第69話 SS 第55話プリクラの裏 ウィルフレッド視点

サロンからの帰り道、プリクラ前後の若君視点です。


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 目が覚めてから、ずっと後悔している。いや、本当は朝からずっと後悔している。

 自分の愚かさに、バカさ加減に。


 今朝、つまらないプライドでナナを傷つけた。

 ナナにだけは知られたくなかった。触れてほしくなかった。出来損ないだと思われたくなかった。心配などされたくなかった。

 どうしようもなくカッとして、押さえられなくなった。


 そんなゴミみたいなプライドで、よりにもよってナナを、しつこく言い寄る女にするのと同じような――いや、それ以下の扱いをした。これでもかというほど、傷つけた。


『俺を愛してたんだ?』

 そんなこと、みじんも思ってないくせにバカなことを!

 万が一にでも肯定してほしかったのか?

 なんて浅ましい。

 あんな口づけなど、するつもりはなかった――いや嘘だ。本当はめちゃくちゃにしてしまいたかった。いっそ嫌われたかった。憎まれてもよかった。

 半端でしかない俺が、彼女の心に爪痕を残せるなら何でもよくなってたんだ。

 それぐらい頭に血が上っていた。

 だが、代わりに引っかかれたのは俺の方だった。――タキに、寸でのところで救われた。


 思わず突き飛ばしてしまったナナの小さな姿が、瞼から消えない。


 だがナナは、そんな俺を文字通り命がけで守ってくれた。

 誰も越えられないと言った壁を越え、俺を救ってくれた。

 俺は、彼女にどう報いればいいんだ。


 何事もなかったかのように優しくされることに、どうしていいのかわからない。この娘が絡むと、なにもかもが、如才なくこなすことが難しくなる。


 ナナは、日本に来れば魔獣につけられた傷もすぐに癒え、ゲシュティの力も無効化されると言った。そうは言っても、ガラス越しに見えた彼女の体は傷だらけだった。

 髪も男のように短くなった。あんなにきれいな髪だったのに。いつも触れてみたかったかったあの髪が、俺のせいでなくなった。いつも触れてみたかった頬からは血を流していた。

 ナナの親友からは、きっぱりと俺のせいだと言われた。否定などできるはずがない。

 無意識に歯を食いしばり、グッと拳を握りしめる。

 後悔なんて言葉ではとても足りない。



 それでも彼女の美しさは損なわれていない。

 それどころか、日本にいるときの彼女はとても無邪気で、さらに美しさを増した気さえする。


 ふと、ゲシュティで最後に見た光景を思い出す。

 今朝オリバーから、ナナには好きな男がいるのだと聞いた。

 まさかと思った。俺を好きではなくても、少なくとも彼女の心の中にはどんな男もいない。そう思い込んでいたんだ。

 だが彼女を守る男がいた。

 そのことが悔しい。


 その男の口づけを愛しむような仕草に、胸の奥が焦げ付く。

 本当はナナを守るのも、彼女に口づけるのも俺だけのはずだった。そう信じたかった。できないことは分かっていたのに、どうしても諦められなかった!


 葉月の提案で明日はデートだ。おそらくナナは、そうは思わないだろうが。

 それでも、何もなかったかのようにふるまうのが彼女の望みなら、表面だけでもそうしよう。

 そう決意したのに――。

 ふいに、ナナに触れようと思えば触れられることに気が付く。

 この、カーテンに仕切られただけの狭い空間。

 二人しかいない世界で、息をすることさえ苦しい。


「ナナ」


 彼女の名前を呼んで頬に触れる。

 ナナの目には今、自分しか映っていない。

 引き寄せられるようにそっと唇を重ね、その柔らかさを堪能したのはほんの一瞬だ。拒絶されなかったことに、歓喜と希望で胸が震える。


 だが唇が離れるとナナは目を伏せ、次の瞬間には何もなかったかのようにふるまった。

 まるで今あったことが幻だったかのように……。

 呆然として、抱き寄せることさえできなかった。何も言葉が紡げなくなった。


 今のは俺の幻想だったのか?

 それとも、この空間でキスをすることは、この世界では普通のこと?

 もしやこんなことは日常で、慣れてる?


 いや、ナナはそんなじゃない。絶対に違う。


 だけど、何もなかったようにふるまわれることが苦しい。



 ――――ナナを愛してる。


 突然自分の心の中で、その気持ちがはっきりと形を表した。

 今までも好きだと思ってた。可愛いと思ってた。


 違う。

 誰よりも美しいと思う彼女を、心の底から愛してる。


 俺馬鹿だ。本当に大馬鹿だ。

 ゲシュティの力が消える世界なら、いっそあの朝を消し去ってしまいたい。

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