準備でデート
どうやら俺は待ち合わせ場所に早くについてしまったらしい。彼女からの誘いに張り切っていたのだ。昨日はなかなか寝付けなかったおかげで、遠足の前の小学生の様なコンディションである。万全とは言い難い。
俺は誤魔化す為、近くのコンビニでエナジードリンクを購入してベンチでちびちびと飲んでいた。こんなもので体調がV字回復するわけでは無いと分かってはいる。だけどそんな曖昧な物ですらすがりたかったのだ。
それに付け足して言えば、本格的なドリンクは高校生のお財布には優しくない。あれを常備薬感覚で買って行く感覚はいつになったら理解できるのだろうか。
そうして待っているうちに彼女は姿を現した。胸元で控えめにひらひらと手を振っているのが見えたので、俺も手を振り返す。
「待ったかな?」
「いや、まあそんなには待ってない。そっちこそ早かったな」
「君ほどじゃないけどね。誘ったのはボクだったから、先についていかったけど、現実はなかなか上手くいかないらしい」
そう言って彼女は苦笑い。俺も逆の立場だったらそうしたいと考えただろうから、彼女の心中は想像に難しくはなかった。
「悪かったよ。昨日は寝つきが良くなくてさ。気がついたら朝だったんだ」
「ああ、それでそんなものを飲んでる訳か」
「不本意ながらな」
立ち上がって缶に残っていた液体を飲み干すと近くのゴミ箱に捨てた。
そして彼女の服装を改めて見る。紺ジーンズに薄手のセーター。赤のチェックシャツを腰巻にしていた。ここ最近制服で会う事が多く、この雰囲気の彼女は久しかった。
「そういう格好のお前を見るとなんか落ち着くな」
「そうかい? ああ、君からするとそうなんだろうけれど。最初に郁がボクの私服を見たときは面食らってたけどね」
「だろうな。読書好きの図書委員とその恰好はどうやっても結びつかないだろ」
本を読むというより、どちらかというと路地裏でフーセンガムを噛んでそうだった。俺以外が見たらイメージを大分崩しそうな気がする。
「よしじゃあ、行こうか。時間は早いけれど、遅いよりはいいだろう」
「そうだな」
階段を上り、普段は使う事のないICカードを改札にかざしてホームに足を踏み入れる。高校と家、バイト先がここ最近の行動範囲だったのもあって、ホームから見る景色が新鮮だった。中学までは部活の遠征で嫌に成る程使っていたのになぁ。感慨深い。
隣の千恵は電光掲示板と腕時計に交互に目をやって確認をしていた。
「電車、あともうちょっとで来るみたいだね」
「そうか、タイミングいいな」
「ついてるよ今日は。ここで運を使ってしまうのもどうかと思うけれど」
「お前の運はMPゲージみたいに減っていくのかよ」
「個人的には似たような感覚かな。君のはサイコロみたいだ」
「? どういうことだ」
「個々人の運にサイコロが割り当てられてて、三十パーセントで幸運を引き当てられる三角鉛筆型、みたいな感じ」
「ああ、成程。それなら分かる」
運が良い奴はとことん運が良いし、悪い奴はとことん付いてない。俺にとっての運のイメージはそんな感じだ。
雑談をしているとやがてホームにアナウンスが響く。電車がうっすらと遠くに姿を見せる。二つのライトがこちらを睨んでいる気がした。
顔が正面から通り過ぎて、胴体についたドアをくぐる。乗客はまばらで、当然席は空いていたけれど、どうせ大した距離でもないので二人でそのまま吊革につかまった。
「そう言えば、今日は何が目当てなんだ?」
「今日は新しい服と、近くの本屋で売ってなかった新刊かな」
「もうちょっと待ってたら買えるのに。そんなに欲しかったのか?」
「ああ、ここ最近読み始めたシリーズでね。とても続きが気になる所で前巻が終わってしまったんだ。あれを買わずに来週生きていける気がしない」
「お前がそこまで言うって事は面白んだな。今度貸してくれよ」
「いいよ。何なら今日帰ってから貸してあげてもいい。自分以外の視点で見るとどう移るのか興味もあるしね」
