第146話 アーメン

9月3日 午後11時。さえ子をバイト先のコンビニへ送って行く。朝まで仕事だ。

 二階堂から電話。亀有の共友会の事務所を捜索した警察は銃を数丁発見し、更に同じマンションの6階の部屋から覚せい剤を押収したと言う。同時刻に110番があり、金町のスナックからも覚醒剤が押収され、現場にいた22人の拘束された男女全員から覚醒剤反応が出たと言う。


 深夜0時。松濤の家に帰る。パオはリビングに置いたケージの中で尻尾を振っている。寝室で普段着に着替えてリビングに降りる。パオをケージから出して体中を撫でてやる。音を聞きつけた娘達が部屋から降りて来て俺に抱き着く。娘達が俺にキスをするとパオも負けじと俺の顔を舐めに来る。綾香が俺に言う。

「オジサン・・・遊覧飛行したい」


 2人を抱えて庭から飛び上がる。代々木公園の上をひと廻りして六本木方向に飛び、コンビニでアイスを買い、東京タワーの一番上に着陸した。3人並んで座り、東京の街を見下ろしながらアイスを食べる。東側のすぐ下には芝公園。先には浜松町周辺の高層ビル群。その向こうには東京湾が見える。マキが興奮している。

「スッゴイね、この眺め」

 しばらくすると景色を眺める娘達が無言になる。静かだ。時折、遠くに車のクラクションが鳴っているのが聞こえるだけだ。俺は、セブのイザベルの事を考えていた。娘達は何を考えているのか。


 松濤の家に戻り、俺の部屋の風呂に3人で入る。綾香とマキのオッパイを触っている時に、さえ子を思い出した。


9月4日 午前9時。

 リビングでテレビニュースを見る。2日夜に日米安保解消の調印式を終えたトランプ大統領は3日に細かな協議を終えて、今日の午後、羽田から帰国するようだ。

 幸恵が朝食の準備が出来たと言う。テーブルに着くと、部屋の隅に大きなダンボール箱が3つ積み上げてある。昨日届いたらしい。娘達は箱を開けたがったが、宛名が俺なので幸恵が止めていたらしい。

箱には『MORINAGA』のロゴ。

「幸恵さん。中身はお菓子だから開けて構わないよ。幸恵さんも好きなのが有ったら自由に食べて」

 幸恵が箱を一つ開けて見る。

「こんなに、どうされたんですか?」

「仕事のお礼で送ってくれたんだよ・・・3箱も来るとは思ってなかったけど」


 神原が下から上がって来て俺を呼ぶ。『ボス』・・・彼も俺をボスと呼ぶ。『ご主人様』や『社長』などとは呼ばれたくない。

「外に、大変なお客さまです」

 2階の玄関から外に出ると、護衛らしき白人が立っている。一人の男が車の後部座席の窓を開け、俺を見て笑顔を見せる。白いクラウンの後部ドアを開ける。アポロキャップを被った男が車から出て、俺の方に走って来る。玄関への階段を駆け上がり俺の目の前で立ち止まる。トランプ大統領だ。家に招き入れる。

「おはようトール。何も言わずに来てしまって申し訳ない。帰る前に一回はトールの家に寄りたくてね」

「ユーの家みたいに立派な所じゃないよ。お忍びで出て来たのか?」

「そうだ。警備の行列を作ってきたらトールに迷惑を掛けるだろ」

 トランプ氏はリビングに入り幸恵に挨拶する。幸恵は目を見開いて驚いた。

 応接室で座る。幸恵が入って来て、コーヒーが緑茶かと聞くので俺が聞いてやる。

「コーヒー・緑茶・ビール。どれがいい?」

「最後の奴がいいな」

 2人でビールを飲んだ。家の事や家族の事をお互いに話した。公的な事は一切話さない。

 この家を買うのに14ミリオンドルを払ったと言うと大袈裟に驚くが、マンハッタンのトランプタワーの横にコレを建てれば、同じくらい掛かるだろうと言うと、東京で一番高い場所かと呟いて納得する。

