52 無敵の想い*

 俺は外に出て神殿を目指した。

 あたりは灰色のモヤが掛かっていて、街並みがモヤの中で揺らいでいる。大通りに人の姿はなく、奇妙な静けさが辺りを支配していた。

 見上げると猫の爪のように細く尖った月が浮かんでいる。

 

「神殿は……ここか」

 

 箱型の無骨な造りの神殿だ。アーチ状の出入口と窓が並んでいるが、数は少ない。明かりの射し込む場所が少ないから、内部は暗いだろう。

 出入口からは、まるで暗闇が沸きだしてきそうな空気があった。

 俺は覚悟を決めて足を踏み入れようとしたが、見えない壁に阻まれる。

 

「痛っ、立ち入り禁止かよ!」

 

 神殿の内部に入れないように、結界が張られている。

 

「こんなもの」

 

 俺は魔力を帯びた拳で結界を殴った。

 バリンと音を立てて見えない壁が崩れる。

 しかし……。

 

「復活した……キリねーな」

 

 瞬時に元通りになった結界に、俺は舌打ちした。

 窓から入ろうかと周囲を見回していると、背後の広場の中央に立つモニュメントに気付く。

 高い柱が四本立っており、頂点に錆び付いた鐘がぶら下がっていた。

 

「……心菜は確か、"暁に鳴る鐘"ウェスペラと言ってたような」

 

 国名に付く枕詞は、大抵その国の神様関連だ。

 例えば俺の国は、聖なるクリスタルの国アダマス。

 クリスタルに宿る聖なる意思、すなわち俺。

 

「あの鐘、この国の神に関係あるのか……?」

 

 柱の根元に近付いて確認するが、天辺まで遠すぎて手が届かない。

 鐘に触るのは諦めて、再び神殿に向き直る。

 

「心菜ーーっ!」

 

 深夜に大声出してすみませんね。

 

「そこにいるんだろー!」

 

 神殿の内部から、かすかに感じる心菜の気配。

 俺は彼女に届けと声を張り上げる。

 ついでにボスが出てきてくれれば、手間が省けて万々歳だ。

 

 

 

 

 心菜は、カインの手を叩き落とした。

 

「馬鹿にするんじゃないですよ!」

「レナ」

「私はそんな名前じゃない! 心菜の心は枢たんのものなんだから! 枢たんは、ぜーーったい、あなたなんかに負けないんだから!」

 

 素手でも戦おうと、心菜は身構えた。

 その時。

 カランカランと鐘の音が響いた。

 

「これは、虹の女神イーリスの鐘の音……?」

「馬鹿な! 街の亡霊たちも、外から来た奴らも皆、眠り込んでいるというのに、いったい誰が鳴らしているんだ?!」

 

 カインは慌てた様子になると、心菜の腕をつかんで「来い!」と引っ張る。神殿の外、鐘の様子が気になるが、心菜を置いていく訳にはいかないようだ。

 

「痛い! 離して下さい!」

 

 剣士として筋力を鍛えているはずの心菜が引きずられる。

 カインは魔族になって相当に力を付けたらしい。

 神殿の表まで強引に連れ出された。

 

「……心菜!」

 

 神殿前の広場の中央、鐘塔の前にたたずむ人影。

 

「枢たん!」

 

 それは心菜が心配していた、恋人の枢だった。

 

「貴様、なぜ眠っていない? 何か特殊なアイテムでも持っているのか?」

 

 カインが眉をしかめて聞く。

 

「まさか。単純に俺の方が強いってだけ。お前程度の魔族の魔法なんて効くかよ」

 

 飄々と答える枢。

 カインに捕まっている心菜を見て、ちょっと心配そうな表情になったが、それだけだった。落ち着いて堂々としている。

 腕をつかむカインの力が強くなる。

 

「……僕は百年、力を蓄えてきたんだ。百年以上、彼女を想い続けてきたんだ!」

 

 カインが片方の手を大仰に振り払う。

 その途端、無数の剣や槍が空中に浮かんだ。その中には心菜の愛刀もある。

 

「消えろ!」

 

 剣や槍が雨のように降り注ぐ。

 

「何だと……」

 

 しかし雨のように降る武器は、枢の周囲で向きを変えて地面に突き刺さる。枢は針山を無造作に蹴った。バラバラと武器が崩れ落ちる。

 

「百年? こっちは千年だっつの」

 

 憮然と言う枢の台詞の意味は分からない。

 文字通り、千年クリスタルになっていたなんて、そこまでは心菜は聞いていなかった。ただ、図太い感じが枢たんらしいなあ、と何となく思った。

 

「よっと」

 

 枢は腰を折り曲げて、心菜の刀を拾い上げた。

 

「心菜、使え!」

 

 何か魔法を使ったのか、枢が投げた刀は、キラキラと光の粒子をまといながら心菜の手元に飛んでくる。

 心菜はしっかりと刀の柄を握りしめ、邪魔なカインの腕を切った。

 

「百年が何?! 心菜の気持ちは億年分あるんだから!」

「くそっ、レナ、お前の両親が泣いているぞ!」

 

 黒い血液を流すカインの斜め後ろに、レナの両親の亡霊が立っている。

 両親の亡霊は涙を流していた。

 

『カインならお前を幸せにしてくれるから結婚を許可したんだ』

『お願い……考え直して』

 

 異世界にいた頃の両親の言葉に、心が揺れないと言えば嘘になる。

 それでも生前の両親なら「考え直せ」と説得してきたりしないと思う。

 彼らは風変りな考え方をするレナを理解しようとしていた。前世の恋人について語る娘に困っていたけれど、一方的に意見を押し付けたりしなかった。

 だからこれはカインに操作された、ただの亡霊だ。

 心菜は深呼吸をして、刀を構える。

 

「私の幸せは、私が決める! 時流閃!」

 

 白い光をまとった斬撃が、黒い過去の影を消し飛ばした。

 

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