彼女はそう言って笑って見せる。こいつは本当に本が好きなんだな。俺だったらもう少し待ってでも近くの本屋で買ってしまうだろう。
どんな話なのか、彼女のオススメする理由などを聞きながら電車に揺られ二駅ほど。目的地に俺達はたどり着く。
電車から降りて改札を抜けると目の前にはもう既にショッピングモールが見えてくる。ここはこういったアクセスの良さが売りで、この周辺に住んでいる人の御用達の場所だ。
俺達は自動ドアをくぐり中に入ると、付近にあるパネルで全体像を確認する。
「うーんと、本屋、本屋……。よし見つけた。四階だってさ」
「おう、でも本より先に服の方が良いんじゃないか? お前が本を何冊買うつもりかは知らないけど、たぶん服よりも重くなるだろ。だったら軽い方から回ってくれると荷物持ち側からするとありがたいんだけど」
「その意見も分からなくはないけどさ。新刊だよ? しかも発売日から数日出遅れてるものだよ? 早めに行かないと書店から消える可能性もある。ここは譲れないね」
言葉を強めて彼女はそう言った。いや、お前本屋に行くとあれもこれも、ってなるじゃん。きりが無いんだよ。でもなぁ、ここで機嫌を損ねられるのは嫌だな。逆にここさえ押さえておけば後々も上機嫌でいるだろうことは分かる。俺は渋々頷くことにした。
「わかった。行こう。ただ、財布の中身の配分とか、荷物の量とか考えてくれよ」
「そうでなくっちゃ。ほら、こっちこっち」
彼女はそう言って軽やかなステップを踏む。エスカレーターに乗り込むと、興奮が抑えきれないのかトントンとスニーカーの先で、足場を叩く。まるで遊園地でアトラクションを待つ子供の様だった。
彼女が喜んでいる姿を見るのは嬉しい。だけれど、それは俺と一緒だからなのではなく、お楽しみにしているものが買えるからなのだと思うと、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
本屋にたどり着くと、千恵は足早に新刊コーナーへと向う。立ち止まるとじっと本が並ぶ台を見つめる。その眼光は眼鏡越しとはいえ鋭い事が分かった。それだけ真剣なのだろう。
しばらくすると彼女の顔から察する緊張感が緩む。両手を伸ばして片手で一冊目を持ち上げてその下から一つ手に取った。どうやら彼女は積まれた本は二冊目から取る派らしい。
「見つかったんだな」
「うん、ばっちりさ。後は気になっている本がいくつかあるけど止めとく」
「珍しいな。どうしたなんか悪い物でも食べたか?」
「ボクは拾い食いをしたりしないって……。まあ、近くの本屋で買うとポイント貯まるんだ。ここは適用されてないみたいだから控えるだけ」
成程、千恵は同じものを買う時でもそれに付加価値を付けて考えているらしい。俺も漫画の特典付録で買う店悩んだりするもんな……。
「君は何か買う物無いの?」
「そうだな……。そう言えば新刊チェックしてなかった」
「新刊チェック?」
「本屋に来て、新しく出てる漫画をチェックするんだよ」
「……それ、事前に調べておけばよくない?」
彼女は首を傾げ、そう言った。
「そうなんだけどな。一通り見て回るの好きなんだよ。たまに今まで見向きもしなかったけど、面白そうなものとかあったりするし」
「ボクは本に挟まってる広報みたいので調査するけどなぁ。時間効率そっちの方が良いでしょ」
「でも目当ての物だけ買ってすぐ出てくのも味気ないだろ。本屋のこの雰囲気が好きなんだよ」
「ふーんそうなんだ。よし、そうと決まれば今度は君の最近のイチオシを聞かせてくれよ。最近は漫画の方には手を出してなくてね」
「そう言う事なら任せとけ。俺が貸せるのをいくつか紹介するよ」
俺達は漫画コーナーを見て回り、その中で俺が持っている物、気になっている物を紹介していく。そのうちに続きが気になっていた作品の続巻を見つける。それを手に取り彼女の物と一緒に購入、店を後にした。