 僅か20分の滞在で出て行く。玄関を出る時には帽子を被り、小走りにクラウンに向かう。車に乗り込む時に、一度だけ振り返り俺に手を上げた。俺も答える。


 家の中に入り、リビングのソファーに座る。幸恵は玄関の外で、神原は道路で、トランプ氏の車が見えなくなるまで立っていた。入れ違いに二楷堂のアルファードが着く。二階堂が慌てた様子で家に入って来る。

「ボス! トランプ大統領が消えました。今それで大騒ぎです」

「今、帰ったとこだよ」

「帰ったって・・・ここに来てたんですか?」

 二階堂の後ろに立っている神原に言う。

「なあ・・・今、出てったとこだよな」

「はい。只今、お帰りになりました」

 二階堂が床に座り込んで言う。

「何をしてたんですか・・・ここに来て」

「一緒にビール飲んでただけだよ。お前も飲むか?」

 二階堂は首を振りながら立ち上がり、携帯を手に応接室に入って行った。電話が終わって出て来た二階堂に缶ビールを渡す。数秒ビールを見ていたが、プルトップを引き、やけになって、立ったままビールを飲む。娘達がリビングに降りてきて俺達を見て言う。

「オジサン達、朝からビールなんか飲んでないで、仕事しなきゃダメでしょ」

 俺は二階堂を指差して笑った。周りにいた幸恵や神原も笑い出す。二階堂に言う。

「ダメだよ。ちゃんと仕事しなきゃ」

 二階堂は床に座り込み、ビールの残りを飲んだ。 パオが庭から入って来て二階堂の顔を舐めた。前足の片方を二階堂の肩に置いて慰めている。


 俺と二階堂は和室にいた。純和風に改装した12畳の和室で座卓を挟んで向かい合っている。床の間には『天照大神』と書かれた掛け軸が掛かっている。マキがそれを『テンテルダイジン』と読んだのを思い出すと、いつも笑いが込み上げる。座卓にはお菓子鉢にモリナガの菓子が山盛りだ。俺はビール、二階堂はコーヒーを飲んでいる。

「ボス。この前、朝鮮総連の金を頂きましたよね。あれはパチンコ関係からの送金分でしたが、今度はクスリ。覚醒剤関係の金が送金されているのを掴みました」

「じゃあ、貰いに行こうか」

「まだ、送金される日程が完全には掴めていません。分かり次第やりましょう・・・今は『瀬取り』という方法でブツの受け渡しがされています。朝鮮側から漁船を装った船でGPS発信機を着けた覚醒剤のパッケージを海に投下して、それを日本側で回収に行くと言うやり方です。先月、保安庁が確保したパッケージには30キロの覚醒剤が包まれていました」

「受け取る側も朝鮮人か?」

「はい。在日で、そっち系の暴力団の場合が多いです。連中は一応漁師ですが、違法にナマコの漁もやっています」

「金は金で頂いて、取引してる連中も何とかしないとな」

「そうですね。保安庁と合同で捜査出来るように動いてみます。4・5日待って下さい」

 二階堂は帰って行った。時間が有るな。セブに行こう。金庫を開けて持って行く金を考える。向こうには十分な金が有る。財布に入っている100万円だけで十分だ。昼飯後に飛び立つ事にする。

 幸恵に5日程、仕事で出かけると言う。昼飯はビーフカレーだった。よく煮込んである牛肉が柔らかくて旨い。


 午後1時。短パンTシャツの上に水色の飛行服を着て庭から離陸。今回はチューブのワサビを持って行く。高度12000メートルで那覇まで1直線だ。30分後には88ステーキで1ポンドのステーキを注文する。午後2時過ぎに再度離陸。30分でセブ・バランバンの家の裏手に着陸。

