第78話 バカの感染
中野坂上のアパート。新宿のすぐ近くに、未だにこんなに古い木造アパートがあるのに驚く。多分、昭和30年代の遺物。
狭いキッチンと4畳半と6畳の和室。トイレは和式。バランス釜の風呂。懐かしいような古さ。モノクロテレビと裸電球が似合う部屋。ユカは寝室らしき奥の6畳間に入り、押入れから服やアクセサリー等を取り出して、安物のボストンバックに詰め込む。古い6畳には似つかわしくないダブルベット。ユカはマットレスを少し持ち上げて覗き込む。封筒を見つける。男のへそくり。元々はユカの稼いだ金だ。10万円位は有りそうだ。
4畳半に戻って見回す。テレビの裏側を覗いて、配線を外そうとしている。
「おい。テレビまで持ってくのか?」
「テレビだけでも持って行きたい・・・冷蔵庫だって電子レンジだって、全部私のお金で買ったんだから」
しょうがない。テレビの配線を外してやる。ユカに雑巾を持ってこさせて、テレビの画面と裏側を簡単に拭く。ホコリだらけだ。ユカを見る。
パンパンのボストンバックとコンビニ袋2個。炊飯器も持っている。
笑いそうになるが、ユカの顔は真剣だ。ユカは更に玄関口で空のコンビニ袋にサンダルや靴を入れ、立ち上がって俺を見る。
「行きましょう」
ユカの両手には、ボストンバックとコンビニ袋3個に炊飯器。俺は32インチのテレビを抱えている。青梅街道沿いのセブンイレブンに停めてあるジュリアまで歩く。3分も掛からずに着く。ジュリアのトランクに荷物を入れ、車内に乗り込む。
「どこに行くんだ?」
「分からない・・・親の所には帰れないし」
こいつも面倒くさい娘か。家庭の事情なんか聞きたくもない。
「友達は?」
「もう、何年も会ってない。泊まらせてなんて言えないよ・・・どっか安いホテルでいいや。取りあえず」
空を見る。青梅街道の西の方がオレンジ色になっている。
「メシ食うか」
腹が減った。
「そうだね。ご飯食べながら考えよう。これ・・・・約束の2万円」
少し考えたが受け取った。ポケットに押し込む。
「近くに『すき屋』と『松屋』があるよ」
「勘弁してくれよ。まずここから離れなきゃな」
ジュリアを新宿方向に走らせる。
「どこ行くの?」
「東京の東側」
「東とか南とか言われても分かんないな」
「普通は東とか西って言うだろ・・・」
笑う・・・笑うと、まだ子供だ。身体をよじって笑い転げる。
「馬鹿でしょ。アタシ。中学しか出てないし、馬鹿な男と3年も一緒に居たから馬鹿がうつてっるよね」
「馬鹿の感染か・・・あるな。若いと感染しやすい。どんな薬も効かないんだ。一度感染すると、患者同士で集まるようになる。快適なんだろうな。感染していない人が、感染者を見分けるのは簡単で、5分も話をしてみれば分かるんだ」
「あの馬鹿の子分みたいなのがよく来てたけど、完全に感染者だ・・・・どうやったら感染しちゃったのを治せるの?」
「感染しちゃったら、治さない方がいいよ。楽だから。面倒臭いこと考えないでいいし・・・寿司好きか?」
「好き。オジサンの事、なんて呼べばいい?・・・あ、もうオジサンって呼んでる」
「いんじゃない。オジサンで」
いつもの築地『すしざんまい』に行く。赤いミニスカートのユカに店内の目が集まる。
カウンターに座る。ユカは寿司屋でカウンターに座るのは初めてだと言い、この店は寿司が回ってこないと言い、笑わせる。 2人で11000円。
「どこか安いホテルでも探すか?」
「大丈夫。ネットカフェに泊まりたい。ネットでアパート探すから。携帯より楽だし。漫画も読めるし。2000円位で一晩泊まれるんだよ」
ユカは新橋のネットカフェを見つけていたらしく、携帯の画面を俺に見せる。すぐ近くだ。ジュリアで送って行こう。
新橋1丁目の交差点でユカを降ろす。アパートが見つかったら俺に電話すると言う。炊飯器とテレビ、3個のコンビニ袋は預かる事になった。トランクに入れたままにする。
ユカを降ろして、そのまま近くの西銀座駐車場へ。
午後8時。三越の弓香に電話する。呼び出し音はなっているが出ない。そのまま車の中で待つ。10分後、弓香から折り返しの電話。和光の前で待ち合わせる。ジュリアを駐車場内で有楽町寄りに移動して停める。弓香とほぼ同時に和光に到着する。ハタチの弓香。丸顔だがスタイルがいい。さっきまで一緒に居たユカよりも若く見える。ユカの経験が10代の若さを奪ってしまったのか・・・。
弓香と数寄屋橋方向に歩く。そのまま駐車場に戻りジュリアに乗り走り出す。
「前のベンツはどうしたんですか?」
「あるよ。でもこっちの方が今は好きなんだ。おととい届いたんだ」
「これも外車ですよね?」
「そう。イタリアの車」
「高いんですよね?」
「ちょっと高い国産車と同じ位だよ」
話しているうちに、すぐに帝国ホテルに到着する。
「部屋で食べよう」
弓香は頷く。チェックインして部屋へと2人で歩く。キーを受け取れば、ボーイの案内は要らない。
特注の和牛ステーキサンドを2人前オーダーした。メニューには無い。
ミディアム・レアに焼き上げた和牛を全粒粉のパンにサンドしている。1人前8000円。値段もいいが味もいい。弓香は一口食べ、驚き、笑顔になった。
バスタブに湯を張り、一緒に入る。綺麗な白い肌だ。身体を触りあう。
「続きはベッドだ」
バスタブの中とは違う。
弓香の声が高まり、俺もタイミングを合わせる。
身体を離して見下ろし、横になったままの弓香にキスをする。
しばらく顔を見る。勝手なもので、火曜日からの温泉の約束が面倒に思えてくる。
弓香が起き上がる。ブランケットで身体を隠しながら言う。
「なに見てるの?・・・恥ずかしい」
「あのさ・・・火・水の温泉」
「忙しいの?」
「ゴメンナ。仕事が飛び込んできて断れないんだ」
「大丈夫です・・・仕事が終わったら連絡して下さいよ」
「本当にごめんね」
別れ際に、友達と食事にでも行ってくれと、10万円を押し付けた。
午後11時。帝国ホテルから出て自宅に戻る。
俺はソファーに寝転がり、床に座ってゲームをする娘達の後姿を見る。
ユカは、、目の前の娘達と同じ歳から水商売をさせられ、客を取らされていたかと思うと哀れだ。
娘達の笑い声が響く。
明日は、新しい32インチのテレビを、俺の寝室でない方の部屋に設置しよう。
ゲーム部屋だ。
ゲームの音を聞いていると馬鹿に感染しそうだ。ゲームソフトには馬鹿ウィルスが仕込まれているに違いない。
1日の疲れが出て来る。娘達はゲームに集中しているので、先にベッドの真ん中で寝る。
箱根でのジュリアの走りを思い出す。プロの高速4輪ドリフトを思い出し、鳥肌が立つ。
深夜、娘達が両側に潜り込んで来たのに気づくが、そのまま眠った。
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