53 暁を呼ぶ鐘

 心菜の奴、もう亡霊で影とはいえ、マジで異世界の両親をぶったぎるなんて……これは怒らせると本気で怖いな。俺は冷や汗をかく。

 カインは斬られた腕を抱え「何故だ」と大変動揺している様子だった。

 

「ここで待っていれば望みのものは全て手に入ると、そう仰っていましたよね。魔神ベルゼビュートさま!!」

 

 虚空を仰いでカインは絶叫した。

 ベルゼビュートさま、だって……?

 

『……愚かな。小娘ひとり手に入れられないとは、所詮はその程度か』

 

 空中に不気味な目玉が現れ、しゃべった。

 聞き覚えのある声の調子。

 黒崎の声だ。

 

『最後に少しは役に立ってもらおうか。俺の力を少し分けてやる』

「う……ああああああっ!」

 

 カインの身体が膨張する。

 背中から腕が四本生え、身体全体が巨大化した。

 額から角が伸び、鬼人の様相になる。

 

「グルル……」

 

 鬼人は理性を感じさせない獣の眼差しで、俺たちを見回した。

 黒崎はカインを魔物に変えてしまったのだ。

 

『再会の挨拶がまだだったな、近藤』

「黒崎、お前は!」

『なぜ怒る? お前たちにとってカインは邪魔だったろう』

 

 目玉が俺を見て言う。

 

『俺は神聖境界線ホーリーラインを崩し、この世界を魔界に変える。世界を守るため、この俺が頂点に立って支配するのだ』

 

 黒崎もとい魔神ベルゼビュートは「世界を守るため」と言う。

 動機はともかく手段が物騒すぎる。

 

『俺の世界に近藤、お前は不要だ。ここで退場してくれ』

 

 ザザとブラウン管に走る砂嵐のようなエフェクトと共に、声は途切れて目玉が消えた。

 俺はセーブクリスタルだった時の第三の感覚で異変に気付く。

 

「あいつ、結界を閉じていきやがった!」

 

 黒崎は、亡霊の国ウェスペラを囲む結界を、魔法で外側から突貫工事して埋め立てたのだ。俺たちが中から出られないように。

 

「てやっ!」

 

 心菜が斬撃を放って魔物と化したカインの肉体を切り裂く。

 余波で地面が割れ、勢いで鐘塔の柱が切れた。

 

「ああっ、すぐに再生します!」

 

 胴体が千切れそうになったにも関わらず、カインはまばたきする間に元の身体に戻った。

 

「たぶん無限に再生するぞ。ここはもう俺たちをどうにかする罠の中だ」

 

 俺は足元に落ちてきた鐘を拾いながら言う。

 心菜が慌てて駆け寄ってきた。

 

「どうするんですか枢たん?!」

「一旦逃げよう」

 

 寝かしてきた大地たちやリーシャンが気になる。

 俺は心菜に手招きして、一緒に走り始めた。

 後ろから唸り声をあげてカインが追ってくる。

 それどころか、街のあちこちから気色悪いゾンビに似た魔物が出現して、大挙して押し寄せてくる。

 

「大勢のお客さんだこと。こういうの、千客万来って言うんだっけな」

「枢たん、落ち着き過ぎです! 何か考えがあるんですか?!」

 

 心菜は俺の近くに来た魔物を斬り倒しながら言う。

 俺は拾った鐘をかかげて聞いた。

 

「なあ心菜。この鐘って、この国の神様が宿ってたんじゃないか?」

「え、ええ。虹の女神イーリスさまの鐘ですけど」

「儀式とかで鳴らしてた? いつもどうやって鐘を鳴らしてたんだ?」

 

 途中まで、いざとなったら自力で結界を破壊して出ようと考えていたのだが、黒崎が絡むとなると俺が力負けする可能性が出てきた。

 作ったり守ったりは得意だけど、破壊は得意じゃないんだ。

 となるとやっぱり、ウェスペラの神の力を借りたい。

 

「ええと、鐘塔に付いている取っ手を引くと、鳴る仕組みだったような」

「鐘塔は壊れたし……意味ねーな」

 

 俺たちは心菜の実家、フリースさんが留守番する家に飛び込んだ。

 大地たちはまだ寝ているようだ。

 何かに守られているのか、家の中は静かで魔物の気配はない。

 門を閉めて扉の内側に椅子やテーブルを置き、即席のバリケードを作る。

 

「ちょっと待って下さい」

 

 心菜は俺から鐘を受け取り、着ている巫女服の裾でごしごし錆びを拭き取り始めた。

 

「枢たん、持ってて」

 

 ある程度綺麗になったところで、心菜は俺に鐘を持たせる。

 心菜は鞘に入ったままの刀を持って俺の前に立った。

 

「イーリスさま。お寝坊さんが過ぎます。そろそろ起きてください。心菜の愛刀で斬っちゃいますよ」

「脅迫かよ……」

「私がレナだった頃、毎日毎朝お祈りしてきました。今こそ、そのお祈り積み立て預金を解放してください!」

 

 いったいどうするのか不思議に思っていたところ、心菜は鞘に入ったままの日本刀で鐘をガンと叩いた。

 神様が宿る鐘なのに、武器で叩くとか、不敬極まりないな……。

 ホウキで叩いた自分を棚に上げてそう思った。

 ちなみに、俺がセーブクリスタルこと聖晶神をやってた頃、信者や神官にこんな手荒な真似をされたことはない。

 

「ん……?」

 

 鐘からボトンと、何か床に落ちた。

 虹色の鱗の蛇だ。

 

『痛いよう。私の巫女、狂暴すぎるよう……』

 

 ぼそぼそ小さい声で泣く虹色の蛇。

 俺はしゃがみこんで蛇をつまみ上げた。

 

「お前が虹の女神イーリス?」

『そうだよう……』

「声が小さくて聞こえねー」

 

 ずいぶん衰弱してしまっているらしい。

 抵抗の気配も見せずにビローンとなっている。

 

『役に立たない神で、ごめんねぇ……』

「イーリスさま、心菜たちを助けて下さい」

『もうあんまり力が残ってないけど、残った力を全部、聖晶神さまにあずけるね……』

「俺を知ってるのか?」

『有名だから……』

 

 イーリスはくねくねした後、光を発して姿を変えた。

 頂点に虹の輪が付いた、柄の長い杖が現れる。

 神器・虹神イーリスの杖。

 

「――おれは此の魔法式ねがいの真値を世界に問う」

 

 淡い虹色の光彩を放つ杖を握りしめ、俺は夜明けを想い描きながら呪文を唱えた。

 

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