第160話 中本寮
10月1日
朝から風が強い。台風が接近している。オヤジも夕べは網を仕掛けなかったらしい。船を高い場所に上げるのを手伝った。船外機を外して車庫に仕舞う。プチは飛んで行く落ち葉を追いかけて遊んでいる。台風が来た時の為に、家の大きな窓全部に付けていたシャッターを下ろす。
今日は事務所も休みにする。工事現場も休みだ。朝9時には強風のエリアに入り停電する。街中が停電だ。オヤジがジェネレーターを廻し、家では通常通り不自由なく電気が使える。ビールを飲んで昼前から寝室でイザベルと愛し合う。
昼食を1階で食べながらテレビを見る。台風の様子が放送されている。孤児院の事が気になる。財団の事務所に小さい発電機が有ったのを思い出した。
「イザベル。事務所に発電機が有ったな。どこに仕舞ってある?」
「奥の物置。どうするの?」
「孤児院に持って行く。窓を開けられないから扇風機を使いたいだろ」
イザベルも一緒に行くと言ってハイラックスを運転する。延長コードを忘れずに持って行く。
事務所に着き発電機を持ち出す。ホンダの1KWのジェネレーターだ。ガソリンをチェックすると満タンになっている。
孤児院に運び裏の軒下に置きエンジンを掛ける。始動の紐を引く事5回目でエンジンが掛かった。延長コードを繋ぎライトを接続する。薄暗くなっていた部屋が一気に明るくなり子供達の歓声が上がる。扇風機も3台繋いだ。蒸し暑くなっていた空気が攪拌されて幾分涼しくなってくる。
テレビも接続する。電気が戻って来た時のエンジンの切り方とガソリンコックの閉じ方を若いスタッフに教えた。6時間はガソリンが持つ。時計を見ると午後1時半だ。7時までに電気が戻らなかったら、又来ると約束して孤児院を出た。
ガイサノの車用品売り場に行ってガソリンの携行缶を買った。10L用が有った。ガソリンスタンドで携行缶を満タンにして自宅に帰る。午後になって雨風は一段と激しくなった。窓のシャッターに何かが飛んできて当たる音が何度もする。
オヤジがボートを心配して見に行くと言う。俺と兄が付いて行った。
浜の高い所までボートを上げていたが、そこまで波が届いている。オヤジを残して俺と兄でボートを更に高い場所に上げた。念の為に近くの立ち木にロープで繋いでおく。
家に帰ると3人共ズブ濡れだ。風が熱いので寒くはない。濡れたままで玄関脇の作り付けのベンチに座って、3人でビールを飲んで笑った。
ガレージの中に避難しているプチが俺達の声を聞きつけて吠える。可哀そうなのでガレージに入り撫でてやる。
午後6時に電気が戻る。孤児院でもほっとしているだろう。ジェネレーターは明日取りに行けばいい。強風は夜半過ぎまで続いた。
10月2日 朝早くからみんなが活動している。6時に起こされてイザベルに背中を押されて浜に行く。浜にはいろいろな物が打ち上げられていて子供達が漁っている。母親と姉は暗いうちから浜に来て、打ち上げられた魚を拾っていたそうだ。戸板や屋根材のトタン等も有る。近所の人が拾っていく。壊れた家を直すのだ。逞しい。
家に帰って冷蔵庫からビールを出したがイザベルに取り上げられ、代わりにコーヒーをくれた。
みんなは家の周りに落ちているゴミを拾っている。その周りをプチが嬉しそうに走る。
朝食が終わり財団の事務所に向かう。所々に壊れた家や商店が見える。市場の屋根も飛んでしまった部分がある。それを補修する人達で街は活気にあふれている。打ちひしがれない強さがいい。
財団のスタッフは全員が出社していた。みんな仕事に誇りを持っているのと給料がいいから良く働く。この街では日給200ペソ前後の給料がザラだが、財団では初任給から一日400ペソ計算で渡している。25日の出勤で月給1万ペソだ。月に2回の給料日に最低でも5000ペソが支払われる。財団にはいくつかの課が有り、それぞれの責任者には日給計算で500ペソから600ペソが払われる。ちなみにイザベルの給料は600ペソで妹は500ペソらしい。俺にはビールだけだった。
午後になり二階堂から電話が掛かってくる。治療希望者の順番待ちが出来ていると言う。後で帰ると言うと、午後8時からの予約を受けるので間に合うように帰って来てくれと言われた。
イザベルに事情を話すと悲しそうな笑顔で『頑張ってね』と言われる。
午後3時と4時に2人ずつの面談を終わらせた。奨学金を出せるのは2人だけだった。4時の面談の後で、孤児院からジェネレーターを引き上げてイザベルと家に帰った。チキンバーベキューを丸ごと一羽食べて腹を膨らまし、午後5時半に裏庭から飛び立った。
