第38話 私の気持ち
早朝の散歩が習慣になっている。
警備の人ぐらいしかいない早朝は静かで落ち着くし、実験にも適しているからだ。
選定式の混乱は、新しい上級仕立て士、つまりひよっこの私がいることでクララ様の玉がモイラに行ったのだろうということで落ち着いた。
多少の混乱はあったものの陛下とクララ様のモデルも無事完成し、今はデザインのための細かい打ち合わせに入っている。
今日も周りに人目がないことを確認し、風の力を応用して城壁の上までジャンプする。本当は飛ぶのが目標なんだけど、まだ跳ぶに近い。
光の屈折を使って姿を見えなくしているつもりだけど、実際にはどうなのかはまだわからないしね。誰かに協力を仰ぐにしても、もう少し確実にしてからにしたい。とはいえ問題になっても困るから、慎重にしなきゃいけない技術でもあることはわかってる。
城壁の一部に立つと、下のほうの広場にいつもの光景が見える。
若君が早朝の鍛錬をしている姿だ。誰もいない時間、一人の時もあるし、オリバーさんが一緒の時もある。今日は二人だ。
剣を打ち合うと音が響くからだろう。今日は魔獣に見立てた、投げられる光の玉を剣で叩き切っている。それでも、ここまで風を切る鋭い音が聞こえそうだ。
時にオリバーさん相手に打ち合いをしていたり、居合切りのようなことをしていることもある。
剣を持っているときの若君の姿は鬼気迫るものがあって、ご飯を前に小犬のように嬉し気にしているときとは別人のようだ。
あの選定式から十日ほど、私は若君と直接顔を合わせていない。
そもそもお互いすることが違うから、すれ違う事さえほとんどない。
私が若君たちの朝の鍛錬を見つけたのは偶然だけど、なんとなくこうしてこっそりと、毎日少しだけ見学するのが習慣化している。
数日前に行われたチェスのような頭脳戦ゲーム、ロステクラで、若君は優勝したそうだ。スカッシュのような、ボールの代わりに小型の模擬魔獣を相手にした試合もほぼ優勝確定だろうと聞いている(たぶん今はその練習ね)。
「若君、頑張ってるね」
胸に抱いたタキに、こっそりとささやく。
ふと、若君と目が合った気がしてドキッとする。やっぱり見えてるのかなぁ。一度聞いてみたほうがいいのかもしれない。
周囲を確認して、人のいないところにふわりと降り、若君のいる広場に入って行った。
これが部活なんかだったら、スポーツドリンクとタオルを差し出すところかしら。そんな光景が目に浮かび、自分に苦笑する。
「ここは日本じゃないし、若君は友達でも何でもないのにね」
入ってすぐに、殺気ともいえるような鋭い若君の視線が走った。でもすぐにそれは霧散し、
「ナナ!」
と喜色満面の笑みで呼ばれる。
「どうしてここに?」
稽古を中断して私のほうに走ってきた若君は、ニコニコしながらそう聞いてくる。
「散歩していたら、ウィルフレッド様がいるのが見えたので来てみたんです。お邪魔でしたか?」
私は、何も知らないふりでそう尋ねた。
「いや。そろそろ一休みしようと思ってたところだから」
そう言って、私の頬に手を伸ばしてくるけど、しっかりバリアを張ってあるのを感じたらしく、若君は少し笑って手を下ろした。
ふむ。やっぱり目が合ったように見えたのは気のせいみたいね。
じゃあこれで、と立ち去ろうとしたものの、なぜかオリバーさんからもう少しいてほしいと拝まれるように頼まれてしまう。タキも私の腕からすり抜け若君のそばに行ってしまうので仕方なく、少しだけということで、若君と一緒に休憩することになってしまった。なぜかオリバーさんはどこかに行ってしまうが、まあ、すぐに戻ってくるでしょう。
「久しぶり、ナナ。――会いたかった」
どんな細かい変化も見逃さないかのような目で若君にじっと見られ、つい俯いてしまう。これは、さすがにちょっと恥ずかしい。
あの夜以来、私はなぜか「テイバー様の心を射止めた女性」として噂になってしまったのだ。全部否定してるのに、誰も聞いてくれない。
そんなこと、有り得ないのにね。
「ご活躍の噂は聞こえてきてますよ。ロステクラの優勝おめでとうございます」
「ありがとう。ナナと約束したからね」
子どものようにニコニコ笑う若君に、ついつられて笑ってしまいそうになるのを慌てて押さえて、少し微笑む程度にする。
若君が試合の前に、必ず手の平、親指の付け根あたりに口づける仕草が色っぽいと、めちゃくちゃ話題になっていた。それは私がしたおまじないの影響だと思うんだけど、冷静に考えると顔から火が出るんじゃないかと思うほど恥ずかしい。
あの夜、私は夢を見た。
すごく楽しい気持ちで眠りについたのに、見たのは初めてこちらに来て迷子になった時や、何度か魔獣に襲われそうになったときの記憶。そのとき助けてくれたのは全部警邏のお兄さんなのに、夢の中では若君に変わっていたのだ。
目が覚めて涙が止まらなくなり、声を殺して泣いた。
クララ様から
『テイバー様の恋人なんでしょう』
と言われたとき、それはあなたのお姉さまですよって言いたかった。私が好きなのはテイバー様ではなくウィルフレッド様ですと思わず答えそうになって、そんな自分にショックを受ける。
私は子どものころから、ただ一人の人と恋をするのが夢だった。
ただ一人の人と出会って、恋をして、結婚をして。そして、そのただ一人の人と一生愛し合って生涯を終える。そう、母のように、ただ一人の人とだけ。
警邏のお兄さんのことは今でも大切。大好き。でも若君のことを考えると、涙が止まらなくなる。
どうしてこうなったんだろう?
