第三章 その3

「大事になってきたな」


 会議が終わると久保田が塚原に話しかけてきた。


「ああ」

「しかし、一日で百万人近い住民を退去させる、か。可能なのかね?」

「やるしかないだろ」

「だよな。まぁ、鑑識課はそっちの仕事はしないだろうから頑張れよ、捜査一課」

「分かってるよ」

「分かってるならいい。……さてと、仕事に戻るか」

「フィズの解剖か? それとも証拠品の見直しか?」

「連続殺人事件六件目の被害者の司法解剖の手伝いだ」

「六件目の被害者の司法解剖?」

「そうだ。連続殺人事件の犯人はフィズだと判断されたが、まだ確定じゃない。そこで連続殺人事件で唯一現存している六件目の遺体をもう一度司法解剖することになった。遺体からフィズに繋がる証拠が出れば連続殺人事件の犯人はフィズだと断言できるからな」


 連続殺人事件の犯人はフィズだと判断されたが、断言はされてない。防犯カメラに映ったフィズが連続殺人事件の犯人であるとも断言できない。

 そういう状況のため、連続殺人事件の被害者の遺体からフィズに繋がる証拠をみつけるのは重要な仕事であった。


「まぁ、相手は資料が少なく、その生態がよく分かってないフィズだ。解剖は難航するだろう。それと、個人的にやっておきたいこともあるから、終わるのは何時になるか見当もつかん」

「そうか……お互い頑張ろう」

「ああ、と言いたいところだが、お前は頑張り過ぎるなよ。昨日、フィズに襲われてるんだからな」


 そう言いながら久保田は左腕に巻いている大きめの腕時計を操作した。すると腕時計の時計盤がパカッと開いた。


「ほれ、元気の素をやろう」


 久保田は開いた腕時計の中から市販の包装されているミント味の飴玉一粒を取り出し、塚原に渡した。


「……ありがとよ」


 普段と変わらぬ久保田が個人的趣味で作った発明品を見て、不思議と塚原は疲れている体が少しばかり楽になったのを感じた。


「じゃあな」

「おう」


 そして、塚原に飴玉を渡した久保田は自分の仕事をするため会議室から出ていき、塚原も捜査一課に戻ろうとした時、


「塚原」


 関内が塚原に声をかけてきた。


「何ですか?」

「話があるからついてこい」

「は、はい」


 何の話なのか気になる塚原だったが、何も聞かずに大人しく関内のあとについていった。




「座れ」

「……はい」


 関内が塚原と話をするためやって来たのは取調室だった。関内が取り調べをする警察官が座る席に、塚原が取り調べを受ける容疑者が座る席にそれぞれ座る。

 これから関内に取り調べをされるような気分の塚原は自分から用件は何なのか、と聞くことはできなかった。


「わざわざ取調室につれてきたのは他の人間がいない場所でお前と話したかったからだ。私からお前への要件は二つある」


 そして、関内が話を始めた。


「一つ目の要件は、お前にある仕事を頼みたい」

「ある仕事?」

「市内を完全封鎖した後、自衛隊がフィズ討伐のための作戦を開始する。だが自衛隊にとって国内の市街地で部隊を大規模に展開し、作戦をするのは初めてのことになる。そこで自衛隊はこの地域に詳しい警察に部隊の指揮車に同乗して市内の地理状況などを随時アドバイスしてもらいたいと打診してきた。その打診を受けて上層部は二名の警察官を自衛隊の指揮車に同乗させることを決めた。ここまで言えばお前に頼みたい仕事の内容が分かるだろ?」

「……指揮車に同乗しろ、ということですね」

「そうだ。実はな、警察官二名の内、一人は私と決められていたんだ。その代わり、指揮車に同乗するもう一人は私の人選でいいと言われてな、一度フィズと対面したお前に頼むことにした。指揮車に同乗するということはフィズと対面する可能性がある。もしもフィズと対面し、フィズと対面したことのない人間が指揮車内でパニックになったら困るからな」