12000メートルの高度で30分継続して最高速で飛べた。高度を下げて見ると左下に紀伊半島が見える。3000キロ程を飛んだのか。時速で6000キロ以上。マッハ5になる。速度を加減して15分程で松濤の家に戻る。いつも通りにパオが俺に気づき、続いて幸恵が気がつく。庭に座りこんでパオの好きなようにさせる。顔中を舐められシャワーを浴びに行く。シャワーが終わり、寝室で部屋着を着ていると娘達が入って来て抱き着く。綾香が顔を寄せて言う。
「オジサン・・・どこか連れてって」
マキも俺の胸に顔を埋めて言う。
「最近、オジサン忙しすぎ」
2人をなだめてダイニングテーブルに着き夕食を食べた。ビーフシチューだった。
午後8時になり4人の外国人を連れて二階堂が来た。白人が2人と中東系が2人だ。それぞれ1人は付き添いだった。1人の患者は癌で1人はHIVからエイズが発症している患者だった。
二階堂と癌患者を応接間で待たせ、HIV患者の白人を和室に入れる。
息が苦しそうで肺炎になっているようだ。畳に寝かせると全身から冷気を感じる。身体の中心、腹部に手を当てる。一旦手を放し、窓を開けて再度手を当てる。手の周りから立ち上がる大量の粒子が窓の外に流れ出て行く。5分で冷気が無くなり粒子も見えなくなる。患者が置き上がると呼吸の度に聞こえていた喘鳴が聞こえなくなっていた。応接間で待っている付き添いの元に戻す。
キッチンでオレンジジューズを飲み体力と気力を取り戻し、和室に入る。
中東系の男が座布団の上で正座している。日本語で俺に話す。
「病院をいくつも回りましたが手術は無理だと言われています。脳腫瘍なんです。もう腫瘍がゴルフボール位の大きさになっています。眼も良く見えなくなった」
畳に寝かせ、額に手を当てる。手の周りと、患者が少し開けた口からも粒子が立ち上って来る。粒子は空けている窓に向かい消えて行った。手を放し、患者が目を開ける。部屋の中を見回している。
俺に抱き着いて言う。
「ハッキリ見える・・・それに、背中に載せていた重りを下ろしたみたいだ。先生、有難うございます」
センセイと言われてしまった。
2人は1億円ずつを払ったと二階堂が言う。奨学金と経費で既に1億3000万円が出て行っていたがNPOの残金としては8億円が残っている。
リビングのソファーで休んでいると、二階堂が来て『もう一人だけ』という。応接間に行くと、前に来た国境なき医師団の日本事務局長が40代の男性と座っている。その男性は中央アフリカで医療活動をしていたが、心臓に問題が有り帰国させたと事務局長が言う。
和室に移動する。胸に手を当てると強い冷気が感じられる。手を置いて5分で全ての粒子が出て行った。和室から応接間に戻る途中で男が言う。
「医者として、これで治ってしまうと言うのが信じられないのですが、事実ですね。動悸がしない・・・何も言えません。又、アフリカに戻れます。先生がもしアフリカに行ったら、国一番の呪術師と言われるでしょうね」
歩きながら2人で笑った。応接間に入ると、立ち上がる事務局長に男が言う。
「すぐにでも向こうに戻れますよ」
胸を叩いて見せる。事務局長が俺の手を取って礼を言う。彼は二階堂に向かって言う。
「本当に謝礼はいいのですか?噂では治療費は1億円とも聞いていますが」
「結構です。 それに中本は医者ではないので、他の方からはNPOへの寄付として貰っています。その寄付の内の1億円を、今回も『国境なき医師団』への援助として寄付します。 いいですね、ボス」
「いいに決まってるだろ」
2人は何度も頭を下げて、1億円を持って帰って行った。2人には黒い影は一時たりとも見えなかった。
二階堂に言う。
「アフリカに行ってみたいな」
「やめて下さい!」
キリが無いと言い二階堂は怒る。
在日米軍の殆どが引きあげた今、軍事的な脅威がいつ起こるか分からないので遠い場所には行けないと二階堂は言った。
NPOの今の資金は7億円だと言って二階堂が帰って行った。
午後10時になっていた。自分の部屋の風呂に湯を溜める。一定の量の湯が溜まると設定した温度で保温する。良く出来ている。フィリピンでは考えられない設備だ。待っている間はリビングでビールを飲んだ。缶ビールが空になり部屋の風呂に行くと娘達がバスタブの中で俺を待っていた。真ん中に座る。オッパイに挟まれる至福の時間だ。
10月3日 朝9時から患者が来る。午前中に4人を診て、ステーキの昼食後、2時まで昼寝して午後7時までに5人を診る。政府関係者が4人で2億円。事業家が4人で4億円。
他にも、自分の癌の発見が遅れた、腕がいいと評判の外科医が1億円を置いて行った。この医者には二階堂が『あなたの命の値段でいいです』と言ったらしい。一日で7億円の寄付が集まった。
