第四章 口づけ
第四章 その1
サル種人型フィズが倒されて一夜が明けた。
倒されたサル種人型フィズの死体はすぐさま運ばれ、両腕についていた鋭い刃物が連続殺人事件の被害者の遺体の傷と一致するか調べられた。
結果は一致。つまり、倒されたサル種人型フィズが連続殺人事件の犯人だったということであり、この知らせに誰もが喜んだ。
関東圏の封鎖および市内の完全封鎖は依然として解除されていなかったが、市内でのサル種人型フィズとの交戦をテロリストグループとの交戦だと誤魔化すための工作が終わればそれらは解除される予定になっていた。
だが、そんな喜ぶべき状況の中、塚原の中には何とも言えない引っ掛かりがあった。
自衛隊に倒される直前、サル種人型フィズは笑った。もちろん、塚原の見間違いの可能性もあるが塚原の見間違いではないとすると、サル種人型フィズが笑った理由が気になる。
なぜ、サル種人型フィズは見下している人間に倒されようとしているのにもかかわらず笑えたのだろう。
そんな疑問が、塚原の中の何とも言えない引っ掛かりを強くしていた。
そして、日が昇ってしばらくしてからようやく県警本部に戻れた塚原は、関内に報告は自分の方でしておくと言われ、その言葉に甘えて報告を関内に任せ、県警本部を出て連続殺人事件六件目の被害者の遺体が発見された現場に来ていた。
ここは、六件目の被害者の遺体が発見された場所であると同時に、フィズの存在が判明した後、鑑識があらためて調べてフィズの痕跡を発見した場所でもある。
フィズに繋がる何かがあるかもしれない。そんな考えがあって塚原はここに来たのだ。
しかし、現場には鑑識がみつけたフィズの足跡が壁にあったくらいで、他には何もなかった。
だから、塚原の中の何とも言えない引っ掛かりが消えることはなく、塚原は現場近くの歓楽街をただ歩き回っていた。
何とも言えない引っ掛かりが何なのか、どうすれば消えるのか、といったことについて歩きながら考えたかったからだ。
歓楽街は市内が完全封鎖されていることもあり、いつもの様な賑わいはまったくなく、閑散としていた。
そんな歓楽街を歩き回りながら塚原は何とも言えない引っ掛かりについて色々と考えたが、しっくりくる答えを出すことはできなかった。
いつまで考えても答えは出ないんじゃないだろうか。
そう塚原が思った時、塚原の視界にあるものが入った。
「ん? これは……」
塚原の視界に入ったのは、歓楽街で働く人間が多く利用するであろう飲食店の壁だった。
その壁にはご自由にお取りください、と書かれた封筒が貼られていて、その封筒には何枚もの紙が入っていた。
視界に入ったからか、少し気になった塚原は封筒から一枚、紙を取った。
「あなたの悩み、聞きます」
紙にはそう書かれていた。紙を裏返してみると、裏には地図が描かれていて、目的地であろう場所が赤丸で示されていた。
その地図を見た瞬間、塚原の中にある考えが浮かんだ。
それは、まったく根拠のないことだった。ただ塚原が地図を見てふと、浮かんだだけ。
だが、塚原の中でその考えはどんどん大きくなっていき、気のせいという言葉では片づけられるものではなくなっていた。
塚原は、自分の中で浮かんだ考えが正しいのかどうか確認するべく、県警本部に急いで戻った。
県警本部に戻った塚原はまっすぐ鑑識課に向かい、ノックせずに鑑識課に入った。
「久保田」
「ん? おっ、塚原。ちょうどいいところに。実は「久保田、六件目の事件の時、被害者の自宅にあるものはタンスから紙屑まで全部証拠品として回収したんだよな」えっ? あ、ああ」
「その証拠品の中で紙屑はどこにある?」
「紙屑? それなら、証拠品の整理が終わってないからまだ鑑識課に置いたままだ。ほれ、そこ」
久保田が指差した場所には大量の紙屑が入ったゴミ袋が置いてあった。
「これか」
「ちょ、ちょっと待て。お前何する気だ?」
話しかけてくる久保田を塚原は無視してゴミ袋を破り、紙屑を床に散乱させた。
「あーあ。証拠品なんだから散らかすなよ……」
「あとで片づける」
そう言いながら塚原は床に散らばった紙屑をかき分けてあるものを探し始める。 それがないのならば、ないでいい。自分の考えすぎで済む話なのだから。
そして、塚原が紙屑をかき分けて探すこと数分。
「……あった」
