第103話 アブノーマル

7月5日 午後

我々の乗った便は定刻通りにマニラに到着した。CAが上着を持ってきてくれるが、着陸してすぐに機内は蒸し暑くなってくる。上着を手に持ってターミナルの通路を歩く。


税関を出るとスーツ姿の2人のフィリピン人が俺達を車に案内する。黒のシボレー・サバーバン。フルサイズのSUV。この国では政府関係者しか乗っていない車だ。二階堂と2列目のシートに収まる。3列目のシートに、迷彩服でM16を持ったフィリピン人兵士が2人座っている。俺達に敬礼する。

かなり強引な運転で、渋滞の中をメインストリートのロハスブルバードに出るが、この先も渋滞している。助手席の男がどこかに電話する。すぐに白バイが2台やって来て、サバーバンを先導し始める。白バイが渋滞をかき分け、その後をサバーバンが続く。


ダイヤモンドホテルの部屋はスイートでは無く、普通の広めの部屋だったが十分だ。二階堂とは午後8時に夕食を共にする事になっていた。今は午後3時。5時間の自由時間。

財布から1000ドルを抜き出してポケットに入れる。貴重品は部屋の金庫に仕舞う。ホテルを出て、両替に向かう。マビニストリートの両替屋。1000ドルと引き換えに約5万ペソが手に入る。マビニストリートから一本海側のデルピラールストリートのスポーツバーに行く。売春婦が一日中たむろしている所だ。店に入るなり女達の視線が俺に突き刺さる。目を合わせると全員が微笑み返す。ウェイトレスに案内されて、丸テーブルを囲んだ高めの椅子に座る。ウェイトレスが注文を待っている。

「ピルセン」

フィリピンの代表的なビール。サンミゲル・ピルセンを注文する。

ウェイトレスが去ると、すぐに声を掛けて来る女。

「コンニチワ・・・ニホンジンデスカ」

見ると、身体にフィットしたTシャツを着ているが腹が出ている。歳は30前後。

さらに他の女も寄って来る。

「コンニチハ・・・ワタシノナマエワ メイデス アナタ ナマエワ」

これもブス。日本人をターゲットにしている女は、片言の日本語を喋る奴が多い。

「俺の名前?ゴンベ」

奥にあるビリアードテーブルの方を見る。玉を衝こうとする女。前かがみになっている尻から、長い足が伸びている。玉を衝き終わり、上体を起こす。完璧な後姿。顔が見たい。

メイという女が俺の太ももをさすりながら言う。

「ゴンベ アナタ ナマエ ウソネ・・・オンナ サガシテルデショ ワタシ サービス イイヨ」

玉衝きの女の顔が見たい。振り向くのを待つ。

「ホテル ドコ? ワタシ イッショ ダイジョブ」

しつこい女だ。

玉衝き女が振り向いた。スペイン系の血が混ざった美人。俺はすぐに席を立つ。ビールを持って、ビリアードテーブルの近くの席に移動する。真剣な顔で玉を衝く女。相手は白人の男。2人が出来上がっているのなら無理だが、ただのビリアードの相手なら声を掛けようと決める。

 白人男のビリアードの腕は全くの素人で、勝負は女の勝ちだ。ほっとした様子の女。ゲーム代金は負けた方が払う。1ゲーム25ペソ。白人男は自分のテーブルに戻る。

 振り向いた女と目が合う。瞬間、笑顔を送る。女は俺を2度見する。2回目に視線が来るまで見つめる。笑顔をキープ。女もかすかな微笑み。女が近づいてくる。白人男はただのゲーム相手で、客にはならなかったようだ。

