第一章 再会
第一章 その1
「ん……」
頭がぼやけて霞む視界で、しばらくボーと天井を見つめ続けた
「くそっ、全然疲れとれてねぇ」
塚原はこのところ、休めない日々を送っていた。仕事が立て込んでいるからだ。
そもそも塚原が自宅アパートに帰宅できたのが実に二週間ぶりのことなのである。しかも塚原が帰宅できた理由は着替えを取りに戻るためだ。
といっても、始業時間までに戻れば家で休むことは黙認すると上司に言われていたので、塚原はこうして自分のベッドで休むことができたのだ。
だが、帰宅後すぐにスーツのまま着替えずにベッドに横になって睡眠時間を確保したにもかかわらず、塚原の疲れ切った体が完全に回復することはなかった。
「今何時だ?」
塚原は時刻を確認するためベッドの近くに置いてあったリモコンを取り、テレビをつけた。
『みなさーん、こんにちはー!』
『私達は今、話題のとあるレジャースポットに来ています!』
『今日はそのレジャースポットで体験取材をしたいと思います!』
塚原がテレビをつけると朝の情報番組が放送されており、その番組には最近売り出し中の三人組アイドルグループ、ラッツが出演していた。
ラッツは朝の情報番組のレギュラーとなり、話題のスポットに体験取材をしている。
そのことは、ラッツの大ファンである同僚から散々教えられた塚原も知っていた。
というよりも、同僚の影響で塚原はラッツに関してはすっかり情報通になってしまったと言える。
ラッツは売り出しされているだけのことはあって、メンバーはどの子も整った容姿をしていた。
朝起きて最初に目にしたのが綺麗な子達であることに、塚原は悪い気はしなかった。
「ああ、いけない。時間、時間」
塚原がテレビをつけたのは時刻を確認するためであり、このまま情報番組を見るわけにはいかない。
塚原はテレビ画面の左上に表示されている時刻を確認した。時刻は、八時二十分だった。
「……八時二十分?」
これは自分の見間違えではないかと考えた塚原はもう一度時刻を確認する。
しかし、見間違えなどではなく、テレビには八時二十分という時刻が表示されていた。
受け入れたくない現実を前に、塚原は最後の悪あがきにとベッドから少し離れたところに放り投げていたスマートフォンを取り、ディスプレイに表示される時刻を確認した。
ディスプレイに表示されていた時刻は、八時二十分であった。
塚原は、始業時間までに戻れば家で休むことは黙認すると上司に言われていた。では、その始業時間とは何時なのか。
それは、八時三十分なのだ。
つまり、今がどういう状況なのかというと、塚原の遅刻が確定した瞬間なのである。
「やばい、やばい、やばい、やばい、やばい!」
塚原は大慌てで、着替えずに寝たため、しわだらけになったスーツのまま自宅を飛び出した。
塚原はもともと大学に進学するつもりでいた。
だが、塚原が高校三年生の時、塚原の父親がケガをして仕事をやめることになってしまい、大学進学は断念せざるを得なくなった。
そして、家庭を助けるため就職することを決めた塚原は、高卒で就職するなら会社員になるよりも公務員になった方がいいだろうと考え、手当たり次第公務員試験を受け、結果的に警察官の採用試験に合格して警察官になったのである。
警察官となった塚原は警察学校を卒業後、交番勤務を経験。この交番勤務は塚原の性分に合っていたのか、気楽に仕事をすることができていたのだが、塚原が警察官になって四年目の春、配属先が変更となった。
変更された塚原の配属先は、なんと県警本部の刑事部、捜査一課であった。
塚原は、県警本部の捜査一課に配属されるほど優秀ではなかった。
にもかかわらず塚原が県警本部の捜査一課に配属されたのは簡潔に言ってしまえば、ある人物に引き抜かれたからである。
そのある人物とは、現在の塚原の上司であった。
「塚原、今何時だ」
「えっと、九時過ぎですね」
