50 偽りの幸せ
「もうこうなったら、枢たんを殺して私も死にます!」
「ええっ?!」
涙目の心菜が過激なことを言い出したので、俺は一層混乱した。
「女性の一生に一度の結婚式! ウェディングドレス姿は真っ先に枢たんに見せたかったのに! なんでこんなことになっちゃうんですか?!」
いや、だからこっちが聞きたいって。
「こうなったらあの世で結婚するしか……!」
純白のウェディングドレス姿で日本刀を鞘から抜く心菜。
ひえーー……。
「両親を苦しめてもいいのかい?」
銀髪紅眼の男が、邪悪にほほ笑みながら言う。
心菜の刀を抜く動作がぴたりと止まった。
「ウェスペラで死んだ人々の魂は、今やこの俺の所有物だ。彼らを永遠に苦しめることもできる」
「卑怯者……!」
「何とでも言えばいい。君さえ受け入れてくれれば、僕らはここで永遠の幸せを手に入れることができるのだから」
呆然としていた俺だが、男の台詞で状況が掴めてきた。
おそらく奴が魔族のカイン。
この亡霊の街を作り、異世界の心菜の両親や友人をここに閉じ込めている。
「枢たん!」
「は、はい?」
心菜は刀をしまうと、俺をキッと見た。
「私は必ずカインを倒してお父さんとお母さんを解き放ちます! だから終わるまで、枢たんは大人しく首を洗って待っていやがれです!」
「いや俺お前を助けに来たんだけど……」
思わず俺は弱気になってもごもごした。
心菜は颯爽とドレスの裾をひるがえし、神殿の奥に去っていく。
カインは俺を見て冷笑した。
「ウェスペラへようこそ、異世界の客人。せいぜい、ゆっくりしていってくれたまえ」
なんだその余裕は。
唖然としているうちに、二人は神殿の中に消えた。
「……」
「大変なことになったなあ、枢っち」
真が俺に同情するように言った。
「どうする? のんびり観光を楽しんでみる?」
「……俺にも怒る権利あるんじゃね」
「まだそこ?! 枢っち大丈夫?」
ちょっと混乱していて何が何だか分かってない。
恋人が偽装とはいえ勝手に結婚式してたら普通に怒らないか。だが心菜の涙目が視界に焼き付いていて、あと一歩で怒る気分になれなかった。なんで「助けて」と言わないんだよ、心菜。
俺はそんな頼りないか。
「カナメ……カナメさんとおっしゃいましたか」
神殿の前で立ち止まっている俺たちに、紺色の神官服を着た少女が話しかけてくる。
「私はレナの妹の、フリースと申します。姉のお知り合いですよね。良かったら我が家に泊まっていかれますか?」
レナ? 妹?
今いち頭が働いていない俺の代わりに、真が返事した。
「はいはーい! ぜひ泊まらせてほしーです! ほら行こうぜ枢っち」
「真?」
「しっかりしろよ。まずは情報収集だ。心菜ちゃんと別れ話がしたい訳じゃないだろ」
真は俺の腕を引っ張ってずんずん歩く。
俺たちはそのまま、貴族らしい心菜の実家に泊まることになった。
心菜の異世界での名前は「レナ」と言うらしい。
フリースさんは親切にいろいろ教えてくれた。
「姉は昔から、自分には心に決めた人がいるのだと言っていました。前世の恋人が忘れられないのだと。こっそり妹の私には彼の名前を教えてくれたんです。カナメさん、あなたの名前を」
ウェスペラの風習で、花嫁の両親は結婚式前後の数日は神殿に泊まるらしく、留守番をしているフリース以外の家族の姿はなかった。
おかげで俺たち五人を泊めても問題ない。
「俺の名前を? フリースさん、あなたは信じるのか? 俺がその、お姉さんの言っていた人だって」
俺はフリースさんと向かい合って話をした。
フリースさんは絹のような金髪に淡い水色の瞳をした、落ち着いた雰囲気の綺麗な少女だった。
「私はここが死後の、幻の世界だと自覚しています」
「!!」
「自覚のない人もたくさんいるようですが、私はなぜか分かるのです。私はもう死んでいて、これは夢なのだと。だからカナメさん、あなたが姉の言っていた人だと信じられます。さきほどの姉とあなたの会話を聞いていましたが、あんなに生き生きした姉を見たのは初めてですよ」
心菜は異世界でどんな生活をしていたのだろう。
俺のことを話してるなんて、そうとう妹のフリースさんを信頼していたに違いない。
「カナメさん、姉を、私たちを、この世界から救ってください」
フリースさんは俺をまっすぐに見て頼んだ。
「姉はずっとあなたが好きだったから、結婚しなかった。その結末を捻じ曲げる不自然な世界が、あっていいはずがない。姉は今度こそ幸せになるべきなんです」
「フリースさん……」
「できれば私たちの生きている間に、カナメさんとお会いしたかった。ですが……こんな亡霊になってしまってからでも、姉の楽しそうな姿を見られて良かったのかもしれません。カナメさん、カインの偽りの幸せが永遠に続く世界よりも、あなたと姉の本当の幸せに満ちた終わる世界を見せてください。それが私たちウェスペラの民の、真の願いです」
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