第49話 大事な話
早朝鍛錬場に着くと、私にいち早く気付いたオリバーさんから、昨日の餃子もおいしかったとご機嫌な声で言われた。若君たちも食べてくれたようだ。よかった。
「昨日は全然お話もできなくてすみません」
「いや、ずいぶん頑張ってたね」
若君の優しい笑顔にコクリと頷く。
「ウィルフレッド様、今日は最後の試合ですよね。頑張ってくださいね」
今日若君のいるチームが勝てば、若君の総合優勝だ。
「うん、ありがとう。――あのさ、ナナに一つ頼みがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「今日勝ったら、一つだけ俺の願いを聞いてくれないか?」
「何かご希望のご飯を作るとかですか?」
首をかしげてそう言うと、若君は少し困ったような笑顔で首を振った。
「それは勝ってから言う」
「はぁ。よく分かりませんがわかりました。私にできることでしたら」
いったい何を言われるのやらと不安に思いつつ了承すると、若君は嬉しそうににっこりと笑った。
「あの、実は大事な話があります」
話し出すと、私の緊張を感じたのか若君はその表情を引き締めた。
「私は外しましょうか」
そう言って離れようとするオリバーさんには、
「いえ、大丈夫です。オリバーさんは若君が一番信頼されてる方ですもの。一緒にいてください」
と引き止める。
大丈夫、いえ、きっと大丈夫だと信じたい。
力を見せようと決めたため、緊張で口の中がカラカラだ。
今日は若君の最後の試合の日だ。本当なら明日以降のほうがいいと思う。でも今朝は胸騒ぎがして仕方なく、今思いきることにした。この判断が正解かどうかもわからないままに。
「話そうか、ずっと悩んでいたことがいくつかあるんです」
「うん」
「十日ほど前ですが、若君の写真を訓練場で見つけました」
「写真?」
首をかしげる若君と、驚くオリバーさん。
「精巧な姿絵のようなものです。レンズで姿を写すのですが、ゲシュティでは写真は魂を取ると言われ、三十年ほど前に禁じられています」
「聞いたことはあるが、その写真に俺が?」
「はい、訓練場で魔獣像に挟んでありました。実際の影響は分かりませんが、もしかしたら写真を傷つけることで、若君に害をなそうとした可能性があります」
あのドロリとした悪意を思い出し、ぶるっと震える。
「見つけたものは保護をかけ、安全な場所に保管しました。でも、もしかしたらまだあるかもしれません。探そうにも小さいものなので……。ですので、どうか気を付けてください」
誰かが悪意を持っている。それに対してどう気を付けろというのだろう。
それでも、もし何かあったら知らせてほしいとお願いした。
「わかった。ほかにも何か?」
「はい。力について、今私が自分で試していることを二つお見せします」
私はタキを抱いたまま、大きく息を吸った。
「一つ目です」
「ナナ?」
「消えた?」
顔色を変え、大きく目を見開く若君とオリバーさん。若君はそっと一歩踏み出すと、そっと私がいる方へ手を伸ばしてきた。
「ここにいます」
すぐに姿を表すと、若君はその伸ばした手を止めゆっくりと下ろす。
「今のは、一体」
「これは水と光を使って、私の姿をまわりの景色に溶け込ませているんです。私の姿は消えてましたか?」
「ああ、消えてた。驚いたな。水と光だって?」
「はい、そうです。実際には消えたわけではなく、見えにくくしています」
空気中の水分を増幅して膜を作り、光の屈折で周りの風景に紛れ込ませるカムフラージュだ。
意味が分からないという顔をしたオリバーさんと、怖いくらい真剣な顔の若君。
私は決心が鈍らないよう、もう一度深呼吸をした。
「では、二つ目をご覧に入れますね」
そしてひと呼吸してスカートをまとめた後、トンッとジャンプした。高さは十メートル強。城壁を十分に超えられる高さだ。
そこから空気の抵抗を調整しながら着地をする。
「これは私の脚力ではなく、風の力を自分にかけたものです」
私が知る限り、風の力を使う人は起こした風で何かを飛ばすことしかない。だから自分を飛ばすなんて発想自体がないのだろう。オリバーさんは唖然とし、若君はわずかに目を見開いている。
「飛んだ?」
「まだ飛ぶではなく跳ぶですね。でも方法を探せば飛ぶこともできると思っています。――私の国では、空を飛ぶ乗り物もあるんですよ」
声が震えないよう、タキの温もりに意識を集中させる。
鳥のいないこちらの国で、空を飛ぶのは虫と魔獣だけだ。人が飛ぶなんてありえないし、空飛ぶ乗り物なんて想像もつかないだろう。昔、魔獣を手懐けて空をかける勇者がいたという話もあるけれど、おとぎ話という認識だ。魔獣は人に懐きはしない。
若君は小首をかしげつつ、
「これは、俺にもできるということだろうか」
と言った。
「はい、若君の力なら可能なはずです」
私の説明にオリバーさんは難しい顔をした。
「ナナの独特の発想は、外の国で育ったからなのかい」
「はい。あちらでは色々なことが違います。力はないけど、科学というものがあるんです」
もっとも、私にとっての発想のヒントは映画や漫画、小説といったフィクションがほとんどだから、科学を語るのはおかしな話なんだけど。
「力がないことの想像がつかないね。しかもナナは、恐らく我々より力が強いくらいじゃないか」
「それは私の使い方が皆さんと違うのが大きいと思います。それにこんな力、向こうに戻れば全く使えませんよ」
「それが分からない」
困った顔でも馬鹿にしないオリバーさんに、私は少しだけ微笑んだ。すぐに否定したり蔑まれないことが、本当に嬉しい。
それでも私はこのあとのことを考え、唇をキュッとかみしめる。
「でも実際、私の話は散々バカにされたり笑われたりしました。下手に力を見せたら、人から恐れられることもあります。ソラは小さな町だし、祖母のおかげで私の耳に入ることは少なかったけど、貴族ではあからさまに蔑む人も少なくなかったです」
「まさか」
「私は――魔獣に飲まれた娘の子だから、半分は魔獣なんだって」
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