日本でも奨学金の申請者の面接には俺が立ち会う事にする。人口が減少している日本は、これから優秀な頭脳で世界と勝負するしかない。優秀な若者にはアルバイト等で時間を無駄にしないで学業や研究に集中して欲しい。
今日は治療の合間に2人の奨学金申請者と会った。男女一人ずつで、一人には年間200万円。もう一人には年間300万円の援助が決まりそうだ。それぞれの状況に応じて援助の金額が決まる。援助を受けている学生には、月に一度の状況報告も義務付けられる。
二階堂に学生寮を作ったらどうかと相談する。経済的に困っている優秀な学生を無料で入寮させ学費も面倒を見る。朝晩の食事も提供する。買い物や料理などの時間も勉強に廻せ金銭的な心配は一切無くなる。学生同士の交流を持たせることで新たなアイデアも生まれるかも知れない。
二階堂は資金面での不安を言うので俺が寮の資金を出し、NPOが俺に家賃を払えばいいと言った。二階堂は大乗り気だ。JIAにも優秀な頭脳が必要だと言い、早速実現へのプランを練ると言った。
10月4日 朝9時に診療開始だ。午前中に5人を診る。午後2時まで休憩し午後にも5人を診た。休憩中に学生2人と面談する。1人は全くの詐欺師で1人には年間200万円の援助が決まるだろう。今日の寄付金合計は6億5000万円。援助の支出や経費を出した残りが、合計で20億3000万円になった。NPOのスタッフの人数は12人に増えている。
10月5日 朝からNPOの1人の女性スタッフに連れられて、神原の運転するG63で多摩地方に有る小児病院を訪れる。
単なる怪我や病気ではなく、先天性の疾患の有る子供達専門の病院だ。20人がベッドに寝ており、8人が床に座って遊んでいる。それぞれが今の医療では手の付けられない患者と言う事だった。症状は聞かずに一人ずつ全身に手を当てて行く。殆どの子供達の頭から冷気を感じる。休みなしに手を当てた。午前中に10人から粒子を立ち上がらせ冷気を取り除いた。
喋る事が出来なかった子が声を出し、眼の見えなかった子供が看護師に指をさす。動くことが出来なかった子が這って歩き出す。明日には立ち上がるだろう。
NPOスタッフに買って来させた昼食の弁当を2個食べて空いているベッドで1時間寝た。
昼寝から起きると、元気になった子供達の親が来て子供を抱いて泣いているのが見える。スタッフに親たちを俺に近づけるなと言う。体力を無駄に使いたくない。午後7時までに更に12人の治療が終わる。元気になった子供達の親の差し入れで夕食を済まし、午後9時まで寝る。残りの6人から冷気を取り除けたのは深夜0時になっていた。疲れで床に座り込む俺を神原とスタッフがG63に連れて行った。
車の中で親達からの差し入れを食べる。松濤の家に近づく頃には多少の元気が戻った。そのまま家に帰らずに焼肉屋に行き、3人で祝杯をあげた。ビールが旨い。
小児病院には週明けに新たな患者が入って来るらしいとスタッフが言った。
10月6日 日曜日だ。二階堂に、10件の治療と4人の面談があると言われる。幸恵にステーキ肉を買って来させる。
午前中に5人、午後にも5人を診る。10人の内4人が外国人だった。寄付金合計は15億5000万円だった。何故そんなに集まったのかと聞くと、1人はクエートの石油王の息子で10億円を払って行ったと言う。払って行ったのではなく、二階堂が請求したのだろう。NPOの資金が33億8000万円になった。
面談では2人に援助が決まりそうで、年間200万円と250万円になりそうだと言う。
昨日一日、時間が有った二階堂が寮の候補地を探して来ていた。日比谷線、南千住駅の前に有るJRの操車場の駅側の土地2000坪を20億円で譲ってもらえると言う。
何処からか圧力を掛けたのだろう。韓国人エージェントと対決したのと同じ敷地内だ。
建築プランも練っており、20平米のワンルームの部屋が30室入る3階建ての建物を男女別に2棟建て、2棟の中間に2階建ての食堂や運動の為のジムを作る。居室の建物が共用部分を合わせて延べ面積が1棟あたり約800平米で242坪。食堂の建物が延べ面積で50坪。合計延べ面積が534坪で、坪単価70万円で合計37380万円。外構を入れて4億円強。建物で取られる面積が約190坪なので駐車場なども余裕で出来る。防犯設備やその他の設備を充実させても5億円有れば出来ると言う。
「いいじゃないか。設計士に図面を書かせよう。食堂の建物に集会室も欲しいな。学生たちと集まれるような」
「分かりました。すぐに動きます。『NAKAMOTO寮』、いいですね。最高のアイデアです」
二階堂は張り切っている。ナカモト寮ね、まあ、いいか。
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