第113話 ユカとの別れ

7月11日

葛飾区。常磐線、亀有駅南口。東京都の北の端の街。

駅前のロータリーに出ると左にヨーカドー。正面の三菱UFJ銀行の右側の道を行くと、スーパー『ハナマサ』。ハナマサを過ぎて右。すぐに右。ハナマサの裏口の前にある一本の路地。両側に小さな電光看板が並ぶ飲み屋通り。スナック、フィリピンパブ等が雑多に並んでいる。一軒のスナックのカウンターに俺は座っている。さえ子とゆうか姉妹の母親の店だ。午後8時。客は俺の他には2人だけ。ボックス席に座ってビールを飲んでいる。カウンターの中にはママがいる。

 俺は厚生省の麻薬取締官と言う事で、亀有警察に協力を要請し、おとり捜査官としてここにいる。JIAにかかれば何でも有りだ。さえ子達の母親の現状を見たかったので、二階堂に頼んで身分を偽った。


「それで、今は一人なの?」

 ママが俺に話しかける。

「まあね。1人も気楽でいいよ。一日運転して帰って、ごちゃごちゃカミさんに言われたら家に帰るのが嫌になっちゃうよ」

 タクシーの運転手と言う事になっている。

「大変よね。嫌な客もいるでしょ?偉そうなのとか」

「いるいる。若造にウンチャンなんて言われたら腹立つね」

「うちの店もおんなじ。大した事ないのに限って偉そうにするの。詰まらない自慢話し聞いてると眠くなっちゃうしね」

「眠くなって困るのは俺達もだよ。特にあったかい昼間がやばいね。コーヒー飲むとトイレが近くなるし、大変だよ」

 後ろのボックス席の男が咳払いする。ママの視線が俺の後ろに泳ぐ。

「眠気覚ましのクスリとか使わないの?事故起こしたら大変でしょ」

「いろいろ試したけど、効かないよ。気分的なもんだね」

「いい薬あるけど、使ってみる?」

「飲み薬なの?」

「アルミホイルにちょっと乗っけてライターで炙るの、で、出て来る煙を吸うの。簡単でしょ?」

「フーン。それは違法な物じゃないの?」

「そうねえ、昔は薬局でも買えたみたいだけど、今は個人的に買わないと無理」

昔?・・・・ヒロポンなんてのが売ってたと聞いたことがあるな。

「ママ、それ持ってるの?良かったらちょっと分けてよ」

「いいわよ。一回分1000円だけど、いい?」

「いいよ。1000円で眠気が飛んでけば仕事もはかどるしね」

ママはカウンターの奥に消えて行き、すぐに戻って来た。小さなビニールの袋を持っている。隠すように俺の手に握らせる。

「使ってみて良かったら、又、分けて上がられるから」

「そう・・・助かるな」

会計をして出て来る。ビール2本とお通しと薬で3500円。

駅前のロータリーを通り過ぎ、環七の方に向かう。環七の向こう側にショッピングモール『アリオ亀有』が有る。アリオ亀有に入りエスカレーターで3階まで上がる。エスカレーターが3階に着く横で、亀有警察の私服女性刑事が右手で髪をかき上げる。尾行は無いという合図だ。 そのままエレベーターに向かい地下の駐車場に降りる。白のステップワゴンに乗り込む。ビニール袋を渡す。車にいた警察官が袋の中身を試薬で検査する・・・間違いない。覚醒剤だ。明日、もう一度薬を買いに行くことになる。その現場に警察が踏み込む。小さな麻薬取引なので検挙は警察に任せる事になっていた。手柄を上げられる警察側が文句を言う訳がない。


同じ駐車場に止めていたジュリアに乗り換える。午後9時だ。綾香に電話する。上手くいっているので、さえ子には何もするなと言えと、釘を刺しておく。

ユカのマンションへ向かう。コインパーキングに車を入れる。

部屋に行くと、ユカはジーパンとポロシャツ姿の俺に驚く。

「そういう格好も好き。スーツだと、すぐにいなくなっちゃう気がする」

抱き着くユカに聞く。

「腹へってないか?」

「今、焼きそば作ろうかなって思ってたとこ。食べる?」

「すき焼き食べたくないか?」

「・・・食べたい」

急いで着替えるユカ。俺はキッチンで水を一杯飲んだ。亀有で飲んだビールは、緊張していたせいか全く酔っていない。

ユカが着替え終わり寝室から出て来る。三越で選んだ、白のお洒落なブラウスにベージュのスカート。黄色のバッグを手にしている。どこかのお嬢さんだ。

ユカとジュリアに乗り込み、4号線に出る。埼玉方向に向かう。大関横町の交差点を過ぎ、常磐線のガードを潜ると、右側にシャブシャブとすき焼きの『木曽路』が見える。1階の駐車場にジュリアをとめる。

10畳ほどの個室に案内される。和牛特選霜降り肉のセットを注文する。初めから追加の肉も注文しておく。ユカは広い個室に2人なのに加えて、すき焼きの味にも感激していた。さらに追加の肉と野菜を注文し、満腹になる。3万円でお釣りが来た。


