花火

「どう思っているか、ねぇ……。別にどうとも」


 彼女はつまらなそうに答えた。なぜそんなことを聞くのか分からない。そう捉えられる表情をしていた。

 でも俺は問わなければならなかった。そうでなければ彼女を信じることができないからだ。この不信感を抱えたまま日常を送れるだけの度量が俺には無い。


「本当に?」

「本当も何も、今日が初対面――いや、その前にも会ってはいるが、まともに話したのはついこの間だよ」

「そうか。じゃあ続いて聞くけど、どうしてそんな奴を誘おうとしたんだ?」


 元から持っていた疑問の一つをぶつける。

 この言動については二つ理由を考えていた。友人の付き添いか、秀斗にコネクションを作る為かだ。

 この祭りの集まりは早乙女さんが企画した物だ。それは彼女自身が証言している。でもきっかけは千恵だとも言っていた。故に真相がどちらなのか、俺は絞れずにいた。


「ボク自信が誘った覚えはない。誘ったのは郁だ」

「でも早乙女さんはきっかけがお前だって言ってたぞ」

「だろうね。それは間違いない」


 彼女は頷いて肯定する。その後「でも」と再び切り出した。


「郁は勘違いをしている。いや、違うね。郁にはつたえそびれた、と言い変えた方が良いか」

「伝えそびれている?」

「うん、大きな前提条件だ。行動を開始するときに必要な材料を郁は誤認している」


 前提条件、彼女はそう言った。前提が違えば行動も変わる。それぐらい俺だって分かる。では彼女の考えている前提条件とは何なのか。それを知るために俺は次の言葉を促す。


「なんだよ、その条件って言うのは」

「郁は、ボクたちが付き合っていないと思っている。ボクが……片思いをしていると思っているんだ」

「それがどうかしたのか」


 早乙女さんが知っていようと無かろうと、関係ない。秀斗と早乙女さんは付き合いがそこそこ長い。そのことを千恵が知っていれば、早乙女さんを利用して彼を誘ったと考えることもできる。続いて彼女は言葉を付け加えた。


「郁が今回動いたのは、ボクと君をくっつけようとしたからだ」

「前提からすれば、まあ分からなくは無いな」

「それでボクが直接誘うのはハードルが高いと考えて、間接的に誘う事にした。そこで白羽の矢が立ったのが彼、中田君だった訳さ」


 筋は通っている。早乙女さんが俺達の関係を知らないとすれば、そういう風になるとすんなりと受け入れられる。

 それに、彼女がもし秀斗に取り入ろうとするならば、まず俺は誘わないだろう。秀斗は誘おうとしただろうけれど、『一人で来て』とか条件を付けくわえて何とかできてしまう。

 彼女の立てた前提で解かれる式は綻びが無く完璧に思えた。でも、それだけに何か不自然だと思う。いや、不自然だと決めつけている。


 彼女は頭が良い。それも俺より数段上だ。だから簡単に事実を言葉で隠してしまえるのではないか。そう勝手にこじつけて、俺はまた彼女に疑いの目を向けている。

 それでは彼女が白でも黒でも関係なく、黒にしてしまうではないか。酷くみっともない。俺はそんな自分に苛立って、奥歯を強く噛み締めた。


「これで納得してくれるかな?」

「……ああ」


 嘘だ。納得なんてしていない。終着点の無い問答が、自分の求める答えが嫌になったのだ。どうやったら今の自分の気分が晴れるのか分からない。最初に考えていた解消法をすべてこなしても駄目だった。ならば今ここで足掻いてこじらせるよりも、また新しい方法を思いつくまで待った方が良い。そう思った。

 でもそんな俺を見て彼女は眉をひそめる。


「そんな顔で納得したとは思えないんだけど」

「そんな顔って、俺そんなにひどい顔してたか?」

「してるよ。現在進行形で。そんな顔じゃあ君が納得したとも取れないし、ボクとしても気に食わない」


 彼女は眼鏡越しの目付きが鋭い事に気が付いた。どうやら俺の対応が不服だったらしい。それはそうだ。本音で質問する。そして本音で答える。そうお互いに宣言して始めた話だ。それが消化不良の様子では彼女も不服だろう。

 でもだからといって俺がこの胸の内をぶちまけてしまっていいのだろうか?

