第166話  ナカモト・クリニック

10月13日 午後2時。松濤の家に帰ってくる。JIAのスタッフが送ってくれた。

今日は午後5時から奨学金申請者の面談だと言うので、西多磨霊園の『ユカ』の墓に行く事にした。飛んで行けばすぐだ。ジーパン・ジャンバー姿で飛ぶ。ほんの5分で上空に来たが、日曜日で人が多い。事務所の建物裏手に着地する。花と線香とマッチを買い、園内巡回バスに乗って第30区画に行く。墓の周りを掃除し、持ってきたタオルで墓石を拭く。

花を活けて線香に火を点ける。眼を閉じて手を合わせると、ユカの笑顔が浮かぶ。一緒に肉屋で買って来て焼いたステーキや、肉じゃがを思い出す。線香が半分になった所で墓を離れた。


 午後5時。4人の学生と面談する。奨学金が出せるのは1人だけだった。その一人を残し、来年完成予定の中本寮の話をすると『夢のようです』と言ってくれた。ボソボソと聞き取れないような小さな声で話す男だったが、微生物の話になると顔を輝かせて熱く語ってくれた。


 午後8時。 二階堂が治療希望の50代の白人を連れて来て『五角形から来ました』と言う。ペンタゴン、アメリカ国防総省からという事か。

 癌だった。肺癌が他にも転移している。10分で身体から全部の粒子を飛び立たせ終了する。終わったと言うとアメリカ人が和室で立ち上がって言う。

「18時間も掛けて来たのに、たった10分で終わりなのか?ちゃんと検査しろ」

「検査じゃなくて治療が終わったんだ・・・深呼吸してみろ」

 男は何度か深呼吸したり、一気に息を吐いたりしている。表情が明るくなってくる。

「信じられないが・・・前と違う。調子いい」

「だから、治ったって言ってるだろう」

 男は100万ドルを置いて帰った。NPOの資金が37億4000万円になったと二階堂が言った。


 娘達のこれからの安全面の事を二階堂と話し合う。英会話学校には行きも帰りも神原の車を使う事にする。神原を応接間に呼んで話した。神原の希望としてはG63は原宿でも目立つので、ありふれた目立たない車なら良いのだがと言う事だった。

 ありふれていても安全な車は何だと聞くと、『クラウン』、『アルファード』が出て来る。

確か、銀座でトヨタの人から名刺を貰っていた。明日にでも連絡を取る事にする。


 午後9時になり、娘達とリビングでケーブルテレビの映画を見た。『チョコレート・ドーナツ』と言う映画で、ショーパブの様な店でステージに立つゲイの男が、殆ど育児放棄されているダウン症の男の子を保護しようとする話だった。娘達は涙を流して見ていた。

 いい映画の後で3人で風呂に入る。オッパイに挟まれていると自分が充電されていくように感じる。


10月14日 午前中5人、午後6人の治療希望者が来た。8億5000万円の寄付が集まった。NPOからは1000万円の出費が有ったが残高が45億8000万円になる。


 昼の休憩時に東京トヨペットの人の名刺を見つけて電話した。アルファードの納期は最短でも3ヶ月掛かると言われて電話を切った。二階堂が裏から手を廻す事になる。

 どこから圧力を掛けたのか知らないが、アルファードは1週間で納車される事になった。3500ccのエグゼクティブラウンジというのが登録まで入れて800万円だと言う。色は黒にした。NPOの金で買っても大丈夫だと言われたが、自分の金で買う。500万円を出し、韓国人の金から頂いた300万円と合わせて二階堂に渡した。金庫と横に置いてあるケースには合計で22億4400万円が入っていた。


 午後6時からは奨学金申請者8人の面談をした。合格は3人。

 午後7時に仕事が終わり、すぐに着替えて二階堂と銀座に繰り出す。神原にG63で送らせた。

 アンと麻美を呼んで、並木通りのおでん屋『お多幸』でおでんと酒だ。味のしみ込んだ大根が旨い。お多幸の雰囲気にアンの和服がよく合う。『セクシー』では無く『艶っぽい』のだ。


 8時半になり、すぐ隣りの銀座八番館『夢路』に移動する。既に2組、6人の客が入っていた。まずはシャンパンで乾杯だ。クリュグのピンクで乾杯する。アンは他の客への挨拶で忙しい。ひとしきりの挨拶を終えて席に戻って来て言う。