顎でビリアードテーブルを指して英語で言う。

「上手いね」

「相手が下手だっただけ・・・日本人?」

「そうだよ。名前は?」

「バネッサ。あなたは?」

 バネッサ・・・よくある名前。

「トオル・・・宜しく」

 握手する。女は俺の隣りに座る。

「ゲームはもう終わり?」

 ビリアードは、勝った方が次の挑戦者とプレイ出来る。勝ち続ければタダでゲームが出来る。

「もういいの。あなたと話してるから。いつマニラに来たの?」

「きょう着いたところだ・・・仕事でね」

「いい服着てる。セクシー」

 バネッサは俺のシャツの襟を触る。ブリオーニのパンツとシルクのシャツを着ている。

「君のスタイルもセクシーだね・・・歳はいくつ?」

尻が見えるほど短くカットしたデニムの短パンに、白の短めのTシャツ。

胸にプリント『LOVE ME FOREVER』

「22歳。あなたは?」

「49歳」

10歳さばを読んだ。

「ホテルは何処?」

「ダイヤモンド」

「ワオ! リッチだね」

「俺と来る?」

「OK・・」


店を出て、デルピラール通りをバネッサと南に歩く。昼間なので危険も無い。バネッサに聞く。

「お腹空いてないか?」

 腹を減らしてる子が殆どだ。

「少し・・・でも大丈夫」

 10分も掛からずにホテルに着く。


ホテルの部屋に入りバネッサが言う。

「シャワー、あなたが先?私?一緒?」

「そう慌てるなよ。何か食べよう」

ルームサービスのメニューを見せる。

「全部高いけど、いいの?」

「いいよ。好きなのを注文しなよ」

バネッサが選んだのは『シニガン・バブイ』だ。酸っぱいスープに野菜や肉が入っているフィリピンの代表的な料理。バブイは豚なので豚肉入りのスープだ。一緒にご飯も注文する。

俺はサンドウィッチを選ぶ。ルームサービスが届くまでベッドに横になり話をする。

バネッサはマニラ北側のカロオカンに住んでいる。2歳の女の子が1人。父親はフィリピン人で、妊娠したのが分かると姿を消したと言う。よくある話だ。娘の面倒は母親が見ていてくれるので、朝まで一緒にいると言う。綺麗な顔をしている。生まれた場所が違えば、この子の人生も全く違う物になっていただろう。

ルームサービスが届く。シニガンは2人分以上あり、俺もサンドウィッチと一緒にシニガンを食べる。食事の後、一緒にシャワーを浴びる。俺の全身を掌で洗ってくれる。

 ベッドでも十分に楽しませてくれた。子持ちなのが信じられない引き締まったウェストと、形のいいオッパイが俺を奮い立たせた。

 再度、シャワーを浴び、身支度を済ましたバネッサに礼を渡す。言い値。笑顔で抱き着いてくる。携帯を貸してくれと言うのでスマホを渡す。自分の電話番号をインプットして俺に返す。ホテルのロビー出口まで送って行く。時間は6時だ。まだ2時間もある。


 歩いて5分程のロビンソンデパートに向かう。海賊版のDVDや携帯のケース・充電器などを売っている露天の前を通り過ぎるとロビンソンの入り口だ。店内を一回りしたが何も必要な物も無く、入り口近くのスターバックスでコーヒーを飲む。携帯をポケットから取り出し、メールをチェック。特に何も無し。グーグルマップを開く。携帯にはフィリピンの大手キャリア『GLOBE』のシムカードを入れてある。500ペソをチャージしたので存分に使える。グーグルマップに今の地点、マニラがポイントされている。地図を縮小して、今晩ヘリで向かうコロンの場所を確認する。エルニドよりも北でマニラからは近い。300km位か。更にコロンから南沙諸島までは約300km。船で6・7時間か。いざと言う時にマニラまで飛んでくる事を考えても楽な距離だ。

「プエデン パオポ アコ ディト」(ここに座ってもいいですか)

 顔を上げると白衣の若いフィリピーナ。美人。俺の前の席を指差している。

「ワイ ノット」

英語でしか答えられない。美人は笑顔で座る。周りを見ると空いている席もいくつかは有る。彼女も英語に切り替える。

「ありがとう」

 座ってからも俺の顔を笑顔で見る。思わず後ろを振り返ってしまう。誰もいない。間違いなくジジイの俺に笑いかけている。クリームのタップリ入ったカップのストローを口にする彼女。看護婦?話しかけなくては・・・もったいない。

「看護婦なの?」

「まだ学生です。看護学校・・・この近くにあるの」

「そうか。いい仕事だね、看護婦は。海外でも働ける」

「仕事でマニラに? それともマニラに住んでるんですか?」

「仕事で来てる・・・・何で俺に話しかけたの?」

「何となく、優しそうだったから。紳士に見えたし」

「見る目が無いね。俺はアニマルだよ」

 彼女が笑う・・・可愛い!

「アニマルは自分をアニマルって言わないでしょ・・・日本人ですか?」

「そう。何で分かる? 中国人や韓国人の方が多いのに」

「中国人や韓国人は1人でここには来ないし・・・中国人の時計は、決まって金色」

 2人で笑う。学校の話。兄弟や親の話・・・笑顔で良くしゃべる。彼女の名前は『ニーナ』。

俺の名前も教えた『トール』

突然、話をやめて俺の目をじっと見る。

「どうかしたの?」

「トールさん、あなたはノーマルじゃ無いですね」

「アブノーマルって言いたいの? 自分じゃノーマルだと思ってる」

「そうじゃなくて・・・特別な、何かを持ってるみたいな」

この子も『アブノーマル』か? 何か特殊な才能があるのか? 俺の特別な何かは、彼女の下着がピンク色なのを見極めている。それを感じるとは何者だ。

 二階堂との待ち合わせ時間が迫っているので、電話番号を交換して別れた。ニーナとは、ゆっくり話してみたい。


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