帰り道

「ふーん。作美さんがそんな事をね」


 帰り道の途中、千恵に先程までにあった出来事を説明していた。彼女は腕を組んでそれを聞いていたけれど、別段興味が無さそうだ。見てみれば相槌も適当なように感じる。


「でも相談って何を相談してくるんだろうね」

「分からないけど、なんかアプローチ的な奴なんじゃないか? たぶん」

「たぶんって……まあいいけどさ。でも君、そんな事できるのかい? ボクへのアプローチは手紙一筆だけだったし、作戦とか、必勝法みたいなものを持ち合わせているわけでは無いだろう」


 鋭い。というか彼女からすれば、俺の浅はかさは全てお見通しなのだろう。言葉につまりながらも返答する。


「それは、そうだけど。引き受けちゃったんだから仕方がないだろ。拒否権、無かったけどさ」


 俺はため息を付く。

 作美のサポート役として相応しくはない。作美に言った理由もある。だがそれ以上に俺の恋愛経験も大したものではないからだ。

 千恵へ告白したときも特にそれに向けてアプローチをしたことは無かった。リハーサルもなく、ただただ自分の気持をぶつけただけに過ぎない。それがたまたま上手くいっただけの事なのだ。

 だから彼女の相談を受けることになって、今更ながら不安しか湧いてこなかった。


「でも、安心していい。これから相談する必要がある物なんてそう多くはない。彼女は結構夢見がちな所もあるし、シチュエーションもそれなりに重視する。となれば、目の前に良いイベントが転がっているじゃないか」


 千恵は人差し指を立てながらそう話す。

 これからあるいい雰囲気になれそうなイベントと言えば、もう一つしか存在しえない。


「修学旅行か」

「そ、彼女はそこで籠島君にアプローチを仕掛けたいんじゃないかな」

「成程な」


 よくよく考えて見れば作美には同姓の友人は多く、それなりにそのコントロールもできるだけのポジションにいる。女子対女子なら俺に助け船を求めないだろう。

 だが、籠島は(当然のことながら)男子だ。彼女の手の届く範囲には居ない。修学旅行では班決めやら集団行動やらとコントロールしたい場面も多い。男子で使える駒が欲しかったに違いない。


「……ん? 待てよ、そうなると俺は籠島と仲良くなる必要があるのか?」

「そうだね。期待されているのは籠島君を作美さんの意図通りに動かす事なんだから」

「中々のハードモードだなぁ。ああいうキラキラしてん奴苦手なんだよ」


 これから待ち受けている困難に思わず頭を手で抱えたくなる。そんな俺を千恵は納得のいかない表情を見せた。


「ん? 中田君とは仲良くしてるのに、籠島君は駄目なのかい。彼と仲が良いなら余裕じゃないのかな」

「あいつは例外だ。しつこく話しかけて来て俺が根負けした。こっちからアプローチをかけるとなると、話は別だよ」

「成程ね。でも別にいいんじゃないか、放り出してしまっても。彼女の横暴な頼みなんだから、自分を無理に曲げてまで達成する目的でもないだろうに」


 嫌がる俺を見て千恵はそれを正当化するような、理屈を言って見せた。俺は思わず頷きたくなるが、義務感からそれを阻んだ。


「確かにそれは言えてる。でも、俺がしたことが原因になっているからな。俺が事後処理するってのは理にかなってる。だから、投げ出すのはダメだ」


 そう言うと千恵はしばらく黙って、目をぱちくりとさせた。


「意外と義理堅いね。てっきり投げ出すのかと思っていた」

「心外だな。約束はきっちり守るぞ、俺は」

「まあ、君がやる事に納得がいっているのならばいいさ。別に、ボクが止める理由もない」


 ただ、彼女はそう前置きする。何と言おうか迷っているのか、眉間にシワを寄せた。


「でも、人にばっかり構ってないで自分のことも考えておいた方が良い。君はボクに証明をしなければならないんだから。それを忘れて貰っては困る」

「分かってる。それを忘れた事なんてただの一度もない」

「そう、なら……良いんだけどね」


 千恵は風にかき消されそうな声でそう返した。

 何だか浮かない顔だ。俺が約束を守る事は大事である、という当たり前の事を言ったのにも関わらず。何が気に食わないのだろうか。

 分からないが、人の気持ちが完全に読み取れる訳でも無いので、俺は別の話題に切り替える事にした。


「なあ、千恵。そう言えばお前は修学旅行どこ行くとか考えてるか。うちの学校は京都だったろ? 俺あんまり詳しくなくてさ」

「詳しくないって言ったって、いろいろあるだろう。京都と言えば日本の中で指折りの観光地だ。そこで何も思い浮かばないってことは無いはずだ」

「ああ、悪い。言い方が悪かった。お前の行きたい所とかあるのか聞きたくなっただけだよ」


 そう言うと千恵は顎に手を添えて沈黙。ある程度歩き距離が進んだ所でようやく口を開いた。


「挙げればきりが無いけれど……そうだね、一つ挙げるとしたら『哲学の道』かな」

「哲学の道? 聞いた事無いな。どんなとこなんだ?」

「え、知らないのかい?」

「お前の知識を基準にされちゃ困るって。誰もがお前みたく知識豊富な訳じゃ無い」


 俺の言葉に千恵はムッとしたものの、仕方ないと前置きをして解説を始める。


「哲学の道はこの日本を代表する哲学者、西田幾多郎らが好んで散策した道として知られる場所なんだ。『日本の道百選』にも選出されている有名な場所なのさ」

「散歩道なのか。とはいってもただの道路なんだろ? 何が良いんだよ」

「君、本気で言っているのかな?」


 千恵は俺を鋭く睨み付けると「いいかい!」と言葉を強く発して再び説明に入る。


「かの有名な人物たちが思想を編み、生み出すのに使われた場所の一つなんだ。端的に言ってしまえば聖地だね。例えるなら……そうだな、君は少女漫画をよく読むよね」


 俺は頷く。それを確認して彼女は言葉を口から滑らせるように並べて来た。


「その少女漫画が生み出されるのは作業場だけれども、その作者が良く通った喫茶店とか、よく道具を買うお店とかに行ってみたいとか、素晴らしい作品はどのような環境から生み出されたのか知りたいと思う事は有ったりしないかい?」


