言ったけど、俺と籠島は仲が良い訳じゃない。仲が良い奴が山ほどいるから班員の枠が埋まっていることもある。そういう連中を押しのけて班員になったとして、上手く動けるとは思えない」
「……一理あるわね。はぁ、何でアタシはもっと使える奴にしなかったの」
彼女は舌打ちをする。聞こえてるからな。心の声で留めておけよ。そういうのは。
「じゃあそれはできる範囲でいい。最悪失敗しても構わない。無理だったら次に行くから」
「じゃあ、その次ってのは?」
「アンタが浩紀とある程度仲良くなる事。これは最低限」
大分ハードルが下がった気がする。俺が作美と籠島のパイプ役になるのならば、必要な事だろう。それに最低限というだけあって、さっきよりも達成が楽そうだ。
「そうだな。でも、そうなるとますます佐竹の方がよかったって気がするな。あいつは既に仲が良くて、班員になるのもほぼ確定だ。今からでも声をかけて来た方が良いんじゃないか?」
俺がそう言うと彼女はむっと眉をひそめた。もしかして自分のミスを付かれたのが気に障ったのだろうか。
「アンタ、自分が逃れたいからってそういう方向に話を捻じ曲げないの」
「そう言う事じゃない。適材適所って奴だ。俺が佐竹のポジションに収まる事はできない。佐竹の情報と、俺が貰う情報は質が違う」
「それは、そうだけど。アタシが使える駒がアンタしかいないんだから仕方ないじゃない!」
「お前は弱みを握らないと頼みごとができないのかよ」
「そんな事無い。裏切られたら困るから首輪をつけてるだけ。今回は事情が事情なの」
彼女はそう弁明する。だったら俺以外に頼ってくれればいいのに。文化祭の時点で周りにはバレバレなのだから。
「まあ、だいたい分かった。俺は籠島と話せるようになって、あわよくば班員になれるように立ち回ればいいんだな」
「そうね。しばらくはそういう感じで。しばらくしたら進捗を報告してもらうから」
「良いけどああいうはっきりとしない連絡手段は止めろよ。次からはスマホに頼む」
「そうね。QRコード出して、登録するから」
俺はポケットからスマホを取り出してLINEを起動させると、自分のコードを表示させてからスマホを手渡した。彼女は手慣れているようでさっと登録を済ませると俺にスマホを返す。
「……って、もうこんな時間。部活行かなきゃ」
「じゃあ今日はここでお開きだな」
彼女はそれに頷くとそそくさと階段を下っていく。俺は見送りながら今日のアルバイトの事を考えていた。
☆ ☆ ☆
「ねえ千恵、見たでしょ? やっぱり勘違いじゃなかったんだよ」
帰りのホームルームが終わった後、隣の郁が語り掛けて来た。たった今起こった出来事。作美さんが真也を連れて行った事に対しての反応だ。
「正直ボクとしては郁の説は信じがたいけどね」
「でもこれで私の話が百パーセント嘘って訳じゃ無いのは分かったでしょ」
「まあ、そうだね。それは言えてる」
ボクは郁の言葉に頷く。あれは朝の事だ。郁が急に「真也がラブレターを受け取っていた」という知らせを持って来た。最初は冗談と受け流したが、今のやり取りを見ているとその可能性はゼロでは無い様に思える。
郁の話を聞いた所、幸い、彼はそれをラブレターと認識してないようだが……。
「このままじゃマズイって。余裕ぶってると、真也君取られちゃうかもしれないよ~」
「そうは言ってもねぇ。揺するな、揺するなって。気持ち悪くなるだろう」
肩を揺する郁に言葉で静止を呼びかける。
彼から作美さんは相談の関係だと言う事は聞いている。だからその心配はないと分かっていた。でもそれを郁に言っていい物なのかどうか、ボクは少し考えてしまう。いくつかの懸念点があったからだ。
一つは、ここで話したことによる影響だ。
郁とはそこそこの付き合いだ。それでもその思考回路よく分からない所が多い。ここに新たな情報を突っ込んでかき回していいものなのだろうか。
もう一つは、ちょっとした焦りだ。
彼、真也との距離は最初から殆ど変わっちゃいない。本来、恋人という位置にいるのならば、もう少し距離が縮まっていてもおかしくない。しかし現状は平行線のままだ。このままではボクが彼に望んでいる証明は永久に成されることは無い。それは個人的には避けたかった。
考えた末にボクは――
「そうだね。……たまには仕掛けてみても良いか」
自分から動く事に決めた。
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