第37話 うちの若君(3)

 それは、雷が直撃したかのような衝撃だった!


 選定式が始まるため、私ことオリバーは若君と別れ、従者側の立ち位置に移動しているときのことだ。顔見知りの騎士らと談笑していると、ちょうどナナが会場に入ってくるのが見えた。するとナナもこちらに気づいたらしく、ニッコリと私に微笑みかけてくれたのだ。

 驚いた!

 彼女が可憐なのはいつものことなのだが、この破壊力はいったい何なんだ? 着ているものは、ほかの令嬢に比べて地味な、ドレスともいえないワンピース姿だ。似合っているのは確かだが、他の令嬢たちのドレスのように胸元もあいてないし、袖も長めでその白い肩さえ出していない。化粧もおとなしく、飾ったところなど何もない。

 にもかかわらず、なんなんだ。この凛とした大人の色気は!

 いったい全体、どこに隠し持っていたんだ⁈


 彼女とは、つい半日前に会ったばかりのはずだ。

 若君の少々まずい現場を見られ、どうしたものかと悩んでいたのはつい今朝がたのことだ。実を言えば、見られていたことを若君に伝えるべきか否か、いまだに悩んでいる。


 あれは、ナナにはなんでもないようなことのように流されてしまったが、この半日の間に何があったというのだろう。サナギが蝶にかえったかのような匂やかな笑みに、私のみならず周りの男どもまで金縛りにあったようだった。

 一体全体、彼女に何があったんだ?


「おい、あの女性は誰だ。どこのご令嬢だ」

「わからん。あんな美しい娘、一度見たら忘れられるわけがないだろう」

「俺知ってる。新しい上級仕立て士だよ」

「上級仕立て士!」


 こそこそと交わされる噂話に、私はあわてて若君の姿を探す。

 案の定、完璧な紳士の仮面をかぶりながら、金縛りにあっているのが見て取れた。そして、私に気づいたらしい若君に一瞬睨まれるが、私は悪くありませんから!


 ナナ、頼むからその微笑みは若君に向けてやってくれ。

 あの殺気はマジでシャレにならん。


  ☆


 少々波乱の選定式の後、王の提案で舞踏会が再開された。

 仕立て士たちも入り乱れての和やかな空気になったころ、私はナナの所に行こうとした。彼女があまりにも無防備に色香を漂わせているため、少し隠さないとまずいのではと思い始めていたのだ。

 大丈夫だとは思うが、場所が場所だ。

 彼女の婿に収まりたい男が、この日山ほど生まれたのは間違いない。


 ああ、なのに。

 彼女にたどり着く前に、まんまと王にナナを連れていかれてしまった。

 しかも、王子に手渡すとか!

 うわっ、どうするんだこれ。

 王自ら引き会わされた王子二人とナナは、こう言っては何だが、どちらといても非常に「お似合い」に見える。それを見て、なぜか私についてきていたやろうどもが引き下がったくらいだ。

 これは、ブライス様を選ぶのか、チェイス様を選ぶのか、ナナの決定が賭けの対象になるのも時間の問題じゃないだろうか。

 身分どうこうではない。見えない壁が取り囲んだような、独特の空気が生まれたことを本人たちは気付いているのだろうか。いや、ナナは気付いてないな。うん、間違いない。あれは気付いてない。


 こんな時に限ってうちの若君はどこに行ったんだと見てみれば、案の定ほかのご令嬢たちと踊っていた。まあ、そうなるわな。

 だが完璧な紳士の仮面の奥で、ナナを奪い去りたいと思っているのがありありと伝わってくる。

 このピリピリした空気、ナナは気付かないのか?


 あ、気付いた。


 若君、ナナが怯えてますよ。他の男がナナに触れてるから(というか、半ば抱いてるから)って、余裕がなくなりすぎてますよ!


 二人の距離に遠くからやきもきするが、かといって私にはどうすることもできない。


 やっと二人が手を触れたところで一瞬ホッとするも、その瞬間曲が終わった! そのことで私は一気に崩れ落ちかける。なぜだ、なぜこのタイミングで!

 逆にナナがホッとした表情で若君から離れそうになった時、若君は彼女を一瞬胸にかき抱くと、そのまま手を引いて人気のないほうへ彼女を連れて歩いて行ってしまった。


 うわぁ。これはとうとういく・・かな。

 期待半分、哀れみ半分でその後ろ姿を見送る。


 あんな切羽詰まった若君をみたことがない男たちは、生ぬるい目でその姿を見送った。ご令嬢たちは、少し驚いた顔をしている。

 だが、恋人同士にしか見えない二人が物陰に行ったとき、それを邪魔するような無粋な真似は誰もしないため、しばらくは二人の時間を過ごせるだろう。


 見守りに行ったほうがいいのか悩んだものの、私は二人に邪魔が入らないよう見張ることを選んだ。感謝してくださいよ、若君!