「何だその紙? えーと、あなたの悩み、聞きます?」
証拠品として被害者の自宅から回収された紙屑の中に、塚原が歓楽街で手に入れものとまったく同じ紙があったのだ。
偶然、と考えることもできるが、この偶然を刑事として塚原は見過ごせなかった。
「久保田、鑑識課の電話借りるぞ」
「べ、別にいいけど」
塚原は受話器を取り、懐からメモ帳を取り出してあるページを開いた。
そこには、連続殺人事件の被害者の遺族や関係者の連絡先が書かれていた。
「……はい、はい。ご協力ありがとうございました。それでは、失礼します」
「……なぁ、お前が連絡してたのって」
「連続殺人事件の被害者の遺族や関係者だ」
塚原は連続殺人事件の六件目の被害者を除いた被害者の遺族や関係者に連絡をした。
市内が完全封鎖された関係で一部市内に住んでいた遺族や関係者への連絡には苦労したが、どうにか全員に連絡がつき、塚原はあることを聞いた。
そして、全員から話を聞き、とうとう塚原はみつけたのだ。
連続殺人事件の被害者達の共通点を。
「何で遺族や関係者に連絡を?」
「ちょっとな。……それより、俺が鑑識課に入った時、お前俺に何か言おうとしたよな?」
「えっ? あー、ちゃんと聞いてたのね。んーとな、さっき、六件目の被害者の遺体の司法解剖が終わった」
「さっき? もしかして、サル種人型フィズの両腕についていた鋭い刃物と傷口が一致するか調べたあとも司法解剖を続けていたのか?」
「そうだ。というのも、被害者の体内に残っていた残留物を調べていたからだ」
「何か出たのか?」
「結論から言おう。被害者の体内からフィズの血が発見された」
「フィズの、血?」
「ああ。そもそもフィズの血がなぜ最初の解剖でみつけることができなかったのか。それは細かなもの含めると様々な原因が複合的に絡み合ったためなんだが、やはり一番大きな原因はフィズの血の成分がかなり人間の血の成分と近かったことだ。そのせいでフィズの血は最初、人間の血だと思われていたというわけだ」
フィズの血の成分が、人間の血の成分と近かったのは当然なのかもしれない。なぜならフィズは、元は人間と同じ種族なのだから。
「だが一連の騒ぎで過去のフィズに関するデータが開示され、さらにフィズの死体が二体も回収されて新鮮なフィズの血を入手することができた。そのおかげで簡易的なものだが、フィズの血の成分表が完成した。そして、できたての成分表を参考に被害者の体内を調べた結果、フィズの血が発見されたということだ」
「そういうことか」
「で、だ。フィズの血が被害者の体内から発見されたことである仮説が生まれてしまった。これまで刃物による出血死と考えられていた被害者の死因が、フィズの血による中毒死であるという仮説がな」
警察や政府などはフィズの血は毒で摂取すると死ぬと考えているが、実際は拒絶反応が原因で死ぬ。だが、どちらにせよフィズの血を人間が摂取したら高確率で死ぬというのは事実だ。
そんなフィズの血が被害者の体内から発見されたとなると、被害者の死因がフィズの血である可能性が出てくるのは当然のことだった。
「そうなってくると昨夜倒されたサル種人型フィズが、連続殺人事件の犯人だとはかならずしも言えなくなってきちまうわけだ」
久保田の言う通りなのだ。
あくまで昨夜倒されたサル種人型フィズが連続殺人事件の犯人だと断定されたのはサル種人型フィズの両腕についていた鋭い刃物と被害者の死因と考えられていた傷口が一致していたからであり、もしも死因がフィズの血によるものとなると、昨夜倒されたサル種人型フィズが連続殺人事件の犯人だと断定できなくなるだけでなく、最悪の場合まだ別のフィズがいる可能性すらある。
そして、塚原はその最悪の場合の可能性はほぼ間違いないと考えている。
なぜなら、塚原の中で、ある推理が事実へと近づいているからだ。
「……なぁ、塚原」
「何だ?」
「お前がここに来てからの一連の行動って、フィズに関わることなんだろ?」
さすがに塚原があれだけ色々とやっていたからか、久保田は塚原の行動の理由に気付いていた。
「どうだろうな」
だが、塚原は肯定しなかった。というのも、はっきりフィズに関わると言えるほど確証できる証拠がなかったからだ。
「そうか。……まぁ、いいや。塚原、これやるよ」
