第一章 その2

 現在、塚原が所属する捜査一課はある事件のおかげで大忙しで、捜査一課の刑事はここ一ヶ月まともに家に帰れていない。

 せいぜい着替えを取りに戻るだけの帰宅が許されているだけで、刑事達の疲労はピークに達している。

 そのため、着替えを取りに戻ったついでに始業時間前までに戻れば自宅で休んでも黙認されることになっていたのだ。


 そんな捜査一課が大忙しになっているある事件とは、連続殺人事件である。


「裏路地か」

「そうみたいですね」


 遺体が発見されたのは、歓楽街の裏路地。遺体の発見者は裏路地にあるゴミをあさろうとしたホームレスであった。


「行くぞ」

「はい」


 塚原は関内についていき、現場に入る。

 現場では、複数の刑事と鑑識が既に捜査を始めていた。


「ああ、関内課長」


 現場に入ると一足早く到着して捜査を始めていた塚原と同じ捜査一課の同僚であり、塚原の先輩である勝間かつま典久のりひさが関内に気付き、声をかけてきた。


「身元は?」

「この歓楽街にある店で働いていた風俗嬢です」

「風俗嬢? 風俗嬢が行方不明なんて報告、所轄から受けてないぞ」


 勝間の報告を聞いた関内が目元を厳しくさせる。


「あー、そのー、どうやら所轄の方で客とのトラブルで姿を消したんだと考えて、上に報告しなくてもいいと判断したようでして……」

「何?」


 関内がキレると瞬時に判断した塚原は、巻き込まれないようにそっと一歩、後ろに下がった。


「今すぐそんなアホな判断をした所轄の連中にどんなにくだらない理由でも捜索届けが出された人間は全て報告するよう言ってこい!!」

「は、はい!」


 関内の怒鳴り声に驚いた現場で捜査をしている人間全員が視線を関内に向ける。が、関内の顔を見てすぐさま全員が巻き込まれないよう視線を逸らした。

 だが、関内が怒鳴り声を上げるのも無理はない。

 連続殺人事件の被害者は全員、数日間行方不明になってから発見されており、そういった理由から県内の警察に捜索届けを出された人間は全て県警本部に報告する決まりになっていたにもかかわらず所轄が勝手な判断で報告していなかったからである。


「まったく……。おい、遺体の確認をしていいか?」

「あっ、どうぞ」


 関内は遺体の写真を撮影していた鑑識に断りを入れて遺体を確認し、塚原もそれに続く。


「……間違いなく六件目だな」

「ですね」


 遺体は職業が風俗嬢だったこともあり派手な服を着ていたが、その服は体ごとズタボロに鋭利な刃物のようなもので切り裂かれていた。

 鋭利な刃物で切り裂かれた遺体。これは、連続殺人事件の共通点である。


「はぁー。いつ見てもこの表情は参るな」

「ええ。正直、こんな表情をして死にたくはありませんね」


 関内と塚原が言った遺体の表情もまた、連続殺人事件の共通点であった。

 遺体は、例外なく何かに苦しみ続けた苦悶の表情をしており、人によってはトラウマになりかねないものだった。


「そんな表情をして死んでいった人に報いるためにも我々は一刻も早く犯人を捕まえなければならないぞ」

「…………はい」


 塚原はそう返事をしたものの、肝心の捜査は行き詰まり、とうとう六件目の殺人が起きてしまったのが現状だった。


 そもそも事件の始まりは年末まで遡る。クリスマスが過ぎた二十六日、一人の女子大生の捜索届けが所轄に提出された。

 その女子大生は活発な女性で、家族を大事にし、友人も多く、恋人もいた。しかもその恋人とは大学を卒業後に結婚する予定だった。

 しかしクリスマスに恋人とのデートをすっぽかしたのを境に女子大生と連絡が取れなくなってしまい、心配した家族や恋人が警察に捜索届けを提出した。


 だが、家族や恋人の願い空しくもむなしく、女子大生は捜索届けが提出された二日後、遺体となって発見された。

 遺体は、鋭利な刃物で服ごと身体を切り裂かれ、苦悶の表情をしていた。

 遺体発見後、すぐさま管轄の警察署が主体となり事件の捜査を始め、県警本部も捜査一課の刑事を数人派遣したが、この時は誰もがただの痛ましい殺人事件だと思っていた。


 事態が動いたのは年が明けた一月二日。町内会の会長であり、和菓子店の店主でもある男性が行方不明となった。

 年明けの三が日は町内会の会長としても、和菓子店の店主としても忙しい時期なのに男性が忽然と姿を消してしまい、家族はすぐに捜索届けを警察に提出した。

 その男性は、捜索届けが提出された三日後、鋭利な刃物で服ごと身体を切り裂かれ、苦悶の表情をしていたという女子大生と同じ状態で発見された。


 この二件の事件は管轄が近かったこともあり、何人かの刑事は連続殺人の線を疑い始めていたが、関内は既にこの段階で連続殺人事件として県警本部に合同捜査本部を設置することを上に打診していた。