 飛行服を脱いで正面に廻る。姉がガレージの横で歌を歌いながら洗濯をしている。オヤジは相変わらずハンモックで寝ている。母親と妹はレストランで働いている。客がいるようだ。レストランの建物に行く。驚く2人。妹が聞く。

「お帰りなさい。今帰って来たの?」

「そうだよ。・・・何か食わせてくれ」

 チキンアドボと魚のシニガンスープとご飯。食べている最中にイザベルが母屋から出て来て俺に抱き着く。俺の正面に座って、食べるのを見ている。子供達4人が俺を見つけて寄って来る。子犬と遊んでいたようだ。イザベルに聞く。

「この犬はどうしたんだ?」

「日曜日に、教会の前で売ってたの。ケージに3匹入ってて、一番元気なのを買って来たの。100ペソ」

「100ペソで買って来たのか・・」

 茶色の可愛い雑種犬。生後40日位だろう。俺が手を出すとペロペロと舐める。アドボのソースが付いていたようだ。

「名前は?」

「まだ決めてないの。トールに決めて貰おうと思って・・・子供達は『イル』って呼んでる。ビサヤ語で犬って意味なんだけど」

 犬を『犬』って呼んでるのか。間違ってはいない。

「ポチにしよう」

「どういう意味?」

「意味は無いよ。日本で犬によくつける名前なんだ」

 イザベルは子供達に、子犬の名前は『ポチ』に決まったと言う。子供達が『ポチ』を発音すると『プチ』になってしまう。まあ、いいか。『ポチ』も『プチ』も同じようなもんだ。

 母親もプチと呼ぶ。ウチの犬の名前は完全に『プチ』になった。

 昼メシが終わってビールを1本飲む。オヤジを誘うが、網を仕掛けてから飲むと言う。結構真面目なオヤジだ。見習おう。最近は獲れた魚の半分はレストランでの食材として客に出すようだ。

 午後4時になり、オヤジと一緒に船に乗る。オヤジが網を伸ばしている間に、袋網を持って潜った。カワハギの一種を6匹。40センチ程のブダイを1匹。10メートル位先に大きなイカが見える。水底に張り付くようにしてイカに近づく。胴体だけで40センチを超える甲イカのコブシメだ。念力で引き寄せて袋に入れ船に戻る。

 オヤジが網を仕掛ける作業を見る。熟練の動きだ。一時はこれだけで生計を立てていた。網を仕掛け終わり、俺を見て口を大きく開けて笑った。オヤジの歯をいれてやろう。

 浜に戻り、俺が獲って来た魚をオヤジがバケツに入れて持ち帰った。母親が、バケツからはみ出ているコブシメを見て喜ぶ。イカの脚は2本だけ長い。触手として獲物を捕まえるのに使う。この大きさのコブシメで、泳いでいる時の2本の触手の長さは50センチ位の物だが、獲物を捕まえる時には瞬時に1メートル以上にも伸びる。母親に、長い足の1本は、そのまま料理しないで俺にくれと言うと、その場で包丁で触手を1本切って寄越した。キッチンに持って帰り水で洗って皮を剥いた。長さ50センチの脚は、根元では太さが直径3センチもある。少しだけ切って食べてみる・・・旨い。とろけるような甘みが口に広がる。残りを小さく切って冷蔵庫に入れた。

 

 シャワーを浴びて、夕飯までイザベルと抱き合う。少し、お腹が膨らんで来たような気がする。確か出産予定日は5月だった筈だが、もっと早く生まれて来る様な気がした。

 俺は神から力を得たと思っている。生まれて来る子供の歩く道を開く。聖書で言う『ヨハネ』だ。生まれて来る子供は『イエス』。神の子だ。ヨハネはイエスの父親では無いが、イエスの洗礼者だ・・・だめだ。俺は煩悩の塊だった。

 イザベルに何度も洗礼を受けるように勧められたが断わっていた。洗礼とは『原罪に対する許しを請い、悔悛を表す儀式』だ。 


 無理。俺には無理だ。アーメン。


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