その頃彼と彼女は。

「……もういいだろ、何のつもりだ。早乙女」

「何のつもりって、何?」


 オレは握られた手を振り解いた。早乙女が立ち止まってこちらを見る。分かりやすくニヤニヤと笑みを浮かべて、何かを企んでいるのが透けて見えてくるようだった。

 でも彼女の思惑はオレの予想とは離れていっている。乖離かいりを繋ぎ止める為に声をかけたのだ。


「とぼけるな、お前の狙いは真也じゃなかったのかよ」

「何言ってるの。ますます分からなくなってきちゃったよ。シュー君、もっと分かりやすいようにかみ砕いてよ~。ただでさえ私達そんなに頭良くないんだから」

「あくまで白を切るつもりなんだな? ならお前にも分かりやすくストレートに言ってやる」


 首を傾げる彼女に対してオレは人差し指を突きつけた。


「真也を矢橋から奪うつもりだったんじゃないかって言ってんだよ」


 傍から見れば突拍子の無い、でたらめなことなのかもしれない。でもこれはオレなりに考えた結果である。それに確信を持たせるような言動も彼女はしていたのだ。


  ▲


 遡ること数日前。一学期の最終日、真也をこの祭りに誘う事になった日だ。

 その日は珍しく朝練は休みだったのだが、習慣通りに早起きをしてしまった。だから暇つぶしがてら早めに学校に出向いたのだ。

 部室に顔を出し、午後から使う着替えやらをロッカーに突っ込んでから教室に向かった。校舎も、たどり着いた教室にもほぼ人がいない。当たり前なのだが、こんな時間にグラウンド以外に行ったことが無かったから気が付かなかった。

 自分の席に突っ伏して、まるで世界が滅んでしまった後みたいだ、なんて考えていたのを記憶している。


 居心地は良かったが、そんな時間は長く続かなかった。オレ以外にもこの世界に住人が現れたからだ。相手は察しているとは思うが、早乙女郁と矢橋千恵。並んだ席の二人組。先頭の早乙女は能天気に手を振って「おはよー」と挨拶をしてきた。オレは応えるために上半身を起こす。


「おはよう、早乙女。早いな」

「シュー君だって、なに今日部活無いの忘れてたとか?」

「それぐらい俺だって覚えてる。馬鹿にすんなよ」


 からかう早乙女を軽くあしらって、そのそばにいた矢橋にも「おはよう」と短く挨拶をした。これだけ近くにいて無視するってのはなんだか感じが悪いと思ったからだ。

 矢橋もオレと同様に短い挨拶を返すと、早乙女を横目で見る。


「郁、シュー君って事はこの間言っていた……」

「そうそう、そのシュー君だよ」

「どのシュー君だが知らないがその呼び方は止めろ、早乙女。それと他にまで広めるな」

「いいじゃん別に。減る物でもないんだしさ」

「減るんだよ、具体的に言えば俺の威厳が減る。後輩とかに聞かれたらどうすんだ」

「へぇーそんな事気にしてたんだ。じゃあ今度からはグラウンドでも接触的に声をかけるね」

「気を遣う気が一切ないのかテメーには!」


 思わず声を荒げてしまったが、早乙女は怯える様子は無い。それどころか悪びれる様子すら無い。ケラケラと笑っている。

 そんな俺達の会話を見ていた矢橋はため息をついてから口を挟んだ。


「漫才はもういいかい?」

「漫才じゃない」

「えー、シュー君そんなこと言うのー。いいじゃん、もっとやろう漫才ー。どうせ暇なんだしさ」

「郁、いったん止めてくれ。話が進まない」

「話? ああ、そうだった。そうだった」


 矢橋に窘められて早乙女は頭をかく。

 話とは何のことだろうか。こいつにこういった弄りや日常会話以外の話があるとは思えない。強いて上げるのであれば練習日程ぐらいだが、それだって顧問にでも聞けば済む話だ。その答えが分からない以上は聞いておくべきだろう。


