第106話 セブのカジノ

7月6日 午前10時

仕事は終わった。船室のベッドに、うつ伏せになって尻を出す。イザベルが笑いながら、撃たれた尻の具合を見てくれている。

「イザベル・・・君の仕事も終わったのか?」

「終わったわ。特に何もすることが無かったけど。トールのアシスタントとして、お尻の具合を見てるのが今回の最後の仕事」

 又、笑い出す。

「マニラに帰ったら、何か他の仕事か?」

「そうじゃないの・・・今回はスポットで仕事を受けただけ。トールが来るから。もう、CIAの完全な職員ではないの」

「じゃあ、もう、今から自由か?」

「マニラに帰って報告書を作れば終わり」

「ボスは誰だっけ・・・・ジョン!ジョンが今回のボスだっけ?」

「そう。彼が私のボス」

「電話して報告書は書いてもらえよ。俺のワガママでマニラに帰れないって言って」

「何をするの?」

「イザベルの田舎に行こう」

 無理やり電話させた。渋るジョンに俺が説得する。『イザベルを今すぐ自由にしないと、俺は今後、CIAに協力しない』と言うと簡単に話が付いた。

パンツを引き上げて、イザベルとブリッジに上がり、キャプテンに話す。

「キャプテン。今すぐイザベルと船を降ります。他の仕事が急に入ってしまいました」

キャプテンが驚く。

「どこで降りますか?コロンなら5時間で着きますが」

「今、ここで降りますので。船はこのまま進めて下さい。勝手に行きますから」

「そうですか。マニラでパーティーだと思ってたんですが、仕事では仕方ないですね」

 見送りは辞退してブリッジを出る。ブリッジの全員が敬礼で送り出してくれた。

 部屋で荷物をまとめる。どうせスピードは出せないので、飛行服やスーツのジャケットはボストンバッグに仕舞う。イザベルの荷物は、小さなバッグ一つだった。

船室から出て、水兵を見つけ、大きなバッグを貰えないかと聞く。ズタ袋の様な大きなグリーンのバッグをくれた。俺達のバッグが楽に2個入る。イザベルには持っている服を全部着させた。それでも高所を飛ぶと寒い。外に出て甲板要員を見つける。着ているジャケットを500ドルで買い取った。


 ぶかぶかのグリーンのジャケットを着たイザベルを見て笑う。子供がお父さんの服を着ているようだ。グリーンの大きな袋のショルダーベルトを、たすき掛けにして俺の前に抱える。最後に、俺の顔を隠す覆面をイザベルの頭から被せる。これでかなりのスピードが出せる筈だ。苦しくなったら俺を叩いて教えろと言い、イザベルを背負い甲板から飛び立つ。


 ここからだと、真っすぐに東だ。高度を徐々に上げる。高度2000メートルでイザベルの身体を慣らす。地上よりも20%程、空気が薄い。スピードは時速250kmといったところか。風圧は地上での200kmと同じ位だ。たまに身体を斜めにしてイザベルに下を見せてやる。エルニドの島々が眼下に見えた時には喜んで叫んだ。エルニドを過ぎ、多少の低酸素に慣れてきたころだと思い、高度を4000メートルまで上げる。気圧が地上の40%近く下がり気温もぐっと下がる。イザベルを前に抱え直す。抱き合う形で、バッグは俺の背中側だ。スピードを上げる。時速500km。20分後に大きな島が見えて来る。パナイ島だ。パナイ島を通り過ぎる最後の部分に、大きな街が見える。イロイロという街だ。次の大きな島がネグロスだ。大きな街はバコロドだ。サトウキビ列車のシュガートレインで有名だった街だ。次の島がセブだ。セブは縦に細長い。あっという間に東側に出てしまう。高度を下げる・・・1000メートル。スピードは200km。セブの東海岸に沿って南下する。すぐにセブシティが見えて来る。大きな街だ。俺に抱き着いているイザベルに下を見させる。大声で聞く。

「セブだぞ・・・降りるか?」

頷くイザベル。大きな緑地が見える。ゴルフ場だ。そのすぐ西側にビル群。セブITパークだ。南側に城のような大きなホテルが見える。『ウォーターフロントホテル』だ。敷地内の人気のない場所に着地する。約800キロを飛ぶのに2時間程かかった。

イザベルの身体が冷え切っている。マスクだけ脱がし、しばらくそのまま抱きしめる。

イザベルが身体を離して言う。

「もう大丈夫」

「田舎は近いのか?」

「遠くはないけど、島の反対側、西側なの」

「もう一回飛ぶか」

「いいの。帰る前に買い物して行きたい。おみやげ」

「じゃあ、今日は街に泊まって、明日帰るか?」

「うん、それがいい!」

花が咲いたようなイザベルの笑顔だ。

「このホテルに泊まるか。買い物する場所はここから近いの?」

「タクシーを使えばすぐ」

「OK。このホテルに泊まろう」

イザベルは米兵のジャケットを脱ぎ、俺はスーツのジャケットを着た。グリーンのバッグを肩に掛けてホテルの建物に入る。エグゼクティブスイートが空いていた。1泊11000ペソ。眺めのいい部屋だ。部屋の広さも50平米以上あり、十分だ。

