第147話  置屋

9月5日 午前9時半。イザベルに起こされる。彼女は浜でオヤジを手伝い、魚を売り終わって帰って来た所だった。今日は大漁で、900ペソの売り上げだったらしい。

 1階のダイニングに降りるとオヤジが朝食を食べていた。オヤジの正面に座って分かりやすい英語で言う。

「今日は魚が沢山獲れたんだね」

「神様が味方してくれてるからな」

「それは心強いな・・・今日は歯医者に行こう」

「歯は痛くないぞ」

「前歯を入れるんだよ。もっといい男になるぞ」

 キッチンに立っている妹が笑う。


 イザベルの運転するハイラックスでバランバンの街の歯医者に行く。インプラントで歯を埋め込むのが一番いいと医者は言い、その方法を説明する。オヤジが怒り出した。大工作業のような事を俺の口の中ではやらせないと言い、1人で出て行ってしまった。

 こうなるとオヤジを説得するのは無理だとイザベルが言う。仕方ない。

オヤジを車に乗せ、市場で米を40キロとドライフィッシュ(干物)を10キロ買い、ガイサノで沢山のお菓子を買って孤児院に向かう。


 孤児院に着くといつも通りの出迎えだ。子供達が走り寄って来る。スタッフにお菓子の入った袋を渡し、キッチンに米の袋とドライフィッシュを運ぶ。寄付の2万ペソを渡すと院長が胸の前で十字を切って受け取った。お菓子を分け与えられた子供達は無心に食べている。院長が悩みを打ち明ける。


 今現在、公立の学校の授業料は無料になっているのだが、教材や、テストの時の紙代などいろいろとお金が掛かるらしい。現状では、ここにいる子供達は、小学校の6年間は終わらせているが、その次の高校に行かせるお金が無いらしい。義務教育の高校を出ないと、まともな職に就けないのだ。孤児院からは18歳になると出て行かなくてはならない。自活して行かなくてはならないのだ。通常は18歳になる年に高校を卒業するが、孤児院の子供達は、複雑な事情を抱えた子供ばかりなので、高校を卒業したとしても1年や2年遅れる子が殆どだ。

 つい最近、ここの孤児院では、子供たちを18歳迄面倒見られるようになっていた。

孤児院の運営は有志の寄付によって成り立っているが、定期的に入って来る寄付金は限られている。公立高校で必要な金額を聞くと、1年で1万ペソ近くが必要だと言う。現在、高校に行くべき年齢の子供が5人いる。全部出してやると約束した。横でやりとりを聞いているイザベルは、ただ微笑んで見ている。

 もう一つの院長の心配事は、18歳になり孤児院を出た子供を、夜の商売に斡旋する者がいて、それが合法的なレストランやクラブならいいのだが、違法な売春宿に送り込み、監禁同様に働かせている事が最近分かったと言う。

 今年の4月に18歳になり孤児院を出て行った『エラ』という名前の女の子。生後1か月で孤児院の前に置き去りにされ、その後はここで育ってきた。高校は卒業していない。年下の子の面倒見が良く、みんなからお姉さんと慕われていた。自分が孤児院を出たら働いて、院内の弟や妹達を高校に行かせるのだといつも言っていたらしい。

  エラが18歳になり孤児院を出た後、院長の紹介で、市場にある八百屋で住み込みで働き始めた。給料は日給80ペソ。食事は食べさせて貰えるので25日で2000ペソを稼げる。月給4400円だ。働き始めて1週間後に斡旋業の韓国人がエラの前に現れた。市場では周りから浮き出て見える様な美人だったのでターゲットにされたのだ。セブシティのバーで働けば今の10倍は稼げ、もし今お金が必要なら前借りと言う形で3万ペソを渡せると言った。

 エラは、バーではどんな仕事が待っているかは知っていた筈だと院長が言う。

  数日後、エラは3万ペソを孤児院のスタッフに渡しに来た。その日からエラの行方が分からなくなった。


9月6日 午後10時。セブシティのダウンタウン。近くにセント・ニーニョ教会等の観光名所も有り、昼間は観光客や買い物客で賑わっているが、夜になるとフィリピンでも有数の危険地帯になる。