「思わぬ収穫だったな。まさかあの作品が数年ぶりに続編を出すとは。完結してたから続きは永遠に見れないものかと思ってたわ」
「ああ、たまにあるよね。完結してから再始動、とか。スピンオフとか」
「たまに、というよりかは最近増えて来たな。でもそう言うので溢れかえっているのを見ると、なんか、こう、残念な気持ちにはなるけど、ファンとしては手に取っちゃうよなぁ……」
分かるよと彼女は腕を組んで頷く。
「好きな作品の世界で知らない部分があるのが許せないというか。そのコンテンツがまだ生きている事を確認したいというか」
「それに尽きるな」
作品談義を締めて、道に沿って並ぶ店へと目を配る。次は洋服だったか。もう少し歩いた所にあった気がする。でもメーカーとかブランドとかよく分からないんだよなぁ、俺。したがって千恵が好む場所もいまいち分からずにいる。
だから彼女に声をかけようとした時、少し遠くから手を振っている人物がいるのに気が付く。んー、あれは俺に向かって振っているのだろうか。
いやいや、んな訳あるか。俺にはあんな長身の知り合いはいない。よってあれは俺に向けられているものではないはずだ。そう決めつけて千恵に目線を向けた。
「ねぇ、アレ。ボク達に手を振ってる?」
「やっぱそう見えるか?」
「うん。どこかで見たような……」
千恵は眼鏡越しに目を凝らして遠くを見つめる。近づいてこない俺達にしびれを切らしたのか歩いて距離を詰めてくる。それに釣れて自然とその正体が鮮明になって来た。
「お、やっぱり川田と矢橋さんだ」
「籠島君か。どおりで見覚えがあるわけだ」
そう籠島だ。対して仲の良い訳でも無いのに話しかけられる強靭なメンタルを持つ彼は、笑顔のまま白い歯を見せる。あーホント爽やか。ガムのCMに出れるね。
「奇遇だな、籠島。で、お前何でここにいんの?」
嫌悪感をにじみ出しつつ、俺は問いかける。でも彼はそれを気にしないで応える。何その悪意スルースキル。無敵なの? それともレベルが違い過ぎて効いてないみたいな? 流石イケメン、強いわ。
「俺は付き合いだよ。ほら、あそこ」
籠島は自分の背後を見て指差した。ベンチに置かれた買い物袋と共に座っている女性がいる。その人は金髪に七分丈の上着。スカートから伸びた足をゆらゆらとさせていた。
「あれは作美さんか。へぇ、籠島君もやるね。デートか」
「いや、そんなんじゃないって。俺はその、あれだよ。誘われたから付き合ってるだけで、デートとか、彼女とか、そんなんじゃないから!」
千恵のからかいにタジタジだ。両手を胸元で振ってノー意思を提示した。
しかし、ここまではっきり言われてしまうと作美が可愛そうだな。勇気を出して誘ったデートだったんだろうに。その途中に抜け出して他の知り合いに声をかけにいくとか……。うわーダメージでかそう。あとで俺に八つ当たりに来たりしないと良いなぁ。
「籠島、それ絶対に作美の前で言うなよ」
「え? うん。分かったけどなんで?」
「理由は聞くな」
「うん、聞かない方が良いね」
念の為に予防線を張っておくと千恵もそれに同調した。俺が話して事情を知っていたからだろう。
「よくわかんないけど、分かった。言わないようにしておく」
「そうしてくれ」
「ところで、川田たちは何してるんだよ」
籠島の問いに俺はスムーズに答えることができない。俺達が来たのはデートではある。ただ、それを公表してもいい物なのか迷いがあった。
俺たちの関係は基本的に伏せている。籠島の様な顔が広いタイプが情報を持つと一気に広がりかねない。それは避けたかった。だから俺は誤魔化しを入れて答えることに決めた。
「買い物、修学旅行も近いしな。お前らもそうだろ」
「そうか。じゃあ俺らと一緒だ……そうだ。もしよかったら二人も一緒に回らない? 目的は一緒なんだからさ。多人数の意見を聞けると真奈も矢橋さんもいいだろうし。どう?」
突然思いついたのか、そんな事を口にした。おいおい勘弁してくれよ。自ら作美の地雷を踏むつもりか?
