140 天を割る剣

 マナウの上空を飛ぶ竜神の背中で、真たちは焦っていた。

 水の災厄魔は、壊れた蛇口のように水流を垂れ流し続けている。

 川は氾濫し、もうもうと立ち上る霧で、マナウの地域は真っ白に染まっていた。

 

「竜神、下に降りてくれ!」

『足元が見えないよー』

「マナウのことなら、私がよく知っている。あそこに降りるんだ!」

 

 イロハが指差す方向に向かい、リーシャンは慎重に降り立った。

 霧の中に、うっすら建物の陰が見える。

 竜の背中から飛び降り、イロハは勢いよく扉を開く。

 

「誰か! 皆、無事か?!」

  

 建物の中に駆け込むイロハを追って、真たちもリーシャンから降りた。

 マナウの都は静まりかえっており、濃い霧で周囲が覆い隠されている。

 

「……イロハ様」

 

 居間のソファーでぐったりしている年配の女性神官が、真たちを見て起き上がろうともがく。

 顔色が悪く、息が浅い。

 立ち上がることもできないらしく、イロハが駆け寄ると同時に倒れ伏した。

 

「メイリン!」

「お帰りなさい、イロハ様。そしてどうか、あなただけでも逃げてください……」

「我はマナウの守護神だぞ!」

 

 まるで母親のように慈愛に満ちた眼差しをしている女性神官に、イロハは泣きながらすがり付く。

 メイリンという女性神官は、イロハの黒髪をそっと撫でた。

 

「あなた様は流浪の神。本来ひとところに縛られないもの。今までマナウを守護して下さり、本当にありがとうございました。さあ、お行きなさい」

拒絶いやだ! やっと……やっと、帰るところを見つけたというのに、また失ってしまうのか! もうひとりで放浪したくないのだ!」

 

 イロハの悲壮な叫びが、聞いている者の胸に響く。

 大地は、蒼白になっていた。

 

「……この国も、滅びてしまうのか。行くところ行くところ、こういうのばっかじゃねえか。俺は疫病神なのかよ……」

 

 地球を滅ぼす片棒を担いでしまった悔恨が、大地の心をさいなんでいる。

 

「大地、大地! 諦めないで!」

 

 白いウサギが、大地の頭の上で足踏みする。

 

「僕は海神スサノオ。水を司る神でもある。僕の力を使えば、霧を退けることとも可能だよ。大地、君が力を貸してくれるなら」

 

 スサノオはピョンと床に飛び降りた。

 イロハがその言葉を聞いて、すがるように大地とウサギを見た。

 

「本当か? 頼む、ダイチ、この国を救ってくれ」

「……」

 

 皆が大地の答えを待っている。

 無理だ、と答えたい。

 手痛い失敗をしてしまったのだ、もう一度失敗したらと思うと、足が震えて動けない。

 きっと断る方が楽だ。できると言ってできなかった時の責任を負わなくて済む。

 

「俺にはむ、ぐはっ」

「そうか! やってくれるか! やっぱお前はヒーローだな、大地!」

 

 いきなり真が、大地の背中をバンと叩いた。

 断ろうとしていた大地は、途中で咳き込む。

 

「ダイチ、感謝する!」

「え? え?」

 

 この時ばかりは、ちょっと抜けているイロハを、誰もが心の中で称賛した。イロハは目をキラキラさせて大地の手を握る。振りほどけずに絶句する大地。

 

「あはは! 大地、いい加減、覚悟を決めようよ!」

 

 白いウサギが楽しそうに笑った。

 

「もうそろそろ、過去を乗り越える時だ。あの黙示録獣の前で、世界の行く末よりも自分の命と、僕を助けることを優先した君は、とても人間らしかった。その選択が間違いだと糾弾されたとしても、何も選択しないよりはずっと良い」

「スサノオ……待て!」

「さようなら、大地。優しくて弱い人の子。僕はずっと君と共にある」

 

 慌てて止めようとする大地の手の先で、白いウサギは淡い光になって消えた。

 同時に、メッセージと共に新たなステータスが開示される。

 

 

 城山 大地 Lv.909 種族:神族 クラス:海神の騎士

 

 

 一気にレベルが上がった。クラスは聖騎士から変化している。

 しかし、せっかくステータスが上昇したというのに、大地は愕然としていた。

 スサノオが消えた付近を見て立ちすくんでいる。

 

「……おい! ここにいるのか、皆?!」

 

 建物の外から、夜鳥の声がした。

 その呼び掛けに、大地も他の面々も我に返る。

 慌てて建物の外に出た。

 

「夜鳥さん、枢たんは?!」

 

 真っ先に飛び出した心菜が、第一声で枢について聞く。

 夜鳥は首を横に振った。

 

「あいつは、まだ災厄の谷だ……大地、枢からお前に、届け物。これも神器の一種なんだと」

「枢さんから、俺にっすか……?」

 

 夜鳥が鞘に入った剣を、大地にぽいと放る。

 大地は反射的に剣を受け取った。

 鞘から剣を抜く。

 それは刀身にくびれが入った両刃の長剣だった。

 鉄色の刃はうっすら緑がかって、濡れたように光っている。

 

「神器・クサナギ。日本神話とスサノオと言ったら、これだと枢がフィーバーしてたぜ。あいつも大概オタクだよな」

 

 夜鳥が苦笑しながら補足した。

 

「その選択が間違いだったとしても、何も選択しないよりは、ずっと良い、か……」

 

 スサノオを言葉を思い起こして、大地は剣の柄を握りしめる。

 少し心が軽くなった気がした。

 白いウサギのつぶらな瞳と、ほのかな温もりを思い描く。

 最後まで大地を肯定してくれたスサノオ。その好意を裏切りたくない。

 確かにもう、前を向いても良い頃合いだ。

 

「俺が壊した地球の未来を変えたい……手始めに、この国を救ってやるっすよ!」

 

 神器・クサナギを天にかかげる。

 スキルの使い方は、自然と分かった。スサノオが教えてくれているのだろうか。

 

「このつるぎは雲を断つ!  雨雲割撃シエルディバイド!」

 

 クサナギから光が沸き上がる。

 霧が蒸発し、天空を貫く光の柱が現れた。

 大地が剣を振り下ろすと、光は雲を割り、周辺の霧を一気に消し飛ばす。暴風が吹き、マナウの建物の前に立っている黄色い旗がバタバタと風にはためいた。

 

「空が……青空が見える」

 

 それは久し振りの青空だった。

 霧が全て晴れた訳ではないが、大地たちの周囲は霧が消え去り、雲が無くなっている。

 遮るものの無い陽光が、人々の上に降り注いだ。

 

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