 関内の考えはもっともらしいものだった。


「これは命令じゃない。あくまでやってくれないかと私が頼んでいるだけだ。だから、別に断ってもいいんだぞ」


 関内は塚原に意思の確認をしてきたが、塚原は既に決めていた答えを口にする。


「いえ、やらせてください」

「分かった。塚原、自衛隊が作戦を開始するのは早くとも日が暮れてからだ。だから今から午後五時までお前には短い休みを与える。作戦に備え、体を休めておけ」

「えっ、休みですか? これから住民の退去があるのに?」

「住民の退去も大事だが、それ以上に作戦の方が大事だ。作戦時、万全の態勢でなければ意味がない。住民の退去は他の警察官に任せておけ」


 関内の言う通り、作戦の方が住民の退去よりも大事であった。作戦でフィズを倒すことができれば今の悪い状況を全て解決することができるかもしれないからだ。


「は、はぁ。でも、それなら関内課長も休んだ方がいいのでは?」


 住民の退去が始まったら間違いなく関内の仕事は膨大になる。そんな膨大な仕事をした後、作戦時に関内が万全の態勢でいられるか塚原は心配だった。


「バカ、本部長が堂々と休めるか。……バレない程度にはこっそり休むつもりだがな」

「そうですか」


 どうやら、塚原が心配することでもなかったようだ。


「では、一つ目の要件については以上だ。次に二つ目の要件を話す。まぁ、二つ目の要件は仕事のことではなく、個人的なことだ」


 関内が個人的な話をするのは珍しいことであり、塚原は少しばかり関内の言葉に驚きを感じた。


「昨日、フィズに襲われた時、お前は私の命令を無視して私をフィズから助けただろ」

「はい」

「あの時、お前が助けてくれてなかったら私はおそらく死んでいただろう。だから、お前に言いたい。助けてくれて、ありがとう」


 関内はそう言って、塚原に頭を下げた。


「えっ? えっと、あのー」


 まさか関内に頭を下げられ、お礼を言われると思ってなかった塚原は、関内のその言葉にどう返事をするか悩んでしまった。


「そんなに慌てることか?」

「い、いや、関内課長にお礼を言われるとは思わなかったので」

「お前は私を何だと思ってるんだ。私は感謝したいことがあったらきちんと感謝の言葉を言う人間だぞ」

「そ、そうですよね。えー、どういたしまして」

「お礼を言った側だからとやかく言うことでもないんだろうが、何だかしまらんな。まぁ、いい。それじゃ、話は以上だ。お前は今から午後五時まで休憩。いいな?」

「分かりました」

「よろしい。……あー、そうだ。休憩に入る前に聞いておきたいことはあるか?」

「聞いておきたいことですか」


 聞いておきたいことはないか、と聞かれ塚原は何かないか考え始める。

 住民の退去についてはやらなくてよくなったので聞く必要はない。

 作戦の詳しい内容はおそらく自衛隊と合流してから話すだろうと予想できるため今聞くことでもない。


 しばらく考えて塚原は特に聞くことはない、と結論付けようとしたが、ふと、あることを思った。今なら、あのことを聞けるのではないのか、と。


「関内課長、一つだけ聞きたいことがあります」

「何だ?」

「関内課長は、何で俺を捜査一課に引き抜いたんですか?」


 塚原が前々から知りたかった、久保田に言われ最近聞こうとした、関内が塚原を捜査一課に引き抜いた理由。

 今がそれを聞けるタイミングだと思った塚原は関内にそのことを聞いた。


「……お前、そんなこと知りたいのか?」

「はい」

「そうか。分かった、教えてやろう。私がお前を捜査一課に引き抜いたのは……」


 そう言いなが関内はタバコを取り出して口に咥えた。


「関内課長、署内禁煙ですし、ましてや取調室で吸ったのバレたら問題になりますよ」


 すかさず塚原は関内にそう言った。


「お前のそういうところが理由だ」

「えっ?」


 塚原は、関内が返してきた言葉の意味が分からなかった。


「塚原、お前は自分が正しいと思うことを行動に移せる。禁煙場所でタバコを吸おうとする上司である私に注意するし、気が散って事故を起こす可能性があるから私がタバコを吸っている間は車を動かさないし、私の命を守るため私の命令を無視した」


 それは、当たり前のことをしただけのことだ、と塚原は思っていた。


「そして、お前はただ自分が正しいと思うことを行動に移す正義感が強いだけの迷惑な男ではない。頑固な面はあるが、時には妥協することができる」


 それも、ただその時にはそうした方がいいと思ってそうしているだけで、誰だって、そういうことをするはずだ、という考えが塚原にはあった。


「お前の顔を見た限りだと、納得してないようだな」

「はい。はっきり言って、関内課長が言っていることは、特別なことだとは思えません」

「当たり前のことだと言いたいのか?」

「そう、なりますかね」

「それを当たり前のことだと言える人間がどれだけいるか。まぁ、いい。ならば、お前に自覚させてやろう。どれだけお前が特別で、私が部下として欲しいと思った人間なのかを。塚原、お前は当たり前の様に人々が暮らすこの日常を守れる人間だ」