 交代でシャワーを浴びる。腹が減って、イザベルに襲い掛かる元気がない。シャワーを終えてレストランに直行だ。ステーキ、サラダ、ご飯、ビール。デザートにマンゴーとパパイヤ。2人とも1ポンドのステーキを注文したが、イザベルはステーキを食べきれず、俺に半分寄越した。満腹だ。

会計は9000ペソ。財布には、マニラで両替したペソが23000ペソ残っている。イザベルに、買い物には23000ペソで十分かと聞くと。自分のお金が有るから大丈夫だと言われた。

タクシーに乗り『アヤラセンター』というショッピングモールに行く。歩いてもすぐの距離だったが、午後の街中は空気が悪いので歩きたくないと言う。確かに排気ガスをまき散らす古いトラックやバスが我が物顔で走り回り空気が悪い。

アヤラセンターに入ると、イザベルは俺をスターバックスに連れて行き、1時間待っていてくれと言う。その方が助かる。女の買い物には付き合いたくない。1万ペソをイザベルに渡した。俺からのお土産を買ってくれと言うと、イザベルは『アリガト』と言い最高の笑顔をくれた。弾むように歩いて行く。

 コーヒーを飲みながら休憩だ。周りを見渡す。席の殆どが埋まっている。学生も沢山いる。みんなが手にしているのは甘そうなクリームが入った飲み物。1杯140ペソ前後はする。300円位だ。庶民の殆どが月に3万円以下の給料で働いている。収入が日本の10分の1とすると、1杯3000円相当の飲み物を学生が飲んでいる事になる。貧富の差が大きい国だ。

 イザベルの言っていた『バランバン』という街をスマホで探す。セブシティから見ると島の反対側だ。直線距離で40キロも無い。飛んで行けばすぐだが、普通の交通手段で行ってみたい。

 メールをチェックしたり、ヤフーのニュースを見る。『南沙諸島で戦争勃発。中国降参か』僅か3・4時間前の事がネットに出ている。『航行の自由を主張して南沙諸島近海を航行中の米軍船舶に中国軍がミサイル攻撃を仕掛け、両軍が交戦。その後、全面戦争に突入する直前に中国政府の停戦の申し出により和解が成立。南沙諸島はフィリピンの領土である事を中国政府も認めた模様』 

 仕事は完璧に済んだ訳だが、日本が得た物が少ない気がする。

衛星電話が鳴りだす。二階堂だ。時計を見ると午後2時だ。

「お疲れ様でした。今どこにいるんですか?」

船を降りた事をCIAのジョンから聞いているのか。

「今、セブにいるよ」

「女エージェントと一緒ですね?」

「固い事は、言いっこ無しだよ」

「分かってます。『英雄色を好む』を地でいってますね・・・トランプ大統領も満足の様で、報酬は送金済みとの事です」

「そうか。ありがとう。君の銀行口座を、メールで教えてくれないか。給料を振り込むよ」

「有難うございます。いつ頃日本に戻られますか?安倍総理が話をしたいそうです」

「多分、あさって辺りには帰ると思うよ。決まったら連絡する」

電話を切り口座を確認する。108億円が入金されている。振込み人名義はジョンだ。

残高が定期預金を入れて約192億9300万円。二階堂の口座に50万円を振り込む。

 綾香とユカにも電話する。今もフィリピンで仕事中なので、仕事が終わったら連絡すると伝えた。アンを思い出す。イザベルの身体と、俺の頭の中で重なる。

 イザベルが帰って来た。大きな袋を2つ手に持っている。嬉しそうだ。


ホテルに戻り、イザベルと抱き合う。戦闘の興奮の余韻が激しさを増す。

 しばらくベッドで抱き合ったまま休む。起き上がったイザベルが、俺の尻に付いている砲弾の跡にかじりついて笑う。


夕食はホテルの外に出た。イザベルがフィリピン料理を食べたいと言い、ITパーク近くの『ゴールデン・カウリー』と言う店に行く。高級フィリピン料理レストランだ。イザベルの大学時代の友人2人が合流する。いろいろと食べたいので人数が多い方がいいと言う事だ。俺も賛成した。

 テーブルに料理が並んだ。カレカレ・シニガンハポン・ポークアドボ・キニラウ・ピナクベッ・ガーリックライス。イザベルが料理の説明をしながら小皿に取ってくれる。イザベルの友達に俺達の関係を聞かれ、イザベルは『上司』と答えたが俺は『恋人』と言った。30歳以上も年の離れたカップルもフィリピンでは不思議ではない。特に外人とは。

友人2人は大学のバレーボール部の仲間だと言う。1人はスタイルも良くバレーボールをしているのが想像できたが、もう1人は『お母さん』という感じだ。案の定、子供3人の母親で、子育てに追われていると言う。2時間をレストランで過ごし彼女らと別れた。

