第92話 射撃
6月26日
午前10時。煮物のいい匂いで目が覚める。ユカは肉じゃがを作っていた。
ダイニングテーブルに落ち着き、テレビを点け、ニュースを眺める。赤坂のアメリカ大使館の国旗が燃えている映像が映し出せれる。通行人が撮った映像だ。きっと大使館の監視カメラには俺が映っていると思うが、それは出てこない。国旗の昇降機の電源がショートした為と説明している。
テーブルの上には朝食が並べられる。肉じゃが、ご飯、みそ汁、納豆。2人で食べる。肉じゃがを口に入れる。旨い。ユカが言う。
「100グラム2000円の牛肉で作る肉じゃがなんて初めて」
「旨いな・・・最高だ」
「でも、ちょっとゼイタク」
「又、この肉買ってきてステーキで食べようか」
「うん!」
食事が終わり2人で散歩に出かける。
千束通りから言問通りを抜け、ひさご通りに入る。商店街だ。場外馬券場のウィンズ浅草の手前を左に曲がると浅草花やしきの入り口前の通りだ。真っすぐに歩き六角堂の前から浅草寺の境内に入る。浅草寺の正面に廻る。ユカが俺の手を引いて言う。
「ねえトオル・・・お参りしよ」
まあ、いいか。2人で浅草寺前の手水舎で手を洗い、口をすすぐ。ユカが真似をする。
寺の階段を登り中に入る。観光客で溢れている。大きな賽銭箱の前に立つ。財布から1000円札を2枚出し、1枚をユカに渡す。賽銭箱に投入し、手を合わせる。ユカは長い間、目を閉じて祈っている。
仲見世の商店街を歩く。ユカが俺に聞く。
「何をお願いしたの?」
「ユカは?」
「この生活が続きますようにって・・・トオルは?」
「同じだ、ユカと」
ユカは俺の腕に自分の腕を絡めて歩く。俺は神社仏閣で手を合わせても、何も願い事はしない。『神仏を尊び神仏を頼まず』だ。神様がいるとすれば、俺に力を与えてくれた神に感謝する。それ以上は望まない。
雷門まで出た。ユカが写真を撮ろうと言って、スマホを小さなショルダーバックから出す。
2人で並んでセルフィ・・・スマホの画面が割れている。
「落としたら割れちゃったの・・・でもまだ使えるよ」
写真を撮る。綾香とマキにスマホを買ってやったのを思い出す。
「新しいの買おう」
近くの携帯屋に行くが、店員が忙しそうで話も出来ない。タクシーを拾い、上野のヨドバシカメラに行く。安いのでいいとユカは言うが、いい物を選べと言い9万円のスマホを買った。ヨドバシカメラを出ると、目の前が中央通りで、その向こうが上野公園だ。
「上野公園に行った事あるか?」
「子供の時に来たと思う・・・動物園がある?」
「あるよ。上野動物園。パンダがいるよ。行くか?」
ユカは頷き、手を繋いで上野公園の階段を登る。新しいスマホで、西郷さんの前で2人でセルフィ。カメラの性能がいいと喜ぶユカ。俺も嬉しい。
上野公園を歩く。ベビーカーを押す母親。ベンチで寝ている人。ハトに餌をやる人。走る子供。手を繋いで歩く恋人たち。俺達もそのうちの一組。はた目には仲の良い親子か・・・なんでもいい。上野の森美術館を過ぎて東京文化会館の前に出る。ジャグリングの練習をしている若者。バトミントンをするカップル。
国立西洋美術館が見える。その手前に『弓をひくヘラクレス』の銅像。俺は力を得たが、ヘラクレスのような立派な身体にはなっていない。まあ、俺の父親は普通のサラリーマンで、ヘラクレスの父親は、神々の王である『ゼウス』だ。違うのは仕方ない。
くだらない事を考えていると、『考える人』の銅像。君も考えているのか。
どこからか鋭い視線を感じる。周りを見渡してもそれらしい人は居ない。透視でもう一度見渡す。大きな木の後ろに隠れている男。建物の陰に隠れている男。明らかに俺達に意識を集中している。何気ない素振りでユカの手を取って、公園の奥へと歩き出す。蒸気機関車D51が右側に見えて来る。2人の男の気配も付いてくる。D51の柵の前で立ち止まりユカに言う。
「動かないでここにいて」
木の陰に隠れている男へ高速移動して腹にパンチ。もう一人、通行人の振りをして俺達をつけていた男へ高速移動して肩を組む。男は身体を固くする。浅黒い顔。東洋人でも白人でもない。中東系の顔。
「あんた誰。何でつけて来る?」
何も言わない。逃げ出そうとするが、肩に廻した右腕で押さえつける。徐々に肩に掛けた手を自分の方に引き寄せる。男の肩の骨が軋む。男の顔に汗が浮き出る。
「お前は何なんだ? CIAか?」
肩の骨が外れる。それでも悲鳴を上げない。道路から外れ、木がまばらな植え込みの方へ歩く。左手で押さえている男の左手首を強く握る。男は俺の顔を見ながら低く呻き声を上げる。
「言わないと、骨がバラバラになるぞ」
その時『プスッ』という音が聞こえ、男の身体から力が抜ける。撃たれたな。