 この白であって欲しいという希望と、黒であって欲しい疑い。両立しない事象の重なり合いだ。こんな状況で話したとしても、理路整然とした説明はできない。


 いつか彼女が語った『シュレーディンガーの猫』という思考実験を思い出す。箱を開けるまでは事象が確定せず、猫が生死は分からない。

 人は見たいように見て、聞きたいように聞く。事象を確定できないのだから、想像や妄想でそれを補うしかない。今の俺はまさにその状態なのだろう。

 この事象を確定させるためには、箱を空けるしかない。でもその箱を空ける方法が分からない。だから俺はこうして足踏みをしているのだ。


「まだ聞きたい事があるんだろう? 遠慮せずに聞いておくれよ。表情からしてある程度ヘヴィーなものなのだろうけれど、ある程度受け止める覚悟はできて――ん?」


 彼女は自分が手に持っていたきんちゃく袋に目を落とした。そこから白のスマホを取り出すと、俺に「出ていいかい」と問う。特に断る理由もなかったから、というより間が欲しかったから首を縦に振った。

 彼女はディスプレイを一瞥いちべつして、親指で画面上の受話器をなぞる。


「郁、何の用だい? せっかく君の計画通りに二人きりなれたのに、それに水を差すとは何事かな」


 計画通り? 開口一番に言った言葉が引っかかった。

 早乙女さんと千恵の計画。俺とこうして二人きりにすることがか? 思えば早乙女さんはさっき無理矢理秀斗を連行した。テンションが高くて、思い付きで行動する彼女らしい行動だと思っていたが、それは計画の上での行動だったのだろうか。


 それはどうしてだ?


 彼女の目的は秀斗とコネクションを作るためであると考えるのであれば、この行動はあり得ない。この機会に秀斗と二人きりになっていた方が余程合理的だ。無駄な行動を嫌う千恵からすれば考えられない。

 となれば、今回の目的は違う? 彼女の言う通り俺と千恵をくっつけようとした結果なのだろうか。いや、まだ確信は持てない。そうだったら嬉しいけれど……。


「ハハハハッ! 成程、成程! それは取り乱して当たり前か」


 突然笑い出した千恵に気を取られて思考を中断する。彼女はチラリとこちらを見て、また虚空へと視線を戻した。


「そうだな、そのまま中田君に変わって貰って良いかな? こちらも彼に変わる。事情をそのまま伝えて貰おうか」


 そのまま彼女は俺にスマホを差し出した。反対の手で滲んだ涙を手で拭う。何を吹き込まれたか分からないが、笑い過ぎじゃないか?


「なんで笑ってたんだよ」

「いや、君がこんな事をしてきた理由を聞いたからさ。納得したよ」

「何勝手に納得してるんだよ……」

「まあ、君も聞けばわかるさ」


 俺は受け取ったスマホを耳に当てた。こっちはまだ何が何だか分からなくてモヤモヤしてるってのに。呆れながら電話に出た。


「もしもし?」

『ああ、もしもし? オレ。こっちは色々と解決した』

「千恵もお前も、勝手に納得しやがって。こっちはまだ頭ゴチャゴチャしてるってのに……」


 俺は頭をかきながら正面に立つ千恵を見ると目が合った。ニヤニヤと笑ってこちらを眺めている。何がそんなに可笑おかしいんだよ。


『悪い、悪い。ちゃんと話すって、実は――』


 秀斗は今回の事情を語り始めた。

 まず俺に話したこと、千恵の浮気疑惑が根も葉もない嘘だった。なにやら諸事情によって俺を必ず誘わなければならなかったらしい。


 次に秀斗の勘違いの話。

 俺と千恵の関係が良くないと思っていたこと。

 今日で分かれるんじゃないかと思ったこと。

 そして何より驚いたのは早乙女さんが俺を狙っているのではないかと思っていたこと。実際はそんな事は無かったらしいけれど、見る目が無さ過ぎる気がする。秀斗はモテるのに、こういう所は点で駄目だ。よくも悪くも思い込みが強い。今回はそれが裏目にでたのだろう。


