揺らぎ、カルネアデスの板
嘘の借り
文化祭も終わりを告げて、日が落ちるのも早くなった。吹き付ける風の温度も急激に下がって来て秋を感じる間もない。地球温暖化の影響を察してしまう。
しかしあいつはひどいものだ。温暖なんて名前の癖して寒暖差を強調させるんだもんな。冬も温かくしてくれたらどれだけ楽だったことか。
厚着もしなくていいし。寒さに凍えながらの部活をすることもない。それならば俺が秀斗の誘いに乗ってサッカー部に入ったかもしれないし、最近の運動不足も解消されるかもしれない。
ああ、都合よく食欲の秋だけを感じてしまったがばっかりに……。
いや違うから。これは太っているのではない。冬の寒さ対策だから。猫や犬だって冬毛になったりするし熊は冬眠する。寒いところに居るアザラシは脂肪を付けて体を守っているんだ。だからこれは寒さ対策。俺は悪くない。地球が悪いんだ。
……下らない現実逃避はこれぐらいにしておこう。実際問題このままだらだらしていても犬猫と違って勝手に元に戻るわけでは無いのだ。それどころか正月太りが待っている。ジョギング、するか。面倒だけど。
誰だって丸々と太った豚さんより、シュッとしたお馬さんの方が好きなはずである。王子様が乗っているのは白馬と相場が決まっている。なにせ最近テニス界の王子様でも乗馬し始めてたからな。現代においてもやはり豚より馬なのだ。乗ると言う用途に限るが。
そんな事を考えていると俺に近づいてきている人影があった。
学校指定ジャージ姿。荒々しい目つきに、荒々しい金髪。一目で誰だか分かった。作美真奈である。彼女は身に余る大きさのジャグを持っていた。恐らく部活の途中、マネージャーの雑用なのだろう。これでも元々運動部に所属していた身だ。こういった雑用の面倒は分かる。特に用事もないし、この場は無視するに限る。そう判断したのだが、意外な事に彼女がそれを許さない。俺に目を向けながら水道場にジャグを降ろした。
「アンタさ。なんか言う事無い?」
正直な所話しかけられたのは何かの間違いだと思った。しかし周りを見渡しても俺と彼女の他に人はいない。
「……俺に言ってんの?」
「アンタ以外に誰がいるってのさ」
「まあそうだけどさ」
そう言われて俺は考える。俺と作美は特に親交が深い訳でも無い。話したとこともこの間の文化祭の時ぐらいである。
だから特に思い至る事もないまま、適当に答えることにした。
「足、治ったんだな。おめでとう」
「ああ。その節はどうも……じゃない! 謝る事があるでしょって言ってるの!」
「謝る事ってなんだよ。お前に何か悪いことしたか、俺。ほとんど話した事無いんだぞ。同じ空気吸ってごめんなさいって言えってか?」
「いや、そこまで酷い事はアタシだって言わないよ。そうじゃなくて、この間の文化祭でアンタ、アタシに嘘付いたでしょ」
「……ああ。あれか」
ようやく彼女の意図が見えて来た。確かに俺は嘘を付いた。中々動きそうにない彼女を動かす為に籠島が探していると言ったのだ。
でも悪いとは思っていない。彼女が動かないのが悪いのだ。
だいたいあの嘘が付けなかったら、文化祭はまともに動かなかったかもしれない。まあ、嘘を付けてもまともに動かなかったけれど、より悪い方向へ転がっただろう。
だから俺は悪いだなんて思ってはいなかった。
「あれはお前だって悪いだろ。お前がいつまでたっても動かないから、俺がああ言っておくしかなかったんだ」
「それはそうかもしれないけど、もっといい方法は無かったわけ? アンタのせいでアタシは勝手に舞い上がって、勘違いしたじゃない」
「勘違い?」
「そう、勘違い。あんたに騙されて、浩紀にお礼を言って、何言ってるのか分からないって顔をされて……その時のアタシの気持ち、アンタに分かる?」
彼女がそう問いかける。さっきまでの騒々しさは薄れて、儚げで風が吹けば倒れてしまいそうなそんな弱々しい雰囲気を纏っていた。
それに押されて俺は考える。彼女の気持ち。それはどんなものだっただろうかと。言葉から読み取れた部分だけで想像をしていく。
対象は片思いの相手。その人が自分の為に動いてくれたと思っていた。でもそれはこれまで話した事のないような奴の嘘だった。それを他ならぬ相手から暴かれるのだ。無自覚に、遠慮なく。