「この後、3組の客さんが来るの。女の子も8人に増やしたけど、もう限界かも」

「広い場所に移るか?」

「それも考えたんだけど、店はこのままで会員制にしたらどうかなって」

「いいんじゃないか。値段も上げて、女の子の給料を上げれば、いい子が居つくだろ」

「今、席料がハウスボトル込みで3万円でしょ。それを5万円にしてハウスボトルは無しにしようかと思ってるの。ハウスボトルしか飲まない人に限って変な客が多いから」

「会員制クラブか。新規は紹介が必要で、しかも予約制なんてどうだ? 来る前に電話で空きを確かめないと入れない」

「それいい。取り敢えず、賛成してくれて良かった」

「じゃあ、もう1本いくか」

 ベル・エポックのピンクが運ばれてくる。花柄のシャンパングラスを持ち上げて乾杯する。

 9時半になり店が満員になったので清算して店を出た。今日は60万円の支払い。

 並木通りを歩くがシャンパンの酔いが廻って眠くなってくる。アンにも『今日はダメな日』と言われていたのでタクシーで帰る事にする。


 松濤の家に着いたのは10時半になっていた。

 ベッドに横になるとイザベルから電話だ。

「トール。元気?」

「元気だよ。イザベルは?」

「こっちはみんな元気。プチがね、ちょっと元気無いの。今日はご飯食べなかったの。変な物食べたのかな・・・それと、こっちで病院を作れないかって話が出てるの」

「病院? また大変な話だな」

「セブの西側には大きな病院が無いから、大変な患者はセブシティに行くしかないの」

「遠いし大変だな」

「そう、遠いだけじゃなくて私立の病院は治療費が凄く高いから・・・」

「財団で何とか出来ないかと言う事だな」

「でも、無理よね・・・学校関係で47ミリオンも送って貰ったばっかりだし」

「金は何とか出来るかも知れないけど、医者や看護のスタッフは集められるのか?」

「医者の待遇をもの凄く良くすれば確保は出来ると思う。今、フィリピンは医者不足で困ってるの。みんな給料の良いアメリカに看護師として行ってしまうからなの。フィリピンの医師免許で、向こうで看護師として働けるから。アメリカで看護師をすれば、フィリピンで医者としての給料の5倍稼げるから・・・」

「でも、アメリカで暮らすと生活費も高いだろ」

「そう。だから、今のフィリピンでの給料を2倍に出来れば海外に出て行く医者も半減するし、出て行った人も戻ってくるかも知れないの」

「分かった。じゃあ病院を作る為の資金の計算だけでもしておいてくれ。明日帰るよ」

 電話を切った。学校に続いて今度は病院かと考える。建物よりも医療機器に掛かる金額が高いだろうと考える。


10月15日 朝7時に起きる。二階堂に電話し、今日の診療は午前中だけにした。


 庭でパオと遊ぶ。元気いっぱいだ。もう大型犬というサイズに近くなっている。幸恵が買って来たのだろう。新しい青い革の首輪をしている。歯も尖った乳歯ではなく、しっかりとした大きな歯が伸びてきている。元気が無いというプチが気になる。


 8時になって幸恵から朝食が出来たと声が掛かる。スクランブルエッグとソーセージ2本にコーンスープとパン。コーヒーカップを手にリビングのソファーに座ってテレビを点ける。

 ニュースでは、第一海堡で観光船に裸の男が救助されたと報じている。観光客がスマホで撮ったような画像で、下半身と顔にボカシを入れられた裸の男が立ち上がって手を振っているのが映る。韓国大使館の金だ。思わずコーヒーを噴き出しそうになった。


 9時になり二階堂が患者を連れて来る。治療の開始だ。午前中に5人。1人は若い頃、セクシーさで売っていた30代の有名女優で乳癌だった。5人から35000万円の寄付が集まった。NPOの残金は49億3000万円になった。


 12時に5人の治療が終わったところでNPOのスタッフが医療系の研究室への寄付をしたいと言ってくる。

 IPS細胞の研究室から2人の研究員を連れて来ていた。2012年にノーベル賞を取っていた教授が率いる研究室からだった。資金さえあれば研究が進むらしい。研究室とウチのスタッフの目を信じて3億円の寄付をする。

 今週の出金分を差し引いてもNPOの残金は46億円だ。


 午後2時。昼食を済ませて庭からフィリピンに向けて飛び立つ。下を見るとパオが俺を見上げている。高度を12000メートルまで上げて南西へ飛ぶ。

 30分で高度を下げる。セブがすぐ近くに見え、自宅の裏庭に着地する。庭先にあるレストランの建物で昼の残り物を食べる。イザベルの母親が言うのを姉が通訳する。

「トールはいつもお腹空かしてるね」

 車はガソリンで走る。俺は食い物で飛ぶ・・・言えれば楽だが。

 プチが俺を見つけて歩いて来る。いつもなら走って来るのに、確かに元気が無い。

 母屋に連れて入り、ソファーに寝かせて念力で動きを止める。お腹に手をかざす。癌の治療の時によく感じるのと同じ冷気を感じる。神経を集中する。手の周りと開いているプチの口から粒子が立ち上がり消えていく。念力を解くと、プチはとたんに元気になり尻尾を振りながら俺に飛びついて来る。ドアを開けて外に出すと、元気に吠えながら走って行った。


 姉のバイクの後ろに乗り事務所に行く。途中で警察のパトカーに追い抜かれる。

 助手席の警官が追い越しざまに俺の顔を見て身を乗り出し『トール!』と叫んで手を振って行く。


 事務所に着くとすぐに奨学金申請者と面談だ。6人の面談をして2人に奨学金の支給が出来そうだった。

 午後5時になりイザベルが言う。

「日曜日の結婚式、忘れてたでしょ」

 迂闊だった。すっかり忘れていた。

「ゴメン。韓国人と戦ってた・・・」

「忙しいとは思ってたけど・・・兄には謝ってね。出席するって約束してたんだから」

「分かった。式とパーティーはちゃんと出来たの?」

「盛大にやりました。市長や警察署長まで来てくれた」

「そうか。良かった。病院の方はどんな感じだ?」

「それが、資金が何とかなっても新規の病院となると許可の関係で、もの凄く時間が掛かるの。小さなクリニックなら簡単だけど、入院施設の有る病院は大変」

「クリニックか・・・クリニックでいいか。レントゲンと超音波の設備程度で一応の病状を見て、俺の治療を受ける順番を決めるんだ。薬を出す程度でいいなら処方箋を出す」

「そうだね。それで十分、困ってる人達を助けられる。ナカモトクリニックだね!」


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