97 蒼雪妃

「椿は俺が守ってあげる」

「約束だよ、えいちゃん」

 

 幼い頃、少年と少女は指切りを交わした。

 おそらくはもう覚えてはいない。

 椿だけが約束の幻影に縛られている。

 

「椿ちゃんは俺が守ってあげるよ」

 

 だから、大地のその言葉に椿は果たされない約束を重ね、理不尽にも激怒したのだ。

 

「どうせ男なんて約束を守らない生き物なんだから!」

「え? ど、どうしたの?」

 

 おろおろする大地を、氷壁の中へ放り込む。

 やってしまってから後悔した。

 人の好い大地をいいように利用しながら、その優しさに甘えている事を、椿は自覚していた。行き場のない彼女を救ったのは、大地と枢だった。

 さらに大地は蒼雪峰まで付いてきてくれたのだ。

 地球の話ができる相手は、大地しかいなかったのに、衝動に任せてとんでもないことをしてしまった。

 しかし、もう遅い。

 

「これで良かったのよ、どうせ近藤枢とその仲間は敵なんだから」

 

 そう、自分に言い聞かせた。

 

「永治のことを考えるのは、もう止めよう。私は蒼雪峰の女王。異世界の吸血鬼カミーリアこそ、本当の私だったのよ」

 

 雪で出来た棺の中には、もう一人の椿が眠っている。

 異世界で吸血鬼の女王として生きた、カミーリアの肉体が。

 椿は棺に手を伸ばす。

 

 

 

 

 氷に閉じ込められた大地を見て気が変わった俺は、吸血鬼の少女フレアの案内のもと、椿のもとへ向かっていた。

 今は螺旋階段をくるくる登っているところだ。

 思い出すのは「もう一人の自分と統合する」件について。

 俺はクリスタルと合体するなんてエグいと遠慮したが、椿は吸血鬼の自分と合体したんじゃなかろうか。そして完全な魔族になってしまった。

 

 想像を裏付けるように、背の高い黒髪の女性の後ろ姿が見えてくる。

 

「椿!」

 

 バルコニーに立って外の景色を見下ろしていた女性が振り返った。

 椿の面影を宿しながらも、椿ではない。

 セーラー服の少女は成熟した女性へと成長していた。

 床に打ち寄せる波のような青いドレスをまとい、深紅の瞳をこちらに向ける。純白の肌に、艶やかな黒髪。雪の結晶の飾りが付いた略式の王冠を額に嵌めている。

 まるで映画に出てくるプリンセスのような佇まいだ。

 

「その名前で呼ばないで。私はカミーリアよ」

 

 不機嫌そうに彼女は言う。

 俺はあえて名前を連呼した。

 

「椿椿椿椿……」

「嫌がらせなの?!」

「そうだ。大地を氷から出すまで呼び続けてやる」

 

 俺と椿は険悪に睨みあった。

 

「カナメ殿、吸血鬼の女王と知り合いなのか?」

「ああ?」

「蒼雪峰のカミーリアと言えば、有名な吸血鬼の女王だが」

 

 サナトリスが困惑した様子で言う。

 俺は眉をしかめた。

 

「知らん。俺が知ってるのは、すぐ頭に血が登ってやらかす馬鹿椿だけだ」

「だから私はカミーリアだってば!」

「別人だと主張するなら、大地を殺してみろよ? どうせ氷に入れた後、後ろめたくてズルズルそのままにしてるんだろ」

「!!」

「図星か」

 

 椿の顔に動揺が浮かぶ。

 

「……根拠もないことを、偉そうに。白蝿の羽音並みに耳障りだわ。叩きつぶしてあげる」

「やってみろよ」

 

 その瞬間、壁を這ってきた氷の薔薇を、俺の火炎魔法が吹っ飛ばした。

 

「カ、カナメ殿! 屋根が消し飛んだぞ!」

「風通しが良くなっていいじゃねえか」

 

 椿と俺の魔法がぶつかりあった余波で、天井と壁が壊れた。

 外の雪風が舞い込んで、視界が白くなる。

 雪が晴れると、崩れた壁の向こうに例の氷壁が見えた。

 あ、危な……氷漬けの人間と一緒に壁を割ってしまうところだった。

 それにしても、さっきのは予想より強力な魔法だったな。咄嗟に俺も手をゆるめずに火炎魔法を使うしかなかった。

 今の椿のレベルは……?

 

『ツバキ Lv.980 種族: 魔族 クラス: 蒼雪妃』

 

 鑑定の結果に、俺は密かに気を引き締めた。

 予想通り称号に「超越者」が付いている。それにレベルが接近している。昨日今日Lv.900台になった奴に負けるつもりは無いが、万が一ということもあるだろう。

 

「カミーリア様、こんなところで戦えば、氷の貯蔵庫が壊れてしまいますよ!」

 

 爆風になびく髪を押さえながら、フレアが叫んだ。

 氷の貯蔵庫って、あの氷壁のことか。……待てよ。

 

「……場所を移しましょう」

 

 忌々しそうに提案する椿。

 俺はその提案を一笑に付す。

 

「何でだ? もう死んだ奴らの事を、気にかける必要ないだろ」

「え……?!」

 

 椿は愕然とした。

 

「あなた大地を助けたいんじゃないの?!」

「お前が助ける気がないなら、諦める」

「は?」

 

 俺は聖晶神の杖を召喚した。

 無言で大地属性の呪文を思い浮かべる。それだけで、地面が揺れて、洋館の壁に亀裂が追加された。

 

「異世界の俺は、数えきれないくらい人の死を見てきた。アダマスの存続のために多くの人間を犠牲にした。今さら、この程度の人数の死を気にかけるとでも?」

 

 冷たい表情を作って畳み掛けると、椿は蒼白になった。

 

「……人間を守護する光の七神とは思えない言葉ね」

 

 実際は割りきれずにクリスタルの中で悶々としていたのだが、そこはそれ。今は言う必要がない。

 力加減に細心の注意を払いながら、大地属性の魔法を使って山脈の一部を崩す。小規模の雪崩が俺たちのすぐそばを駆け抜けていった。

 青い氷壁にピシリとヒビが入る。

 

「止めて!」

 

 椿が膝から崩れ落ちながら叫ぶ。

 

「殺さないで……!」

「……分かれば良いんだよ」

 

 これ絶対、俺が悪役だよな、と思いながら勝利宣言をした。

 

 

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