終幕
作美を最初に見つけたのは俺だが、だからと言って最後まで面倒を見る必要はない。
彼女を保健室に預けた後、普段よりも人気が増した廊下を急ぎ足で歩く。向う先は体育館。うちのクラスが演劇をしている場所だ。
ステージの反対側、一般の入り口から入ると暗幕が下されていて辺りは薄暗い。今日千恵と行ったお化け屋敷みたいだと思ったけれど、それとは違うのは正面のステージが眩しいぐらいに照らされてることだ。
「ああ、ロミオ。貴方はどうしてロミオなの……?」
最初に聞こえたのはジュリエットの嘆き、そして想いの告白だった。静まった室内に響く声。それが彼女の物であることは理解できる。彼女は普段声を張ることは無い。だからか、それは異質で遠い物の様に感じられた。
感情のこもった台詞回しはとても練習をしていなかったとは思えない。悲壮感がここまで伝わって来るようだ。
そんなジュリエットの独り言を受けて、籠島こと、ロミオにスポットライトが当たる。彼は挙動不審にまわりをキョロキョロ見て、それから彼女へ言葉を言い返す。
その様子を見て会場から笑いが聞こえた。普段の彼とのギャップがあってそれが笑いに繋がっているのかもしれない。
まあ、おどおどしてるのは演技なんだけどな。今回のロミオは臆病な設定なのだ。それが籠島というキャスティングも相まって、強調されている気がした。
ロミオは彼女の独白に応え、自分がこの場にいる事。そして自分も彼女に想いを抱いていることを吐露して、最初のシーンが終わる。
照明が落ちると、ロミオと何者かの掛け合いが始まる。遠くでよく見えないが、きっと今頃黒子たちがステージの装飾を置き換えてるのだろう。
何者かはロミオが恋心を抱き、それで悩んでいるのだろうと言い当てると姿を現した。スポットライトが修道服に身を包む男を照らす。演じてるのはえっと……誰だったか。名前が思い出せない。籠島とよく話している奴だ。物静かで修道士役も似合っていた。
修道士、ロレンスは事情を把握すると、ジュリエットとロミオの結婚を認めることにする。
憎み合う彼、彼女らの家系もこれを機に不和を解消してくれるのではないかと思ったからだ。
そして婚約をするロミオとジュリエット。
修道士が愛を問う言葉を投げかけて、二人は「誓います」と答えた。形だけとはいえど、彼女の隣に立っている人間が自分で無い事に苛立ちを覚える。
急に決まった事だから仕方がないとは思うけれど、この感情はきっと理屈で片付けられるものではない。
もっとも、理屈好きな彼女ならば、辞書の様に理由を引き出して、心を落ち着けてしまえるのだろうけれど、俺にはそんな芸当はできそうにない。歯を噛み締めてそのシーンを過ぎ去るのを待った。
彼女たちの幸せ。それを観客に植え付ける。煮物に味を染み込ませるようにじっくりとナレーションが補足していく。
正直な所それは苦痛だった。指先を粗いやすりで削られているようだ。耐え切れず体育館から出て行こうかと検討し始めた所でようやく、場面が変わった。
ナレーションは事態を伝える。ロミオに起こった災難。対立する貴族との決闘を。
その末、ロミオは親友を失い、加えて人を殺めてしまった。その結果住んでいた街、ヴェローナから追放されてしまう。
一方、ジュリエットは父親から縁談を持ち込まれた。
彼女はそれを断ったが、それも長く持ちそうにない。困り果てた彼女は、修道士ロレンスを再び頼る事となった。
そして修道士は仮死の薬でジュリエットの死を偽り、ヴェローナから抜け出す算段を立てたのだと。
再び舞台に光が灯る。
ジュリエット役の千恵が倒れていた。そこにジュリエットの父親役の小太りの生徒が駆け寄って肩を揺すった。
ああ、もう。何触ってるんだ、あの野郎。あとテメーの太い体と違って、バンビみたいなか細い体なんだからもっと優しくしてやれよ。
救いなのは、駆けつけて彼女を舞台袖に運んでいく従者役は女性だったことだろうか。これが男だったら……あまり考えたくはない。
何で俺は楽しんで見るはずの劇を苦しんでみているのだろう。
父親役にスポットが当たる。男は娘が無くなった苦しみ、悲しみを述べた。その演技は意外にも堂に入っていて。この本気具合ならば、さっきの演技も必死さを示すためだったのかと思える。