音のした方を見ると、腹にパンチを入れた男が逃げて行く。すぐに追いつき前に立ち塞がる。男は自分の頭を打ちぬいた。植え込みの中に倒れる。一瞬の出来事だった。男が持っていた銃を手に取ってみる。サイレンサー付きのグロック17だ。男のポケットには弾倉が2個だけだ。サイレンサーを外し、全部自分のジャケットのポケットに入れる。初めに撃たれた男の方に戻り、懐を探る。同じ銃と弾倉2個。これも貰っておく。身元が分かる物は無い。ポケットがパンパンに膨らんでしまった。周囲で気が付いている人は居ない。
ユカの元に戻る。瞬間的に現れる俺に驚く。
「何があったの?」
「バッグを貸して」
ユカのバッグに銃を2丁と弾倉を4個。サイレンサーを2個入れる。小さなバッグがパンパンだ。ユカは無言で俺を見ている。
タクシーで浅草に帰る。尾行は無いようだ。何事も無かったかのように千束通りでタクシーを降り、肉屋で買い物をする。ステーキ用で500グラムを2枚。2万円を払ってマンションへ歩く。
向かい合って座る。ダイニングテーブルには銃が2丁と弾倉4個。サイレンサー2個。
「トオルは警察じゃないよね・・・スパイ?・・・映画みたいだね」
「まあ、そんなもんだな」
「これ・・・どうするの?」
銃を見るユカ。
「ユカに一丁持っていて欲しい・・・俺との関係が敵にバレていたらユカにも危険があるかも知れないから」
「使い方教えて」
強い女だ。
出掛ける前に買ってきた肉を焼いて食べる。最高のレアステーキだ。ユカも500グラムを完食する。
ジュリアで中央高速を走る。視線を遠くに置き、速度取り締まり器に注意しながら飛ばす。三鷹の料金所を過ぎてから八王子まで、前が空いている時はアクセルを床まで踏み込む。スピードメーターは280kmを指す。相模湖のあたりからカーブが多くなり、上り坂と相まって速度の遅い車が多くなる。次々と遅い車を抜きながら、大月ジャンクションで河口湖方面へ向かう。河口湖インターチェンジで高速を降り、横町バイパスを西に向かう。鳴沢村の表示が目に入る。ひばりが丘の交差点を左に折れ富士宮鳴沢線を走る。3キロ程走って、道路わきの広いスペースにジュリアを停める。奥は富士の樹海だ。毎年自殺者が出る場所。迷い込んだら出られない、磁石も使えない磁界のくるっている森。既に薄暗い。
バッグに入れた銃を持ち、ユカと樹海に入って行く。30分も歩くと、ここで迷うのも納得できる。周囲全部が手つかずの森。多少の音をたてても誰にも聞かれないだろう。
銃をバッグから出し、弾倉と薬室から弾を抜く。ユカと1丁ずつを持つ。スライドの引き方。安全装置等、一通りを教える。旅行をした時に、海外の射撃場でいろいろな銃を撃った経験が役に立つ。構え方を教え、照準の合わせ方を教える。恰好がさまになってくる。引き金の引き方を教える。絞り込むように。
破いたカレンダーに描いた的を、少し先の木に張り付ける。
実弾を5発入れた弾倉をユカに渡す。ユカが緊張した顔で弾倉をグリップに差し込む。銃を下に向けスライドを引き、そして戻す。右手の人差し指は引き金の外側で。左手を添えて銃を構える。5メートル程先の、紙の的を狙い引き金を絞る。森に音が響く。サイレンサーは付けていない。的の右端に着弾。
「ユカ・・・落ち着いて。腕を伸ばし切らないで」
もう一発。着弾点が真ん中に近づく。数歩下がらせる。的までの距離は8メートル。
「あと3発入ってる。全部撃ってみな」
1発撃って、着弾点を確かめるユカ。的の上側だ。
続けて2発撃つ。1発は的のセンターで1発は少し左。上出来だ。ユカの顔が上気してピンク色になっている。
「上手いよ、ユカ。もしもの時には2発撃ち込むんだ」
「1発じゃダメなの?」
「急所に当たってればいいけど、そうじゃないと、撃った弾が相手に当たっていても撃ち返される可能性があるだろ・・・この銃の弾は9ミリ弾って言って、大きな45口径なんていう弾を使う銃よりも一発の威力は少し落ちるんだ」
「ヨンジュウゴ?」
「100分の45インチだな。11.4ミリ位かな。デカイ弾なんだ。その代わり、この銃は弾倉に17発も弾を込めておける」
「薬室に一発入れておけば全部で18発?」
「流石、理解してるな。でも普段は10発位を入れておけばいいよ。満タンに弾を入れておくと、弾倉のスプリングが弱ってしまうから」
「分かった。弾は何発あるの?」
「弾倉2個分の34発と、今抜いておいた10発だから、合計で44発あるよ」
「沢山あるね」
木に張り付けた的を外して森から出た。迷う事は無かった。
綾香にも銃を教えなくては。
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