疑惑と夏祭り。
時が経つのは早いもので、今日はもう終業式。つまりは一学期も最終日だ。式ではどうでもいい教員の話を放送で聞き、ホームルームでも聞き、午前中の内に解散となった。
夏休みに関して言えば、俺の予定は殆ど埋まっていない。授業無し、部活無しで空いた膨大な時間はバイト以外の事はノープランである。
彼女は居るけれど、彼女は自分から積極的に誘うタイプでは無いから、登下校以外で時間を共有ができていない。
でもその大きな要因である期末テストが片付いたので、これからはある程度誘う事ができるはずだ。
そしてこの夏休みを活かし距離を縮めるのだ。そのために、バイトで活動資金を稼ぎつつ、彼女との時間を作っていく。この両者の配分をいい具合に調整しなくてはならない。
では具体的な行動計画を練りながら帰宅準備を進めていると、目の前の背中が反転して俺の机を二度叩いた。
視線を机の中から引き揚げて対面の人物へ向ける。いや、見なくても誰かは分かるんだけど念のためだ。
茶髪の短髪、筋肉質で俺よりも頭一つ高い背丈の男、秀斗が机の前に立っていた。彼は帰宅準備を済ませていたようで、エナメルバッグの肩にかける部分を手に持っている。
「おい真也、ちょっといいか?」
「ああ、いいけど。どうしたんだよ」
「ちょっと頼みがあってさ。ちょっと時間貰えるか」
秀斗は申し訳なさそうに目を細めてそう告げた。
彼がこのような仕草をするのは珍しい。いつもはもっとズケズケと鬱陶しいのに、何か心境の変化でもあったのだろうか。それともそうせざるを得ない状況になっているのか。
どちらかは分からないけれど、困っている友人を放っておくほど冷淡な人間ではない。俺は「まあいいけど」と頷いた。
「今度町主催の花火大会があるだろ? そこにオレと一緒に言って欲しいんだよ」
「なんで俺なんだよ。お得意のナンパで女性を現地調達すればいいじゃんか」
「そう人聞きの悪いこと言うなよ。今回は逆だ。オレが誘われてさ、それも二人同時に」
「なんだ、モテ自慢か。じゃあ俺は帰るな」
「そこをなんとか! オレ達友達だよな!?」
秀斗は立ち去ろうとした俺の肩を掴んで引き留める。手を払って離れようとしたけれど彼の握力は途轍もないもので、このままでは離してくれそうにない。
仕方なく俺は振り返って再び話を始める。
「いちいちそんな自慢をしに来るような奴は友達とは言わないだろ」
「そう言わないでくれよ。流石に多対一じゃオレも気疲れしちゃうって、オレを助けると思ってどうか、頼むよ」
秀斗は両手を合せて俺に頭を下げる。でも俺には彼の提案を受けられない理由があるのだ。
「いや、悪い。俺は行けないよ。お前は知ってるだろうけど彼女がいるからさ。あいつ、人ごみが嫌いそうだから花火大会には誘っていないけれど、だからと言って他の女の子と遊ぶってのは申し訳が立たないだろ?」
「まあ、ごもっともだな」
「だろ?」
俺が同意を求めると秀斗は複雑そう表情を見せた。先程まではお前も同調していたはずだろ? どうしてそんな表情をするのだろう。少し気になる。
「……なんだよ。その顔は」
「いや、その……な。ちょっと言いづらいんだけど聞いてくれるか」
「いいけど、下らない事だったら俺本気で帰るからな」
「それだけは絶対にないから安心して欲しい。というか、さっきのもオレにとっては真剣な事だったんだぜ?」
「はぁ……。まあいいけどさ。それで? 何なんだよ、その言いづらい事って」
彼は「いいか? 真面目な話だからな」と念を押してから手招きした。どうやら耳を貸せと言う事らしい。言いづらい事なのだから周りの奴らにも聞かれたくない事なのだろう。俺は素直に耳を彼に向けた。
こそばゆく感じる小さな声で彼が語り掛けてくる。
「実はだな。誘われた女子二人の中にお前の彼女もいるんだよ」
「え?」
頭が一瞬だけ凍り付く。持っていた筆箱を落としてぶちまけそうになるのを寸前でこらえた。
俺は秀斗から距離を取って正面から見る。目付きからしておちゃらけている訳ではない。残念ながら冗談ではないようだ。
俺はまわりに聞こえないように彼に聞き返す。
「……本当か?」
「ああ、本当だ。ほら、
「早乙女……ああ、
「そうそう。お前の手前、誘いを受けるのはどうかと思ったんだけど、探りを入れる意味でもここは受けておくべきだと思ってな。それでオレは誘いを受けた訳だ」
「……そうか」
頭の中で状況を整理する。なるべく呑み込みやすいようにゆっくりと。
まず事実として(少なくとも秀斗が言っている事として)、あいつは秀斗を誘った。友達であろう人物と共に。
そんな行動を取る彼女の目的として考えられることは二つある。
一つ、友達との付き合い、付き添い。
あいつがそのような事を望むかはともかくとして、友人に頼まれたから秀斗を誘い、誘ったからその場に居合わせることになった。
