第58話 テスト飛行

6月2日 午前8時半。 湾岸道路をG63で走る。葛西ジャンクションで中央環状線C2を北上する。そのままC2を道なりに走り板橋方面へ。首都高速5号線で埼玉県の戸田市に向かう。銀座から首都高速で東京の真ん中を抜けたほうが、日曜日の今日に限って言えば早かったと思うが、ただ走りたかった。ゆうべ買って帰ったオニギリを食べている。3個目だ。

戸田南で首都高速を降りると大宮バイパスだ。ガソリンが大分減っていたのでバイパス沿いのスタンドに寄る。セルフサービスのスタンドだ。ハイオクを満タンに入れる。若いスタンドマンが目を輝かせて寄って来る。

「新型のGですね、AMG・・・カッコいいっすね・・・すげーな」

いつかは、こんな車が欲しいと言う。

自分の事を考えてみる。今の力を得る前に何かを望んでいたか。数か月前の自分を思い返す・・・・特に何も、強く望む事もなかった。どうしても欲しいという物もなかった。満たされていたのか、諦めていたのか。

今現在、金を持った。若者が羨むような車を手に入れ、快適な部屋に住んでいる。食べたい物を食べたい時に食べる。還暦近くなり、諦めていた若い女も、金が有れば好きなだけ抱くことが出来る。思いついた事を行動に移したり、欲しい、又は必要という物をすぐに手に入れられる。金が有ると自由だ。我慢をしなくいい。

数か月前までは、自分では意識せずに、そう、無意識に、手に入れられない物や、実行できない事を気に掛けないようにしていた。見ないようにしていた。見てしまうと我慢しなくてはならない。それを持っている人、やっている人に対して嫉妬するのが嫌だった。自分が劣っている存在のように感じそうで・・・・だから見ない。


給油が終わっていた。ガソリンキャップを締める。スタンドマンが聞いてくる。

「V8のターボですよね・・・燃費どれくらいっすか?」

燃費・・・知らない。ガソリンは無くなったら足せばいい。初めから燃費を気にする車じゃない。

ガソリンスタンドを出て大宮バイパスに戻る。ナビは次を左と指示。

左折して100メートル。大きな倉庫の前に、水色のルノー・TWINGO(トゥインゴ)。その前に立っているジェーン。今日は活発な雰囲気だ。スリムのジーパンが型の良い尻を包んでいる。

俺のG63をトゥインゴの横に停めようとするが、倉庫の中に入れるように手招きされる。


倉庫は広かった。手前側は車の修理工場のような雰囲気だ。ジャッキアップされた車が何台も有る。奥に行くと右側に車の塗装用の部屋がある。その向かい側にはシャシーダイナモとコンピューターが並ぶ。さらに奥に行く。壁で仕切られておりシャッターを開けて中に入ると、銀色に光る箱が立っていた。その横に二階堂の姿も見える。周りには十数人の男達。

技術主任だという40代の男が俺に言う。

「全てご注文通りに出来ていると思います。このように箱を立たせて背負うようになります。重量は酸素ボンベ装着など飛行可能状態で250kgです。外板は材質の異なる2重のジュラルミンの薄板で、その間に防弾ベストに使われているケブラー素材を挟み込んでいます」

肩・ウェストのベルトを確かめた。背負う位置に立ってみる。右側に操作パネルが有り、酸素タンクの圧力計と流量計、流量調整スイッチ、マイクとスイッチ、小型スピーカー、イヤホンジャックが並ぶ。操作パネル一番上にオーバープレッシャーバルブ。左側に緊急用の小窓。ロックを外し小窓を開けてみる。3cm程の丸い穴だ。本体側にはOリングが埋め込まれた溝がある。

箱を背負って持ち上げる。後ろの箱に人が乗った時に最適なバランスだという。

ベルト類はしっかりしている。箱を降ろし、寝かせる。計器盤は本体外板のジュラルミンのリブ加工の突起部側面に埋め込まれており、箱を寝かせた時でも安定している。

メインのドアを開ける。レバーを90度回し引いて開ける。ドアトリム部にはゴムのパッキンが二重に付いている。ジェーンに中に入ってもらう。横になりシートベルトを締める。4点式のベルトは肩と腰のベルトは初めから接続されているので、装着時は左右の腰ベルトのバックルを留めて締め、肩ベルトをひっぱってフィットさせれば良い。内部のLEDライトを点灯させ、ジェーンを箱の中で寝かしたままドアを閉める。