「始業時間までに戻れば家で休むことは黙認すると言った。さて塚原、始業時間は何時だったかな?」
「…………八時三十分です」
「…………このくそ忙しい時に遅刻してんじゃねぇ、大馬鹿野郎!!」
塚原の上司で県警本部の捜査一課の課長であり、警察官最後の野犬という異名を持つ
その迫力たるや、警察官最後の野犬という異名に恥じぬものだった。
「すいません、すいません、すいません!」
塚原はすぐさま頭を下げ、謝罪する。
「謝って済むことじゃねぇんだよ!」
しかし、その程度の謝罪で関内の怒りが収まることはなかった。
関内は、叩き上げの刑事ではなく、いわゆるキャリア組の警察官であり、塚原とそう年が離れていないのに階級は警視という超エリートだ。若くして県警本部の捜査一課の課長の肩書きを持っているのも、出世街道の一環なのである。
無論、女性で若いキャリア組の警察官が出世街道の一環で県警本部の捜査一課の課長になることを面白く思わない警察官は多くいるのだが、不満の声は上がってこない。
なぜなのかと言えば、もともと関内が警察官として優秀であるということと、あらゆる事件を経験してきたベテランの刑事がべそをかいて逃げるほど関内が怖いという二つの理由があるからである。
そのため、全員が触らぬ神に祟りなしの考えのもと、何も言わないのだ。
多くの警察官を本人の実力と恐怖で黙らせるキャリア組の女性警察官。それが塚原の上司、関内なのである。
「本当にすいません、すいません、すいません!」
そんな関内に怒られたのだから、塚原は必死に謝罪をする。
「塚原、私の話を聞いてたのか? 言っただろ、謝って済むことじゃねぇってな!!」
だが、関内の怒りはますますヒートアップし、ついには怒鳴りながら椅子を蹴り上げて立ち上がった。
もう駄目かもしれない、と塚原が思った時だった。
「あの、関内課長……」
普段、誰かが関内課長に怒られていたら何も起こっていないという考えで無視することにしている捜査一課の同僚の一人が関内に話しかけてきた。
「何だ!?」
同僚は関内の怒鳴り声で腰が砕けそうになるがどうにか堪え、関内に用件を伝え始める。
「今、所轄の方から連絡が入りました」
「所轄?」
「……六件目、だそうです」
その言葉を聞いた瞬間、関内の怒りは収まり、目つきが変わった。
その目つきは、捜査一課に配属されてから塚原が何度も見た、関内の刑事の目だった。
「本当か?」
「はい」
「分かった」
返事をしながら関内は自身の長い髪をゴムで後ろに一つに纏めた。その髪型は、スーツ姿の関内にとてもよく似合っていた。
「手の空いている者は全員現場に向かえ! ほら、どうした、すぐに走ってパトカーに乗れ!」
「「「「「は、はい!」」」」」
関内の怒鳴り声にも近い命令を聞き、手の空いている捜査一課の刑事全員が出動するため席を立って走り始めた。塚原もすぐに出動の準備をするが、
「塚原!」
「は、はい!」
関内に大声で呼び止められた。
「私も現場に行く。お前が運転しろ」
「お、俺がですか?」
「ああ、そうだ。だから早く準備をしろ!」
「りょ、了解!」
「今日も一日長くなりそうだ」
そう言いながら関内は懐からタバコを取り出した。
「あっ、関内課長」
そんな関内を見た塚原は、関内に声をかけた。
「ん? 何だ?」
「署内禁煙です」
県警本部は、昨今の分煙化の流れを受け、タバコは指定された喫煙所のみでしか吸えなくなっている。
そのため、当然捜査一課の部屋でタバコを吸うことはできない。関内はよくタバコを吸うので、時折署内でタバコを吸いそうになり、そのたびに塚原が止めていたりする。
「ああ、そ・う・だ・な」
そして、そのたびに関内は怒りを抑えながらタバコを懐にしまうのだった。
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