ジュリエットは誰?
俺達はある程度休んだ後に教室に戻って来た。中に入ると練習ができるように後ろに寄せられた机と休憩用に残してある椅子が目に入る。それは朝の状態から変わっていない。
だが、明らかに変化していることがあった。
妙なざわつき。
教室の中で右往左往する男子。
慌ただしくスマホを操作する女生徒。
この場にいる人間全てが、どうも焦燥感に駆られている様に感じられた。
そのうちの一人が駆け寄って来る。早乙女さんだ。彼女も例外ではなくこの場の雰囲気に呑まれているようで、落ち着いてない。
「あ、来たッ! 何してたの千恵! 電話にぐらい出てよぉ……」
「電話? ……ああ、済まない。気が付いていなかった」
彼女はポケットからスマホを取り出して一瞥すると、申し訳なさそうに謝罪をする。こういった所を見ると、彼女も案外浮かれていたのかもしれない。
嬉しいとは思うけれど、早乙女さんの様子からして物思いに耽っている場合ではないか。
「早乙女さん、何かあったの? 騒がしいけど……」
「実は、作美さんが戻って来ないんだよ!」
『え?』
俺と千恵の声が揃う。
早乙女さんの話をまとめるとこうだ。
本番前最後の通し練習を終えて、役者人たちはこの教室で束の間の休息をとっていたらしい。しかし作美はこの場から離れた。それもバッグを担いでだ。
その場にいた籠島には「本番前には戻って来るから」と伝えていたらしい。だが、そろそろ荷物を搬入し始める時間だというのに戻ってこない。
そこで早めに集まった生徒の一定数を捜索に出し、彼女と仲のいい人間には連絡を取って貰っている。
しかし、その両者とも成果は出ていないのが現状とのことだ。
「それは……まずいね。よりにもよって主役が空席になってしまう」
問題はそれだ。今回の脚本は『ロミオとジュリエット』をアレンジした物だ。片割れがかけてしまう事の重大さが分かるだろう。
代役を立てるにしても、台詞はカンペで何とかなっても、振り付けはそう上手くいかない。これでは演劇ではなく音読になってしまう。
「誰だよ。あの無責任女に主役を任せたのは」
「立候補だっただろ? 委員会とか理由付けしてたけど、どうせ色目使いたかっただけ何だろうぜ」
「それな~言えてるわ」
ざわつきの中から心無い声が聞こえて来た。
彼らの言っていることが間違いだとは言えない。彼女が現状としてやっていることは無責任極まりない事なのだ。
でも、引っかかる。俺が接してきた作美真奈という人間はそういう人間だったのかどうか。
彼女に接した時間はそう多くはない。しかし、それでも分かっていることがある。
彼女が仕事を投げ出さなかったと言うことだ。
彼らの言うように打算ありきだったのかもしれない。逆に言えば自分にメリットさえあれば彼女は途中で投げ出さないのだ。
この芝居には作美に大きくメリットがある。ロミオが籠島だと言えば伝わるだろうか。彼女はこの文化祭の準備段階から、(いや、俺が気付いていなかっただけでもっと前々から)籠島に特別な気持ちを抱いている。
だからこのチャンスは逃せない。長々と思い続けて来た想いをより確かにするためには。相手の網膜に自分を焼き付けるためには。
俺には覚えがある。……似たような経験があったからだ。
「早乙女さん、俺も探しに行くよ。見に行ってない場所とかあるかな?」
「いや、それがほとんど見に行ってるんだよ。クラスのグループLINE見た? そこに誰かが探した場所を知らせてるはずだよ」
「おっけー、分かった。千恵、お前は……」
「分かってるよ。先に荷物の搬入だろ。ついでにもしもの時の対応を考えておく」
「ああ、頼む」
壁に背中を預けるとポケットからスマホを取り出す。本番まで時間は無い。これからある場所に出向いて、もう一カ所と回る時間も勿論無い。だから今ある情報を整理して必要があるのだ。各人が吹き出しで示した場所を確認していく。どうやら方針として『木を隠すには森の中』、人ごみの中を探したらしい。