 

 ホテルに戻るタクシーを探すが、なかなか見つからない。1キロも無いので腕を絡めて歩く。午後10時。車の通りは多いが、それほど安全な場所ではない。ITパークを過ぎてホテルの方に右に曲がる。すれ違いざま、一人の男がイザベルのショルダーバッグを奪い逃げようとする。次の瞬間、男は地面に叩きつけられていた。イザベルの、見事な関節技からの投げだった。男は這うように逃げて行く。元の俺だったら絶対にイザベルには勝てない。


ホテルの部屋で休む。イザベルに言う。

「いつもはセブシティから、どうやって帰るんだ?」

「バンに乗って行くの。乗り合いのバン」

「明日はそれで行ってみよう。面白そうだ」

「・・・いいけど、快適では無いかも」

気にしない。イザベルは荷物の整理をする。俺は財布の中身を確かめる。ペソは7000しかない。円とドルが有るからいいな・・・と、階下にカジノが有るのを思い出す。

「イザベル・・・カジノに行ってみよう」


ブリオーニのスーツに革靴に履き替える。イザベルが俺を見る。

「ずるいよトール。自分だけカッコイイ」

フロントに電話する。

「女性のドレスが欲しいんだけど、ナイトガウン。どうにかならないか?サイズは・・・」

10分後、ブティックの店員らしき女性とコンシェルジュの男が来る。

ドレスを5着持ってきている。1着の黒のドレスが気に入ったようだ。靴は自分の黒のパンプスでいいと言う。1280ドル。ドル紙幣を13枚渡す。釣りは要らないと言った。コンシェルジュにも100ドル渡した。笑顔で引き下がって行く。


俺たち2人をカジノのセキュリティーが丁寧に迎える。ポケットには7000ペソと1700ドル。ルーレットのテーブルに座る。勝ったり負けたりだったが、5000ペソが、すぐに無くなる。残りの2000ペソ分のチップを数字の『7』の上に置く。ディーラーが俺を見る。『いいのか?』という顔。黙って頷く。

ルーレットが回りだす。ディーラーが白い球を投げ入れる。跳ねながら動き回る玉。ルーレットの数字を凝視する。回転がゆっくりになり数字が見える。ディーラーがベルを鳴らす。もう掛けられないと言う合図だ。ルーレットの回転が更に遅くなる。『7』を目で追う。玉が跳ねる。念力で玉を一度ルーレットの中央に跳ねさせて『7』のポケットに落とした。


 ルーレットの回転が止まる。周りの客のため息と歓声。イザベルが俺に抱き着く。数字の1から12の3分の1の確率に掛けていた客も勝ちだ。掛け金が3倍になる。俺は一点掛けなので36倍になる。1000ペソのカジノチップ70枚をディーラーが俺に寄越す。掛けていた2000ペソはディーラーにチップで渡した。

 7万ペソのカジノチップを持ってテーブルから離れ、キャッシャーで現金に替える。スロットマシンに移動し、イザベルと隣同士で座る。イザベルと俺のマシンに1000ペソ札を投入する。『7』が3つ揃えばジャックポットだ。

10ペソのマシンなので3ベットずつ掛けて全く当たらなくても33回はプレイ出来る。途中でウェイトレスが注文を取りに来る。カクテルの『モヒート』を2つ頼む。小さな当たりが、たまに来てコインが吐き出されイザベルは喜ぶが、1000ペソはすぐに無くなる。さらに1000ペソずつを投入。モヒートが届き、受け皿に出ていた10ペソのコインをひと掴み握ってチップとして渡す。そろそろイザベルの1000ペソが無くなる。一番左の下側に7が来る。真ん中にも7.右上に7が来ればジャックポットだ。右のリールが思わせぶりにユックリと回る。上側を通り過ぎて真ん中に止まった。念力。上に一段動かす。ジャックポットだ。マシンが大音量で音楽を流す。マシンの上の赤い回転灯が回る。82万ペソのジャックポットだ。イザベルは訳が分からずキョロキョロする。

「ジャックポットだよ、大当たり。82万ペソだ」


部屋のテーブルにカジノから持ち帰った884000ペソを置いた。1000ペソ札の束が8個と84枚の1000ペソ。イザベルが俺に聞く。

「インチキしたでしょ」

「何もしてないよ。ついてただけだよ」

「嘘ばっかり。最後の7が逆に周ったの見てたし。まあ、いいか」

 まあ、いいか。俺に似てきた。

「早くバッグに仕舞いな」

イザベルが『何?』という顔で俺を見る。

「自分の金なんだからバッグに入れておきな」

「トールのお金でやってたんだから、トールの物でしょ・・・・分かった半分に分けよう」

「いいから全部持ってな。その代わり俺はバンに乗る交通費も無いぞ」

イザベルが抱き着いてくる。耳元で囁く。

「トール、ありがとう。愛してる」

イザベルを抱きかかえベッドに運ぶ。黒のドレスを脱がせ、俺も裸になる。


 フラメンコダンサーの様に情熱的だ。



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