スカイダイビングを楽しんでいたらパラシュートが開かないぐらいには絶望的な気分になるだろう。
大げさかもしれない。だけどそれだけ彼女が抱く想いは重い物だったと俺は思うのだ。重さによって自由落下の速さは変わらないけれど、落ちたときの被害は重い方が凄まじい。彼女が受けたダメージは無視できるものではなかった。そう想像する。
だとすると俺に対しての彼女のヘイトは並々ならぬものではないだろうか。そのための報復手段も握っているはずだ。
彼女はクラスでも最上位に近い地位を持っている。それに対して俺はクラス内のアリも良い所だ。無事に生き残るためにはここが最後のチャンスなのかもしれない。
「その……なんだ。悪かったよ」
「悪かった?」
「申し訳ありませんでした!」
彼女の睨みに即座に反応し、頭を下げた。そりゃあもうそこら辺の会社員に引けを取らない謝罪っぷりで。これなら「頭を下げるのが得意です」って自己PRに書ける。何? 将来有望じゃん。
それに対して彼女は「うわぁ」と若干引き気味に声を漏らす。なんだよ、笑いたきゃ笑えよ。
「そこまでしなくていいって、顔を上げなよ」
「いいかのか?」
「うん、取りあえずはね」
彼女の発した言葉が気にかかった。何だよ、そのこれからもあるみたいな言い方は。お前のしたことは謝って済む事ではない、そう言いたいのだろうか。
「取りあえず?」
「そ、謝ってもらう事は前提。誠意は大事、問題は謝罪以外でどう誠意を示すのか。そうは思わない?」
「思わなくはないけど、俺に何をさせるつもりなんだよ」
「いくつかあるけど……」
「いくつもあるのかよ」
「泣き言を言わない。アンタが悪いんだから」
はぁ、と作美はため息を付く。蛇口を締め直しながら話を続ける。
「まずは質問させて。ここで嘘を付くことは許さない。もし後々それが分かったら……」
「ペナルティは設けなくていい。嘘は付かないから」
「そう、ならいいけれど覚悟は決めておきなさい」
こほんと咳払いをして、作美は俺に問いかける。
「アンタ、何でアタシが浩紀を、その……意識してるって分かった訳?」
俺は思わず眉をひそめる。なんでその問いが出てくるのだろうか分からなかったからだ。少しの間考えて、彼女は気が付かれていないと思っていたと気が付く。
え、あれだけ分かりやすく見せていたのに、ばれてないと思っていたの。というか俺以外に指摘する人間はいなかったのだろうか。
むしろまわりに見せつけて他の人間を近づかせないマーキングだと思っていたぐらいだ。
でも「バレバレだ。気が付かないとでも思ったのか」なんて馬鹿正直に言えるはずも無い。だから嘘を付かず、愚直でもない答えを提出することにした。
「まあ、見てて何となくだよ」
「そう、成程ね。じゃあ次の質問」
「まだあるのかよ」
「当たり前でしょ、アタシが満足するまでやるの」
そう言って作美は俺を指差して念を押す。そして「次の質問」と前置きをするがなかなか肝心の質問が出てこない。
散々引き伸ばして絞り出すような声で問いかけた。
「アンタ、彼女いるの?」
作美は言い終わった後気恥ずかしそうに悶える。
なんだその質問。まるで思わせぶり系の女子が言うような台詞じゃないか。というか籠島が好きなら言う相手が違うだろうが。なんてことを思いつつ、答える。嘘を付くと後が怖いので偽りなく。
「いるよ。誰かは言わないけどな」
「そう、やっぱりいるのね」
作美は顎に手を当て、考えるような仕草を見せた。いや、ちょっと待て。やっぱりって言ったかこいつ。
「なんだよその知ってたみたいな口ぶりは」
「いや、そうだよ。知ってた」
「何……だと……」
マジかよ。作美の事言ってらんないじゃん。何? 隠し通してた気でいてバレバレだったの。なんか滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。
「ちなみに、いつから」
「夏休みに入る前から。あの、ほら中田と話してたでしょ。弁当だなんだって」
「あの時か……」
流石に教室であの手の話はまずかったか。誰が聞き耳を立てていてもおかしくはない。この調子だと作美以外にも知っている奴がいそうだ。怖いな。
「まあともかく、それなら大丈夫そうね」
「大丈夫って、何が?」