でも、見ていていい気分でない。例えるなら一推しのアイドルがドラマでキスシーンにチャレンジしたときのファンの気持ち、見たいな感じだろうか。
……はたから見ると気持ち悪い奴だな。いや、でもファンと違って俺は彼女と付き合っている。だからこれでいい。普通のことだ。……たぶん、たぶんね。
父の独白が終わり、代わりにロミオが出て来た。追放された彼の元にもジュリエットの訃報が届いたのだ。
修道士の作戦ではジュリエットは死んだことになるのだから、当然だ。問題は、修道士ロレンスの策を伝えるよりも早かったことだ。
だから彼は悲しみに打ちひしがれた。そして追放されたヴェローナへと足を向けた。最後に一目彼女の顔を見て、死んだことを納得したかったからだ。そして毒薬を飲んで自分も彼女のそばで埋葬されようとしたのだ。
貧しい薬師から毒薬を買いつけ、深夜、ヴェローナに入り込むことに成功する。それからジュリエットの墓地を発見した。
棺桶を開けて、彼女の亡骸を見る。ロミオは彼女が亡くなっても美しく、眠っているようだと述べた(まあ実際に眠っているのだが)。
そしてジュリエットに口づけをして(ふりだよな! ふりって言えよ! 絶対だからな!)それから毒薬を口にしようとする。しかしロミオは手が震えて上手く飲めず、何度も挑戦しようとするも中々上手くいかない。
そんな中、会場から歓声が上がる。『ロミオとジュリエット』は悲劇だ。このタイミングで静まる事はあれど、盛り上がることは無い。
でも、それは本来の話だ。これは改変物。時間の都合と学生に合わせての物だ。予想外のことだっていくらでも起こる。
棺桶の中からジュリエットが蘇った。そして、顔を伏せているロミオに語りかける。
「ねえ、ロミオ。貴方はどうして泣いているの?」
彼女の台詞と共にロミオが振り返った所で、ナレーションが〆の言葉を述べて物語は終幕を迎えた。
体育館の中には拍手が溢れている。舞台袖からクラスの面々が出て来て、全員で手を繋いで横並び、両手を挙げて礼をした。
ステージの幕が下り始める。頭を上げたクラスメイト達。その中で千恵は周りからちょっかいをかけられて、それに笑顔で応えていた。
その光景を見て、彼女が『自分だけが魅力を知っている人』ではなくなってしまった気がした。自分の近くから離れていってしまった気がした。
それ自体は喜ばしい事のはずなのに、素直にそれを受け入れることができなくて……自分のことが気持ち悪くなって、思わず体育館から離れた。
▼
『なに片付けから逃走してんのさ、君は』
「いや、あの……はい。すいませんでした」
彼女は俺が体育館から離れたのを見たらしく、すぐに電話をかけて来た。有無を言わせない様な言葉の圧力に屈して頭を下げる。電話越しで誰も見ていないけれど、普段街中で見かけるサラリーマンみたいなものだ。
彼女はため息を付く。
『まあ別に良いんだけどね。君の役割はいくらでも代わりが効くし、中田君がフォローしてたからから。あとでお礼言っとくんだよ』
「そうだな。言って置く」
『それで? 今君はどこで何してるのさ』
「中庭で……何もしていないをしてる」
中庭には誰もいない。出店などが出ていないし、相変わらず木々で遮られて彼女が良く過ごすベンチには目は行かない。
『このサボり魔め』
「知ってる。お前は、何をしてるんだよ」
『ボクかい? ボクはね、廊下にいるんだ。演劇の後、いろいろな人から声をかけられてね。面倒だったから逃げて来た。君がいるなら校舎裏に行こうかな』
その彼女の言葉に対して俺は上手く言葉を返せなかった。
とてもじゃないが今直接会ってしまったら、情けない自分をより見せつけてしまう気がして嫌だったのだ。
「まあ、来たければ、来てもいいんじゃないか?」
『なに? その微妙な言い方。てっきり快諾すると思ったのに。さてはやましいことしてるな?』
「してねぇよ」
『じゃあ後ろめたい事?』
「してねぇって! 聞いてること一緒じゃねぇか」
『……それぐらいは判断できるだけの知見はあるのか』
「何だよ。今の『意外だった』みたいな間は! それぐらい分かるって」
そう言い返すと彼女が鼻で笑う。
『元気出て来た?』
「元気って、別に今出す必要もないだろ」
『あるよ。だって、』「せっかく会うのに湿っぽい空気になられるのはごめんだからね」