恐らくだが彼は自覚していない。あるのはただ単純な善意だけなのだろう。だからこそ余計に質が悪い。どうやって断るか迷っていると、千恵が俺達の会話に割って入った。
「いや、申し訳ないけどそれはできない。ボクがそれを望んでないし。彼女も君以外が来るのは望んでいないだろうからね。じゃあ、あんまり時間を取るのもなんだし、ボクたちは失礼するよ。また学校でね」
千恵はやや早口でそう言うと俺の手を取る。籠島を追い抜いて作美の前を通り抜けた。そのとき作美が睨んできたのは言うまでもないだろう。
いや、悪いのは俺達じゃないから……
あのあと、俺達は昼食を摂り、洋服を買い足して帰路に着いた。少し早かったけれど、予定通り遊ぶ気力は残っていなかったのだ。
電車に揺られて最寄り駅までたどり付く。そして家を目指して足を進めた。疲労もピークに近く足取りは重い。千恵もそれは同じようで言葉数は行きに比べれば相当減っていた。
「おい、どこ行くんだ。家はこっちだろ」
「ああ、ゴメン。ちょっと考え事をしてた」
千恵が本来曲がる角を通り過ぎようとしたので止めた。千恵は物思いに耽るとその他の判断がおろそかになる。ここ数日でも一緒に帰る時はよく見られる光景だった。でも数日にわたって彼女の思考を独占するものとは何なのだろうか。
小説の最新刊については今日買って解決した。だから別の事だとは思うのだが……。まあ本人じゃないとこればっかりは分からない。だから俺は直接聞いてみることにした。
「何について考えてたんだ?」
「いや、ちょっと……ね」
「何だ。やけにもったいぶるな」
「まだ確定したわけでもないし、決心したわけでもないから言うのが憚られるんだよ」
言うのが憚られる事? それって――
「転校する、とか言わないよな?」
「それは無い。安心して、こんな急に君のそばからいなくなる事は無いから」
「じゃあ、なんだ。さっきの籠島たちの事か?」
「それも無い。あんなの彼らで好きにやればいい。わざわざ悩んで時間を使う事じゃないよ。ボクが悩んでいるのは、ボク自身のことさ」
千恵自身の事、か。分からなくなってきた。千恵が悩むようなことなんて想像が付かない。平々凡々の俺とは違ってなんでもスマートに解決してしまえると思っていたからだ。
「悩むんだな。お前でも」
「失礼な。人間誰だって大なり小なり悩みを抱えてる。ボクだって例外じゃない。悩まなくなるとしたら死んだ時だ」
「そうだな。俺は昔、大人になればそんな事無いって思ってたけど」
「ボクも大人は完璧で完全な存在なんだって思い込んでたな。この歳になるとそんな事無いって嫌でも分かるけどね」
俺は「そうだな」と相槌を打つ。親父を見てると日々悩んで苦しんでるのとか嫌でも分かるからだ。
「ま、話さなくてもいいけどさ。あんまり思いつめるなよ。ダメそうなときは他の奴に頼れ。親父なんて、掃除苦手過ぎて、業務委託してるからな」
そう言うと千恵はクスクスと笑みを漏らす。そんなに面白かったのだろうか。こいつの笑いのツボはよく分からないな。
そんなやり取りをしているともう家の前に付いている。千恵は俺の家を通り過ぎて、自身の家へと向かっていく。ドアノブに手をかけた。
「どうしてもダメそうなときは他の人に頼るよ。その時は、キミもボクの手助けをしてくれる?」
「任せろよ。限界はあるけどな」
「その一言が無かったらもうちょっとかっこよかったのに。でも、ありがと」
手を振って千恵はこの場を後にする。俺はドアが完全に閉まるまでその様子を見守っていた。
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