「経験の。役立たずだったら困るじゃない。ま、質問はこれでおしまい。次は頼み事ね」
いつの間にか作美はキーパーを洗い終わっていたらしい。スポンジから手を離して水で泡をすすいでいた。それを終えて手をハンカチで拭うと俺を見た。
「ちょっと手助けをして欲しいの」
「何についてだよ。課題だったら期待しない方が良いぞ。俺はそんなに頭がよくない」
「課題は自分でやるからいい。そっちじゃなくて、れ、恋愛相談というか……サポートというか。ともかく意見が欲しいのよ!」
ビシッと俺に向かって指を刺す。羞恥を勢いで誤魔化している様に感じた。
だがしかし……いや、駄目だろう。悪手に違いない。俺の心の中にいる「心Tシャツ」を着た老人もそう言っている。
何故なら彼女が求める助言は恐らく籠島がどうしたら喜び、かつ作美に振り向くのかだろうからだ。俺は籠島とは別段仲が良い訳ではない。趣味嗜好も、人間性も表面しか知らないのだ。だから俺は首を横に振った。
「悪いが作美、たぶん俺はお前の求めている意見を出せないと思うぞ」
「何? 加害者の癖にアタシの言う事がきけないって訳?」
「そうじゃない。人選ミスって話だ。俺は別に籠島と仲が良い訳じゃ無い。だからアドバイスを求めるのはお門違いだ。いるだろもっと良いのが。例えば……ほら、あの、うちのクラスで籠島と仲の良い……名前なんだっけな。この間修道士役で舞台に立ってた奴だ」
「佐竹君ね。同じクラスなんだから名前ぐらい覚えてなさいよ」
「話さないから覚えられないんだ。まあ、あいつなら籠島と距離も近いし、いろいろ知ってるだろ? だから助言を求めるならそっちだ」
そう言うと彼女は渋そうな顔をしながら腕を組んで視線を斜め下に向けた。
「佐竹君は確かに浩紀と距離が近いし、部活も同じだけれど、何を考えているのかよく分からない所があってね。話しづらいの」
「確かに物静かでそう言う所ありそうだな」
「それで誰にするか悩んだ結果、好き勝手……失礼。借りも作ってあって、恋愛経験もあるアンタに決めたって訳」
ほとんど言いかけてとどめた所を覗いて、概ね納得がいった。
彼女は洗い終わったキーパーを持つ。きっと部活に戻るのだろう。いつまでも話をしている訳にはいかない。この時期の二年生は部内では最上位の学年とはいえ、後輩に示しが付かないのはまずいのだ。
「じゃ、そう言う訳で。詳しくはまた今度」
「……ああ、分かった」
不本意ながら俺は頷いた。そう不本意ながらだ。誰が好き好んでこき使われてたまるものか。でもここで従って置かないと面倒ではある。
思わぬ災難だったが内容的には良心的だ。金品の巻き上げでは無くて本当に良かった。
作美がこの場からいなくなったのを確認して、長々と息を吐く。
しかしリラックスする暇などは与えられない。それと入れ替わる様にして、背中を叩かれたからだ。打ち合わせをしてきてるのではないかと思うぐらいの見事な入れ替わりっぷりに悪態の一つでもついてやりたくなった。
「待たせたね」
「そうだな。かなり待った」
「何だよ、その言い方は。気を利かせてくれたって良いだろうに」
「『今来た所だ』って? そういう気分にはなれないな」
彼女がもう少し早く来てくれていれば、作美による厄介ごとの押し付けも無かっただろうから、なんて言葉は呑み込んでおく。八つ当たりに近いと思ったからだ。
振り返ると千恵が手を後ろに組んでいるのが見えた。衣替えをしてから久しいが、女子はこの時期はとても寒そうに見える。彼女のスカートの下から見える柔肌がそのようなイメージをより強くさせていた。
「今年も寒くなって来たね」
「そうだな。まだ冬って程じゃないが、ポッケに手を突っ込みたくなる」
彼女は俺の問いかけに頷く。下から見上げるようにして俺に問いかけた。
「ねぇ、さっき作美さんと何話してたの? ボクは浮気を絶対に許さないよ」
「浮気じゃねぇよ。浮気できる勇気も度量も、モテる要素も持ち合わせてないっての」
「知ってるけどね」
「じゃあ聞くなよ……」
「帰ろうか。寒いしね」
千恵は微笑むと俺の前へ出る。振り返ると三つ編みが太陽を横切った。彼女の微笑みが夕焼けに被って、思わず俺は目を細めた。
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