スマホを当てている耳とは逆から囁かれる甘い声。突拍子の無さに驚いて俺は振り返る。そこにいた彼女は微笑を浮かべていた。心なしか足取りも軽く、スキップを踏みながら問いかける。
「びっくりしたかな?」
「まあ、それなりに」
「そ、ならいいか」
俺の隣に立つとベンチに腰をかける。青いプラスチックがギシっと音を立てた。
まあ、それなりに、じゃないだろ……。もっと良い答え方があっただろうに。メンタルが不安定なときとはいえ、彼女がこちらに来てくれたんだぞ。何やってんだよ。
そんな自己嫌悪が思考の底から湧いて出てくる。
「それにしても疲れたー。本当に」
彼女は両手を広げてベンチに更に体重をかける。彼女にしては珍しくどこか大げさな仕草だった。
でも、無理はない。あまりにも突然の代役を完璧にこなしたのだ。その疲労故のことなのだろう。
「お疲れ様。でもすごかったよ。よく練習もしてないのにあれだけ演じられたな」
「自宅療養中に台本を読み込んでいたからね。イメトレだけはばっちりさ。でも正直、緊張に潰されそうだったけどね」
「俺にはそうは見えなかったけどな」
「そりゃあ、あれだけ離れていれば見えないだろう。舞台袖の人たちや、役者陣。特に籠島君にはばれてるかな」
彼女は何気なくそう言ったが、俺にとってはすんなりと流せるようなことでは無かった。今回のこの胸騒ぎの原因は籠島だ。八つ当たりも良い所だが、それは間違いない。あの場所から離れてなお彼の名前を聞きたくはなかった。
「……どうしてそこで籠島が出てくるんだよ」
「うん? だって一番近かったじゃない。役柄的に」
「そうだったな」
そんな当たり前の回答が帰って来て、俺はスムーズに話を繋げなかった。一番うれしい答えではあったはずなのに。夏祭りの時の様な思いは二度とごめんだと、思っていたはずなのに。
「君にしては珍しく他人を気に掛けるじゃないか。籠島君と何かあったのかい?」
「別に、なんもないよ」
「なら良いんだけどさ」
そう何もない。俺がかってに苛立ちを覚えているだけなのだ。彼女が自分のそばにだけいて欲しいなんて想いは、独善的だという事は分かっている。だから彼女にそれを打ち明けるのは嫌だった。
「ねえ、ちょっといいかな」
「良いけどなに?」
「ご褒美でも請求しようかと思ってさ」
「何だよ、それ」
「頑張るために、頑張ったときに何か嬉しい事があったらいいなって、ボクは常日頃から思っている。『当たり前』で済まされるのは辛いんだよ。今日は緊急でいつも以上に頑張ったからさ。君にそういうのを貰ってもいいかなって」
ダメ? と彼女は首を傾げて俺に問いかけてくる。ダメな訳が無い。俺は首を振った。
「そんな訳無いだろ。何でも言って見てくれよ」
「ん? ……なんでも?」
「できる範囲でな」
ちぇー、なんてあからさまに口を尖らせる。
「んー……でもね。こういう時、ボクはどんなことを言っていい物なのか、分からないんだ」
「何だ、言ってくるって事は何かしら目星がついているもんだと思っていたけど、違うのか」
「うん。なんか良いのは無いかな?」
そう言われて俺は少しの間考える。こういったとき何が喜ばれるのか。そんな行動のリストを自分の脳内辞書から引っ張り出してくる。
「ハグとかどうだ?」
「ハグ、ねぇ……。これまたどうして」
「すると疲労感が薄れるとか、そんな話を聞いた気がする」
「これまた理由が曖昧だね。本当はキミがしたいからじゃないのかな?」
「そんなこと無いって」
でも彼女にそう言われてしまうと否定はできない。俺にそのような気持ちが無いという訳ではないのだ。彼女は「まあいいか」と呟くと立ち上がる。俺の目の前に立つと両手を広げた。
「以前君にはご褒美を上げ損ねたからね。お互いに与え合うというと言う事にしようか」
「本当にそれでいいのか?」
「君の方こそいいの? そんなこと聞いてるとボクの気分が変わって『寿司に連れてけ』とか言い出すかもしれないよ?」
「そいつは怖いな」
俺は立ち上がるとこれ以上言葉を交わす事無く、彼女の華奢な身体を抱える。
制服越しに伝わる体温。何気なく置いた手から伝わる髪の感触。風が運ぶ彼女の香りはまるで甘く痺れる毒の様だった。
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