でも、あいつがそこまで秀斗と仲が良かったとか、相性が良かったかと問われると、これまでそのような仕草が微塵も見えない。
故に、これが目的だとは考えにくい。
そしてもう一つ。これは考えたくはない可能性。
逆にあいつが秀斗にアプローチをかけたいのではないか、という目的だ。彼女は俺の事を好きではないと言っていた。でも、他の人が好きであると言う事は否定していない。俺自身も聞いていないから当然ではある。
もし仮に俺を彼氏としてキープし、気になった秀斗に粉をかけてみる。なんて事を企んでいるのであれば、言わないのが彼女目線では合理的であろう。
この両者を天秤にかけるのであれば後者に傾く。そちらの方が現状にそぐしているからだ。……考えたくはないが。
ただ、断定はできない。今のところは証拠不十分だ。だから、彼女の心理を読み解くためにもここは秀斗の誘いに乗る方が得策だろう。
「わかった。俺も行く」
「そう言ってくれると思ったぜ。親友!」
「都合が良いなこの野郎。俺も人の事を言えないけど」
「まあいいだろ。利害の一致って奴だ。去年の時とは違うんだし、気楽に行こうぜ」
彼は肩を強く叩いた。俺は眉をひそめつつ、彼の言っていた去年、一年生の時の部活勧誘の件を思い出す。あの時は強引に部活に加入させようとする彼と、入りたくない俺とで対立したのだ。
結果として、秀斗はサッカー部へ、俺は部活には入らなかった。けれども、あの時こいつが語り掛けて来なかったらこのように遠慮なく話す友達は居なかったかもしれない。
……それと同時にこいつが頑固者である事を知らなくて済んだのだろうけれど、それはそれだ。
閑話休題。
彼女にどのような思惑があるのか分からない。しかし、それを放置したままでは自分の中で踏ん切りが付かない。今後の関係にも支障をきたすのは目に見えている。だから、このままでいていいはずも無いのだ。
俺は疑惑を抱えたまま、夏祭りに向かう事となった。それ以外の選択肢は残されていないのだ。物事がどう転ぶにしても。
▼
そして迎えた夏祭り当日。今回は屋台が多く出ている神社を集合場所にしていた。俺と秀斗は一足先に合流し、女性陣を鳥居の前で待っている。
そして待つこと十分。階段の下からカツカツと下駄を鳴らして、見慣れない浴衣姿で二人組が歩いて来た。その片割れ、褐色肌の女性が俺達へと手を振る。彼女は早乙女郁。俺とは殆ど面識が無く、せいぜい千恵と隣の席である事ぐらいしか知らないのだ。
でも、それだけ関りが無かったのにも関わらず彼女は物怖じしないで俺に声をかけて来た。
「やっほー、お待たせ~真也君。おまけにシュー君も」
「おまけとは何だ、おまけとは。それとシュー君はやめろ。何か締まらないだろ」
「いいじゃん。なんか親しみやすくて」
そういった二人の馴れ合いを眺めつつ、隣にいた彼女に手を挙げて声をかける。
「よっ、元気か」
「まあ、ぼちぼち……」
「そうか」
反応がいつもと比べて鈍い。他の人がいるから控えめになっているのだろうか。そうだったらいいのだけれど、秀斗が言っていたように疑惑もある。今回のイベントではそれを確かめる目的があるのだ。それを忘れて楽しんではならない。
まあ、だからと言って楽しんではいけないわけでは無いのだけれど。
そんな事を脳裏で意識しつつ、彼女とあいさつを交わすと、早乙女さんが両手を広げてこちらを向いた。
「ねえねえ、真也君。どう、似合ってるー?」
「ん? ああ、俺? ……似合ってると思うよ」
「へへー、ありがと。じゃあさ、じゃあさ! 千恵のはどう?」
早乙女さんは千恵の両肩に手を添えるとその後ろに回った。千恵の姿を改めて見る。
彼女は青色の生地に朝顔の柄が入った浴衣姿。髪型を普段の三つ編みから見慣れないお団子にしている。そして何よりも俺の心を揺さぶったのは、半紙を何枚か重ねて太陽に透かした様な肌。髪を上げた事で露わになったそれが浴衣と共存してお互いを際立たせていた。
俺は見蕩れてしまって、この感動をどうにも言葉で言い表せないままでいる。その状態を破ったのは隣からの刺激だった。どうやら秀斗から肩で小突かれたらしい。
「ほら、何か言ったらどうだよ、真也」
「その、なんだ。……似合ってる」
「どうもありがとう。君の事だからてっきり、馬子にも衣裳だなとか言い出すかと思ったよ」
「素直じゃないなー、千恵は。ここは素直に喜んでおけばいいのに」
「郁うるさい。余計なことは言わなくていいの」
彼女達はお互いを軽く叩いたり押したりしていた。あいつに同姓とはいえ、ここまで仲のいい友達がいるとは驚きである。小さい頃は引っ込み思案で友達も数えるほどだったのに。何というか、成長した子供を見ている気分だ。……まあ、同い年なんだけども。
二人のやり取りを秀斗は二回手拍子をすると、彼女らに口を挟む。