「じゃあ、あれか? 今回はお前の勘違いが発端で、俺はその為に付かれた嘘で振り回されていたってことか」

『そう言うこと』

「お前なぁ……」


 ため息をつく。確かに傍から見れば、笑えるような話だったのかもしれない。だが振り回された側としてはたまったものではなかった。

 でも、全ては勘違いで、彼女はこれまで通りの彼女であることが、第三者による情報によって証明された。当初の目的通りではある。……まあ、原因がムカつくものであったが。


「秀斗、この貸しは高く付くからな」

『え? 付くの?』

「当たり前だ、このバカ! 俺がここ数日どんな精神状態でいたと思ってんだ」

『それは、そうだけどさ……』

「うちの店バイト探してたな……。タダ働きでどうだ?」

『ヒッ、それは勘弁してくれよ~。お前の親父さん怖、って何すんだ早乙女! 俺の未来がかかって――』


 秀斗の声が遠くへ離れて、何やら騒がしい声がした。その少し後、女性の声が聞こえ始める。たぶん早乙女さんの声だった。


『そういう訳でさ。真也君、安心していいよ。それと、今日はもう合流しなくて大丈夫だから。二人っきりの時間を楽しんでね~。じゃっ!』


 ブツン、言葉を返す間もなく電話が切られた。手を差し出して来た彼女にスマホを返す。でも目を合わせることがなかなかできなかった。

 結局、彼女は無実だった。一方俺は、周りの情報に踊らされて、彼女を信じることができなかった。それが事実になった。

 後ろめたい。俺はどんな顔をすればいいのだろう。そう言った気持ちが無意識的に表れた態度だった。


「聞いたかな? もう合流しなくていいって」

「ああ、聞いたよ」

「じゃあ、移動しよう。向こうの広場は芝の上に座れたはずだし」


 手首を掴まれ、引かれる。さっきまで向かっていた広場への方向だった。

 彼女の気にしない様な態度で、後ろめたさは更に増していく。


「ねぇ、せっかく面倒な疑問が解消したのに浮かない顔だね? まだ何かあるのかな?」

「まあ、色々あるんだよ」

「へぇ、そう。例えば?」

「例えばってそんなにいくつかある訳じゃ無い。今引っかかってるのは一つだけだ」


 彼女は言葉を投げかけてこなかった。俺の次の言葉を待っているのだろう。包み隠さず、この気まずさの原因を彼女に問いかけることにした。


「お前は、どうして何も怒ったり、不機嫌になったりしないんだよ」

「どうしてボクが怒ったりしなきゃいけないのさ」

「だって、俺はお前を疑って、信じてやれなかっただろ?」


 俺の問いかけに彼女は足を止めた。眺めていた下駄が反対になる。彼女が振り返ったようだ。


「疑ったって良いじゃないか、別に。人間は機械みたいに思考を共有できるわけじゃない。できないから、自分の知っている情報だけで予想する。情報が偏っていれば、そうなるのも必然だろう? 違うかい?」

「違わないだろうけど、そうやって理屈で勘定できないだろ? 感情ってのは」

「そうだね。でも、それは自分が百パーセント悪くない時だ。今回はボクにも非が無かった訳じゃ無い」

「お前に? 何がだよ」


 思わず聞き返す。彼女に悪い所なんて一つもないはずだ。顔を上げると彼女と目が合う。


「ボクは郁に嘘を付いた。君のことを恋人じゃなくて、気になる人だと表現した」

「それがなんだよ。だって、隠すつもりだったからだろ。お前は悪くない」

「でも、今回の発端はそこだ。ボクがしっかりと伝えてれば、せいぜい、質問攻めにあって終わりだった。中田君を誘う事もなく、君が嘘を付かれることも無かったはずだ」

「そんなの、結果論だろ」

「そうだね。結果論だね。でも結果は結果だ。君のだって似たようなものだろう? だから、別に不機嫌になったりはしない。それに、不機嫌になっている時間がもったいない。せっかく来たんだし楽しまなきゃ。今日と言う日は、今日しかないんだから」


 彼女は唇に人差し指を当てて、口角を上げて見せた。

 今日と言う日は今日しかない、ね。違いない。いろいろと手違いがあったけれど、せっかく彼女たちが企画したのだ。楽しまないと損だろう。

 俺はフッと息を吐いて目を閉じた。


「……そうだな。悪い、切り替える」

「うん、それが良いよ」


 ボンッ、と破裂音がして二人で顔を上げた。空には一本の線が揺れながら引かれている。一瞬消えて光の花が咲く。


「やっぱりこれを見ると夏って感じだね」

「……ああ、そうだな」


 一つ、また一つと、光の花は空中の余白を埋めていく。その様子を眺めながら、俺達はゆっくりと指を絡めた。

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