  ☆


 長かったような短かったような時間が過ぎ(いや、イチャつくなら短すぎる!)、ナナが戻ってきた。

 ああ、ニコニコと楽しそうに笑っているな。大変可愛らしいのは確かだが、艶っぽさは欠片も見られず、やはりダメだったかぁと内心がっくりしながら見送った。


 若君の方へ行くと、ぼんやりしていた若君から一瞬何か期待するようにこちらを見られるが、

「ナナは帰りましたよ」

 と、事実だけを伝える。


「ナナに、キスの一つもしましたか?」

「……してない」

 なんだ、今の間は。唇を奪うくらい朝飯前のくせに。

「これだけお膳立てされた状況で、口説かなかったんですね」

 いつもはダダ甘な声と顔で、ナナに嫁に来いとか言っておきながら。

「できなかったな……。ナナが怒ってなかったら、きっとめちゃくちゃにしてしまったけど。うん、できなかった」

 自嘲するような、安堵しているような、そんな複雑な顔で若君は笑う。

「ダメだな。あの娘を本気で手に入れたいと、ずっと俺の腕の中だけに留めておきたいと願ってしまったんだよ」

「若君……」

「笑えるだろ? さっき王子たちの腕の中にいるナナを見たとき、彼女に触れる男全てを八つ裂きにしてしまいたかった。クソッ! そんな権利なんかないくせに」

 グシャっと、なでつけた髪をかき乱し苦悩する若君の姿は、あまりにも普通の男だ。


「思い切って口説けばいいじゃないですか。ナナは真剣な気持ちを蔑ろにできる娘ではないですよ」

 遊びじゃないと分かったら結果はどうあれ真剣に考え、必ず答えを出してくれるだろう。

「そんなことは分かってる。いっそナナにどれだけ想っているかぶちまけて、俺のことしか考えられないようにしてやりたいくらいだ」

「それなら」

「……俺では、将来の約束ができない」

「二人ともまだ若いのですから、今を楽しむだけでも……」

 自分で言いつつ、ナナはそんなことができる相手ではないなと、途中で口をつぐむ。

 若君も、厄介な相手を好きになったものだ。一時の恋を楽しめる娘だったら、それこそいくらでもいただろうに。


 いっそ若君が王になれたなら別だったかもしれない。だが、半身のない若君は、力では王に一番近いところにいながら、同時に一番王から遠い男だ。


「ふっ。本気だってことを自覚したら、今までみたいな冗談も口にできなくなったよ。嫁に来いなんて。――そう言って、もしナナが頷いてくれたらと、ありえない夢を見てしまう。頷いてくれたところで、できるはずもないんだ。俺が立場から逃れられないように、あの娘も立場があるんだから」


 若君に兄弟はいない。

 若君が魂強きセレイズだったが為だろうか。若君の母君は、出産でその命を失った。すべての力を奪った子どもと言われた少年時代。巨大な魔獣を封じたことで英雄扱いされたのも束の間、期待が大きかったこともあるのだろう。単身となった若君の立場は決して居心地のいいものではなかった。

 旦那様は跡継ぎを得るため、間もなく次の妻を迎えた。数年おきに次々と、何人も。だがどの女性も子を為すことはできないでいた。


「上手く行きませんね」

「そうだな。初めてナナを見たとき、やっと見つけたと思ったんだけどな。この娘だって。――ああ、クソっ。俺が本当にほしいものは一つだけなんだぞ!」


 だが、それは鏡の中の宝石だ。見えていても、決して触れることはできない。そして、それを手中に収めるのはおそらく他の……。


「ナナが幸せでいられるよう願っているのに、彼女の横には自分がいたいと思ってしまうんだ。ああ、女々しいな、俺。最悪だ」

「いいんじゃないですか、私の前ですし」

 たぶんナナも気にしないだろうと、なぜか確信している。

 自分の手のひらをじっと見つめていた若君は、ポツリと

「ナナに、俺の服を仕立てたいから、勝てと言われたよ」

「そうですか」


 それは多分、甘くて、それでいて残酷な願いだ。


「なら勝った暁には、キスの一つももらったらどうですかね。勝利の女神に」

「いいな、それ。やったらすごく嫌われそうだけど……」

 それ以前に触れさせてもらえるかが問題ですがね。それでも万が一、彼女が応えてくれたなら――。

「私は、若君の理性には、存分に期待してますよ」

「お前なぁ、遊んでるだろう」

「いえいえ、とんでもない。ああ、それとひとつご報告が」

「ん?」

「今朝、ガブリエラ様とご一緒の所を、ナナに見られてますよ」

「なっ!」


 すみません、若君。

 しかもデートだと思われています。


  ☆


 次の日には、ナナはうちの若君の心を射止めた女性として噂になっていた。目立ちたくないと言っていたのに、結果的にうちの若君の暴走で一番目立たせてしまったことになる。


 ナナは、おそらく全力で否定し続けていることだろう。

 若君は、曖昧に笑って肯定も否定もしない。いや、否定したくないが正しいか。

 どうやらこの社交シーズンだけでも、他の男避けになるならと、手段は選ばないつもりらしい。それでも、自分から彼女に会いに行くことだけは控えているのが、おかしいやら、哀れやら。

 周りからの反応は、意外と普通の男だったんだなぁと、まあまあ悪くない感触なのが、意外といえば意外である。


 すまん、ナナ。

 少しだけ、夢を見させてやってくれ。

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