頭側に回り、箱を立たせる。ジェーンの足も床板に着いたはずだ。

マイクのスイッチを押しながら話す。

「ご機嫌いかが?」

「なかなか快適。月まで行けそうよ」

耳元の小型スピーカーからジェーンの声が響く。

友達か、恋人同士のような口調で答えてくる・・・二階堂を見れない。どうせ俺たちの関係は分かっているだろう。

このスピーカーは、水中用スピーカーの技術を応用して、高速で飛ぶ航空機の外部にも装着出来るように作った物らしい。中のマイクは声に反応してスイッチが入るので操作の必要が無い。

箱を寝かす。ジェーンを箱から解放し、タンク装着部のドアを開ける。メインドアと同じ気密構造になっている。酸素の4Lタンクが2本ずつ、バルブ部分が中央を向くように左右に置かれる。4本の開放されたタンクバルブからの酸素はレギュレーターと言われる気圧調整器で10気圧前後に減圧されインジェクター(噴出器)に接続される。外部の操作パネルからの操作で、指示された量で噴出される。


全てのドアを閉め、箱を立て、中に酸素を送り込む。指示は毎分40L・・・オメガに目を落とし、オーバープレッシャーバルブの前に立ち耳を寄せる。3分30秒でバルブが作動する。かすかな音だ。3分半・・・140Lの酸素。箱の内容積は3000L弱。

5%だ。1,05気圧でバルブ作動なら上出来だ。酸素を送った分だけの、二酸化炭素濃度が高くなった空気を排出できる。


テスト飛行だ。酸素タンクの圧力は140気圧残っている。

誰が乗るか・・・希望者が多い。

ジェーン、二階堂、若手の技術者2名が乗る事になった。乗りたいと言った技術者の一人は大柄で、体重は90キロだったが、北朝鮮にもこういう体型が居るかも知れないので許可した。中が窮屈なだけで俺には関係ないが。

寝かせた箱に乗り込む4人。

倉庫の天井部分がスライドして開く。

窮屈な箱で並んで寝ている。技術主任という男はしきりに写真を撮っている。

ドアを閉め、箱を立たせる。中から歓声があがる。4人が乗り総重量は500kg位だろうか。自分のベルト類を身体に装着し、酸素の供給を開始する。毎分40L。

マイクのスイッチを押し、言う。

「これよりJIA航空、天国行き、離陸します。舌を噛まないようにお気を付けください」

笑いが起こる。

ゆっくりと飛び立ち、徐々にスピードを上げて上昇する。下には荒川が見える。

雲を突き抜ける。高度3000メートル。今のところ異常なしだ。

一気に高度5000メートルまで上昇する。内部の様子を聞く。異常なし。

更に10000メートルまで上昇。内部、異常なし。

時間を確認し水平飛行に移る。北西に向かう。巡行スピードだ。日本アルプスが左下に見える。15分弱で海に出た。一息だ。降下して深呼吸する必要が無い。

200km以上の距離を飛んでいる。時速にすると800km以上だ。

低高度で休んだ後、再び高度10000メートルへ。

帰りは少し速度を上げる。元の場所に戻るのに10分。殆ど音速だ。マッハ1。瞬間、音速を超えたがすぐに速度を落とす。音速以上で飛べるのを知られたくない。

着陸する。技術者たち10人ほどに囲まれる。箱を寝かせる時に数人が手を貸そうとするが、怪我をされると困るので下がらせる。ドアを開ける。4人の、ジェットコースターから降りてきたような顔が引きつって笑う。成功だ。


ジェーンのトゥインゴを運転して笹目橋を走る。荒川を東京側へ。

俺のG63にはジェーン。

トゥインゴは軽快で面白い。RRというレイアウトで後ろにエンジンがあり駆動輪も後輪だ。鼻先が軽いのでハンドルを切るとスィっと曲がる。エンジンに力は無いが、回転を思い切り上げて走る爽快感が有る。

車を交換してレストランまで向かっているのだ。首都高速5号線の下を走る。先に華屋与兵衛という和食レストランが見えて来る。早めの昼メシにありつける。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る