 そう言われて少し考える。確かにイチオシの作家さんが対象ならばその様な感情は生まれてくる。何というか尊敬している人と同じ空気を吸えるだけで幸せ、みたいな感じなのだろう。たぶん、恐らく、メイビー。


「まあ、無くはないな。原画展とかに行きたいとかそんな感覚か」

「原画展は作品そのものが出てしまうから少し違うけれど、概ねそんな感覚だよ」

「それなら何となくわかった気がするな。行きたくなる気がする」

「そうだろう、そうだろう」


 うんうんと彼女が頷く。自分の価値観がようやく伝わったかと確かめるようだった。物静かな千恵でも饒舌になることがあるんだな。意外な一面を見た気がする。


「これを機に君にいろいろと叩き込みたい知識が出て来たけれど、それはまた別の機会にしておこう。たぶん覚えきれないし頭に残らない」

「事実だけどさ、そうハッキリ言うなよ。意外と傷つくんだぜ、そういうの」

「そうか、頭に入れておくよ。気が緩むとつい口が滑ってしまってね」

「何だよ、その普段からそう思っているみたいな言い草は」

「……」


 ノーコメントかよ。普段そう思っていたりするって事は否定しないんだな。俺の勉強不足が原因とはいえ、なんだか腑に落ちない。俺だって不甲斐ない所ばかり見せているわけでは無い筈なんだけどな。


「でも、君には短所に目をつぶるだけの長所はあるさ」


 千恵が取って付けたようにフォローを入れてくる。俺はそれに素早く食いつく。


「例えば?」

「ボクと家が近い」

「そりゃあ、俺のじゃなくて住所の長所だろ」


「じゃ、身長一七五センチ以上」

「それは体の長さだろ。てかお前、意外にも長身フェチだったのか」

「好みではあるかな」


 マジか。知らなかった。彼女にそのような趣味嗜好があったとは。可愛いものが好きと言っていたからむしろ逆に低身長の人間が好きかもしれないと思っていたぐらいだ。

 これは大きな収穫である。だが――


「そう言う先天的な物じゃなくてさ。もっとこう、ないのかよ。俺の長所」


 俺が問いかける。しかし彼女は人差し指を唇に当てて意地悪な笑みを浮かべた。


「んー、あるにはあるけど、言うと君は調子に乗るからね」

「そんな……」


 彼女にここまで教訓染みて覚えられるほどに調子に乗ったことがあっただろうか。少なくとも覚えがない。覚えてないから彼女が諭す様に言ってくるのかもしれない。

 だけれど、それでも俺は一度ぐらい彼女に褒めてもらいたかった。


「そこまで凹むなよ。メンタルが軟弱すぎやしないか」

「さっきからお前の精神攻撃力が高すぎるんだよ……」

「悪かったよ。君が常日頃からそんなにダメージを受けているとは思わなかったんだ。お詫びと言ってはなんだけど、今度の日曜日予定空いてるかな?」


 千恵の問いを受けてシフト表を頭で確認する。確か今週は休みにしておいたはずだ。


「開いてるけど、それがどうかしたのかよ」

「一緒に出掛けようと思ってね。君風に言うのであればデートのお誘いだよ。受けてくれるかな」


 デートか。でも千恵から誘ってくるなんて珍しい。それだけさっきの出来事を気に病んでいたと言う事なのだろうか。

 文化祭の以降、予定もかち合わなかったから彼女の誘いはとても魅力的だった。


「勿論、行くよ」


 顔を上げて返事をすると千恵は「それは良かった」と微笑む。止まっていた足を動かして帰路についた。


「じゃあどこに行くのか決めないとな」

「それは問題ない。すでに目星は付けているんだ」

「そうなのか」

「ああ、実は修学旅行前にいろいろと買っておきたいものがあってね。買い物に付き合って欲しいんだ。せっかくだし君にボクの服とか見て貰いたい」


 彼女はその場でファッションショーが如くくるりと一回転して見せた。制服のスカートが遠心力で広がって、チラリと生足が姿を見せる。 


「わかった。任せろ」

「うん、任せた。じゃあ、待ち合わせは駅で。午前中から行って、余裕があったら遊ぶ事にしよう。それでいいかな」

「オッケー、了解した」


 俺が了承するともう既に家が近くまで迫って来ていたことに気が付く。うちにも暖簾が出て店側にも明かりが灯っていた。

 ふと遠くを見ると太陽が沈んで、空が群青に塗りつぶされていくのが見える。こうしてまた一日が終わってしまう事を惜しく思う。

 だからと言って、いつまでもここに居るわけにはいかない。俺は手を挙げると彼女に「またな」と声をかけた。


「ああ、また」


 彼女は手を振り返してくれた。お互いに放った言葉が次の日まで自分と彼女を繋いでくれる気がした。

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