 そんな状況の中、男性の遺体が発見された二日後、これが連続殺人事件だと決定づけられる三人目の遺体がみつかる。


 遺体の身元は、小学三年生の男の子だった。


 県警はこの三人目の遺体も他の遺体と状態が同じで、事件が全て県内で発生していることから一連の殺人事件が連続殺人事件であると断定。県警本部に合同捜査本部を設置し、捜査を始めた。

 だが連続殺人は収まることがなく、四件目、老人ホームに入居していた老婆。五件目、部活動に向かっていた高校二年生の男子生徒と続き、とうとう六件目の殺人が起きてしまったのだ。


「手がかりらしい手がかりはなさそうだな」

「そうですね」


 この事件がいまだ解決に至っていないのには大きな理由がある。

 それは、犯人に繋がる証拠が一切みつからず、警察はいまだ犯人像すら特定できていなかったのだ。

 しかも被害者達には数日前に行方不明になることと遺体の状態以外に共通点はなく、そこから犯人に繋がる手がかりをみつけることもできない。

 さらに犯人像が分からないまま犯行が続くため県警は県外から応援を呼び、パトロールの強化をして犯行を未然に防ごうとしているのだが、いまだ防ぐことはできていなかった。


「また上からどやされるな、これは」

「あー、がんばってください」


 そして、それだけやっても一向に犯人を捕まえるどころか犯人像すら特定できておらず、パトロールを強化しても犯行を防げていないこの状況は責任が県警だけでなく、警察組織の上層部にも及び始めている。


 そのため、責任を取りたくない警察の上層部はさらなる応援を派遣し、現在合同捜査本部は事件の大きさを考慮しても異例の大所帯になっている。

 さらに、表向きには合同捜査本部の本部長は本庁から派遣された警視正になっているが、実質的な責任者は関内になっている。


 これは言わば、キャリア組内での出世争いの一種であり、最終的な責任を関内に押しつけることで関内を出世街道から脱落させようとしているのである。

 そういった事情があるからか、ここ最近、関内に対する上層部からの風当たりが厳しくなっているのだ。


「現場責任者から捜査状況を聞いたら戻るぞ。捜査会議の準備をしないとな」

「分かりました」


 そして関内が現場責任者から捜査状況を聞いた後、塚原と関内は本部に戻るため覆面パトカーに乗った。


「よし、戻るぞ」

「はい。……あっ、関内課長」


 その時、塚原はあることを思い出し、関内に話しかける。


「ん? 何だ?」

「県警本部に戻るついでに自宅の方に寄って着替えだけ取ってきてもいいですか?」

「昨日お前は着替えを取りに自宅に戻ったはずだよな?」

「そのー、今朝バタバタして着替えを持つのを忘れてしまいまして……」


 朝、遅刻が確定した塚原は大慌てでアパートを飛び出したため、着替えを持つのを忘れてしまっていた。

 だから塚原は県警本部に戻る途中、アパートに寄って着替えを取りに行っていいか、関内に聞いたのだ。


「まったく」


 関内は呆れた顔をしつつ、懐からタバコを取り出し、口に咥えて火をつけた。


「ふぅー。分かった。着替えを取りに行くだけだからな」

「ありがとうございます。あっ、それと関内課長」

「今度は何だ?」

「大変申し訳ないんですが、俺、運転中にタバコ吸われると気が散っちゃって運転できないんですよ。だから、関内課長がタバコを吸い終わるまで発進できないです」


 塚原は、運転中にタバコを吸われると気になって気になって運転に集中できない部類の人間であった。


「…………ほう、そうか」


 関内は塚原を見つめながら、


「すぅううううううううううううううううううううううう!」


 一息でタバコを根本まで吸った。


「ぶはぁー。こ・れ・で・い・い・か・な?」

「あっ、はい」


 口から大量の煙を吐き出しながら喋る関内を見て、余計なことを言ってはいけないと考えた塚原は、関内が吸殻を携帯灰皿に入れたのを確認してから速やかに覆面パトカーを発進させた。

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