陛下が言うように、私に婿に来てくれる男性が必要なのと同様、次期領主の若君は、後継ぎのために嫁に来てくれる力の強い女性が必要だ。若君が半身を失っているために、相手の女性の力の強さはかなり重要だという。
身分以前に、絶対に一緒にいる将来なんてありえない相手。
若君に恋をしたら、その瞬間失恋だって知っていた。
――私は、刹那的な恋はいらないのだ。一時的な恋も、遊びの恋もいらない。
おかしいな。なんで恋しちゃったんだろう。
彼を守りたいって思ってしまったから?
彼が、いっぱい笑わせてくれる人だから?
彼を――尊敬してしまったから?
わからない。大好きなんて言葉は合わないと思う。でも、恋をしている。
そんな気持ちを、私は持てあまし続けている。
この想いは、きっちり封印しなくてはいけない。
表に出してはいけない。
もしばれたら、若君との気楽な関係は終わるだろう。私にご飯をねだったり、素直に笑ったりする、そんな彼の時間を奪うことになってしまうから。
それは、彼を守ろうと思う誓いに反してしまうもの。
ふと、若君の視線が私の手にくぎ付けになっていることに気づいた。
「どうかしましたか?」
「指輪……」
何かショックを受けてるような声でそう言われ、自分の右手を見る。
この中指の指輪が、何かあったのだろうか?
「ああ、これ試作品なんです」
「試作?」
「前にくず石を買ったじゃないですか。あれで作ったんですよ」
すっと外して、若君の手のひらに乗せる。
私には少しサイズが大きいので、落ちないよう手をグーにしたままだったのだ。
「クラバットと組み合わせようかと思うんですよね。スカーフリングみたいに」
指でつまんで指輪をのぞき込む若君を見つつ、クラバットにつけたときを想像する。カフスボタン以外に何ができるか考えたとき、刺繍を施したクラバットとリングを組み合わせたら、力の操作が楽ではないかと考えたのだ。
服を変えても、カフスより気楽につけ変えられるかな、と。
「太目に作ったつもりなんですけど、もっと太いほうがよさそうですねぇ」
幅が五ミリ以上は余裕であるのだが、実際男性に持たせてみると、女性のスカーフリングなら可愛いけどクラバットには細そうだ。このまま指輪に直そうかしら。
「指輪ではないの?」
「失敗作だから、このまま指輪にしてもいいかなと思ってます」
「ふーん」
返してもらおうと思うのに、なぜか若君はずっと指輪を角度を変えつつ見つめ続けている。気に入ったのかしら。
でも、ゲシュティの人は装飾としての指輪ってする習慣がないんだよね。人気がないというか。常時つけている人なんて、せいぜい領主や王が、印章を付けてるくらいかしら。
「試しにつけてみます?」
首を傾げつつ聞いてみると、若君は少し嬉しそうに「いいの?」と笑った。
「いいですよ。今のままでは私には大きいですし。どの指に合うかな。男の人の指だしなぁ」
細く見えても、手自体が大きいもんね。
結局、色々な指を試した結果左の薬指にぴったりと収まったそれを見て、思わず苦笑いになる。
「これは、何かおかしい?」
「いえ、似合ってます」
小さなくず石と素材を組み合わせ、急激な温度変化から身を守るよう作り上げた指輪は、普通に装飾品として笑ってしまうくらい若君に似合った。ちょっとムカつくくらい。
「ただ、男女逆ならプロポーズみたいだなぁと思ったんですよ」
「ぷろ?」
「父の国での求婚ですね。
全員ではないけど、というか日本ではあまりないと思うけど、父はそういう風に母に結婚を申し込んだらしい。何回も聞かされた父と母の思い出話だ。
「左手の薬指は、基本的に結婚指輪とか婚約指輪とかをつけるところなんですよ」
「へえ」
――そういえば、こっちでの求婚はどんなものだろう?
ふとそんなことを思い、頭をぶるんと振って忘れる。今そんなこと知っても、ね。
「そろそろ返してもらってもいいですか?」
若君が膝に乗ってるタキをなでつつ、ずーっとはめたままの指輪を見てるので、返してと手を出す。なのに。
「これ、俺がもらうわけにはいかないかな?」
私の方を見もしないで、若君はそう言った。
一瞬迷うけど、指輪なんてこっちでは特に意味のないものだし、気に入ってるのなら、まあいいかと考え直す。
「じゃあ、力だけもう少し足しますから、指輪をこちらに」
「ん」
若君は横着にも指にはめたまま私に手を出すので、私は何でもないことだって振りをしながら、肩をすくめてその手を取った。
指先で力を注ぎ、最後に軽く口づける。
「一応これで、急激な温度変化などの衝撃は緩和されるはずですよ」
目をすがめて力の流れを見ると、今まで見たことがないくらい綺麗に力が同調しているのが見て取れた。若君の力が、私の力を素直に受け取ってくれたことが分かる。意外と私の力との相性がいいのかもしれない。これはいいことだわ。
「ありがとう、ナナ。今度何か礼をしないとな」
「別にいりませんよ。ただの試作品ですし。その代わり、頑張って勝ってください」
「ああ、必ず」
そう言って、若君は指輪に優しく口づける。
一瞬自分がそうされたような気がして、私はそっと目をそらした。
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