駐車場に降りる。雰囲気が変だ。11時になったと言うのに駐車場に車が多い。練馬ナンバーの黒のセダンが数台。ユカの手を握り、引き寄せて歩く。ジュリアまであと5メートルという所で周りの車のドアが開き、男達が降りて来る。1人の男が近寄って来る。見覚えのある顔。ユカの手に力が入る。

「よう、ユカ・・・久しぶりだな」

ユカの元の男。周りを見る。5台の車から降りて来たのは15人。全員がチンピラ風。乗って来た車は、古いセルシオ、シーマ、メルセデス。100万円以下で買える車ばかりだが、ぶつけられれば修理代が車代を上回る。

「ジジイと仲良くやってるのか?・・・迎えに来たよ」

 ユカが叫ぶ。

「イヤ! 帰って。あんたなんか顔も見たくない」

 男が言う。

「冷てえ事言うなよ。お前がいないと生きていけないんだよ」

 俺も言う。

「じゃあ、死ねばいいじゃないか。お前みたいなクズは生きててもしょうがない」

「ああ? ジジイ、言ってくれるね。この前は油断してたからやられたけどな・・・怪我するよ。さっさと1人で帰れば?」

「仲間を集めて強くなったか・・・チンピラ」

男が周りに合図する。向かってくる男達。手にはヌンチャクや特殊警棒。

ヌンチャク・・・懐かしい。中学生の時にブルース・リーの影響でヌンチャクを振り回し、勢い余って自分の頭を思い切り叩いたのを思い出す。


 全員を、俺の身体に触る寸前に弾き飛ばす。地面や車のボンネットに倒れる男達。残ったのはユカの元カレ1人。いきなり地面に膝をつく。

「ユカ・・・俺はお前がいないとダメなんだ・・・薬もやらないし、真面目に働くから帰って来てくれ。結婚して、子供を作ろう」

 ユカの顔を見る。無表情で男を見ている。軽蔑の眼差し。瞬間、ユカの表情が変わり、胸に赤い花が咲く。崩れ落ちるユカを抱き止める。銃声。男を見ると手に銃。銃口から薄い煙。よだれを垂らしている・・・シャブ中。

「そんな目で見るな・・・俺を馬鹿にするな!」

ユカを見る。胸から血が噴き出している。心臓の鼓動に合わせて、ブラウスに血が広がる。ユカの目が俺を見る・・・口が動く。何か言っている。耳を寄せる。

「何!・・・ユカ。何て言った」

ユカの口がユックリと動く。吐息のような声。

「ア・リ・ガ・ト・・・・」

ユカの眼が光を失う。

ゆっくりとユカを地面に寝かせて眼を閉じる。男の方を向く。銃を俺に向けて震えている。

「来るな!・・・撃つぞ!」

男に近づく。

「死にたいのか!・・・撃つぞ!」

男は引き金を引いた。構わずに近寄って行く。

2発、3発・・・リボルバーの全弾を打ち尽くす。男は尻もちをついた状態で後ずさる。後ろの車に背中が当たる。男の前に屈んで、顔の真ん中に拳を叩き込む。顔が陥没した。ゆっくりと手を引き抜き、男の服で汚れを拭った。男の足が痙攣している。ユカを抱きかかえジュリアの後部座席に乗せる。運転席に座りエンジンを掛ける。ゆっくり走り出し、4号線に出る方に車を向ける。フロントガラスに銃弾で穴が開く。ジュリアの先5メートルで銃を構えた男。ヌンチャクを振り回していた男だ。男に向かってアクセルを踏む。撃つ男。数発の銃弾が車のボディに当たる。男をジュリアが跳ね飛ばす。男は4号線に向かって飛んで行く。道路に着地する前に、右から来た大型トラックに身体を持って行かれた。トラックの急ブレーキの音。

ゆっくりとジュリアを4号線に出す。上野方面に向かって走る。

二階堂に電話。事の次第を伝える。そのまま安全運転で赤坂まで来てくれと言われる。

新橋や赤坂のネオンサインが空々しく光っている。全部破壊したい気分だ。

JIAの駐車場にジュリアを入れる。暗がりから二階堂が出て来る。後部座席のドアを開け、動かないユカを見る。フロアには血溜まりが出来ている。

「どうしますか?・・・車はすぐに処分しますが」

「火葬して、骨は俺に・・・頼む」

ユカのバッグを持って歩き出す俺に二階堂が言う。

「ボス・・・大丈夫ですか?送って行きますが」

振り向かずに片手を挙げて駐車場を離れた。タクシーを拾い、浅草のマンションに行く。

部屋に入るなり涙が出て来る。ダイニングテーブルに置かれた英会話の教材。小さな写真立ての2人の写真。2人で使った食器類。何を見ても涙が出て止まらない。新しい服だと言って微笑むユカの顔が浮かぶ・・・俺のせいでユカは死んだ。ベッドに横になり枕に顔を押し付ける。全身が震えるほどに悲しい。


何時間、泣いていたのだろう。立ち上がり、冷蔵庫からビールを出す。ユカが好きだったヨーグルトドリンクが見え、又、涙が出て来る。

冷蔵庫のビールを飲みつくした。テーブルの上には空き缶が5個転がっている。寝室に行き、そのままベッドで眠りについた。




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