「日常を、守れる?」

「ああ、そうだ。正しいことをおこない、時には妥協する。それは全て、人々の日常を守るためという一つの目的のためだ。人々の日常を守るため行動し、人々の日常を守っている。それがお前であり、私が欲しいと思った塚原という人間だ」

「俺が、人々の日常を……」

「自覚はあるはずだぞ。交番勤務していた時、お前が人々の日常を守っているのを私は何度も見ているんだからな」

「えっ? 見ている?」

「ああ。一度目は偶然、仕事帰りに交番前で住民に対応しているお前を見た。内容は分からなかったが、お前が対応した住民は私が警察官になって今まで見たことがないほどの笑顔でお前にお礼を言っていたよ。それがちょっと気になってな、それからちょくちょく近くを通った時はお前の働いている姿をこっそり見るようになった。そんなお前の姿を何度も何度も見て私は気付いた。ああ、この男はただ実直に人々の日常を守っているんだな、と」


 関内に言われ、塚原は気付いた。たしかに自分は、理由は自分でも分からないが人々の日常を守るために行動している、と。


「ようやく自覚してきたな。お前は、人々の日常を守るため行動し、人々の日常を守っている。それを当たり前のことだと言ってできる人間を、ただの警察官で終わらせるのはもったいない。もっと知識と技力をつけてより多くの人々のために行動できる警察官にするべきだと私は思った。だからお前を私の部下にして警察官として鍛えることにした」

「警察官として鍛えるため。それが俺を引き抜いた理由ですか?」

「そうだ」


 塚原は、ようやく知ることができた。関内が自分を引き抜いたのは自分を鍛えるため。

 よく怒られたのも自分がより多くの人々の日常を守れる警察官になれるという期待を関内が持っていたためだ。


「関内課長」

「何だ?」

「関内課長は、どんな警察官になりたいんですか?」

「今までの話を聞いたら予想できると思うが?」

「ええ、予想はできます。けど、関内課長から直接聞きたいんです」


 自分を鍛えている人がどんな警察官を目指しているのか。


 それを直接関内から聞くことができれば塚原は今後、警察官という職業に人生をかけられると感じていた。


 だから塚原は、関内の口から直接、関内はどんな警察官になりたいのか聞きたかった。


「ふむ。まぁ、言ってやってもいいか。青臭いかもしれないが私は、人々の日常を守れる警察官になりたいと思っている」

「……俺の上司って、凄くいい人ですね」

「今まではいい人だとは思ってなかったのか?」

「いえ。今までは、いい人だと思っていました。けど、今日からは、凄くいい人です」

「何だそりゃ」


 そう言いながら関内が微笑む。

 その微笑みを見て、塚原は気付いた。


 関内は、丸くてくりっとした目をしていて、優しさを感じさせる笑顔ができる女性なのだと。




 話が終わって関内は仕事に戻り、塚原は取調室を出て午後五時まで休むことになった。

 だが、午後五時までどう休むか塚原は悩んでいた。

 周りの警察官達が忙しく働く中休むため、堂々と休むのは申し訳ないと感じてしまうし、外で休むにも住民の退去が始まるので県警本部の近くの店は全て閉まってしまうからだ。


「……しかたない、自宅で休んでるか」


 そして、塚原が自宅に向かおうとした時、塚原のスマートフォンに着信が入った。

 誰からの着信か確認するため塚原はスマートフォンの画面を見る。画面に表示されていたのは、名前ではなく、電話番号だった。


 つまり、電話帳に登録されてない相手からの連絡になるわけだが、塚原は登録されてない相手からの連絡が誰からの連絡か、画面に電話番号が表示された段階で予想しており、急いで通話ボタンを押した。


「もしもし」

『おっ、つながったか』


 塚原の予想通り、聞こえてきた声は折津のものだった。


「折津か」

『そうだ』


 折津がどうしてフィズを殺せるのか。その話をするために折津は塚原に連絡してきたのだ。


『今、暇か?』

「ちょうど暇になったところだ」

『そっか。なら、会って話をしよう』

「ああ」

『で、どこで会おうか?』

「そうだな……」


 県警本部で会うのは論外であり、市内は住民の退去が始まり堂々と会うことは不可能。

 市外に出てしまうと住民の退去の混乱の状況によっては午後五時までに戻ってくることが難しくなる。

 となると、折津と会うなら市内で住民の退去をする警察官の目を盗める場所になってくる。


「…………今から言う場所に来てくれ」


 そんな場所に一つだけ心当たりがある塚原は、折津にその場所を伝えた。

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