 通りに『K』の文字が青いネオンサインで光っている店。エラが働いている店だ。イザベルが探し出した。流石は元CIAエージェント。こんな事は訳も無いと言った。

イザベルをハイラックスの中に残し、1人で店に入ると『アニョハセヨ』と声が掛かる。韓国人だと思われている。店内には5台のプラスチックテーブル。壁にそって長いベンチが有り、女の子が8人座っている。

 テーブルに着くと、ママらしき30代後半のフィリピーナが何を飲むか聞いてくる。ビールと言うとママはウェイターの男にそれを告げる。ママが韓国語で何か言う。俺は日本人だと言うと大袈裟に驚いて見せ、日本人は歓迎だと言い、店のシステムを説明する。

 客が飲むビールは1本80ペソで、女の子に飲ませる場合は180ペソ。カラオケは1曲5ペソ。2階の個室に行く場合は1時間1500ペソだと言う。フィリピン人相手なら500ペソだろう。

 個室で何を出来るのかと聞くと、女の子と交渉次第で何でも有りだと言ってニヤッと笑った。女の子の顔を見る。全員が俺の顔を笑顔で見る。

自分が選ばれないと収入にならないのだ。孤児院で見せて貰ったエラの写真と、頭の中で照らし合わせる。

 化粧に誤魔化されないように注意深く・・・見つけた。間違いない。

  18歳の筈だが化粧のせいで20代半ばに見える。ママにこの子にすると指を指す。『ターニャ』とママが呼ぶ。他の女の子が一斉に俺への興味を失う。

 エラはターニャと言う名前で店に出ていた。

 ターニャをテーブルに呼びビールを1本出す。ママが2階に上がれと煩く言うので、2人のビール代260ペソと個室代1500ペソを払って2階へ上がる。


 3畳間程の広さにベッドのマットレスが置いてある。ベッド自体は無い。部屋の隅に無理やり付けられたシャワーボックスが有る。ターニャが服を脱ぎながら俺に言う。

「やるでしょ?・・・3000ペソ。前払いで」

 3000ペソか。吹っかけているな。1000ペソ渡して言う。

「話をするだけだ・・・エラ」

 客の俺の口から自分の本名が出て、エラの動きが止まる。

「誰?何をしに来たの?」

 エラに全てを説明し、ここでの待遇を聞いた。バランバンを出る時に前借した3万ペソが、まだ返せていないと言う。毎日少なくても2人の客が着く。多い時は4人。自分の収入になるチップは平均すると400ペソ。部屋代を払ったからと言って全くチップを渡さない客もいる。それでも相手をしないとママが激怒する。

  一日平均1000ペソの個室でのチップとビールを飲んだ時のバックが1本70ペソ。しかし、寝るスペースだけの住み込みの部屋代が2食込みで一日700ペソという高額で、借りた3万ペソに掛かる利子が週に12%。1週間で8500ペソの支出に収入が追いつかない。

 契約書にサインをしているので、借金が有る内は辞められないと言う。外出も禁止なので逃げる事も出来ない。


「バランバンに戻りたくないか?」

「初めの2か月は毎日あそこを思い出してた・・・でも。もう無理。私が馬鹿だった。あの韓国人の人、凄く親切だったの。契約書にサインするだけで3万ペソ入るから、孤児院のみんなは学校に行けるし、私は美味しいご飯を毎日食べられるって・・・」

 エラを部屋に残し1階に降りる。オーナーに会いたいとママに言う。『見受け』というのもたまに有るのだろうか。ママはオーナーに電話する。すぐにオーナーだという韓国人が来て、一緒に隣の建物に移動する。


 事務所らしき狭い部屋には、オーナーと人相の悪い韓国人らしき2人とフィリピン人2人が俺を囲む。

 エラを連れて帰りたいと言うと、契約書を出してきた。3万ペソの借用書も兼ねている。最後に小さな字で、3年契約で、契約を途中で終了する場合はペナルティとして50万ペソを支払う義務が有ると書いてある。