「なんだよ、話って」

「うん、実は~ちょっとしたお願いがあってね。いいかな?」

「頼み? 内容にもよるけど、なんだよ。聞くだけ聞くけど」


 早乙女はチラリと横の矢橋を見て「良かったね」と呟いた。いや、まだその頼みとやらを了承した覚えはないんだけどな。

 でもああいった仕草を見せると言う事は、早乙女では無く矢橋の頼みなのだろうか。なんて事を考えながら早乙女の次の言葉を待つ。


「えーとね。夏休み入ってすぐに夏祭りあるでしょ? そこに私達と行って貰いたいの」

「祭り? これまたどうして」

「いや、私達二人だけで行こうとしていたんだけどね。ほら、ナンパとかされたら面倒でしょ? だから男の子も誘おうって話になってね。知らない人と回るより、知っている人の方が気楽でしょ」

「まあ、そうか。でもなんでオレなんだよ。陸上部の男子に頼んでもいいだろ」

「そんなの決まってるじゃん。目には目を、ナンパ男にはナンパ男を! 陸上部の男子は爽やか過ぎるの」

「喧嘩売ってんのか、この野郎」


 俺はナンパを頻繁にするわけじゃない。告白される数が多いだけで女遊びをしたことは殆どない。サッカーに全力で打ち込んでいる以上、そんな暇は無い。もし仮にやるのであれば体が二つは欲しい所だ。

 なのにどうして真也といい、早乙女といい、ナンパキャラを通そうとしてくるのか謎だった。風評被害も甚だしい。

 まあ、それは置いておく。彼と彼女はそんな事言っても修正する気が無いのは分かり切っているからだ。それよりも気になる所がある。


 それは矢橋の存在だ。彼女には彼氏がいる。それもオレと仲の良い、親友と言っても差し支えない奴だ。それを差し置いて他の男子を誘ったりするだろうか? 俺はこの引っかかりを解消するために探りを入れてみることにした。


「はぁ……まあいいけどよ。他に誘ってる人はいるのか?」

「いいや、まだシュー君だけ」


 彼女は首を振って答えた。どうやら真也は絡んでいないらしい。まだ、と言う事はこれから他に誰かを誘うのかもしれない。だが、彼氏を差し置いてその恋人と遊びに行くのには、罪悪感というか嫌悪感がある。それから逃れるために一つ提案をすることにした。


「じゃあさ、もう一人ぐらい誘ってもいいか? 流石に男女比が傾いてるのはしんどい」

「うん、いいよ。でも条件があるんだ。というかこっちが本題なんだけどさ」


 彼女はオレに再提案してくる。おいおいマジかよ。俺は真也以外の奴らと真也の恋人を相手しなきゃいけないのか? 勘弁してくれって、そんな夏祭りストレスで胃が痛みそうなんだけど。


「シュー君ってさ、真也君と仲いいでしょ? 彼を誘って来てもらえるかな」

「あ? 真也でいいのか?」

「むしろ真也君じゃないとダメ。ここは絶対、マストだからね!」


 早乙女は俺の胸に人差し指を突き立てながらそう宣言した。偶然にもこちらの都合にあったのは喜ばしい。俺はほっとして息を吐いた。でも少し気になる事がある。


「でも真也でいいのか? あいつ、ナンパ男感が欠片もないぞ」

「真也君に求める所はそこじゃないからね。いいの」

「じゃあ真也の役割ってなんだよ。オレばっかり損な役割を任されるのは勘弁だぞ」


 オレが問いかけると早乙女は少し黙ってから徐々に顔を赤く染めて「いやいや」と手を振った。


「言えないってそんなの。恥ずかしいって……」


 早乙女は両手を頬に当てたり、団扇みたいにあおいだりと忙しい。

 え? 何その仕草。これまでにないぐらいに女性らしい挙動だ。こいつとはそこそこの付き合いだけどそんな様子はこれまで見たことはなかった。

 でもオレには言えない恥ずかしいことで、尚且つ矢橋も絡む真也への要求とはなんだ?

 わざわざ俺を使って真也を誘い、何か俺には言えない恥かしい事をさせて、尚且つ現恋人の矢橋も同伴させてやること?