「じゃあ、お二人さんそろそろいいかな? このまま入口で溜まってるのもなんだし、中に行こうぜ。オレ、部活帰りだから腹減っちゃってさ」
「私もー」
「わかった、行こうか。君もいいよね?」
問いかけてきた千恵に俺が頷くと、四人で鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れた。提灯に照らされた屋台が立ち並ぶのが見える。俺達を含め多くの人がその間を行き来していた。
何か目星を付けようと隣の彼女らよりも高い背丈を活かして視線を動かす。
「焼きそば、お好み焼き、フランクフルト。それにたこ焼き辺りが丁度いいかな」
「よし。じゃあオレ、焼きそば行きたいわ。お二人さんは?」
「私たこ焼き~」
「ボクもたこ焼きでいいかな。君は?」
隣の千恵が俺に問いかけて来た。
「俺は焼きそばにする。たこ焼きだといまいち足りなそうだからな」
「そう。なら一度別れる事にしようか。ボクと郁はたこ焼きに、君たちは焼きそばに並んで確保したのちに合流しよう」
「ちょっと待って、千恵。それは駄目」
千恵の言葉を前に手の平を付き出して、早乙女さんが遮った。千恵は首を傾げて彼女に聞き返す。
「? どうして」
「それは決まってるじゃない。私達だけで何かあったらどうするの。声かけられたりするのは面倒だし、万が一って事もあるでしょ。それに……」
途中で早乙女さんは言葉を途中で止めて千恵に耳打ちをする。その途中千恵は眉をビクッと動かした。
「……成程、分かった。確かにそうした方が良いかもね」
「でしょ?」
「なになに~、何の話? オレにも教えてよ」
「女の子だけのナイショの話。あんまり首突っ込むと嫌われるよ、シュー君」
「そっか、じゃあ止めとく」
彼は身を引いて、手を頭の後ろで組んでから俺の事を見た。
「じゃあ、男女一人ずつで分かれるのね。じゃあオレと真也、早乙女と矢橋でジャンケンして勝ち同士、負け同士で分かれればいいよな」
「それも駄目。シュー君は私、千恵と真也君で分かれるよ」
「えー、なんでだよ。俺だって矢橋と話したいー」
「なに? 私とじゃ不服だっての」
「痛い、痛い、痛いって! 耳引っ張るなよ。どうしてそんなに拗ねるんだよ~」
「シュー君が余計な事を言うからだよー」
言い争いの末に早乙女さんが秀斗に一方的に体罰を加えられている。まあ自業自得とも取れなくはないが、流石に一方的にやられ続けるのは見ていてなんかかわいそうだ。
俺は二人の間に割って入る。
「早乙女さん、その辺にしておいてやって。こいつも悪気があっての事じゃないんだ」
「そうだね。この辺にしとく。引っ張る耳が無くなったら困るし」
「そういう心配なんだ……」
彼女がパッと耳を離すと、秀斗は自分の耳を労わる様に撫でた。つねられた部分が赤く色づいて痛そうだ。
「秀斗、お前も無理にことを荒立てるなよ。早乙女さんには何か理由があるんだろう」
「そうはいってもだな、お前いいのか?」
「何が?」
聞き返すと彼はハァとため息をついて俺に耳打ちをする。
「だって、オレと矢橋さんが二人きりになれば彼女の化けの皮を剥がせたかもしれないだろ」
「お前……」
俺よりも今回の問題について考えている。確かに目的だけを考えるのであれば、秀斗と千恵を同じメンバーにした方が良い。彼女が秀斗に取り入ろうとしているのであればこのタイミングで仕掛け始めてもおかしくはない。
「今なら間に合うぞ。早乙女だってお前が言えば――」
「いや、今は止めておく。悪いな、いろいろ考えてくれてるのに」
「そうか、オレは良いけどさ。お前さえ良ければ」
彼の口が耳元から離れていく。
結局俺は自分の利益を優先した。彼女による不利益を暴くよりも、一緒にいられる時間を優先した。まだ関係を続けていたいから、自分が傷つくのが怖かったから。理由を上げれば無限に挙げられそうな気がする。
その理由全てを並べたうえで客観的に自分を見ると、ただただ臆病であるという事実しか浮かばない。この臆病さが吉と出るか、凶と出るかは分からない。でも、現段階では吉が出ることを信じるしかできないだろう。
だから、自分にとって都合の良いようになっている仮定して動くことにしたのだ。
「なに話してるの、シュー君」
「いや、男同士のナイショの話」
「えー、何それ」
「お前らもやってたからいいだろ? ほら行こうぜ。えっと、たこ焼き二つでいいんだよな」
秀斗は俺から離れると、早乙女さんの背中を押して先を歩いて行く。そんな彼を名前を呼んで足を止めさせた。彼が振り返る。
「なんだよ、真也」
「さっきはありがとな、機嫌良いから焼きそば奢ってやるよ」
「マジで!? サンキュー。じゃあ俺の分三個頼むわ!」
「調子乗んな、このバーカ!」
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