第36話 ダンス
人気のない場所でやっと立ち止まる。
切羽詰まったような張り詰めた顔の若君と向き合ったときには、私のほうが少し怒っていた。バリアを作ると若君を弾いてしまうから我慢したけど、一体全体何なんですか⁈
怒っていることを隠してないためか、私の顔を改めて覗き込んだ若君はふっと表情が緩み、参ったという感じで「ああ」と唸った。
「ああじゃないですよ。なんなんですか、一体。私、何かしましたか?」
「いや、すまん。そうじゃないんだ。しまった、失敗した……」
手のひらで目を覆い、なぜか落ち込んだ風の若君を見て、私は眉をはね上げる。
意味わかんない。
「私、もう行ってもいいですか?」
そう言いつつ踵を返すと、「待って」と若君が私の手をつかもうとした。けど、もうそれは無理です。
「ナナ」
「……はい」
若君の呼びかけにめんどくさいと思いつつ、それでも彼に向き直ってちゃんと話を聞く態勢になる。一応なんで怒ってたかくらいは聞いておかないと、ムカついて今夜は眠れないかもしれないもの。
「俺とも踊って?」
「は?」
え、なんで? 怒ってたんじゃなくて、踊りたかっただけなの? 私と?
「若君、散々踊ってたじゃないですか」
「名前」
「え?」
「若君じゃない」
「ああ。ウィルフレッド様。……じゃなくて、なんでまたそんな」
叱られた小犬のようになっている若君に、怒りがスーッと萎んでいく。
「だってナナ、他の男に抱かれてたし」
「だっ! 人聞きの悪いこと言わないでください! そりゃ、腰に手を回すあれは、かなり男性との距離が近くて、相手にそれ以上触れないようにするのが大変でしたけどね。でもさっきの若、じゃない、ウィルフレッド様みたいにくっついてませんし!」
完全に若君の胸に飛び込んでしまったことを思い出し、顔が真っ赤になる。一瞬ギュッて抱きしめられた気がするけど、そんな気もするけど! やっぱり弾いてしまえばよかったかもしれない。
そんな私に、若君はふっと力の抜けた笑顔を見せた。
ああ。普通のウィルフレッド様だと、少しほっとする。
「ねえ、一曲だけ踊ってよ」
「うぅ……一曲は長いですけど、少しだけならいいですよ」
「うん!」
子どもっぽい笑顔にほだされちゃったかな。
そう思いつつ、若君の手を取る。
若君の背が高いため、腰ではなく気持ち背中の方に回された手に緊張するけど、他の人とも踊れたんだから大丈夫。背の高さがお父さんやお兄と同じくらいだと考えると、他の男性に比べて意外と落ち着く高さかもしれないわ。
ワンパートだけのつもりだったのに、若君のリードが上手で楽しく踊らせてくれるので、ついつい楽しくなってしまい、笑い転げつつ結局一曲分踊ってしまった。
「すっごく楽しかったです。ウィルフレッド様、ダンス上手ですね!」
息が上がってしまったけど、こんなに楽しく踊れたのは生まれて初めて。
パートナーが上手だと、こんなにちがうのね。すごい!
「それはよかった」
まったく息切れしてない若君は、まだ私の背に手を回したままニコッと笑う。
こんなに動いたのに涼しい顔してるなぁと思いつつ、そっと両手を若君の胸に当てると、めちゃくちゃドキドキしてるのが分かりクスッと笑ってしまった。ポーカーフェイスが上手なのね。
私の前でかっこつけなくてもいいのに。
それでも、ハンデを見せないよう頑張ってきた若君を、私はスゴイと思う。
ねえ、ウィルフレッド様。
内緒だけどね、私決めたの。
貴方が私以外の人の前でも力を抜けるように、素直に笑えるように、私があなたを守るって。
きっと貴方の半身を見つけて、誰にも何も言わせないようにするって。
だって、それができるのはきっと私だけだもの。
キレイな笑顔で完璧な姿もいいけれど、そうじゃない自然な貴方でいられるように、きっと守ってみせるから。私がいろんな人に守ってもらったように、私はあなたを守るから。――だから、少しだけ待っていてね。
私は心の中で、秘密の誓いを打ち明ける。
「ナナ」
若君がそっと私の頬に手を当てる。その温かな手に私の手を重ね、目をつむって一瞬だけ頬ずりをした。ザラリとした感触。これは一生懸命働く人の手だ。手入れをしているはずなのに、固くなった大きな手。その手を両手でそっと挟み、私の額に押し当てる。
ねえ、ウィルフレッド様。
ただの、綺麗なだけのお坊ちゃんだと思っててごめんね?
ばか君なんかじゃなかったね。
私はあなたを尊敬するよ。――――絶対に、言わないけどね。
「ウィルフレッド様、今年もきっと勝ってくださいね」
「ん……」
「私、ウィルフレッド様の服を仕立てたいんです」
あの時浮かんだものを形にしたい。
堂々とこの人を守る服を作るためには、まず若君自身がその権利を得てくれなくてはいけない。でも、ほかにも何ができるか考えよう。
額から手を放し、若君の顔を見上げて微笑む。
私はもう、自分の力を出し惜しみはしない。わかってもらえなくても、何を言われても、全力を出す。そうすればきっと、あなたを守れる力を見つけられると思うから。
「うん。ナナが応援してくれるなら、絶対勝てるよ」
「ふふ。応援してますよ」
照れたように笑う若君に微笑み返し、握っていた彼の手のひらをじっともう一度見つめる。そして、その親指の付け根に、そっと唇を付けた。
人の体に直接力は注げないけれど、どうぞ今夜はゆっくり休めますようにと願って。
「それじゃあ、私はもう行きますね。タキを迎えに行かなくちゃ。楽しかったです。おやすみなさい」
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