 これまでの情報について整理しながら考えよう。

 まずどうしてオレを使って真也を呼び出すのか。

 普通に考えれば、恋人である矢橋本人が呼び出した方が効率的だ。真也もすぐに頷くだろう。でもそうしないと言う事は、何らかの理由で連絡を取りたくは無い状況にあるのだ。


 そう仮定する。

 連絡を取りたくない恋人同士が集まってすることと言えば決まっている。別れ話だ。これまで真也は『関係は良好』と言っていたが、それは建前だったのかもしれない。

 となればさっきの「よかったね」は「(ようやく面倒な奴と別れられるから)良かったね」という注釈が付くのだ。……女って怖い。


 そこまでは良い。ではなぜ早乙女は恥じらう必要があるのだろうか。

 理由は何となくだが、これまでの付き合いから推察できる。あいつは色恋沙汰に妙な憧れと恥じらいを覚えている。

 今回も同様と考えると、真也に対して何かしらのアプローチを仕掛けるのかもしれない。

 これまでの考えをまとめると、早乙女の狙いは『真也と矢橋に別れて貰い、そのまま自分が恋人になること』になるのだ。

 ……あれ? なにこの修羅場。昼ドラか何かですか? 何でこんなところにオレは巻き込まれているんだろう。


「あ、言って置くけど誘うの失敗したらグラウンドで話しかけ続けるからね~!」

「オレに拒否権は無いんですね……」


 ▼


 それからオレは真也に嘘を付いた。彼女が浮気しようとしているのではないかと。こう言っておけば真也は確実についてくるはずだと考えたからだ。

 結果、想定通りに事は進み、真也は誘いに乗った。想定から外れたのは早乙女だ。彼女が真也の事を狙っているとしたら、ここでオレを引き剥がし、自分と二人きりにする訳が無い。連れて行くなら真也なのだ。


「どうなんだよ。早乙女」


 記憶の振り返りを終えて、彼女に更に詰め寄る。それに対して早乙女は一歩下がって、俺を上目で見ながら答えた。


「シュー君はどうしてそんなこと言う訳? 私がそんな事すると思ってるの」

「場合によってはするだろ。誘ったときも、今日も真也によく話しかけてた。あれは真也に少しでも取り入ろうとしてたからじゃないのか?」

「違う。私は千恵のために彼と話しやすい状態を作ろうと思ったの」

「矢橋のために?」


 オレの考えでは早乙女は自分のために矢橋を利用しているはずだ。なのにその逆の事を口にした。その原因を知るために次の言葉を待つ。


「そう。せっかく千恵が気になるって言ってたんだから、奪ってどうするの」

「気になる……? 何が?」

「気になるって言ったら、決まってるでしょ。彼氏にしてもいいかなーとか。恋人になりたいなーとか、そう言うこと」

「いや待て待て待て。何言ってんだ。お前」

「だーかーら、千恵が付き合いたいって思っているって言ってるの」

「……はぁ?」


 ここにきて明確なすれ違いが生じる。俺は早乙女が真也と矢橋の関係を知っていると考えていた。しかし早乙女はそれを知らされていない。知っているのであればそもそも付き合いたい人なんて表現はしないだろう。なぜなら彼と彼女は付き合っているのだから。

 と言う事はもしかしてオレ、いろいろと勘違いしてたのか?


「……なあ、一応聞くけどさ。早乙女」

「うん?」

「今日は矢橋と真也を別れさせるために企画したんじゃないの?」

「はぁ? なにバカなこと言ってるのシュー君! 私が友達にそんな事を強いる人間だと思う?」

「じゃあお前、真也と矢橋をくっつける為に企画した訳か」 

「そうだって、聞いてれば分かるでしょ」


 俺の中の疑惑は氷解する。微小なこじれをオレの勘違いで拡大してしまった事を理解する。しかし目の前の彼女はどうも納得のいっていない様子だ。事態を把握していないのだから当然なのだが、彼女を蚊帳の外に置きっぱなしにするのは良くないだろう。

 そう考えて俺は彼女にある程度事情を話すことにした。真也にはあまり広めるなと釘を刺されているが、これ以上話がこじれるよりかはマシなはずだ。オレはそう判断する。


「じゃあ、それは無駄骨だったな」

「なんでよ?」

「だって、あいつらもう付き合ってるからな」

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