一年と二年生の出し物、三年生の出店の行列。体育館に部室棟。グラウンドとその他移動教室。
これだけ人目に付く場所を探しても見つからない。となれば逆に彼女がいる場所は人目に付かない場所なのか? 何のためにそんな事をするのかは分からない。でもここまで方針が空回りするのだからそうである可能性は十分にある。
捜索されていないかつ、人目に付かない場所。心当たりは二つあった。
「千恵」
「何だい?」
「図書館って何やってるか?」
「図書委員が休憩室として開放してるよ。本の貸し出しもやってる」
「じゃあ今居る奴に連絡取れるか?」
「今? 担当は確か、佐々木さんだったか。なら連絡を取れるね」
となると電話越しとはいえ捜索はできるか。となると残るは――
「連絡取って作美がいるか聞いてみてくれ。俺は別の場所に行ってくる」
教室のドアをガラガラと音を立てて開放すると、最後の心当たりに向けて飛び出した。
▼
最後の心当たり、その場所は屋上だった。
この学校の屋上は出入りこそ自由にできるが、そこまで人は来ない。かつて調べたからそれは確信を持って言える。それに加えてもう一つ理由があった。
人気のない階段を駆ける。最後の一階分までたどり着いた所で汗を拭う。そして、目の前にある黄色のスズランテープを見た。
それはまるで殺人現場みたいに張り巡らされている。なぜこんなことになっているのか、その理由は簡単。この文化祭の間立ち入り禁止だからだ。人目にもつかず、管理もしづらい学校側も労力を省きたかったのだろう。
俺は仮初めのバリケードに手をかけて大股で乗り越えた。カシャカシャという音が良心に訴えかけて来た気がするが気にしない。俺は必要だったから破った。それだけのことだ。
息を整えながらゆっくりと階段を登っていく。この棟最後の踊り場で体を反転させる。そして何者の姿を捉えた。顔は伏せていて分からない。でもこの派手な金髪を持つ人間はそう多くはないはずだ。
彼女は階段に腰をかけて、制服の裾で目を拭っている。でも俺の足音を聞いて、その動作を止めた。一時停止されたテレビ画面みたいだ。
「何、泣いてんの?」
「別に泣いてないし!?」
金髪の少女は上ずった声で言い返す。顔が上がり、その全貌が明らかになる。間違いなく探していた作美真奈だった。彼女は苛立ちをぶつけるように声を荒立てる。
「川田、アンタこんなところで何してんのよ!」
「そのままそっくり返す。もうすぐ劇始まるんだけど」
「それは……」
締まっていた表情が再び崩れ始める。何? この情緒不安定ぶりは……。
困惑しながら彼女の様子を眺めていると、一つ気になる所があった。右足だけが裸足なのだ。左足は上履きと靴下をきっちりと履いているにも関わらず。恐らくここに彼女の精神をぐらつかせた理由があるはずである。
「作美、その脚どうした?」
「……」
だんまりを決め込む彼女に近づく。
見て見れば彼女の足首のあたりは腫れて一回り大きくなっている気がする。サッカーをやっていたこともあって何度か見た事のある症状だった。
「たぶん捻挫だな。その状態でステージに立つのは止めておいた方が良い」
「そんなことアンタが決める事じゃないでしょ!」
彼女は猟犬の様に鋭い目でこちらを見ながら立ち上がろうとする。でも途中で苦痛に顔をゆがめて、また階段に座り込んだ。
「決めるまでも無い。その状態でどうやって演技するんだ。今だってまともに立てなかったろ」
「そうだけど、そうなんだけど……でもっ」
濁点交じりの声で俺に訴える。まるで駄々をこねる子供だ。埒が明かない。
俺はポケットからスマホを取り出して千恵へと連絡を試みる。
「待って!」
腕を掴まれた。作美は階段の手すりにつかまって、無理やり体を立ち上げている。このままでは上手くスマホを操作できない。
「アタシはまだやれる。まだ、まだっ!」
こいつはどうしてここまで、自分の役に執着するのだろう。
ついこの間の衝突。そこでの彼女の考え方は功利的だった。事実上不可能な役は譲った方が全体の為になる。そう考えて動くはずだ。