 オーナーに言う。

「凄い契約書だな。これは合法か?」

「本人が納得してサインしたんだから合法だ」

 契約書を手に取って破いて言う。

「お前には合法でも俺には違法だ」

オーナーが笑いながら言う。

「それはコピーだよ。おい、日本人。今どこにいるのか分かってるのか?」

  オーナーが周りの男達に合図し、後ろから掴みかかって来る気配を感じる。

 念力で4人の動きを止める。フィリピン人2人の胸にパンチ。胸骨が陥没する。韓国人2人は前歯を叩き折る。念力を解くと4人は床に崩れ落ちた。

 オーナーは唖然として見ている。

「契約書の原本を全部出せ」

「ここには無い・・・」

 オーナーの右手首を掴み、小指を折った。悲鳴を上げながら言う。

「お前、殺すぞ」

 薬指も折る。意識を失いそうになったので頬を平手で打つ。

「何本折ったら契約書が出て来るかな」

 中指も折る。

「分かった、やめてくれ」

 奥の部屋に入り、キャビネットから契約書の束を出してエラの分を探そうとする。契約書を全部取り上げた。

 契約書を机に置き、エラの名前を探す。脇腹に軽い衝撃。見るとオーナーが包丁を俺の脇腹に突き立てている・・・刺さらない。不思議そうに包丁を見る。

 念力で心臓を握りしめる。口をパクパクさせている。そのまま倒れた。契約書に目を戻す。エラの契約書が見つかった。

 キャビネットに手提げ金庫が置いてある。鍵が掛かっていたので無理やり開けると、1000ペソ札の束が3個入っていたのでポケットに入れる。

 事務所で倒れている他の4人を確かめる。4人共、脈が無かった。

 契約書を全部持って店に戻る。ハイラックスで待つイザベルにサインを送り一緒に来させた。


 店に入り女の子達にイザベルが言う。

「あなたたちの契約は終わりです。荷物をまとめて家に帰りましょう。ここに契約書があります。名前を呼ぶので取りに来て」

 ママがイザベルに殴りかかる。イザベルの蹴りがママの腹に。

 イザベルが契約書の名前を読み上げ、一人一人に契約書を渡す。全員が自分の物だと確かめた後で細かく破り捨てる。

  店の3階が女の子の住まいになっていた。全員が荷物を持って店に集合する。その時、1人の女の子が、客と1階に下りて来る。俺が女の子に聞く。

「チップ貰ったか?」

 首を振る女。フィリピン人の客に言う。

「チップくらいやれよ」

 渋々財布を開いて100ペソ札を出そうとする。財布ごと取り上げて、中の500ペソ札を女の子に渡した。客に財布を返してやり、尻を蹴とばして店から追い出した。

 周りの女の子が状況を説明する。客が帰ったばかりの女は、500ペソを握りしめて慌てて3階に上がって行った。

 女の子9人の準備が出来た。ハイラックスの後席に4人。残りの5人を荷台に乗せて、その場を後にする。


 北上してオスメニアサークルに出る手前のマクドナルドに入る。みんな腹が減っていると言う。イザベルが買って来たフライドチキンとゴハンを全員が食べる。

 フィリピン人の常識では、マクドナルドで食べるのはご飯とチキンであってハンバーガーでは無い。

 俺だけがビッグマックを食べた。フィリピンのオリジナルで、マクドナルドを真似た『ジョリビー』というチェーン店もあるが、ジョリビーでもチキンがメインだ。

 食事が終わると、イザベルが全員に、どこから来たのかを聞いている。9人の内2人は他の島から来ていた。1人はレイテ、1人はネグロスで他の7人はセブだった。

 セブの西側のバランバン地域からは、エラの他に2人。セブシティーの30キロ程北にあるダナオから4人だ。ダナオは銃の密造で有名な街だ。マフィア絡みで売春宿に送られて来たのだろう。

 奪って来た3万ペソから3000ペソずつを9人に分ける。残った3000ペソはレイテに帰る子に1000ペソを、ダナオに帰る4人に500ペソを交通費で渡した。レイテにはフェリーで、ダナオにはバスだ。バランバンに帰る3人とネグロスの1人をハイラックス載せる。


 1時間後、バランバンの自宅に4人を連れて帰った。リビングに出した予備のマットレスやソファーで4人は寝た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る