そう言って久保田は机の引き出しの中からあるものを取り出し、塚原に差し出してきた。
「これは……銃の弾か?」
久保田が差し出してきたのは、一発の弾だった。
「そうだ。けど、これはただの弾じゃない。お前を襲ったキツネ種大型フィズの解剖で得られたデータを参考に俺が個人的趣味で作った、対フィズ弾だ」
「対フィズ弾?」
「ああ。といっても、それでフィズを殺せるわけじゃない。効果としては、人間サイズのフィズの動きを一定時間止められるくらいだ。しかも動きを止められる時間がどれくらいなのかは使ってみないと分からない」
フィズを殺せなくてもそれは十分過ぎる効果であり、久保田が今まで作ってきた中途半端な機能の発明品と、比べ物にもならいほどのものであった。
「いや、それでも十分だ。しかし、まさか普段あんな発明品ばっか作ってるお前が、こんなのを作れるなんてな」
「その言葉にいささか反感を覚えるところだが、まぁいい。ただこれだけは言わせてもらう。普段の発明品は個人的趣味での息抜きとして作ってるだけだ。一方こいつは俺がガチになって作ったものだ。いやむしろ、これが俺の本来の実力ってやつだ」
その言葉に、久保田のプライドが込められているのを塚原は感じ取った。
「そうか。つうかこれ、上に報告すれば将来的に凄い役に立つんじゃないか?」
「今はまだ上に報告しても無駄だな」
「どうしてだ?」
「それ、費用対効果がおそろしく悪くてな、ぶっちゃけそれ撃つくらいならミサイルぶち込んだ方がマシだ」
「ミサイルの方がマシ、か。……刑事としてはミサイル以上の高価な材料と一発とはいえ空の薬莢を持っていたことについて聞きたいところだけど」
「ははっ、それは勘弁してほしいかな」
「プレゼントされた手前、目を瞑るか」
今、この弾は塚原にとって間違いなく役に立ちそうなものであるため、塚原は深く追求することをやめた。
「助かる。まぁ、もともと個人的趣味で新しい弾の開発をしていてそれが対フィズ弾に応用できたのと、たまたま必要な材料が手元にあって六件目の被害者の解剖の片手間で作ることができた、ということだけは教えておこう」
逆に言えば、それ以上のことは秘密、ということである。
「そうか。……久保田、こんなものをプレゼントしてくれた上で申し訳ないんだが、一つ頼みを聞いてくれないか?」
「どんな頼みだ?」
塚原は証拠品である紙屑の中から探し出した紙を地図が描かれた面が見えないように折ってから久保田に差し出した。
「日が暮れるまでに俺が戻ってこなかったらこの紙を開いて地図上の赤丸部分に自衛隊か武装した警官隊を出動させるよう関内課長に頼んでくれ。あの人ならそれくらいできるはずだ」
「なるほど。別にいい――――」
と、突然喋っていた久保田の言葉が止まった。
「どうした、久保「ほう、私ならそれくらいできる、か」えっ?」
今、塚原にとってもっとも聞きたくない人の声が背後から聞こえ、塚原はゆっくりと振り返った。
「随分と私を評価しているみたいだな、塚原」
塚原の背後にはいつの間にか、関内がいた。
「せ、関内課長」
非常に、まずい事態であった。関内に見られた以上、塚原は事情を話さなければならない。
だが、塚原はそれだけは避けたかった。なぜなら塚原には、一人で地図上に記載された場所に行きたい理由があるからだ。
「よっと」
「あっ」
しかし、関内は塚原に近づいて塚原が手に持っていた紙を取ってしまった。
「ふむ」
が、関内はなぜかその紙を開かなかった。
「……日が暮れるまでにお前が戻ってこなかったらこの紙を開いて地図上の赤丸部分に自衛隊か武装した警官隊を出動させればいいんだな?」
「えっ?」
「どうなんだ?」
「は、はい。そうしてもらえるとうれしいです」
「分かった」
そう言って関内は紙を自分のポケットにしまった。
「約束は守る。だから行ってこい、塚原」
関内の言葉を聞いて塚原は思い出す。自分の上司は、凄くいい人であることを。
「はい。塚原義樹巡査、行ってきます」
関内に敬礼をし、塚原は鑑識課の扉に向かった。
「あっ、あいつ散らかした証拠品片づけないで行きやがった」
鑑識課を出る時、久保田のそんな声が聞こえたが、塚原は無視して目的地に向かって走り出した。
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