でも彼女はそうはしない。それは何故か。その理由を考える。
途中、一つ思い出したことがあった。千恵が言っていた台詞。
『ボクのそばにいる怪物にもケーキを上げてみたくなっただけさ』
あれは千恵が話していた思考実験の話だったか。
『功利の怪物』
社会全体の幸福量を重視する功利主義、その考え方を狂わせる存在。
彼女が普段と同じように行動しない理由。それはその公平性を歪ませる怪物の影響下にあるからだ。
では、作美にとっての『怪物』は何か。――考えるまでも無い。『彼』の前ではあからさまにいつも普段と違う行動を取っていたのだから。
せいぜいそれを利用させてもらおう。
「籠島に、頼まれているんだよ」
「浩紀に?」
「そうだ。今頃あいつも必死になってお前を探しているだろうぜ」
「……」
彼女の手からかかる力が弱まる。効果覿面だ。やはり彼女にとって籠島という存在は大きいのだろう。それに俺が逆の立場だったら、千恵に迷惑をかけることになるのなら、自分のエゴを貫き通すことを諦めたはずだ。
そして、俺は最後の布石を打つため口を動かした。
「だから、ここでこんなに時間をかけたくないんだよ。お前だってこれ以上籠島に迷惑をかけたくないだろ。連絡、させてくれないか」
「……分かった」
腕が解放される。彼女はまた階段に腰をかけた。グループに『作美を発見、確保した』と連絡をする。これで捜索に駆り出されている人員も舞台準備の方へ向かうだろう。
でも、まだ問題はある。危機的な状態を脱したわけでは無い。彼女が舞台に立てない事は変わらないのだから。
それをどうにかしなければならない。スマホの履歴、その一番上にある『矢橋千恵』の枠をタップ。通話を開始した。呼び出し音が耳元で繰り返される。それは二回繰り返された所で途絶え、代わりに彼女の声が耳元のスピーカーから垂れ流された。
『もしもし、どちら様?』
「どちら様、じゃない。名前出てたろうが。俺だよ、俺」
『オレオレ詐欺? ターゲットを間違えているんじゃないかな。ボクはまだそんなのに引っかかるほど年を取っている訳じゃ無いよ』
何? なんでこいつこんな時にテンション高いの? 舞い上がっちゃってるの? 何か良い事あったのかいって、聞きたくなっちゃうじゃないかよ。
あんな風にアロハシャツの似合うおじさんには憧れる。なりたいわけでは無いが視る分にはカッコイイ。でも今は関係ない。置いておこう。
「……真也だよ。川田真也」
『うん、知ってた。それで? 作美さんを見つけたんだろう? さっさと連れて舞台に向かって欲しいのだけれど、君はそれぐらい自分で判断できない人間だったのかな?』
「言いたい放題言ってくれるな……。そうしたいのも山々だけど、それができそうにない。実は――」
俺は千恵に事情を説明し、作美が演劇に出ることがないことを説明する。彼女のテンションは説明が後半になるにつれて、冷めていき、終えた所で一度ため息をついた。
「何だよ、ため息なんか付いて」
『付きたくもなるさ。せっかく厄介事から逃れられると思ったのに』
「それは、分かるけどさ」
確かに彼女からすればそうだろう。解決したと思っていたことが再び現れたのだから。
『でも安心してくれ。解決方法は考えてある。そのための準備もさっきした』
「本当か」
『ああ、こんな所で嘘を付いてどうするんだよ』
息を付いた。なら安心だ。彼女が提案するなら間違いないだろう。根拠はないけれど、そう思った。
「それで、どうするんだよ。台詞はカンペで何とかできるけど、芝居はどうすることになったんだ?」
気になるポイントはそこだった。放課後の帰り道で思いついた策はカンペだけ。それ以外の要素は役者だよりになっていたからだ。
俺の問いに彼女は「問題ないよ」と前置きをしてこう続けた。
『だって、ジュリエットはボクがやることになったから』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます