106 不死の魔物

 心菜の姿をした何者かは、俺の問いにニッコリ笑った。

 

「残念です。枢さんの恋人になって、デートできると思ったのに」

 

 その姿は揺れて消え、代わりに現れたのは銀髪に珊瑚色の瞳のダークエルフ。

 

「冗談が過ぎるぞ、シシア」

 

 なぜシシアがここにいるのか。

 唐突に地球に現れた時と言い、謎が尽きない。

 だが重要なのは本物の心菜がどうなったか、だ。

 

「心菜はどこにいる?」

 

 俺はシシアから距離を取って訊ねた。

 

「ああ、あのウジウジ情けない女なら、ブチ殺してやりましたわ」

 

 上品そうなシシアから「ブチ殺す」という危険な言葉が出てきた。顔と台詞のギャップが半端ない。これが隠していた、この女の本性なのか。

 

「……それが本当なら、お前を許さない」

「怒らないで下さい。あなたのセーブポイントスキルのおかげで、心菜は今頃アダマス王国にいますよ。ちょうど魔神ベルゼビュートの侵略が始まっているところでしょうか」

 

 シシアはさらっと答えた。

 俺のスキルをどうして知っているのか、狙って心菜を「死に戻り」させたのか、聞きたいことは山ほどある。

 だが悠長に問い詰めている時間はない。

 一刻も早く黒崎を倒して、アダマスに引き返す。

 シシアへの尋問は後回しだ。

 

琥珀封呪アンバーシール!」

「不意討ちのつもりですか?」

 

 前触れなく放った俺の封印魔法を、シシアは華麗にかわしてみせた。

 

「ごきげんよう、枢さん。地球とアニマが完全に統合した暁には、あなたを新世界の神にしてみせますわ」

「どういう意味だ?!」

 

 シシアの姿が揺らいで消える。

 ここは転移魔法が使えないはずなのに、どうやって逃げたんだ?

 呆然としていた俺たちだが、夜鳥が我に返ってこちらを見た。

 

「近藤、心菜ちゃんは……」

「どこにいるか分からないが、探すより先に邪魔な黒崎を倒すぞ」

 

 シシアの言葉が本当かどうか分からない。アダマスに戻って心菜がいるか確かめたいが、今すぐは無理だ。

 天井からドン!と衝撃音が聞こえてくる。

 椿と大地が、黒崎と戦っているらしい。

 

「リーシャン、天井に穴を空けてくれ! 一気に上に行く!」

「りょーかいっ!」

 

 元のサイズに戻ったリーシャンが、天井に向かって光のブレスを吐く。

 空まで届く光の柱が、黒崎の城を地下から天辺まで貫いた。

 

 

 

 

 その頃、椿と大地は、魔神ベルゼビュートとの戦闘を開始していた。

 

氷雪庭スノウガーデン……凍結弓矢ブリザドアロー!」

 

 椿は魔法で、氷の薔薇を城の床に這わせる。

 広間の床に咲いた薔薇の花から、鋭い氷の刺が次々と矢のように放たれた。

 領域魔法「氷雪庭」により、薔薇が生み出す「凍結弓矢」は、氷雪庭が消滅しない限り強力な威力が持続する魔法だ。

 

「冷たっ! 椿さん、これじゃ俺が動けないっすよ!」

 

 大地が足踏みしながら文句を言った。

 枢の「盾運魔法式」と同様、この手の永続魔法は無差別に発動するため、味方を巻き込む恐れがある。通常は集団戦闘では使わない。

 椿は大地の方を見ず、ただ魔神ベルゼビュートだけに意識を集中する。

 

「大地、あなたは見物してなさい! これは私の戦いなんだから、手出しは無用よ!」

「そんな~」

 

 ベルゼビュートは、氷の矢を受けてもノーダメージらしい。

 苛立たしそうにサソリの尾を振って、氷の薔薇をなぎならった。

 

「……その戦い、待ったーっ!」

 

 突然、ベルゼビュートと椿の間に、不敵な笑みを浮かべた男が割り込んでくる。武器も防具も持たない身軽な格好で、片耳にピアスを付けた軟派な雰囲気の青年だ。

 

「真さん?!」

「黒崎、俺に協力しろって言ったよな。協力してやるよ」

 

 枢の幼馴染みで、さらわれて人質にされたはずの小早川真の登場に、椿と大地は動きを止めた。

 ベルゼビュートも警戒するように真に問いかける。

 

「……どういう風の吹き回しだ?」

「あんたの本当の目的が分かったんでね。俺は正直、地球の存続に興味はない。枢と心菜ちゃんが無事なら、それで良いんだよ」

「……」

「俺が枢を説得してやろうか」

 

 ベルゼビュートと真は、ギャラリーをかやの外にして話を始めた。

 椿は苛々する。

 

「なんで、どいつもこいつも私の邪魔をするのよ」

「落ち着いて下さい、椿さん。というか黒崎なんか諦めて、俺とゴールインしましょうよ」

「うるさい! 雑魚の癖に、私の前に立つんじゃないわよ! 凍結弓矢!」

「うわっ、俺たちを殺す気っすか?!」

「弱いのが悪いのよ。枢の仲間だろうが、知ったことじゃないわ!」

 

 大地が慌てるが、椿は構わずに魔法を放った。

 

「……っ」

 

 魔神ベルゼビュートの前にいる真に、氷の矢が殺到する。

 真は防御も回避もしない。

 無防備な体を複数の矢が貫き、赤い血が派手に飛び散った。

 戦闘職ではないクラスの真にとっては致命傷だ。

 

「真さん!!」

 

 大地は蒼白になる。

 しかし真は、口から血を流しながら笑みを浮かべた。

 

「サンキュ、椿ちゃん。これで手間が省けた……俺の必殺技、体力交換いかさまだぜ」

 

 真の足元から、スキル発動の光が上がる。

 

「まさか、貴様……ぐあっ!!!」

 

 命がけの交換は成就し、スキルの効果で魔神ベルゼビュートの体力が瞬時に一割になった。視界の端に浮かぶ敵のHPバーが、通常の緑色から瀕死の赤色に染まる。

 ベルゼビュートの体が床に沈むのを、椿は信じられない気持ちで見た。

 

「嘘……栄治……?」

 

 口元を抑えて絶句する。

 魔神ともあろうものが、こんなに呆気なく倒れるだろうか。

 

「念のため、止めを刺すっす」

「やめて!」

 

 大地が、長剣をベルゼビュートの体に振り下ろす。

 

「手出し無用と言ったでしょ!」

「……ちゃんと言いましたよね? 俺は椿さんが好きだって。恋敵に譲ってやるほど、俺は心の広い男じゃないっすよ」

 

 冷たい怒りを宿した大地の視線に、椿は思わずたじろいだ。

 大地が長剣をひねると、ベルゼビュートの残りHPがゼロに近付く。

 

「おい大地、やめろ!」

 

 真が制止するのを、大地は笑い飛ばした。

 

「こいつは敵じゃないっすか。情けを掛ける必要はどこにも無いっすよ」

「違う! そうじゃなくて」

 

 なぜか焦った表情で止めにかかる真。

 魔法で大地を吹き飛ばして止めればいいのに、椿は幼馴染みの窮地を目撃して酷く動揺し、冷静な判断が出来なかった。

 

「お願い、止めてーーっ!」

 

 ベルゼビュートのHPがゼロになる。

 

「あははははっ、ざまあみろ魔族め!」

 

 高笑いする大地。

 真が「やっちまった」と額に手をあてる。

 呆然とする椿の前で、ベルゼビュートの遺体が黒い塵となり、空中に舞い上がった。塵は一点に集まり黒い炎となって燃え盛る。

 

『礼を言う、愚かな人間。大地とやら。これで俺はまた一段、高みに登ることができる……』

 

 黒い炎が渦巻く空中から、魔神ベルゼビュートの声がした。

 三人の前で、黒い炎は巨大な魔物の姿を再構成する。

 人間の半身と蟲の節脚、翼とサソリの尾を持つ魔神の姿へと。

 

「だから止めろって言ったんだよ。大地の奴、ひとの話を聞かねえ」

 

 真が吐き捨てた。

 呆然としている椿の視界に、よみがえった黒崎の簡易ステータスが表示される。

 

『魔神ベルゼビュート Lv.4042』

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